蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

死をどう捉えるのか、その答えは・・・。①

どうも。三連休初日です。

 

さて昨日だが、近所に住む幼馴染(♂)のお母さんが三か月前ほどに亡くなられたのでお悔やみに行き、一通りお悔やみが終わった後お父さんとお話をしてきた。

 

この幼馴染とは今訳あって疎遠である。こちらが先方に誤解を与えてしまった経緯があるのだが、自分のことをたかりか何かのように解釈してしまったようで一別以来二年くらい会っていない。

 

でも、私がどん底にいた当時、唯一見放さないで(本音は分からないんだけど)いてくれたのは両親と恩師、そしてこの幼馴染だけなのだ。

 

ここ最近は親父さんが一人で実家に住んでいるものだから、一人息子の幼馴染は週末になると帰ってきていて、昨日は親父さんと話している間、あと二時間くらいでそっちに帰る、と言う報が入った。この親父さんとはずいぶん話が弾んで少しばかり長居をしてしまったのだが、結局のところは幼馴染(以下M君とする)と会わずに帰宅した。

 

今はどうか分からないが、M君は一時期、小学校時代からの友人たちに強い劣等感や(劣等)コンプレックスを抱いていたようだ。と言うのは、自分が二浪してようやく長野の、ちょっとマイナーな(失礼)大学を出、意図しないところに勤めることになったものだから、難関資格を取って独立していたり、それなりにいい所に勤めたり、地元に帰ってきて不動産業が成功した同級生を妬んでいたようなのだ。

 

そして私は、大学を出ていいところに確かに一度は勤めたものの”そう言った”レールを踏み外したものだから、どういう風に見られていたのか・・・。正直分からないんだけど、最後に会ったときはなんとなく、やや見下したようなニュアンスの言葉を私に浴びせたのである。

 

当時は彼も自分も、他人と自分とを比べる物差しをひどく大事に抱えていたものだから、彼の苦しみは今となってみれば少しは分かるつもりだ。この尺度を持っていても、「垂直思考」と言って、上には上が(まあ、下には下に、でもあるけど)いるものだからいつまで経っても欠乏感や渇望感、劣等感や優越コンプレックスに囚われてしまうことになる。自我の壁が厚くなってしまうわけだ。一向に幸せになどなりはしない。

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190713194348j:plain

で、最後に飯を食ったときに、ストレス性のものだと思うが突発性難聴を発症した彼に、当時ニート同然だった自分は一緒に仕事してみないか?と持ち掛けた。それは今となれば分不相応な世迷言だったのだが、ブラックな工場勤務に喘いでいた彼はその言葉を、私が自分に依存していると言うニュアンスにとってしまったようなのである。たぶんだけど。

 

それ以来、その前まではしょっちゅう連絡を(いつもこちらからだったのだが)取っていたのだが、双方連絡は取り合っていない。勿論自分から電話するのも勇気がいる。

 

そんな経緯はさておき、今回ご不幸があった訳だからそんな事情やゆきがかりは度外視して最低限の礼は尽くさなければ、と言う思い、あとは昨日書いたような仏教的な教義、陰徳であるとか見返りを求めず、とか。そんな教えが今の行動理念になっているものだからまずは、と出向いてきたわけである。だから、そのことでなんか変に恩を売る、みたいな打算や損得は考えてはいない。あとは向こうがどう判断するかに委ねる。

 

そんなことはおかまいなしに、親父さんと長いこと話していたのだ。まさかあんなに話が盛り上がるとは思っていなかった。四十九日も過ぎ、心の傷も癒えた頃かな、と言う気もしたのだが、当人の心に空いた穴の大きさと深さは想像の範囲を超える。事実、奥さんに先立たれ一人で部屋にいる間は、物事を悪い方悪い方へと考える思考に歯止めがかからず、じょじょにそれが身体にも悪い影響が及びつつあったようだ。もともと身体を動かすのが好きで、体育会系のからからとしたじいちゃんである。

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190713194557j:plain

ところが、である。

 

もともと奥さんの生前の希望で家族葬で見送り、近所には訃報を知らせていなかったのだが隣近所の誰かが察したようで、何人か訪ねてきたようだ。その中で、少しずつ人とのかかわりを再び持ち、話し、じょじょに元気を取り戻したようだ。そして四十九日も何日か過ぎて、高齢者向けのゴルフに近所の人と出かけたり、カラオケに行くようになった。その頃から活力が戻ってきたようなのである。

 

その中で、だ。

 

一人、こう言った女性がいるらしい。

 

「もうすぐあなたも奥さんと会うんだから。」

 

と。

 

若いころは短気で有名だった親父さんである。キレはしなかったが頭に血が上るのを即座に感じた。無理もない。

 

その後にその女性が続けた言葉。

 

「だから、今を大事に生きなさい。」

 

と。

 

そこで、しぼみかけていた心に再び生気が戻ったようだ。

 

捉え方はまさに人それぞれだ。タイミングにもよるだろう。がつんと真正面から受け止める人もいれば、親父さんのように一度はショックを受けつつも生きる意味、価値を見出す人もいる。

 

自分には絶対にそんなことは言えない。いかに当人に目線を合わせ、寄り添うかばかり考えている。当人のため、と思えば相当勇気のいることだ。

 

死はすべてを台無しにする。確かにそうだ。だが、精いっぱい当人が生きれば、生を価値あるものにするだろう。

 

自分も死を強く意識していた頃、毎日死にたい死にたいと思い、人にも言い、だがついぞその勇気は持てなかった。まあ、意図しないで死にそうになって九死に一生を得たことは震災をはじめ何度かあるけど。

 

その後。

 

昨日書いたうつの誤った自己治療の後遺症が常に自分に影を落とし、生や夢、願望に一転して執着するようになった自分に長年重くのしかかるようになると、その存在をとてつもなくうとましく思い、いつか自分が自分でなくなってしまうのではないかと言う不安、若死にする恐怖などに苛まれた。そして、もがいた。死をポジティブに捉え直せないものかと、「死」を哲学的に分析したりもした。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

だが、昨日書いたように、なるようにしかならない、ケセラセラ。そんな、生や自己への執着から少し解放され「大我」に生きようと言うまあ、いわば逆説的に自分から解放されるために選択した志が、自分を精神的に楽にしてくれたのである。

 

だからもともと、そんな高邁な行動理念を持っていたわけでは当然ない。エゴイストで、人の顔色を窺い、他者にどう思われるかばかりを強く意識し他者と自己を比べる軸を手放せずにいた。よく言う「他人軸」と言うやつだろう。

 

仏教哲学にヒントを見出し、エゴや利己愛より公のために、と言う軸を手に入れたのは要するに、もともとの動機が自分からの逃避と解放だったのである。

 

ともあれ。

 

その親父さんは自分の父と同じ会社で勤めていた。父は事務系だがその親父さんは現場。聞けば、

 

「めんつるさんのお父さんは随分勉強もしてて、現場への理解もあってなあ・・・。」

 

とのこと。

 

それはともかく、結構危険な仕事で、親父さんは何度か仕事で命がけの行動に出、家にもう帰れないだろうな、と覚悟を決めたこともあったそうだ。

 

自分が今ちょうどガテン系の仕事をしているのでそこらへんでも共感しあった。仕事に綺麗ごともくそもない。良くも悪くも状況が避けられない、のっぴきならない他人をも巻き込むような激変に遭遇したときには、命を張らなければならない場合も出てくる。今の自分の勤める事業所はまあ、変化の乏しい職場でそう言った状況にはまずならないが、これから自分がしたいと考えている、心や意識と言ったものに紐づく仕事となれば命だって張るだろう。まあまだ、「夢」の段階なのだが。

 

自分はもう真面目で誠実な人がうつで命を絶ったり、周りから理解もされず石を投げつけられるようなことは繰り返させたくない。これは結構本気だ。もしなんらかのそうした仕事に携わるとすればそれこそが自分の使命だと思っている。

 

たぶん数学や理論物理の分野。自分の特性を踏まえて、である。自分は医学は向かない。心理学はまあ、最近は統計学などの手法が取り入れられても来ているが、そっちもいまいち気持ちが動かない。非線形の数学、もしくはエピジェネティクスと呼ばれる近年台頭してきている分野に参画したい。

 

エピジェネティクスと言うと、ざっくり言えば、生まれた時に持っている遺伝子で全てが決まるわけではなく、生まれた後の環境やストレスにより遺伝子発現が変化、制御されている。その仕組みを研究する学問である。つまり、「生まれた時の遺伝子で人生胃が決まるわけではない」と言うことになる。むしろ、その後の環境や生き方で、悪い遺伝子を封じ込めたり、良い遺伝子を発現させたりすることが可能なのだ。この分野に少しずつ、量子力学の考え方が取り入れられてきていると思う。

 

「思考」のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか

「思考」のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか

 

 

まあ、その時が来るまで犬死だけはしたくない。

 

なんだか自分語りが入ってきたうえに長文になってきたので明日に引き継ぐ。では。/おしまい。

 

 

>にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

うつ病闘病記(仮称)■
本文はこちら