蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

死をどう捉えるのか、その答えは・・・。②

どうも!

 

さて、老人ホームへボランティアへ行ったり、次のキャリアアップを打診したりと色々ねちねち水面下で画策していたのだが、とうとう仙台進出、いや、欲を言えば東京進出したくなってきた。

 

自分は良くも悪くもぶっ壊れている人間だと思う。今日母親ととっぷり話し合ったんだけど、やはり母親は母親らしい子供に対する心配を私に向けてきた。主治医もまだ行動を起こすのは早いと言ってるんだし、一人暮らしは容易なものじゃないのよ、的な。

 

その一方で、精神的はもとより経済的自立を志向することそのものは流れとして当然受け入れるようこちらからも要望したし、異存はないとのことだった。

 

正直、自分に福祉や介護は向かない。いや、向き不向きの面で言えば、結果は出せているんだからその分野で頑張ってみたらどうか?という声もある。

 

だが、理想と現実の狭間で妥協点を探りほどほどの所に落ち着くより切迫した、なんとな~く実存に迫るような深い苦悩や問い、内省みたいなものが自分のモチベーションを駆り立てる。恐らくその方向に自分の天命があると信じるし、まあマインドとして信じたいのだろう。

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いやいや、自分語りをするのが目的じゃなかった。ともあれ。

 

今の職場への橋渡しをしてくれた人が月に一回、自分の勤めている事業所に私のモニタリングに来るのだが、その時を狙って面談を打診した。そこで、次のステップに進みたいんだけど~、と言ったら、主治医がOKを出せば私としても倍プッシュできるんですけどね、と言う話で、その場の内密の話にしたかったんだけどどうやら筒抜けになっちゃっていたみたいなのだ。

 

まあそれはそれで仕方がない。なんとな~く、いっつも自分に仕事を無茶振りしていた隣のシマのうるさいおっちゃんのトーンが最近おとなしめだったのはそれも一枚かんでいるのかもしれない。

 

いやらしい話に聞こえるかもしれないが、人間独自の周波数だとか波動の高さ低さだとかを持っていて、そのエネルギーの上下によって人脈とか人間関係が釣り合って築かれていくものらしい。

 

だから、現状維持で満足している人はともかくなんかしら目標やら夢、志なんかを持つ人は焦った方がいい、と言うのは色んな人から盛んに言われていた。だから、そう言うエネルギー値の高い人と会い、勉強したいのなら優秀な人の中で切磋琢磨しながら学べ、とも。

 

もともと人間、生来なんらかの役割を持って生を享ける、らしい。魂のミッションとかなんとか、の話だが、これもまあウソではないと思う。んで、自分の頭の中で色々画策して動き、意図的に築いた出会いも偶発的な出会いももとを正せば同様に必然で、結局はお釈迦様の掌の上を飛び回ってた、って感じなのかもしれない。

 

そう言えば、最初に診察を受けた精神科医もそんなことを言ってたな。いや、言ってたのは「お釈迦様が云々」のくだりである。んで、私の言うことは妄言の類だとばっさり切り捨てられた。今となってはいい思い出だけど。

 

だから、こう言う時は直感を信じていいのだと思う。自分がはっきりやりたいことはどうしても心とか精神に密接に絡む。

 

意識とか心を数学で記述する、と言う試みは時々、物好きな研究者の中から出るらしい。ある人は、「A-B」と書いた。「A」は脳の中での心的表現を実現する興奮性細胞の活動状態であり、それを抑制する細胞Bが働いてAが抑制される。このような形で脳の働きが整形される、と言うもの。

 

ことの是非は問わないが、科学者や数学者はアインシュタインがエネルギー等価則E=mc^2とすっごいぜい肉をそぎ落としたがごとくシンプルな方程式で示したように、シンプルでかつ、原子爆弾の可能性をも秘めたような特性に惹かれるらしい。


勿論原爆を肯定など到底できないしそれをするマッドサイエンティストもそうそういないんだろうけど。

 

でもきっと、もっと「考えるより感じろ」の世界なんだろうな。そう言う意味ではうつ患いの自分の脳みそを献体して覗いてもらっても自分で観察してもいい。あ、取り出すという意味じゃなくてね。じゃないと死んじゃうからw。勿論スキャンとかの話である。

 

母親が、

 

「あんたがねえ、なんかエゴとか利己心を捨てて人を喜ばせたい、と言う動機で、底辺と呼ばれるところに飛び込んでいったときは変わったなあ、とも思ったのよ。」

 

と言ってたのを聞いて、心がちくりと痛んだ。

 

夢とか願望とかに執着するとそれだけ逆風が吹くように人生出来ている。それに、そう言う弱い立場にいる人を見捨てる、と言う訳ではないけど、あえてその年になってリスクを冒すこともないんじゃない?って趣旨の話だ。

 

いや、自分から言わせれば、この年になったから余計にやばいのだ。散々親に迷惑をかけて、いやこれからもかけるんだけど、地を這うように今まで生きてきて人生冒険せんでどうするよ、って話なのだ。それに、自分は弱者や正直者がバカを見ない世の中にしたいと本気で思っているバカだ。まあ、選挙に打って出る気なんかさらさらないけど。科学の力でだ。

 

ここで、ひとつ自分に影を落とす存在がある。歩みを止めさせようとするネガティブなベクトルへ働く思考の癖。まあ、過去記事に何度も書いているんだけど右脳部のどろどろしたホルモンの流れや、背骨を沿ってミミズか何かが這っているような名状しがたい感覚。

 

きっと内分泌系が壊れているんだけど、その割に副腎皮質ホルモンが通常引き起こす免疫力の低下を示唆する症状もめったに出ず(ネガティブな想念は出るけど免疫力の低下や副腎機能の低下を示唆する血液上の変化もない。風邪もめったに引かない。まあ、バカだからかもしれない)、「生老病死」の四苦でそれこそ何度も病んできた。生にしがみつくほど、夢や願望に執着するほどこの苦しみは逆説的に増した。だけど、夢や願望に執着しないで何が人間だよ、とも思うのだ。

 

私はもともと、夢や願望をかなえる前に命が絶たれることを極度に恐れていた。まあただただ、諦めの悪い人間だとしか言いようがない。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

先述の通り、このネガティブ要素があるからこそ実存に迫るし、内省もする。瞑想したり、ヤクを決めたり(抗不安剤とかの類ですw)認知療法をしたりとなだめすかしながらなんとなく折り合いをつけて今に至る。勿論死を意識しているからこそ逆に覚悟も徐々に強固なものになり、思い込みが強化される。「オレがやらねば誰がやる」と言う感じで夢にさらに意識が強くフォーカスする。

 

自分はアニメ「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)の以下のセリフが好きだ。なんだったら、座右の銘としてもいいくらいだ。

 

「結局人なんて思い込みでしか行動できない。けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。私はそう思っている」

 

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不安や恐れなどの98%は実現しないと言う。うん、それは分かる。アメリカンテイストな成功哲学の本を読むと、なんか国民性の違いが浮き彫りになってる気がする。

 

いやいや人間、そんなにいっつもポジティブでいられるわけないやんけ、とも思う。そう言うめんどくさいものを総抱えしてめんどくさくも楽しく生きるのが人生なのではないかな、とも思う。生きて生きて生き抜いて最期はビデ倫不通過みたいな人生だったらやだけどw。

 

つまり「生老病死」の四苦から人は絶対に逃れられないわけだけど、だったらいっそ覚悟を決めて恐れへ飛び込み、死中に活を見出す。その時に精神が物質を凌駕する場合もありうるし、インスピレーションが味方する場合もある。勿論くっそ努力とハードワークが必要条件となるけど。まあ、好奇心に紐づいているような仕事なら人間に限界はないのかもしれない。

 

精神疾患による不幸の連鎖を断ち切りたい。自分の心には常にそれがあって、それがあるから生きていられる。

 

う~ん、自分語りの檻から抜け出せない。まあ、そんなテンションだと言うことで暑苦しいなあこいつ、と一定の距離を置きながら生温かく観ていただければ、と思う。ただでさえくっそ暑いのに。

 

暑苦しくした詫びのしるしにいくつか関連図書を。

 

老いの僥倖 (幻冬舎新書)

老いの僥倖 (幻冬舎新書)

 

  

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

 

  

スタンフォード大学 マインドフルネス教室

スタンフォード大学 マインドフルネス教室

 

 

「マインドフル」に生きることと夢や目標、願望を追っかけるのは両立するのかねえ?分からん。

 

他に何か、こう言ったテーマを扱った書籍を紹介してくださればとてもありがたい。今はそんなに死をネガティブには捉えてはいないんだけど・・・。

 

ぼちぼち梅雨も明けるようですね。私の仕事をしている作業場の作業は夏暑く冬寒い。冬はストーブ、夏は扇風機とかなりアナログだ。でも、それがいいのかも。

 

では。/おしまい。 

 

 >まみ様(id:Lovechan )コメント、ありがとうございます!

 

そうなんですよね、「隣の芝生」は会社組織なんかに使われることの多い言葉ですけど、自己と他者についても同じことが言えますよね。みんな様々な苦労や懊悩を抱えているわけで・・・。

 

自己を知ることが他者を知ることにもなるのでしょうね。

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