蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

【改題】死を思え。⑤

どうもお久しぶりです、めんつるです。

 

暑かったり寒かったりと落ち着きませんが皆様お変わりありませんでしょうか。まあ、コロナはまだまだ油断はできないのでしょうけどね・・・。

 

さて、私の方はと言うと、真面目に勉学に励んでいたw。んで、目下求職中である。

 

コロナが一番やばかった時期は求人は壊滅的だった。それがちらほら、求人を出している所がここど田舎にも出てきている。冬に働いた税務署は面接はフリーパスだが、今は特に求人を出していないし、家庭教師に行っていたお寺もやはりコロナを未だに警戒しているのだろう。確定申告までのツナギで雇ってくれるところがあるかは分からないが、まあ当ってくじけろ、いや当たって砕けろの精神なのだろう。

 

勉強の方は数学や物理はもはや趣味で、英語はペーパーバックを買った。訳あってそのペーパーバックはスティーヴン・ホーキング博士の伝記、そしてもう一つ。伝記に関してはデール=カーネギー著のリンカーンの本も買った。

 

前者は英検準1級レベルと謳っているので難しいのが来ると思っていたが存外読みやすい。難しい単語には注訳も親切についている。後者は日本語で、まだ読んでいない。だが、書かれているのは偉業を成し遂げた聖人リンカーンの姿ではなく「人間リンカーン」だ。

 

もともとの購入動機が、二人とも健康状態にネガティブな要素を抱えていたことに関心が生じたからだ。天賦の才があったから?特別な何かを持っていたから?他の人はそう言う解釈をつけるのかもしれないが、どうもそれだけではない気がしたからだ。人は誰しもそう言うなんらかの”疵”を持つものだけれど、自分も彼らほどの重度ではないにしても健康面でハンデを抱えているので、何か共鳴するものが得られないか、答えを探そうとした。運命を切り開く鉄の意志や信念?決断・行動力?幸運?

 

今の所読み進めているので何とも言えないが、きっと何かは得られるであろうと思って今後も読んでみる。どっちかと言うと好奇心先行だ。

 

  

デール・カーネギーの知られざるリンカーン (フェニックスシリーズ)

デール・カーネギーの知られざるリンカーン (フェニックスシリーズ)

 

 

 

さて、まだ近況報告は終わらない。(もういいって?w)

 

思い切って部屋の断捨離を始めた。徹底的にだ。今までは割とすっきり本や書類を区画整理はしていたのだが、それは箪笥やクローゼットに不要品を無秩序にぶち込んでいた結果得られていたことであり、この度思い切ってパンドラの匣を開けたと言う訳だ。臭いものの蓋が空き臭いものがたっぷり出てきた。あ、別に腐敗した死体とかが出てきたわけではない。

 

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全部ブチ撒けそれを現在進行形で整理中なので部屋は目下カオス状態・・・、を抜け出しつつある。汚物にまみれた環境で勉強を強いられている。(自分で始めたんだろうが)マルチタスクはなるべく避けたいので現状まずは掃除と断捨離が優先なのだが、早く快適空間で勉強したり、趣味を楽しんだり家内制手工業(?)をしたい欲が先行した。

 

シュレッダーなんて気の利いたものはないので、不要書類は中身を確かめ手でひたすら破く。作業が一時はかどりすぎて右手首に違和感を感じた。腱鞘炎かな?と思って近所の整形に行ったら首のレントゲンとMRIを念のため取ると言う。結果、頸部の軽度なヘルニアが見つかった。だが先生は「とりあえず”ヘルニア”って病名付けとくからひどくなったらまた来な。」とかんらかんら笑った。

 

まあ差し当たり作業の妨げになるし、かと言って整形は混むので整骨に行ってみた。これが存外効いた。手の違和感は三回くらい行って消失した。だが、整骨の先生が言うには「多汗ですね。」と言う事だった。「?」となったが、ハリとかで良くなるかもしれないとのこと。セールストークかもしれないので主治医に相談しに行った。「抗うつ剤の副作用か自律神経の乱れですね。」と言う。ああそんなもんか、と軽い気持ちでネット検索をかけちゃったのが間違いの元だった。

 

何かと言うと、全身の多汗は内分泌異常が隠れている可能性があると言うこと。勿論抗うつ剤の副作用の可能性や自律神経の乱れについて言及しているサイトもあったが私の意識はすっかり内分泌異常に釘付けになってしまった。悪い意味で。

 

訳は過去記事に書いてありますのでよろしければどうぞ。不幸自慢と自分語りの極致みたいな記事になってて非常に気恥ずかしいのだが。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

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 「今絶望しているあなたへ」とか言いながら、今振り返ると世の中は俺みたいな不幸なやつもいるんだぞ、みたいな不幸マウントをしてるニュアンスで書いてたな~、と言う気がする。なんとも痛い黒歴史だがそれも経験だと思うことにした。

 

まあ、そんな訳で平たく言えばうつ病を、自らセロトニンをせっせと作れば治るんじゃね?と思って色々頑張ってたら、後遺症として内分泌、とりわけ副腎部や右脳部に生々しい体感覚を残しちゃいました、とそう言うことになる。

 

今はもう少しこの現象をフラットな視点で捉えられるようになったので、このことで落ち込んでも立ち直りは早くなったのだが、未だに自分を変えたい際の現状へ引き戻す重たい足枷にはなっている。

 

ともあれ、色々さらに詳しく調べていくと「原発性アルドステロン症」だの、「クッシング症候群」だの「褐色細胞腫」だのおっかない病名がずらずら出てくる。んで、まんま二時間くらい膝を抱えて体育座りをしていた。引きこもりの人が部屋でよくやる感じで。

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だが待てよ、とも思った。そもそも主治医は副腎とかの専門ではないけれども、と前置きをしながらも血液検査をしてくれたり、結果分かることとして最近病状は変遷はしてるけれども上述の病で書いてるような低カリウム血症、高血圧や高血糖なんかも出てはいないし、客観的な事実をつらつら並べて見てもそんなに悲観するようなことでもないのかな、とも思った。もう反吐が出るほど繰り返してきた負のループにまた陥っていたのでいい加減そんな自分にも苛立った。

 

うつ病にかかると心気症にもしばしば陥る。結果、「ドクターショッピング」と言って、医師の大丈夫ですよ、と言う保証にも納得せず医師を変えまくったり、医師の知らないサプリやマニアックな知識を披歴して先生を困惑させたりすることがある。私もそんな時期があったなあ・・・。

 

だから、何か身体に違和感を感じてもあんまりネットで検索することはお勧めしない。医師が専門的な立場と知見で書いているサイトが上位に出やすく目につきやすい。そこには専門家の医療ミスのリスク回避を避ける意図もあり深刻な病気を示唆するものが多いのだ。そしてそれを素人が見ると意識が強くフォーカスしてバイアスが出来てしまう。思い込みと真実は往々にして異なる。心配ならネットを見ないでリアルの専門の先生に相談した方がいい。私個人の代謝内分泌の問題もいずれは人間ドックやら何やらで白黒はっきりしなければなるまいが、今はお金と心の準備が出来ていないだけだ。

 

さてさて、そんなわけで、昨日は頑張った自分へのご褒美の意味で(頑張ったかどうかは主観の問題だけど)「メイドインアビス」の劇場版を観に行った。面白かったのは確かだがまあ、確かに「R-15」指定だわコレ。詳細はほとぼりが冷めたころにでも。

 

さあここからが本題だ。まだまだ長いがしーましぇん。

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「おやおやおやおや」

 

昨日瞑想していた時にぼんやり浮かんできたことなのだが(瞑想中雑念はどっちかと言うとうざったいものなのだが、結構「内なる声」みたいなものを拾い上げることもある。たまに外れるけどw)今自分を縛っているもの、苦しめているものは何なのだろうか?と言う根源的な問いに対するいささかボンヤリとした答えのようなもの・・・。それを言語化するのはやや困難が伴うが、それなりに意義があるものと思い文面をしたためる。

 

 

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 釈迦は「一切皆苦」と説いた。「生きることは苦なのだ。」と。これは生身の人間である限り誰しも万人に共通したことだ。華やかに見える人もそうでない人も。強欲で弱者から搾取したり私腹を肥やそうとする者も、搾取される側も。富める者も貧しい者も。凶悪な犯罪者も偉人も。名君も暴君も、賢者も愚者もそう。そう今となっては私も言い切れる。

 

要は私個人の話で言えば、私を苦悩の牢獄に縫い付ける自分の殻・自我意識がいい加減鬱陶しくなったのだ。先述したように長年後背部に残る異物感や違和感に意識が集中し、死を強く意識して生きてきた。今までその状態で20年以上もどん底の半生を送ってきたのだから、これからは昇りつめていかないと嘘でしょう、みたいな成り上がりストーリーを夢見、夜寝る前とか朝起きたばかりの脳みそがユルんでいる時間にイメトレしたりアファメーションしたりするのを習慣にしていた。その夢や願望を叶える権利が、病の悪化や死によって剥奪される。これはとんでもない不幸であり、最も忌避すべき事態であった。だが、この人生観を持って生きることに少々疲れたのだ。

 

強迫観念となった心気症・心気妄想は、有用な仕事や諸活動に割く活力や意欲を著しく削ぐ。まず試みたことはエゴを矮小化させ世の為人の為に汗することだ。これは効果があった。パフォーマンスの質も量も、モチベも爆上がりした。だが、一人部屋に戻るとまた膝を抱えてしまう。

 

過去、色々な文献を読み漁った。心理学、哲学、スピリチュアル・・・etc。もともと「願望実現」や「引き寄せ」に係るネット検索の頻度が多かったのが、だんだん「死 恐れない」とか、「病 恐れない」とかに取って代わってきたりもしたw。

 

恐怖と欲望はコインの裏表だ。とりわけ自分を生の執着や死の恐怖に縛り付けるのは強い自己保存欲求と承認欲、完全欲だと思った。これらは「自我意識」や「エゴ」から生じるものだろう。エゴそのものは必ずしも世間で言われるほど悪いものではない。自分中心と言う意味合いでとられがちだが、突き抜けた聖人や突き抜けた変態でもない限り、人はなんだかんだでエゴを満たすために動き、考え、知恵を巡らせる。周りがなんと言おうと貫くエゴは時として潔くカッコいい。人から押し付けられるエゴは甚だ迷惑だけど。

 

てなわけで、ああこりゃあ一旦「ワンネス」とか「悟り」とかの境地を追求してみるしかないのかな、と思った。頭では分かっているけど腑に落とせないこれらを体感覚で味わうため、と言う目的もあって瞑想を日課にしてきた。んで、10月くらいに今やっている「マインドフルネス瞑想」と「慈悲の瞑想」の上位互換的な「超越瞑想」と言うものを学びに行く。これはひたすら自分の内面を掘り下げる。意識・潜在意識・集合的無意識のさらにその下に「純粋意識」と言うものがあり、それにアプローチするのだ、とZOOM越しの先生から説明会で聞いた。

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人は目の前の現実が全てと思いがちだ。だが、目の前の現実は自分の心が投影されたものである。実はそう言う意味では仮想現実を生きているのだ。あらゆる物事や出会う人、出来事などなど・・・。全ては自分の中に答えやら本質やらがある。それを深く探求することが結果、慢性ストレスや精神の疾患を見極める一つのヒントとなり、人の為に役立てられるのではないか、とも幻想を抱いた。

 

話があちこち逸れているが、「一切皆苦」なのであれば、まずは「生きることは苦である」と言う理を前提として生き始めることが出発点となる。少なくとも自分はそうだ。そしてずっと忌避してきた「死」に親しむ。すると割と逆説的に、人生のおどけた面が顔をのぞかせることに気づいたのだ。

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代表的な西洋の死生観に「メメントモリ(死を思え)」と言うのがある。すんごく平たく言えば「死を意識することで今を生きる、まあ今を楽しめや。」くらいに捉えるのがいい気がする。死を恐れるのは心に余裕がある証左だ。何かに集中したり没頭したり、常に死を身近に感じ日々懸命に、真剣に生きる人は逆に死をあまり恐れなくなる。生の執着から距離を置けるからだ。

 

私は過去少々力ワザで、死の恐怖をねじ伏せようと何度も試みたがことごとく失敗し、却って恐怖は繰り返し増長した。過去、意図して死を望んだことも、意図せず死にかけたことも何度かあるが、死を身近に感じた瞬間はいつでも往生際が悪かった。勿論それでいい。命を投げ出す覚悟はあるか?と問われ、建前ではいあります!と力強く答える人は多いのだろうけど、死に際は最後までみっともなくあがく。それが人間と言うものだし、欲は一時満たされても心はすぐ乾く。無欲を奨励するのでもない。煩悩がなくて何が人間か。

 

ともあれ、じゃあここで開き直って、自分は要は幸せになるために生まれてきたのだから、夢や願望が叶えばそれはそれで幸せなのかもしれないし、何も叶えられず屈辱感と無力感にまみれて死ぬなら、このクソみたいな人生からおサラバ出来るのだからそれはそれで幸せだよな、と思うことにした。勿論、その中庸の平凡で平穏な人生もまた幸せだろう。これらはある程度は自由意志として自ら選べるようにもなっている。それに、様々な自分に起きる出来事は完璧に、最適なタイミングで起きている。これを”自分にとって”良い悪い、幸不幸、人生の絶頂やどん底などと”色”を付けるのはその人の解釈の問題である。本質は”空”なのだ。

 

人間万事塞翁が馬」。「縁起」の概念にもつながるけど、これはもっと生きて後で振り返ってみないと確かめようがないとも言える。すると、こうした試みが、夢や願望への執着、生の執着からも幾分解放される結果へと繋がったのだ。それに何かを成し遂げることより、精神性を高めるとか魂の成長と言ったようなことに関心が移ってきたこともある。まあなんだかんだで廻りまわって覚悟が出来て腹が据わったと言う訳だ。

 

元々前述したような心気症も持っていたから、腹が痛い、頭が痛い、ケツが痒いと言ってはネット検索で原因を追求していた。前に書いたようにネットは素人はバイアスを持ち易いように構成されちゃってるし、10の情報があるとしてうちたとえ9がポジティブな内容で1がネガティブな内容だったとしても、その1のネガティブに意識が向かうようになっている。心気症なんか持ってたら尚更だ。視野狭窄になっているからすわ一大事となり、客観的で冷静な判断力が著しく削がれる。

 

よって、いい加減こうした内へ内へと向かう意識を部分化し外へ向けなければ、それこそ人生を台無しにする、と危機感を抱いたのだ。そこで、死を肯定する偉人さんの言葉をいくつか拾い集め、自分のオリジナルの死生観を創ったつもりになっている。

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①お前の人生が戯れすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。/クレッチマン

 

②実際にどう生きたかということはたいした問題ではないのです。大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから/ココ・シャネル

 

③少くして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず/佐藤 一斎

 

④私は死を恐れないが、死に急いでいるわけでもない。その前にしたいことが山ほどある/スティーヴン・ホーキング

 

⑤私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ/スティーブ・ジョブス

 

⑥死というものは、実は人間にとって最大の祝福かもしれない/ソクラテス

 

⑦露とおき露と消えぬる我が身かな 難波のことも夢のまた夢/豊臣 秀吉

 

⑧「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない/高杉 晋作

 

⑨我々はときおり、悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう/N・ホーソン

 

⑩嘘でも冗談でもない。死んだら皆に柩の前で万歳を唱えてもらいたいと本当に思っている/夏目漱石

 

⑪おそらくすべての芸術の根本は、そしてまたおそらくは、すべての精神の根本は、死滅に対する恐怖だ/ヘルマン・ヘッセ

 

⑫死んだとき忘れられたくなかったら、読まれるにたる物を書くか、書かれるにたることをしろ/ベンジャミン・フランクリン

 

⑬生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療/マックス・ヴェーバー

 

⑭人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない/M・ハイデッガー

 

⑮我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か?我々がその当人ではないからだ/マーク・トウェイン 

 

「ワンピース」の主人公のルフィなんかを見ていると、実にイキイキと自由な人生を謳歌しているように映る。彼の夢は「海賊王」だ。

 

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それがゴールであり、セルフイメージにもなっているが、彼は死を特段恐れてはいない。たかがマンガと言うなかれ、「ワンピ」は深い。んで、敵キャラにしばしば「じゃあ死んだらどうするんだ?」と問われているが、「その時はその時だ。」などとあっけらかんと答えている。これは自由とセットで、自分の身に降りかかることは自分の責任として引き受けているからでもあり、何度も死線を潜り抜け、時に死を覚悟し、受け入れ、要は慣れちゃったか感覚が麻痺しちゃった感じにも映る。そして、彼は自分が運がいい、と思い込んでいる所も見逃せないポイントだ。この境地に達するにはどうしたらいいんだべな~、とつらつらと考えていた。

 

日々を真剣に、と同時に楽しく生きること?夢を持つこと?ポジティブシンキング?少なくとも執着や恐怖でメンタルを重たくしている風ではない。

 

「ワンピース」が何なのか?と言うのは「ワンネス」とか「全体性」とかに答えがありそうな気がするが、世界政府と四皇、王下七武海あたりが仲良く手を取り合ってハッピーに、てな感じになるとも思えない。なのでこの作品からは相変わらず目が離せない。

 

それはさておき、死の恐怖を弱体化させるには死を忌避するよりは死に接近した方が逆説的にいいみたいだ。あ、自ら命を無駄にリスクにさらすとか、そう言う意味ではないです。「深淵を覗く者はまた、深淵から覗き返されている」みたいな言葉があったけど。勿論かなり怖い。

 

と、言う訳で何者にもなれないのならそれはそれで別にいい。天から、両親から授かった命を粗末にすることは人の道に外れていると思うからもうしないし、死に急ぐこともしないが、死を受け入れ、死を思い、極度に恐れない。いざと言う時は命を懸ける。こんな感じだ。んで、夢や願望と言ったものは深層の意識に何となくアンカリングした感じにしておく。自ら諦めると言う愚をあえて犯すこともない。

 

斎藤 一人さんが言うような「死後の世界ってすご~くいい所なんだよ!」ってのは「分離」から「全体」への回帰と言う事でもあるけどあんまり共鳴できなかった。また、故スティ-ブ・ジョブス氏の「死は生命の最高の発明である」と言う所までも突き抜けられない。だが、”その時”が来たらああ、まずは一生懸命”かりそめの生”を生き切ったよね、と思えるくらいには真剣に残りの人生を生き、人生の総決算である死を迎えたいものである。勿論、人生とは真理として苦しみに満ちていて、みたいな捨てたもんでもないよね、という気も同時にしている。そして何事も、意外になんとかなるものだ。

 

と言う訳で・・・。なんとも長文かつまとまりのない文章をしたためてきたが、物質的な富を築いても、それを墓場までは持っていけない。幸せも、人生も永遠に続くだろう、と思っていた矢先に天災、地災、疫病、飢餓・・・etc。様々な苦難が世界から容赦なく投げつけられ奪われる。人生は混沌だ。だから面白く興味が尽きないのだろう。

 

まあ私個人の話としては、元々生きることは苦で死は苦からの解放なのだ、と思っているくらいがたぶん丁度いいのだろうし、人生は難しく考えるから難しくなる。私なんかは一時は人生を難しく考えることがかっこいいとか思っていた時期もあるからタチが悪い。この記事とて難しいことを難しく書いている感がまだあるなあ、と反省しきりである。こう言う文章を書いた後よく私の母に見せるのだが、「理屈っぽい!」と言われてしまう。

 

「ワンピ」の話で思い出したけど、私のマインドセットは剣豪ゾロのそれに近い。結構弱めたつもりだがまだ名残はある。キャラとしてのゾロは大好きだ、ルフィより。いや、剣で何もかもすぱすぱ豆腐みたいに触る者みな斬りつけて、ってことではなく、マインドセットが”苦難を望む”・”苦難上等”だったのだ。だから、波乱万丈の人生を自ら深層では望んでいたことになる。それが現実面にも表出していたのだろう。

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自己啓発とか引き寄せの類に傾倒するとますますこう言ったものって無意識的に強化されがちだし、”より強くなるためにさらなる試練をお与えください”的なマインドは幼少期に刷り込まれるし自らも刷り込む。とりわけ日本人はこの傾向が強い。困難や試練によって成長した自分や物語の主人公に訪れるハッピーエンドは美しいし共感を呼ぶ。恋は困難なほど燃え上がる、みたいな。注意しなければならないのはドラマチック症候群はしばしば燃え尽き症候群に取って代わられることだ。私個人としてはもう波乱万丈はお腹いっぱいだ。

 

加えて、完全欲を捨てること。人生は完璧で無駄がないが、コントロール出来ることと出来ないことがあり、完璧性を求めると人生は牙をむく。これらのことは本質的に異なることだ。心地いいことだけをよしとする在り方はネガティブ・バイアスや認知の歪みのもとになる。自分や人生に完璧性を求める人は他者にも完璧性を求めがちだしね。ゆめゆめ気を付けられたい。まあ、「人生のコントローラビティ」を高める努力をするのは大いに結構だ。

 

と、言う訳で書きたいことは書きましたw。上のベンジャミン=フランクリンが言うように、読まれるにたる物を書くか、書かれるにたることをしろ、という教えの第一歩は仮にも踏み出したが、それだけでもう疲れた。この言葉に感化されてアホみたいに記事を量産していた時期もあったのだが、今は他にやるべきことがある。まあ、「書かれるにたることをしろ」については、「余命何年」みたいなことを言われたら、なりふり構わず欲望の限りを尽くすようにする、いや、ウソウソ、ちゃんと人の為に善を成してこの世を去る。そんな感じだ。

 

あ、末筆ですが、読者様のモカリーナさんのショップからまた買い物をしました。でも今、部屋がカオスなので、写真を撮影し次の記事にて紹介します。ご了承ください。

 

ではでは!また会いましょう!もっと楽しくハッピーに生きようZE!!/おしまい。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

コメント、ありがとうございます!

 

ジャンプ作品なのでもっと長く続くと思っていたのですが案外・・・。でも、無残様が鬼の製造元だったのでこれで良かったのでしょうね。

 

>ちゃんこ様(id: chanko_bamboo   

 

コメントありがとうございます!

 

原作は買えましたがまだ手付かずです。なんとも緊迫感の強い作品ですね~。大好きです。

 

>猫p様(id: nkobi1121    

 

コメント、ありがとうございます!

 

そうですね、試験でハッテンだったら最悪ですしね。あ、後ろの人にホラれるという意味ではないですよ。

 

 

 

 

 

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うつ病闘病記(仮称)■
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