蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

死をどう捉えるのか、その答えは・・・。③(4578文字)

どうも!

 

通勤途上さる理髪店の前を通るのだが、窓越しにそのお店の飼い猫と目が合った。

 

猫はなんだかキョドっており、こちらから視線を離さずに扉の前をうろうろする。

 

激しく萌えた。はあはあはあ・・・。

 

郊外型の分業型の理容店に圧され、昔からの理髪店は苦戦を強いられている。なんだか戦国時代なのだが、そのお店は夫婦で切り盛りしており、少し値は張るけれど肩もみ機やらきさくなトークやら、リクライニングやら趣向を凝らしそこそこお客さんを集めているようだ。

 

そして、そのお店を語る上で外せないのがにゃんこの存在である。

 

猫アレルギーの人にはきついのかもしれないけど、お店のフロアーには猫が数匹徘徊している。私は無類の猫好きだから、にゃ~!とかしゃ~!とか言いながら距離を自分なりに詰める。どの猫も基本的には水っ気が強くあんまり人見知りしない。足元にまとわりつかれると私も出来ることならまとわりつきたくなるのだ。

 

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上述の猫はその中では一番小型の、グレーのノーマル猫だ。(もっといい形容の仕方ないんかい)

 

キョドりはなんだか仕事に慣れていない新卒の子みたいな初々しさで、そうかいそうかい、おぢいちゃんが預金作ってあげようかいのお、とか感情移入の一つもしたくなるタイプなのだ。

 

しかし。無情にも時間は過ぎゆく。

 

アデュー。近日中にまた会おう。なんだったら連れ帰ってお風呂に一緒に入ろう。(こらこら)

 

さてさて。

 

私事ですみませんが、今日行ったお寺で和尚さんの中学校の娘さんの家庭教師をすることで話がまとまった。その他、お寺のイベントで集まった大人たちが坐禅をしたり、和尚さんの法話を聞いたりしてる間、子供さん集めて勉強を教えるのもいいわねえ、とは奥様の言葉。

 

その他お寺Tシャツ、お寺饅頭、お寺物販などなど・・・。まあ、それはないけど、9月の20日くらいからはそっちに軸足を移していくことになる。

 

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生々しい話だけど、世間はお墓離れしていてお寺は経営が大変だと聞く。(和尚さんから聞いたわけじゃないです)

 

葬儀なんかも多様化していて、インターネット上のバーチャル葬なんてものまであるくらいだ。だからなんだか和尚さんも私の家族構成とか出身地なんかを聞いてたんだけど、その真意に気が付くまで少しばかり時間がかかった。

 

お寺だって慈善事業じゃない。檀家あってのお寺で、そう言うことが話に出たことを否定する気はさらさらない。そこのお寺は市内では多分一番伝統的なとこで、まあそう言うとこですら大変なんだろうなあ、と共感したくらいである。

 

だがまあ、正直あんまり深い事情は分からんので、深い話になる前にいやあ、うちのオヤジは頑固一徹で適当にやっとくれと言ってる、とかなんとか逃げ口上を打ったりしていた。

 

事実そうで、我が家の親父は死んだときは適当に海にでも流してくれとか言ってる。死んだら一巻の終わりなんだし、子供に迷惑はかける気はないからとかなんとか、その辺のこだわりはない。

 

でも、個人的には親の葬儀ぐらいは立派なものを出してやりたい気もする。そんな話をするのは縁起でもないけど。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

葬式はセレモニーで、お通夜なんかも故人の思い出をわいわい語り、あんまり湿っぽくないものにもしたいと言う個人的な思いもある。自分なんかは死後の世界とか魂の不滅なんかをかたくなに信じてるもんだから、親父が考えているように死は一巻の終わりではないし、仮に当人からしたらそうだとしてもその分、この生を価値あるものにしようよ、と言う死生観だ。

 

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なんだかヘンな話になってきたけど、ちょっと前まで極度に死を恐れていた人間だから死には色々な思い入れがある。

 

恐怖は一番は無知が根源だ。まあそんなこと言ったって死を恐れない人はいないだろうけど、死そのものの解釈はこの短期間で随分変わった。いや、無理やり変えたと言う方が正しいかもしれないけど。動機が「死の恐怖」からの逃避だったからだ。

 

メンタル疾患で絶賛病み期だった頃は死にたい死にたいと周りを困らせながらも、心の奥底では死をやっぱり怖れていたと思う。無に帰すものとしか思えなかったからだ。無の深淵は恐怖の対象であるが、日常もとにかく苦しい。どっちに進むも絶望だ。

 

なんだかまあ、絵に描いたようなメンヘラだったわけだ。つまらんプライドと恥の意識がなまじ強いもんだから、あんまり人様に迷惑はかけないようにと心掛けてはいたものの、どうしたって身内を中心に迷惑はかける。友人も一人去り、二人去りしていく。

 

うつが良くなってくるともともと野心家の自分は野望を抱く。信長みたいに。ギレン様みたいに。散々苦しみを味わってきたんだから人生一発逆転してやる的な、どっちかと言うと歪んだ思い込みである。

 

そうなると一転、生に執着し出す。夢を叶える前に、志半ばで屈辱感にまみれ倒れることを極度に恐れ出す。

 

う~む末期よのお。いや、つい最近までほんっと、こんな感じだったのだ。いやん恥ずかし。

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ごめんなさい、意図してかせずか自分語りかましてるけど死とか生とか言うテーマについての話なので、もうちょっとだけ我慢して付き合っていただけたら私と付き合ってください。(何言ってんの)

 

うつ病には過去何度か書いてるけど、「微小妄想」と言うねちっこい思い込みが随伴症状としてある。個人差はあると思うけど、「罪業妄想・貧困妄想・心気妄想」と言う。

 

簡単に書くと。

 

罪業妄想・・・例えばどこかに出かけて部屋に戻ると、あの場所で人を刺したんじゃないだろうか、とか、何か盗んだんじゃないんだろうか、とか考えちゃう。

 

・貧困妄想・・・自分はこの先、借金を山ほど抱え一生お金に苦労する道しかないと決めつけたりする

 

・心気妄想・・・例えば脇腹がキリキリ痛んだ時に、ガンとか重篤な病なんじゃないか、とか考え、医師に何でもないよと言われているのにもかかわらずそんなはずないでしょ、ちゃんと診て!とか食ってかかったりする。

 

こんな感じだ。

 

まあ、うつに特有な症状ではなくおそらく誰でも少なからずこう言うのはあると思う。うつ病は確かにそう言う思い込みは強いと思うけど、これはうつ病者の自分にスペシャルなもので、他の人はのんべんだらりと生きてるなあ、ああ羨ましい、とか考えちゃう時期がメンヘラならきっと誰でもあるのだ。

 

そこから抜け出せる人も抜け出せない人もいると思う。いや、完全に抜け出せると言うことはたぶんないんだろうけど。健常者にだってあることだからだ。こうした思い込みをこつこつ認知行動療法なんかで外していく地道さとしつこさが必要になる。

 

まあ、うつ病になるような人は概ね生真面目な人が多いので、カウンセラーの指導があればしっかりそのガイド通りに進めて心のしこりを取っていくことは十分可能だ。カウンセラーがいなかった自分でも出来たのだ、その気になればそこはなんとかなる。

 

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ただその過程で、本をたくさん読んだり、ブログ記事を読んだり、可能な限り利他的な軸と視点を入れて行動していくことでより回復に直結しやすくなる。就労はそう言う意味で必要なんだけど、そこは主治医としっかり相談のうえでやっていただきたい。自分なりの微小妄想のなだめ方もおいおい詳述していきたいと思う。

 

さて、話を戻す。

 

今は、前述のように他者貢献、と言うと青臭いけど、利他の視点で動いたりそちらに意識を向けることにより随分生きるのが楽になった。自己の執着から抜け出せたわけだ。

 

ただまあそうは言っても、朝早起きして、朝っぱらから快調なんてのはまれで、職場に着いてからもぐだぐだぐだぐだ頭の中は煩悩まみれ、雑念まみれである。エゴによる不安や恐怖から完全開放する方法なんてアヤしい薬とか洗脳とかしかない。たぶん。

 

あなただけが大変なんじゃないよ、ってことは口が裂けても言わないけど、実際の所はどんな人もネガティブな思考、否定的な思考や感情に捕まることはある。それでも己の幸福を追求し大げさに言えば薄氷を踏むような人生を送っている。

 

そう言うのがじょじょに落とし込めて来ると自我の壁が薄くなり、生きるのが楽になってくるし自分をしっかり受け容れ、他者をも尊重できるようになっていく。こうなってくればしめたものだ。

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だから思う。

 

ちょっと前に時々病んだ時は、外国の死に関する諺である、あなたの葬式にかけつけた葬儀屋さんも涙するような生き方をしなさい的な、すこ~し意識が高いけど力を貰えるような言葉に随分救われた。これはメンタル疾患のステージにもよるし人それぞれ受け止め方は違うと思うけど、自分にはツボだった。

 

夢や願望に執着して全然いいんだけど、今を戦えぬものに明日を語る資格はないし(ロベルト=バッジョの言葉だったかな?)死ぬまではしっかり生きて、自分も良し、他人も良しを信条に徳を積んで、生を価値のあるものにしようと思うに至った。そこから少しずつ、生への執着、自己の執着から楽になれた気がする。後悔のないように生きよう、と思ったのだ。

 

何歳まで生きるかなんて誰にも分からない。死を極度に恐れれば医師に神経質にかかってリスクが減るかもしれない。『不安の9割は実現しない』と言うけど、真実か思い込みかは結構後者の場合が多い。経験上。

 

これは気休めにしかならない人もいらっしゃるかもしれないけど、意外に人間しぶとい。極論を言えば明日死ぬかもしれないけどかくしゃくと何年も生きる場合もある。運命とは切り開くものだし、吉凶は日々の心のありようとかでも随分変わってくるものだ。

 

てなところかな。

 

このテーマは重い。当たり前だけど。自分の死。愛する者の死。そしてそこから語られる生の重さと儚さ。まだまだ突き詰める。

 

時たまこんなにシリアスになるけど、テキト~にお笑い記事は挟みますのでお付き合いしてくれたら私と結婚しましょう。(何言ってんの)

 

では!/おしまい。

 

 

 

アメリッシュ様(id:funyada 

 

コメントありがとうございます!本当に誰かのファンになるべきなんです、たぶんw。なんだか胡散臭い人はまずいですけど、生き方がかっこいい人にはすぐ惚れこんじゃいますね。難関大ですか・・・。う~む、本人が大したことないですからなんと言うかはてさて。

 

>ちゃんこ様(id:chanko_bamboo 

 

コメントありがとうございます!「甲鉄城のカバネリ」、むっちゃかっこよかったと思います。劇場版は観られなかったんですけど・・・。無名ファンですね。(ありがち)

 

モカリーナ様(id:mocharina09 

 

コメントありがとうございます!ブログは楽しく書くのが一番ですからね。でも私のはどうもオゲレツになりがちで・・・w。

 

猫P様(id:nkobi1121)コメント、ありがとうございます!「トライ」、調べたらクソ安かったですw。う~む、7~8,000円は確かに責任とプレッシャーが・・・。自分が勉強するわけじゃなくてしてもらわんといけない仕事ですしね。医学部受験生は勉強しそう・・・。

 

 

 

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