蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

臭い物には蓋をするな。

どうも。

 


なんかおカネって、知らね―うちになくなってませんか?

 


それは生理現象です。ぺえ助改めめんつるです。

 


時に、我々はちょっとした勘違いや思い込み、先入観その他もろもろ…相手の肚が読めたり読めなかったり。適切な言葉のチョイスを誤ったり。

 


とにかくもろもろなのだが、コミュニケーションに齟齬を来したり、要らぬ誤解やいさかいを生んだり意図せず善意を踏みにじったりする。

 


「おお、大仁田さん奇遇ですねえ。なんか上機嫌そうに見えますが、どっか楽しいとこでも行って来たんですか?」

 


「ああ、はいはい。キャッツにね。」

 


「キャッツ?

 


…ああ、ミュージカルでしたっけ?大仁田さん、意外と言ったら失礼ですけど、素敵なご趣味をお持ちなんですねえ。」

 


「・・・え?
 
いや、そこ曲がったとこの、"ピンサロキャッツ"なんですが…。」

 


「・・・。」

 


とか。

 


あとは結構、会話をブラックホールみたいに吸い取る人もよく見るかも知れない。


「後藤さん、ここの予想売上高の数字なんだけど…。」

 


「・・・。」

 


「・・・。後藤さん?」

 


「ん、ん。・・・んあ?」

 


みて―な。

 


こんな一幕も、あるやも知れない。

 


岡部幸雄騎手のソフビ人形二体に、"進撃の巨人"の奇行種みて―な格好させて組んずほぐれずして遊ぶなんて、変わったご趣味をお持ちですのね。」

 


「なんか、サンダ―バ―ド人形みて―スよね。ご利益あるかな、と思って。」

 


「・・・」

 


あ、こ―言うのもあるぜ。


お医者さんの書いた本を読んでたら、


 
「(前略)・・・突然眠気が襲ってきたり、エレクチオン(勃起)する人もいる~」

 


とかあったんだけど、普通に「勃起」て書けば事足りるんじゃ…。わざわざなんで日本語をカッコ書きでくっつけてるんだろう。

 


人間、いつでも緊張してドタマ先行で考えてると頭に負のフォースが溜まりやすいので、テキト―に抜いてやることは大事である。 

 


ただ、往々にして人とはそのタイミングが合わないものだし、そ―ゆ―のは本来押し付ける類いのものでも、合わせに行くものでも合わせてもらうもんでもないのかもしれない。

 


だが、社会生活を営む上では、なんか人と人との阿吽の呼吸みて―なのが必要になることもあり面倒さが生じることもある。

 


人間関係とは難しいものである。


さてさて、読書目録である。

 


てめえの読書感想文とか読書体験を綴ったところで正直クソほどの価値もないのであるが、そこに付加価値をどう持たせるかはいつも睾丸で物を考えている私には少しばかり荷が重い。体裁を整えるのが精一杯なことをこの機会にぜひ分かってほしい。

 


まあいいや。

まだ全部は読んでおらず、気になる章から読み進めている。

 


「ロ―ション漫談」の本だ。ウソです。

 


「波動医学」とか「ホリスティック医学」などの書であり、今の潮流を概略的に紹介してある。

 


しかし、ぶ厚く少し専門的なので読み終えるまでは少々手こずりそうだ。

 


西洋医学は「切った貼った」なもんでニュートン力学的であり、全ての本質的なとこは粒子と波動性を持つ、ってとこのアインシュタイン的な、もしくは量子力学的な医学は東洋であったり、昔は呪医さんと言われていたヒ―ラ―さんたちの科学・医学っぽさがある。

 


昨今のスピリチュアルブ―ムの流れを酌んだ書は、日本でも普通のお医者さんも書いている。脳外科の先生も、

 


「魂は視床下部にあるのではないか?」

 


として、臨床例から様々な仮説を打ち立てていて一定説得力を持っていた。

 


見えない世界の科学、みたいな話である。

 


全てを捉えきることは、未来永劫人智では不可能である。一つ解き明かせば、倍々ゲ―ムで謎が謎を呼ぶ。

 


とは言え、あくまで私個人の話だが、例えば過去世とか死後の世界とかの話は、実は語っていたりそれを生業として何らかの形で人を鑑定したり、一定エネルギー上干渉したり。

 


こう言うのは、特殊な脳の構造をしていたり、感覚が研ぎ澄まされていたりも否定は出来ず、ある一定のライン…統計的に有意であるとか、前世学会があるとかの…科学や統計の裏付けは必要かな、と思っている。

 


ただ、科学である程度の実証がなされてきたものでも、仮にそうでないとしても、頭ごなしに否定する気は最近は全くもって、ない。

 


かと言って勿論、いきなり何々を引き寄せました~だの、波動がどうだのと日常会話でいい放ったりもしないのであるが。

 


少なくとも、存在しないことを証明することもまた出来ない。

 
常識はあっと言う間にひっくりかえる。科学も全く例外ではない。

 


例えば、脳科学なんて分野は、一つ論文が発表されると、それを反証する見解がどわ~っ、と出てきたりする。まあ、所詮はそんなものなのである。

 


凝り固まった固定観念や信念体系は、さっさと断捨離するに限る。

 


自己啓発やスピリチュアル系の書は、実践を促すものが多いので、男は度胸、なんでもやってみるのさ、きっと気持ちいいぜ。

 


ほんでもって、なんとなくいいとこ取りをして、あんまり浮世離れしないように理性を働かせ、留意すればいいのではないかな。

 


こちらの書は、実践の書ではない。

 


ただ、読めば読むほど、自分の常識が書き換わっていくと同時に、今の世にある難病や慢性疾患の類いは、学問横断的に、様々な分野が一堂に会して英知を結集しないと厳しいのではないかな、と言う気持ちがどんどん募ってくる。

 


気―とかエネルギーを整えたり深めたり、って感じの話は、ロ―リングスト―ンズのキ―ス・リチャーズを思い出す。

 


何故かと言うと、ホントかどうかは分からないが、ドイツだかどこだかの医療施設で大麻まみれになった血液を、キレイなものに入れ替えたそうであり。

 


当時洋物ロック誌を毎回買ってた私は衝撃を受けたものである。

 


書いてたのは当時連載コラムを担当してたリリー・フランキー氏であるがw。そもそもがおゲレツコラムだったんだよなあ…。

 


さて、最近の自分の話。
 


休日だが、部屋の断捨離を前日から引き継いでいた流れにあった。

 


朝起きがけに慌てて足がつったカンジになり、サイモンアンとドガ―ファンクル兄弟にスピニング・トゥ・ホ―ルドをかまされる感覚を得た。

 


隣でジョ―樋口さんが失神してたんで、ジャッジしてほしいな、と内心思いながら苦痛と快楽に悶えてたんですよね。


「悪く思うなよ。

 


恨むなら、この偏差値の高すぎる顔面を恨みな。」

 


「顔面偏差値」。ひでえ造語(?)だと思う。なんつ―かセンスが…。

 


偏差値なんつ―くだらねえ物差しを使ってるのは日本くらいなものだろう。

 


ほうぼうから批判があってもなかなかこいつがなくならないのは、こいつがなくならないことによって得をする人たちがいるからであろう。

 


だまれちくしょう。一人はハゲチャビンの癖しやがって。

 


まあいいや。

 


冷蔵庫を開けると、今度ご馳走にしようと思っていた少し厚めの肉が鎮座ましましている。

 


一回でいいから、近所の銀行の出納係とATMにある全額を引き出してきて、

 


「ひゃっは~!!このご時世によう、こ~んないい肉が手に入ったぜえ!!

 


・・・カネェ?

 


んなもん今日び、ケツをふく紙にもなりゃしねえんだよォ!!」

 


などと叫び、おカネをブチまけ、一人でディストピアごっこに興じてみたいと思った。

 


ゆえに、一回でいい。何回もやるものではない。

 


部屋に水を酌んで戻ると、足を揉み揉みしはじめた。

 


足の裏・甲、かかと。ふくらはぎ。ここは念入りに。

 


膝の裏、内もも、素股。

 


・・・

 


私は一応は日々、性○帯の開発に余念がない。

 


前立腺とかはやらないが、下腹部より下は色々とまあ、ぐにぐにしとくとステキな恩恵のあるツボがあるのだ。

 


「乳首感じるんですよね?」

 


断片でこのセリフを言われると弱い。腹筋がw。

 


元ネタがホモビだしなあ。

 


こ―言うのは、女性に言われてナンボである。野郎とのオンライン飲み会なんかで言われても嬉しくもなんともない。


 
さて、冒頭の話に戻るが。

 


私のおカネは大半が三大欲求の満足や解消に費やされていることが判明した。

 


つまり。

 


食えばケツふいてトレペを便所に流すし、"ますたべ"すればやはり、トレペとかでふいて便所に流して隠蔽する訳であり。

 


人力で天下を回したり、リサイクルしてる気には…ならんか。田んぼとかに撒く訳じゃね―しな。

 


本当に元銀行マンの言う言葉なのだろうか…。矜持とかはカケラも残ってね―のか。

 


私は過去は振り返らない主義なので、「これでいいのだ。」

 


では。