蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

口癖はケセラセラ。(by fhana)

今日は職場で午後から草刈りを行い、膝が泥だらけになった状態で老人ホームへ出向きました、どうもめんつるです。

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雑草が生い茂る裏の駐車場へ出向き、丈の高い雑草の根元から鎌もて刈る!刈る!刈るゥ!!

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「・・・ふ、お前も俺も根無し草の雑草よ・・・。雑草同士仲良くしようZE☆」(刈ってるじゃねえか)

 

先ほど気づいたら謎の木の実が頭に付着していた。オナモミっぽいとげとげのヤツ。う~ん、柵の下潜ったりしたしなあ・・・。道なき道を行こう、行けばわかるさ的に。

 

さて、昨日は引きこもり家族会に参加した。

 

前回四名の参加だったらしいのだが、今回は私含め9名の参加。増えたみたいだ。それは大変好ましい。

 

私は・・・、う~ん、しゃべりすぎたかもしれないw。新顔としては口数がとても多い方だったろう。

 

もう一人陽気なおばちゃんがいて、主宰者ではなく彼女が終始しきるような感じで会は進んだ。最初うるさいおばちゃん(失礼)かと思ったのだが・・・。

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聞くところ、退くところは退くし、人の意見を尊重するし、話の腰を折らないし、自分の意見を押し付けたりしないし。素晴らしい仕切りっぷりだった。

 

なので。

 

当初思っていたような「傷の舐め合い」っぽい湿っぽさはなく、具体的に何をするか・・・まではこぎつけなかったものの結構活気に満ちた話し合いになったのである。まあ、発言を求められていないのにしゃべってたのは自分とそのおばちゃんくらいだが。あとの人も存在感は文鎮の如しである。かなり前向きな話し合いになった。

 

まずはこちらから発した情報を受け取った人に限られてくるのだが、シンポジウムとかセミナーなども定期的にある。基本、私の関心事は潜在的に引きこもり、統計にすら載らないような層をもどう巻き込んでいくかなのだが、それについてもおいおい問題提起していこうと思う。この会なら真剣に議論の俎上に乗せるはずだ。期待はいい方に裏切られた。

 

さて、話の中で「自立支援ビジネス」なるものがある、と言う話題が出た。いきなり引きこもりの人を抱えるお宅に踏み入り、連れ出し、ものすっごい薄給で働かせる。自由もなく施設のタコ部屋に軟禁状態になるのだそうだ。おいおいやべえだろそれって。

 

ビジネスがダメだと言う訳ではないが、そう言う人の不幸の上に築いたビジネススタイルはあからさまにやばい。

 

「研修生」と言う名目で作業をさせる。自宅からは暴力的に拉致されるのだそう。ヤ〇ザかな?原則外出禁止、あなたがどこに住むかを決める権利は親にあります、とか言うらしい。戸塚ヨットスクールかよ。

 

給与明細も載っている。

 

「作業報酬明細書」。「8月」は計20日間、80時間で「16,000円」。換算すると「時給200円」である。まあ、私の働いてる就労支援の事業所も工賃だけならそんな感じだけどよ。

 

弁護士が”救出”に乗り出した事案も多い。施設にいた「研修生」が言った言葉は、

 

「やっと人間に戻れます」

 

だったようだ。

 

いやあ。なんと言うか。因果応報ですぜ。

 

これ以上は言わない。ヤ〇ザかもしれんし。

 

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さて。

 

老人ホームの方は少し遅れてしまった。でも、仕事の後なのにィ、と随分温かく迎えてもらった。

 

利用者であるご老人も認知症を患った方が多いのだが、基本的に問題行動や言動をする方はいない。

 

私は置物みたいにお婆ちゃんの中に入り(お風呂に一緒に入ったと言う意味ではない)会話を・・・投げかけたのだが・・・。いや、そこは。まあ、打ち解け意志疎通に至るまでは時間がかかりそうだ。でもしっかりと意志を表明し、行動する気概を皆さん持ってらっしゃる。

 

まあ、そんな感じで精力的に動いていきます、疲れない程度に。初日だからか少し疲れたけど。

 

で。

 

何の話だったっけ。(今更)

 

今日は他人の目を気にしすぎちゃう方や他人と自分を比べちゃう方への処方箋を繰り出したい。

 

効果的な暗示もあるらしい。以下の本に書いてあった。

 

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

 

 自分はその暗示を・・・ニ三日は使ったかもしれないがその後は忘却の彼方へ飛ばしてしまった。でもこの方は多くの著書を出しているけど内容には定評があるのでご興味のある方は試してみられるといいと思う。自分にはいまいち合わなかったと言うだけでその効果はきっと人それぞれだ。

 

まあ、誰しもこう言う時期は多かれ少なかれ、遅かれ早かれ通過儀礼的に通り過ぎる時期なのだろう。ずっとそのまんまでは人生そのものがきついので、早期に手放すに越したことはない。自分はどっちかと言うと自己肯定感を高める自主トレで克服した感じだ。シンプルにまとめれば「他者を無条件でリスペクトする」と言う手法。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 隣の綺麗ないい匂いのするお姉さんも、大富豪も大貧民も、重度の障害を持った人も老いも若きも。みなそれぞれに信じるものがあり、人生観世界観価値観があり、荷物を抱えている。まあ、「ワンネス」的な考え方ですね。「人類皆兄弟」である。

 

これがなんとなく落とし込めて来ると実は、自己肯定感も上がるし他者と自分を比べる考え方の癖も手放していけるので一石二鳥なのだ。綺麗ごととかではなく。

 

インスタで映え映えしている人がイージーモードの人生を送っていると思いますか?反対に、重度の障害を持った人がハードモードの人生を送っていると思いますか?幸せ遺伝子が欠損したような人がいる一方でもう一生順風満帆な人がいると思いますか?って話である。勿論、そうじゃない。だが、それが腑に落ちるまで自分も随分遠回りをしたなあ、と思う。

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他人と自分を比べてもいいことは何一つない、と思う。再三このことは書いてきた。分かっちゃいるんだけどつい、比べちゃうんだよね~、って人も最近は増えてきているのかな、と思う。つまり気づきつつある人。劣等感やルサンチマン、優越コンプレックスを後生大事に抱えたところで本人が苦しいだけだ。

 

まあ、アルフレッド=アドラーは人間みな劣等感を持つとは言うが。それを健全な方向へ向けるのならよし、だ。

 

例えば自分は障害を持っているけど、誰かと自分を比べそうになったら楽聖ベートーベンとかヘレン=ケラー、ホーキング博士と自分を比べるように意識を振り向けるようにしている。リンカーン大統領やチャーチルは躁鬱を抱えていた。

 

んで。同じ人間なら自分にもできないわけないだろう、と・・・。思ったりもしているのだが、恥ずかしいからここだけの話にしてねw。

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だがそこらのキラキラした人とか、成金趣味の人なんかを対象にルサンチマンを抱くよりよほど健全だと思うし、モチベが上がらないときはそう言う大きなハンデを乗り越えた人の伝記なんかを見ると萌える、いや、燃えること請け合いだと思うのだがどうだろう。

 

こんな本もある。まだ読み終わってないので紹介にとどめるが。

 

新説・精神世界史講座 ワンネスは2つある

新説・精神世界史講座 ワンネスは2つある

 

 

 

では。/おしまい。

 

>まみ様(id:Lovechan )コメント、ありがとうございます!ボランティアは佛教哲学の教えにヒントを得て始めました。「善行と悪行』しか人間お墓には持っていけないそうです。はい、頑張ります。 

 

>山猫様id:keystoneforest )コメント、ありがとうございます!死をどう肯定的に捉えるか?この命題に苦慮したこともありましたが、生命はけして死にゆく人に不幸をもたらすような方向へ動かないことも興味深いです。(脳内ホルモンや時間遡行など)学問は人の心や幸せを重んじるものであってほしいとも願います。

 

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筋トレと認知療法は続かない。

どうも!

 

さて、月曜から特養老人ホームへ出向いて正式にボランティアをすることに相成った。

 

今の所、大体の目安としては週3~4日、仕事が終わった後に1時間半くらい。時間は増えることはあっても減りはしないと思う。

 

お年寄りの話に耳を傾けたり、微笑んだり手を握ったり。今のところはそんなイメージで捉えている。心患いとして出来る限りのことをするだけである。

 

職員さんに言われたことはお年寄りの言葉を遮ったり否定をしないでほしいと言うこと。これは任せてください、と・・・言いたくなった。

 

よくいるじゃないすか、人の話をすぐに遮ったりいちいち否定から入るお方が。ナニサマか知らんけど。そう言う傲慢な人間に不快な思いをさせられた身としては反面教師の真似事はしたくはない。

 

全ては繋がっている。佛教哲学的な教えをそのまま体現するだけだ。行けば分かるさ。アントニオ猪木氏にも密かに背中を押されていたりもする。

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ただただシンプルに、エゴによる不安を断ち切る方法はエゴを後退させて世や人に尽くすことしか今の自分は知らないからである。そのことによって自分が少しでも成長出来ればそれでいい。

 

さて。

 

京都アニメーションの凄惨な事件から一夜が明けた。「京アニ」と言えば世界に冠たるブランドである。理不尽にも一人の狂人により多くの命が絶たれたことをまだ冷静に受け止められずにいる。

 

だが、それとは別にSNSなどを見るのはほどほどにした方が良い。

 

こうしたニュースを繰り返し見ていると、知らず知らず無意識レベルで大きなダメージが蓄積されていく。勇気を持ってSNSなどの媒体から離れることは極めて大事なことだ。犯人を断罪したい気持ちも分かるが断罪するのは司法の仕事だ。普通の人が正義の刃を振りかざしジャッジしようとすると必ずどこかで歪みが出る。個人レベルでも社会のレベルでも。とても悲しく残念な事件であるがそこはくれぐれも線を引いてほしいと願っている。

 

話を変えよう。

 

タイトルに筋トレの話を乗っけた。今期アニメで筋トレの作品があるのでちょっと観てみたけど・・・。う~む、ふざけている様でかなり本格派である。

 

「お願いマッスル♪」

 

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自分は身長が182センチ、体重が88キロある。

 

今日ご老人に目線を合わせ微笑み返しをした時、兄さん兄さん、膝なんかつかんでええから、と言われたがこれは、いかつい顔とガタイで威圧感を与えたくないがためだ。勿論人生の先輩への敬意もあるが。

 

そんな私が筋トレにえっちらおっちら励んでいたのはつい半年前くらいまでである。正直、二週間くらいしか続かなかった。なるほど一人で頑張ってても自分との戦いに負ける。ほぼほぼ完敗する。ジムに入り入会費なんかを払って元を取る、と言う動機からでもいいのでジム入りした方が絶対にいい。

 

その前も何度か挑戦しては三日坊主に終わっていた。田舎だし貧乏なのでジム通いも出来ない。仕方がないのでスマホアプリで一日これくらい、とトレーニング量を決めて取り組んでいたのだが・・・いや、まあ、なんともはや。このアプリのメニューを独力でこなせる超人はいるのだろうか・・・。

 

まあいい。

 

今は仕事がガテン系なので実は結構身体は締まってきた。うつ最盛期の頃は薬の副作用もあって105キロまで行ったこともある。だが、筋トレはうつ治療の必要条件にはなりうるかもしれないけど絶対ではない。筋トレしてたら治ったよ、とか言う人がいたかいないかは忘れたが、筋トレを完遂できるくらいになってればとうにうつなど治ってるよ、と言う鶏が先かタマゴが先か、ってな話だと思う。

 

そんなわけで。

 

まあ自分は有酸素運動と今の仕事があれば当分はええかな。

 

さて、認知行動療法である。これはニ三日前に再開した。二週間くらいサボっていた。

 

シンプルなトリプルカラム表であるが、しちめんどくさい心気症をまずは左の欄に感情と共に吐き出し、いやいやあんさんちゃいまっせ、とツッコミを入れていく。

 

このツッコミは、日々の仕事や読書などで身に付けた、様々な自信のモトを武器として取り入れアップデートしていくので、日々バージョンアップしていくのである。そうじゃないとダレる。

 

おんなじ武器しか持てないのならその単調さにすぐ嫌気がさすだろう。だから、日々の成長日記的な位置づけとして楽しみながら取り組むのがいいのだと思う。

 

そう、全ては繋がっているし、不変なものなどないのである。

 

で、だ。

 

よく言われているのが「ポジティブ日記」と言うやつである。

 

何かと言うと、一日にあったいいことを三つ書き出しましょう、と言うものだ。これは色んな所で推奨されているので耳にされた方もいらっしゃるかもしれないが、自分は気休めくらいの効果しかないだろうとどこか決めつけているところがあった。

 

脳みそはわざわざその宿主に悩み事を提供する。ポジネガなら、よほど達観した人でない限りネガを向くようにプログラミングされている。一つは農耕民族であった時の名残があり、肉食獣なんかの脅威や生命の危険にフォーカスする合目的的なシステムとして説明がつくし、人間一寸先も見えないのだから予期不安が出て普通なのである。

 

その脳みその不安サーチ機能の矛先を少しずつずらしていこうと言う趣旨であろう。

 

まあそれはともかく、この「ポジティブ日記」と言うのも「認知行動療法」の一環らしい。「記憶のゴールデンタイム」と呼ばれる寝る前に、ポジティブな記憶を再現することには一定の価値があるだろう。

 

まあ、仕事以外はかる~い気持ちでやりましょうや、ってな話なんでしょうね。頑張りすぎないように、ほどほどがよい。

 

ただ、自分なんかは結構死を強く意識しているところがあるから、毎日が全力である。良くも悪くも。

 

ある程度日々の行動に覚悟が宿ると上述の武器は業物レベルになっていくものだが、まあそんな悲壮感を漂わせている自分を見るとなんだかなとなるので、ほどほどに甘やかそうと思ってもいる。

 

人間そうやってバランスを取りながら生きていくんすねw。

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では。/おしまい。

 

>猫P様(id:nkobi1121)コメント、ありがとうございます!最初青チャで半月くらいえっちらおっちら頑張ってたけどあの分厚さと事務的な解答は心を折りに来ますw。辞書がいいですよね。

 

 

 

 

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数学を究めよ!(仮)⑨

どうも!

 

さて、このシリーズのタイトルもう少し何とかならんだろうか・・・。

 

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そんなわけで(仮)をつけた。仮差押えではない。

 

基本的にタイトルとかキャッチコピー的なものを考える上でのセンスの無さ加減を感じる。読んでいただくためにはタイトルは重要だ。まあ、割と行き当たりばったりで書いてるところもあるんだけど・・・。

 

まあいいや。

 

さて昨日の記事の、以前なんとなく後味の悪いもの別れをした幼馴染であるが、またラーメンでも食いに行こう!とラインをくれた。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 だが今回の休みはすぐにとんぼ帰りしたようで会えなかった。ひとまず胸を撫でおろした次第である。

 

親父さんとは家も近いので今後もちょくちょく遊びに行きたいと思っている。

 

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あと、来週くらいから市内の老人ホームでボランティアをすることになった。いや「なった」と言うかこれから職員の方と面談するのだが。

 

まあほぼ決まりで、歓迎してくれるらしい。

 

おじいちゃんおばあちゃんと心を通わせればまずはそれでいいのだ。故赤塚不二夫先生ばりにこれでいいのだ。こちらの希望としてはただ単に楽しく団らんしてくるだけである。他に手伝えることがあれば勿論、可能な限りしてこようとは思うが。

 

仕事をし、勉強をし、読書をし、人と会う。んでまた家でしこしこと勉強し、読書で検証し・・・、時には×××して・・・、と営々と日々を営んでいけばいいのだろう。まあ、今日は勉強をサボっているのだが。

 

昨日寝落ちしてしまい、ヘンな寝方をしたせいか一日体調が悪かった。勿論夕飯を食ったあたりから復調してきたが、スタートダッシュに出遅れるとモチベがだだ下がりになる。ただ、すこ~しはやっておかないと明日以降、モチベが逓減していくのではないか?と言う強迫観念に駆られるところがあり、まあそこはポジティブにそう言う特性があるのだと捉えておきたい。

 

さて、数学の話であった。前置きが長くなるにもほどがある。

 

目下東京出版にお世話になりっぱなしだ。東京出版の右に出るものなし、である。個人的にはであるが。いちおう回し者ではない。

 

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自分は去年の末くらいに「場合の数→確率」から入ったのであるが、そこから「数列→整数」と流れた。これ、順番逆だった方が楽だったのかも。

 

一方で「幾何」系にも着手した。「代数」系は大学や会社員時代に比較的馴染んだ分野であるから少し後回しである。

 

青チャートで入門的な知識から標準レベルの実力をつけて、と思っていたのだがなんだかまどろっこしい。ここは勿論参考書との相性とか好き好きなんだけど、青チャートは費用対効果と効率の面でメリットが薄い気がする。赤チャは論外だ。(ファンの方すみません)

 

ただ、「青チャ」は結構教科書レベルのところからの入りになってるから、「大数シリーズ」に乗っけるまでの「ゲタ」の役割を果たすのだが、他に何かいい手はないかねえ・・・。最近は「青チャ」のブ厚い表紙を見ただけで「うっ!」とのどわでもされてる気分になってしまう。

 

さて話が脱線しまくっているが、「大数シリーズ」の難易度「B」レベルくらいまでの問題を完璧にして難易度「C」以上に頭に汗かいて挑む、と言うのが難関大の攻略にはいいのではないか、と言うことは前々から書いている。

 

(↓以下はテキトーなところをテキトーに読んでくださいw)

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

このときであるが、

 

忘れた頃にエビングハウス」を意識して「皿回し」の回転数が鈍ってきた「皿」に回転をかけるイメージで難度「B」レベルの問題をチェックしていく。「忘れる前」ではない。この時、「(解法を)思い出す」プロセスの時脳みそに汗をかいている。

 

(/この過程で使う問題集は「一対一」シリーズ(とその手前。「プレ一対一」とかもあるみたいっすね。(商売上手だこと・・・w))。この問題集は「解法を定着させる・覚える」問題集と割り切ってもよい。それでもたまに難度「C」の問題が混じってるから思考力も養える。)

 

②解答を「自分の言葉で」作っていく。

 

「抽象⇔具体」を行ったり来たりする。図を描いたり、実験を取り入れたり、それまでに入手した「武器=解法」を組み合わせたりアレンジしたりして難易度「C」以上の問題に挑む。(最初は時間はあんまり意識しなくてもいいと思う)

 

こう言うプロセスの積み重ねが数学の地力を養っていくであろう。勿論向き不向きのある、ちょいと人を選ぶ科目であることは間違いないんだけど、数学力を養う上でものを言うのは別にジアタマとかではない。大事なのは正しいやり方と努力である。とにかく、脳みそに汗をかかせることから逃げてはいけない。

 

そんなところである。

 

では。/おしまい。

 

 >猫P様(id:nkobi1121)コメント、ありがとうございます!統合失調症も大変な苦しみですよね、ご家族も本人も・・・。遺伝、言われてますよね。そいつを「オフ」にできれば・・・。

 

 

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死をどう捉えるのか、その答えは・・・。①

どうも。三連休初日です。

 

さて昨日だが、近所に住む幼馴染(♂)のお母さんが三か月前ほどに亡くなられたのでお悔やみに行き、一通りお悔やみが終わった後お父さんとお話をしてきた。

 

この幼馴染とは今訳あって疎遠である。こちらが先方に誤解を与えてしまった経緯があるのだが、自分のことをたかりか何かのように解釈してしまったようで一別以来二年くらい会っていない。

 

でも、私がどん底にいた当時、唯一見放さないで(本音は分からないんだけど)いてくれたのは両親と恩師、そしてこの幼馴染だけなのだ。

 

ここ最近は親父さんが一人で実家に住んでいるものだから、一人息子の幼馴染は週末になると帰ってきていて、昨日は親父さんと話している間、あと二時間くらいでそっちに帰る、と言う報が入った。この親父さんとはずいぶん話が弾んで少しばかり長居をしてしまったのだが、結局のところは幼馴染(以下M君とする)と会わずに帰宅した。

 

今はどうか分からないが、M君は一時期、小学校時代からの友人たちに強い劣等感や(劣等)コンプレックスを抱いていたようだ。と言うのは、自分が二浪してようやく長野の、ちょっとマイナーな(失礼)大学を出、意図しないところに勤めることになったものだから、難関資格を取って独立していたり、それなりにいい所に勤めたり、地元に帰ってきて不動産業が成功した同級生を妬んでいたようなのだ。

 

そして私は、大学を出ていいところに確かに一度は勤めたものの”そう言った”レールを踏み外したものだから、どういう風に見られていたのか・・・。正直分からないんだけど、最後に会ったときはなんとなく、やや見下したようなニュアンスの言葉を私に浴びせたのである。

 

当時は彼も自分も、他人と自分とを比べる物差しをひどく大事に抱えていたものだから、彼の苦しみは今となってみれば少しは分かるつもりだ。この尺度を持っていても、「垂直思考」と言って、上には上が(まあ、下には下に、でもあるけど)いるものだからいつまで経っても欠乏感や渇望感、劣等感や優越コンプレックスに囚われてしまうことになる。自我の壁が厚くなってしまうわけだ。一向に幸せになどなりはしない。

 

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で、最後に飯を食ったときに、ストレス性のものだと思うが突発性難聴を発症した彼に、当時ニート同然だった自分は一緒に仕事してみないか?と持ち掛けた。それは今となれば分不相応な世迷言だったのだが、ブラックな工場勤務に喘いでいた彼はその言葉を、私が自分に依存していると言うニュアンスにとってしまったようなのである。たぶんだけど。

 

それ以来、その前まではしょっちゅう連絡を(いつもこちらからだったのだが)取っていたのだが、双方連絡は取り合っていない。勿論自分から電話するのも勇気がいる。

 

そんな経緯はさておき、今回ご不幸があった訳だからそんな事情やゆきがかりは度外視して最低限の礼は尽くさなければ、と言う思い、あとは昨日書いたような仏教的な教義、陰徳であるとか見返りを求めず、とか。そんな教えが今の行動理念になっているものだからまずは、と出向いてきたわけである。だから、そのことでなんか変に恩を売る、みたいな打算や損得は考えてはいない。あとは向こうがどう判断するかに委ねる。

 

そんなことはおかまいなしに、親父さんと長いこと話していたのだ。まさかあんなに話が盛り上がるとは思っていなかった。四十九日も過ぎ、心の傷も癒えた頃かな、と言う気もしたのだが、当人の心に空いた穴の大きさと深さは想像の範囲を超える。事実、奥さんに先立たれ一人で部屋にいる間は、物事を悪い方悪い方へと考える思考に歯止めがかからず、じょじょにそれが身体にも悪い影響が及びつつあったようだ。もともと身体を動かすのが好きで、体育会系のからからとしたじいちゃんである。

 

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ところが、である。

 

もともと奥さんの生前の希望で家族葬で見送り、近所には訃報を知らせていなかったのだが隣近所の誰かが察したようで、何人か訪ねてきたようだ。その中で、少しずつ人とのかかわりを再び持ち、話し、じょじょに元気を取り戻したようだ。そして四十九日も何日か過ぎて、高齢者向けのゴルフに近所の人と出かけたり、カラオケに行くようになった。その頃から活力が戻ってきたようなのである。

 

その中で、だ。

 

一人、こう言った女性がいるらしい。

 

「もうすぐあなたも奥さんと会うんだから。」

 

と。

 

若いころは短気で有名だった親父さんである。キレはしなかったが頭に血が上るのを即座に感じた。無理もない。

 

その後にその女性が続けた言葉。

 

「だから、今を大事に生きなさい。」

 

と。

 

そこで、しぼみかけていた心に再び生気が戻ったようだ。

 

捉え方はまさに人それぞれだ。タイミングにもよるだろう。がつんと真正面から受け止める人もいれば、親父さんのように一度はショックを受けつつも生きる意味、価値を見出す人もいる。

 

自分には絶対にそんなことは言えない。いかに当人に目線を合わせ、寄り添うかばかり考えている。当人のため、と思えば相当勇気のいることだ。

 

死はすべてを台無しにする。確かにそうだ。だが、精いっぱい当人が生きれば、生を価値あるものにするだろう。

 

自分も死を強く意識していた頃、毎日死にたい死にたいと思い、人にも言い、だがついぞその勇気は持てなかった。まあ、意図しないで死にそうになって九死に一生を得たことは震災をはじめ何度かあるけど。

 

その後。

 

昨日書いたうつの誤った自己治療の後遺症が常に自分に影を落とし、生や夢、願望に一転して執着するようになった自分に長年重くのしかかるようになると、その存在をとてつもなくうとましく思い、いつか自分が自分でなくなってしまうのではないかと言う不安、若死にする恐怖などに苛まれた。そして、もがいた。死をポジティブに捉え直せないものかと、「死」を哲学的に分析したりもした。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

だが、昨日書いたように、なるようにしかならない、ケセラセラ。そんな、生や自己への執着から少し解放され「大我」に生きようと言うまあ、いわば逆説的に自分から解放されるために選択した志が、自分を精神的に楽にしてくれたのである。

 

だからもともと、そんな高邁な行動理念を持っていたわけでは当然ない。エゴイストで、人の顔色を窺い、他者にどう思われるかばかりを強く意識し他者と自己を比べる軸を手放せずにいた。よく言う「他人軸」と言うやつだろう。

 

仏教哲学にヒントを見出し、エゴや利己愛より公のために、と言う軸を手に入れたのは要するに、もともとの動機が自分からの逃避と解放だったのである。

 

ともあれ。

 

その親父さんは自分の父と同じ会社で勤めていた。父は事務系だがその親父さんは現場。聞けば、

 

「めんつるさんのお父さんは随分勉強もしてて、現場への理解もあってなあ・・・。」

 

とのこと。

 

それはともかく、結構危険な仕事で、親父さんは何度か仕事で命がけの行動に出、家にもう帰れないだろうな、と覚悟を決めたこともあったそうだ。

 

自分が今ちょうどガテン系の仕事をしているのでそこらへんでも共感しあった。仕事に綺麗ごともくそもない。良くも悪くも状況が避けられない、のっぴきならない他人をも巻き込むような激変に遭遇したときには、命を張らなければならない場合も出てくる。今の自分の勤める事業所はまあ、変化の乏しい職場でそう言った状況にはまずならないが、これから自分がしたいと考えている、心や意識と言ったものに紐づく仕事となれば命だって張るだろう。まあまだ、「夢」の段階なのだが。

 

自分はもう真面目で誠実な人がうつで命を絶ったり、周りから理解もされず石を投げつけられるようなことは繰り返させたくない。これは結構本気だ。もしなんらかのそうした仕事に携わるとすればそれこそが自分の使命だと思っている。

 

たぶん数学や理論物理の分野。自分の特性を踏まえて、である。自分は医学は向かない。心理学はまあ、最近は統計学などの手法が取り入れられても来ているが、そっちもいまいち気持ちが動かない。非線形の数学、もしくはエピジェネティクスと呼ばれる近年台頭してきている分野に参画したい。

 

エピジェネティクスと言うと、ざっくり言えば、生まれた時に持っている遺伝子で全てが決まるわけではなく、生まれた後の環境やストレスにより遺伝子発現が変化、制御されている。その仕組みを研究する学問である。つまり、「生まれた時の遺伝子で人生胃が決まるわけではない」と言うことになる。むしろ、その後の環境や生き方で、悪い遺伝子を封じ込めたり、良い遺伝子を発現させたりすることが可能なのだ。この分野に少しずつ、量子力学の考え方が取り入れられてきていると思う。

 

「思考」のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか

「思考」のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか

 

 

まあ、その時が来るまで犬死だけはしたくない。

 

なんだか自分語りが入ってきたうえに長文になってきたので明日に引き継ぐ。では。/おしまい。

 

 

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うつヌケにおける就労の位置づけ。

どうも!ご無沙汰です。

 

なかなか更新できませんと言うか、モチベが・・・w。

 

今は時間的な制約および気力の制約がなかなかクリアできないが、いずれ今の事業所を離れ夜に家庭教師や塾講師の仕事を入れ、勉強に専念したいと考え具体的に動いている。

 

そうなると昼に時間の余裕ができるので、細く長く続けていきたい。できれば交流メインがええなあ。

 

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さてさて。

 

そんなわけで表題の「就労」と言う要素の位置づけである。

 

前提と言うか、背景には「うつヌケ」と言う課題がある。

 

今の「引きこもり=8050問題」にも通じることではあるが、職場や学校の人間関係で精神的にダメージを負った人の復帰と言うのは、経験した人でないと分からない計り知れない恐怖がある。

 

また傷つけられ、いじめられるのではないかと言う恐怖、また引きこもり生活や不登校生活に逆戻りするのではないかと言う恐怖が出足を鈍らせる。

 

そう言った当人の心的・身体的負担を知ってか知らずか、世間は当人とその家族にさんざん石を投げつける。

 

だが、ネットや自身の部屋に「世界」はない。そのことに早く当人が気づかなければならない。

 

ずっとネットを観ていても、華やかな人に対する劣等感を募らせたりネガティブな発言をしている人を見下したりと、精神にとって甚だ不健全な行動ばかりを重ね、ますます病んでいく。

 

その変化のきっかけを与える人は誰なのだろうか?

 

自分は恩師がいた。

 

自分には兄と弟がいるが、自分は劣等感を募らせて、二人のうちのどちらかが訪ねてきたときは息を潜めて部屋で物音を立てないようにしていたし、何を言われるか分からないからずっと接触を避けてきた。傷つけられたくないからだ。両親は正直、腫物を触るような感覚で自分に接していたと思う。

 

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だから、主体として考えられるのは精神科医やカウンセラー、国や自治体などの支援機関が各々連携を取るとともに、誰か第三者が必要となるのだ。願わくば、当人の目線に立て寄り添える誰か・・・。

 

自分は今月の21日から市の引きこもりの方を抱える家族および経験者の家族会に参加する。できたてほやほやみたいで、これからどうしたらいいのかをおのおの知恵を出し合う形になると思うのだが、傷の舐め合いになってしまってはいけない。

 

往々にして、こう言う会はお互いの悩みや愚痴の交換会になってしまい、建設的な議論にならないことも多いのだ。ただ、それでも確かな前進、一歩ではある。

 

さて、話を戻す。

 

問題は当人だ。

 

先だって引きこもりの男性のセンセーショナルな事件が重なった折、世論は社会不適合者に死を!みたいな論調が加熱した。

 

これが今、社会が抱える病理や闇を投影してはいないか。日本はとりわけそう言う色彩が色濃い。いわゆる村八分的な発想だ。

 

当人は苦しんでいる。確かに、ネット弁慶になって気にくわない人に誹謗中傷の言葉を投げたり、家族に危害を加えたりすることなどを擁護することはできない。

 

ただ、そう言う深い傷と闇を抱えた当人にどう寄り添い、悩みを共有するのか?「一歩踏み出す覚悟を」みたいなことを言う人が多かったと記憶しているが、当人としては「惨めでも生きる覚悟」をしなければならないんだと思う。自分のプライドと社会の評価の乖離、ギャップが当人に刃を突き付ける。

 

自分は結構、お釈迦様の思想や哲学なんかに救われた。

 

ただまあ、お釈迦様と言う人は突然この世に生を享け、いきなり自分は真理を悟ったど~!的に世に顕現してそこからすべての話がスタートしている感じで、多くの書物もそう言うニュアンスで編まれている。その他に関しては、読むとホッとする生きるヒント的なお茶濁しになりがちだ。

 

以下の本は先日読んだ。具体的な実践に繋げやすくて分かり易い。

 

お坊さんが教える「悟り」入門

お坊さんが教える「悟り」入門

 

 

自分を例に取る。

 

自分は過去記事で書いたが、健康不安を抱えている。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 たぶん「HPA系」と呼ばれる内分泌系の問題なのだが、背中の異物感や背骨に沿って何かが這っているような感覚、右脳部のホルモン溜まりみたいな違和感を常々感じている。これと日々の具体的な行動や言動の何らかの失敗や齟齬を、強く結びつけてしまう思考の癖を持っている。多くは心気症の類ではあるがまあ、いつかは隅々まで身体を診てもらわなければならないだろう。

 

ずっとこの感覚に蓋をしようとしたり、強くネガティブな身体・心理上の反応が出た時にそれを制御しようとしてもがいていた時期が長く続いたのだが、いつしかそれをやめてしまった。もうなるようになれ、と言う心境になった。ケセラセラ、である。

 

まあ今だって正直落ち込むこともあるが、幾分楽にはなった。

 

人間は根源的本能的に、変えられないものを変えようともがく欲求みたいなものがある。過去だとか、他人だとか・・・。それで苦しむのだ。もともと人生をコントロールしたいと言う欲求が備わっているのかもしれない。

 

でも、これは無理だ。苦しいこと、悲しいことと言った生病老死、いわゆる四苦は避けられない。だから変えられないものを受け入れ、変えられるものを変える努力をする。これしかない。変えられるのは自分と未来だ。なんかクサいけど。

 

「小我」と「大我」と言うのが対比されている。人の多くは「小我」に生き、息絶える。だが、「大我」に生きてみるのはどうだろう?

 

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つまり、エゴ心・利己愛を捨てて世の為人の為にと、見返りを求めず活動することだ。

 

この実践を通してしか、今のところは当人の心の闇に光を灯すことはできないと思う。そのために就労が位置付けられていると思うのだ。

 

自分はガテン系だが、これが実に身体・精神にいい影響をもたらしてくれている。コミュニケーション力、実務能力だって向上するし、お金だって貰える。かえって事務系よりいいかもしれない。個人的には今はたぶん事務系は神経をすり減らすような気がしている。

 

農業はお勧めだ。マジで。大地に両足をつけ、大地に感謝をし、消費者やもうそのご先祖もろともイメージの中に広げて、人の幸せのために汗する。セロトニンメラトニンの面にも奏功するだろう。

 

「はあ?んなことやってられっかよ!」

 

と、言う人には唾棄されつつ言われそうだがいや、あえて言うw。これはマジだ。

 

ルフレッド・アドラーは「共同体感覚」と言っているが、人は一人では生きられない。孤独感を募らせていたとしても、誰かを支え、誰かに支えられている。

 

ただ、その実感を肌感覚で得られないうちはエゴや執着心、あるいは承認欲求などを膨らませてしまい、余計に病み世界や人生の非情さをひたすら嘆いてしまう。自分もそんな時期があったからよく分かる。

 

変わらないものはないし、すべては繋がっている。いいことを考え、いいことをすればいいリターンが返ってくるし、悪いことを考え悪いことをすればはねっかえりがくる。そこの構造はシンプルだ。仏教的には「因果応報の法則」である。

 

いきなり善行を積みなさい、陰徳を積みなさい、なんてことは言えない。いや、言ってるんだけどw。

 

人間は独自の周波数やエネルギーを持っているから、病んでいるときはそのエネルギーが空っぽの状態であり、とてもじゃないが動けない。そんなときに自分に鞭打つ必要はない。ただ、その時期は来るし、人生に無駄はないのだ。

 

たとえ運動会の組体操、人間ピラミッドのてっぺんで脱糞したとしてもそれとて無駄な経験ではない。いや自分はしてないけどさ。

 

だから、あんまり難しく考えなくていいと思う。できることからすればいい。

 

絶望し病んでいても、何かやれそうだなって時で構わない。その時々で「今ここ」に五感を集中し、世の為人の為にできることをやる。できることをハートに問うことだ。

 

以上である。相変わらず説教臭いなあ。では。/おしまい。

 

オオイヌノフグリ

(id:ooinunohuguri)

 

コメント、ありがとうございます!

 

ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。「鈍感力」なんて言葉がありますが、大事な要素だと思います。センシティブな特性を持っているとささいなことで傷ついたりしますからね。でもそれとて、変えられないものではないようです。

 

>猫P様

(id:nkobi1121)

 

 コメント、ありがとうございます!

 

胡散臭いスピリチュアリストのお歴々がお吐きになったありがたいお言葉ですw。そうですよね、自分も細く長くのスタンスで続けます。

 

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障害や病気は神様が与えたギフトってなんぞ?

どうも!

 

お久しぶりです。一週間ぶりくらいになります。

 

2~3日ほどバタバタして更新が難しい日が続いたのだが、その後モチベがだだ下がりしてしまったw。困ったものである。

 

さて、一週間が終わった。

 

終わってはいないけど自分の中では終わった。週休二日の方はお疲れ様です。

 

九州南部、とりわけ鹿児島では大変な豪雨があった。つつしんでお見舞い上げます。

 

さて。

 

つい最近のことだが、潜在意識に関わるちょっとしたツールを仕込んでいる。潜在意識の中にある、メンタルブロックと呼ばれるしちめんどくさいやつを解除するカードだ。

 

文面だけだとなんとなくアヤしげだが自分の収入でも賄える範囲だし、信じすぎず疑い過ぎずのスタンスでやってみたのである。

 

効果のホドは・・・、結構あると思うのだ。

 

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自分は過去に何度か記事にしているのだが、うつ病に誤った自己治療を施して弾みで後遺症を遺しており、それが故に引き起こされるネガティブな想念に長年悩んできた。いわゆる心気症の類である。

 

その後遺症が何らかの拍子で強く出た時に、そちらの方に意識がフォーカスし否定的な思考やら感情やらが涌き出て苦しんでいたのだが、これもメンタルブロックの一種だと言うのだ。要はそいつを浄化しましょう、って寸法である。

 

それが確かに、少しずつ弱まっているのを感じている。

 

まあ、それについてはそれ以上は特に目立った大きな変化はないので、何か進展があればブログ上でも触れることはあるだろう。

 

本題はそこではない。まあ、バカ話を絡めた話ではあるが。

 

「障害や病気は、神様が与えたギフトです」

 

と言う、クソみたいなフレーズがあるとどこかで耳にした。

 

出所はどこだろう。探ってみた。

 

田所ではない。いいよこいよ。

 

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ある人は言った。

 

「あ、東国原さんがそんなこと言ってたよ。」

 

と。

 

でも、どうもガセらしい。

 

まあ、なんかの話の流れでそんなことを言ったのかもしれないが、東国原さん(元そのまんま東さんね)の脳に降りてきたフレーズではないことは確かだ。とんだ濡れ衣である。

 

んで。

 

その後そんなこととんと忘れてたたら、ひょんなことからどうもスピリチュアル的な解釈らしいことを知った。

 

どうもその筋のスピリチュアルかぶれの人たちが言ってるくさい。

 

こいつらは死に直面し必死に生を繋ごうとする人に、最期を看取ろうとする家族に、病気はギフトなんですよとかのたまうのだろうか。

 

自分は自分で、自分は障碍者であると言う事実を受け入れるまでの苦しみと懊悩を振り返ると、面と向かってんなこと言われたら回し下痢のひとつもかますかもしれない。いや、字ー間違えた、回し蹴りだ。

 

いや、なんだったら下痢した水っ気の多いう〇こを動物園のゴリラよろしく投げつけてもいい。

 

要するに、そう言うスピリチュアルにどっぷり浸かっている人は、そこらのアヤしげな新興宗教の押し売りをする気持ちの悪い信者と何ら変わらない人種である。そこは断定する。

 

ただでさえ、世の中には精神・知的障碍者は社会不適合者で犯罪者予備軍だ、とか言う人も多いのだ。それを知ってて言ってるのかねえ。

 

まあいい。この辺にしておこう。

 

私自身、潜在意識のブロック解除ツールなるものを使っているのだ。スピリチュアルをそれなりには信じている。

 

でも、なんらかの形で裏を取ったものを採用して自分流にアレンジして取り入れている。鵜呑みにするのは危険である。

 

だから人様にこれはほんっと~に素晴らしいものなんですよ~、などと、「※効果には個人差があります」とか、「※個人の感想です」などと付記しつつ、押し売りする気もない。

 

絶対的真理など到底知りえるものではない。全知全能の先験的な神様は不完全性定理不確定性原理によって否定されてもいる。

 

ただまあ人間は観測しうる範囲で、それぞれにその人の深層心理の投影として切り取った世界や現実を見ている。これは真である。

 

だから、宿便みたいに頑張っている過去の記憶や経験に紐づくネガティブなブロックを解除することで、無自覚な領域の潜在意識の部分がすっきり爽やかになり、見ている現実が変わると言うこと自体は間違いではないと思う。

 

ただ、この手のツールには非常にアヤしいものも多い。

 

自分のは違う!とは言わないが、使っているのは一つは信頼できる筋の紹介であること、もう一つは某有名ブログの作家部門の人気ブロガーさんの商品である、と言うこと、あとは何よりリーズナブルであると言うことがポイントとなった。それでも効果がなければ今でも解約する気満々である。

 

まあ、そんなわけでスピリチュアルは、ほどほどの所を掬い取って自分の中にエッセンスを落とし込んだらあとはほどほどに距離を置く対象だと思う。あとはどんどん行動するだけだ。

 

そんなわけで。

 

読者様のブログ訪問もさっぱりである。申し訳ありません。

 

当面マイペース更新となりますが、今後ともよろしくお願いいたします。では。/おしまい。

 

 

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英語の高速学習事始め。③

こんにちは。週休二日の皆様はお疲れ様です。

 

自分は月曜を合わせて3連休である。まあ月曜は定期通院があるのだが。

 

さて、英語の高速学習の話である。残念ながらまだ「事始め」だ。

 

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だが、高速で単語帳を記憶し現在200語前後の上乗せボキャブラリーになったのだが、意外に定着率がいい。徐々に、尻上がり的に定着率が上がってきた感じだ。

 

これも、少しだけエビングハウス忘却曲線を意識してもいいかもしれない。だが、完璧に覚えきったら次へ進む、的なやり方だけは絶対におすすめしない。それなら回転数を速め、二周目三周目に入る方がはるかにいい。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 今のところだいたい、英語に費やす時間は20分とか30分とかである。単語帳だけだ。ただ、欠かさずやっている。習慣化が基本だからだ。

 

思うに、数学とか物理とか理系科目に比べると、英語は努力が比較的結果に繋がり易い科目だと思う。しかし、反対に理系科目に比べてサボってると衰えるのも早いと思う。

 

これは理系科目が直感とか感覚が結構ものを言い、イメージや具体化を駆使する比重が大きいからだろう。いまいち英語にそれを応用できない所がある。

 

ただ、左脳右脳を同時に働かせる、とりわけ右脳に血液が流れ込んで活性化するように仕向けることは、実はそんなに難しくない。この方法も以降少しずつ触れていく。英語の読解も右脳を同時に駆使するとかなり上達が早い。

 

まあそれはともかく、こと語彙だけなら理系科目にあてている時間を少しばかり英語の方に傾斜配分すればいい。読解ともなればもっと脂っこいのでそうもいかなくなるが。

 

さて、吉本のユリアンレトリィバァさんがアメリカの人気オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」に出演。流暢な英語と爆笑ネタで、審査員も観客たちも拍手喝采となったようだ。

 

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これはすごい。大変な努力をされたのだろう。今日動画サイトなどにないか調べて観てみたいと思っている。 

 

留学とか、ユリアンさんのように仕事に直結した目的志向の語学習得となると、学習は加速度を増す。これは脳内の神経伝達物質とかそれに紐づいた神経経路が活発に働きバックアップすることもあるだろう。

 

ああ、オレもアメリカ行きてえなあ・・・。(遠い目)

 

ごほん。

 

銀行勤務時代、一橋卒の語学が得意な同期が毎晩、大音量でデスメタルをかけていたっけなw。

 

「いやあ、めんつるゥ、最高だと思わないか?」

 

とにやにやしながらジャケットを見せてくれた。

 

骸骨が半分くらい見えた肉塊の目にはウジ虫がたかり、なかなかにぐろい絵面。

 

自分も洋楽のハードロックが好きなのだがデスメタルはまたちょっと異質だ。カンニバル・コープスとか言ったっけな。

 

 


Cannibal Corpse - Edible Autopsy

 

耳から入る英語も勿論優れている。自分にはちいと無理だが。

 

洋画を何回も何回も観て身に付ける人も多い。どの切り口から入るも自由だ。

 

英語はそんな楽しさがあると思う。どうせやるなら楽しく、だ。どうやらユリアンさんも洋画を何回も観たくちらしい。

 

自分も色んな切り口から試行錯誤と実験精神で英語学習の地平を切り開きたいと思っているw。

 

そんなところかな。

 

では!よい週末を。/おしまい。

 

猫p様

猫p (id:nkobi1121)

・・・コメント、ありがとうございます!

 

腹上死。いかにも好色なおっさんっぽい死にざまで嫌すぎますねw。たぶん、バイアグラはもう使うことはないでしょう、たぶん・・・。(ぶるぶる) 

 

 

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