蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

自己肯定感が呪いのワードと化すとき。

どうも!ケツからビジネスモデルがもりもり出てくる意識高い系リーマンめんつるです。

 

いや、リーマンじゃないけどさ。お久しぶりです。

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はてさて、本ブログでもたびたび取り上げてます「自己肯定感」について。どうもこの言葉、独り歩きしすぎてんじゃないの?と仰る女性の臨床心理士さんの記事である。

 

「自己肯定感」にこだわる母親たち、わが子を息苦しくさせるワケ

 

なんとなく「自己肯定感あるある」の事例が多々挙げられている。

 

今となってはちょこちょこ人生相談の真似事みたいなことをすることがあるんだけど、とりわけ若い女性を中心に「私は自己肯定感が低くて・・・」と言うフレーズを確かに耳にすることは多い。言外にはこれを高めたいんだけどうまくいかないとか、この尺度の低さゆえに人生における様々なステージで躓くことが多いとか。そんな心境が背景に見え隠れする。

 

この言葉自体、一種の強迫的な、呪いのワードにでもなっているかのようだ。

 

私は自己肯定感とはこんな仕組みで、こう言う価値基準を取り入れると高まりますよ、と言うことは何度か書いてきた。これは勿論自身が色々書籍を当たった結果で、要は受け売りだ。だが、私自身が試しておお、これは、と思ったものを取り上げている。

 

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それはともかく、少なくとも子育てとか恋愛とか、職場の人間関係とかましてやマネジメントとか。こう言う軸にまで個人的な自己肯定感の低さを持ち込んだり、自己肯定感の高い低いに一喜一憂する流れを作ってしまっているのは、たぶんこの言葉を最初に言い出した人の意図とは大きくかけ離れた在り方と言える。

 

他者との比較論。あるいは劣等感(優越感)やコンプレックス。こうした垂直思考的な物差しを強化してしまう逆選択的な使われ方をしばしばされていて、本人ががんじがらめになってしまっている。これでは苦しかろうな、と強く思う。

 

だから「自己肯定感が低くて・・・」と切り出す方には、いや、自己肯定感も大切かもしれませんけど、まずは自分を幸せにしてそれを他者にシェアしましょう、そんでもってそれを循環させましょうと言う視点を提案し、他者を喜ばせることとか、子供を抱きかかえて癒されるとか。誰かを幸せにするとか。誰かによく見られたいとかの承認欲から発せられる対人関係とは切り離したものを提供したりしている。

 

あるいは、組織のマネジメントの話なのに個人の自己肯定感の低さにフォーカスしている場合なんかは、明らかに視点にズレがあるので、組織の中の仕事や人員の割り振りとか、優先順位とか。そう言うもろもろのベーシックかつ円滑な人間関係の構築を目指すよう視点を切り替える方が良いと思っている。

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上の臨床心理士さんの記事は子育てについて言及している。子育てに答えなどない。誰の子育てが優れ、それに引き換え誰の子育てが優れていないとか。ましてやそれが自己肯定感によって左右されたりするものでは明らかにない。

 

人なんてそもそも不完全だ。ぶっちゃけて言えばみんなどこかおかしい。それをいちいち攻撃したりされたりしてたら生きていけないし、過去を清算しきれずに過去を否定し、この呪われた過去があるから私は幸せになれないんだ。そんな決めつけ方をしているのならその先は絶望しかない。あくまで目的論的な視点を持ち、過去がどうあろうと今この時点でどんな選択をするのか。それを問うた方が建設的だ。

 

自分は十分に愛されなかった。愛されなかったから自分で自分を愛さなければならないのに、どうしても自分を好きになれない。自分の醜い所ばっかりが目につくし、他人のあらさがしをしてしまう。懊悩の多くはこんな基本構造だろう。これは分かる。自分もそんな時があったし。

 

まあ、誰もが通る道なんだろうけど、自己否定してしまう自分をますます貶め、否定する。そんなスパイラルも断ち切ることは十分に可能だ。だがそれは、ただただ自己言及・自己完結的に自分を癒すワークとか、自己コーテー感を高めるワークとか。そう言ったツールでどうこう出来るものではない気がする。

信田氏はこう書いている。自己否定もまた、必要なプロセスなのだと。弁証法を引き合いに出しているが、アンチテーゼと言うのは否定そのものだ。その後に一段上の、抽象度の高い視点が待っているのである。これはアルフレッド=アドラーの、誰しもが持つ劣等感は成長のために必要不可欠なのだ、と言う文脈にも通底する。

 

自分と言うのは途方もなくでかい。これはもう真実だ。無限の可能性を秘めているのは誰しもそうで、これはけして綺麗事や建前でそう言うことを言ったり書いたりしているわけではない。だが、混沌とした世界の中ではまた、ちっぽけで無力な存在でもある。こうした矛盾を内包し、あやういバランスを取りながらも、自分の幸せの為、他者の幸せの為生きる。まずはこんな原点から始め直したっていいではないか。いつから始めたって遅くはないし。私はそう思うのだ。

 

自己肯定感を高めるのは大いに結構だけど、強迫的にこの言葉に縛られるのは本質から離れるし誰も幸せにはしない。他者の中の自己。巡り巡って自分が満たされ、また誰かを満たす。他者を無条件でリスペクトする。こうした視点を抜きにしては、このフレーズは呪われた言葉にしかならない。

 

そんなことを思った。

 

さて、年末である。年の瀬のご挨拶などできるだろうか・・・。今から心配だ。お寺の方では年末年始は超絶忙しいようで、私はどれだけ駆り出されるかは正直分からない。肉体労働も多いのに男手が少なすぎるのだ。

 

もういっそ、公園のハッテン場で青いツナギ着て若いツバメをたらし込んでやろうか。それとも二人分、三人分の筋肉をまとって二人力、三人力になるとか。

 

私はその間、おフランスへ行ってトリュフを探すバイトをしてくるかな。

 

ではでは。風邪などひかれませんよう。また会いましょう。/おしまい。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

阿頼耶識は潜在意識とか、集合的無意識なんかと同じような意味合いですよね。

 

>ひめぐま様(id:  himegumatan   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

ねぎらいの言葉、ありがとうございます!とても素敵な結婚式でした。少しでも役に立てたのなら本望です。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

 コメント、ありがとうございます!

 

楽しかったです。あのご夫婦には本当に幸せになってほしいなあ、と思っています。レレレのおじさん、私は結構可愛いと思っています。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

ああん!?最近だらしねえな、エロいか、ああん、ヒワイか?

 

「ガチムチ」も好きで、今でも時々見ています。あまり動画は残っていないのが悲しいです・・・。

 

>猫p様(id: nkobi1121   

 

コメント、ありがとうございます!

 

出来るかどうかはともかくとして、どっちも好きですね。昔はもう、モンスター社員だったことも・・・w。 

 

 

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仏の顔って何度まで?

どうもおばんです。

 

おおお三日連続更新だ。完全自己満で満足している。

 

はてさて、今日はお寺で仏前婚儀があり出張ってきた。

 

スーツで出向いたのだが、男手が少なくガテン系の仕事が多かった。ここで前職(まあ今でも時々手伝いには行くけどさ)のマットレスオンマイショルダーランニングオアウォーキングスキルが活きる。人生に無駄などないのである。

 

でも。

 

自分は目下頭脳労働を志し舵を切ってるつもりだけど、なんか今日はガテン系の方が向いてる気がしてきたのだった。

 

今日はライトに日記的な話にする。とてもいい式だったのだ。

 

配置につく。私は参道のコンクリの上の砂利とか落ち葉とかを掃く仕事から始まった。あとは随時、駐車場に入りきらないほどの車が来たら誘導する役目も仰せつかる。

 

お寺の三男がやってきた。

 

「お出かけデスか~、レレレのレ~。」

 

と言ってみた。

 

「何それ?」

 

ときょとんとしていた。

 

今どきの子供はレレレのおじさんも知らんのか!(老害

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うそうそ。

 

三男坊と落ち葉集めを始める。

 

「ちゃんと徳を積むとこれ一枚一枚がお札に化けるんだよ?」

 

「うそ!?イオンのゲーセン買い占められるかなあ?」

 

純粋な子供に何言ってんだ俺。

 

そう言う煩悩まみれの徳積みなど聞いたこともない。ご本尊の前で恥を知れw。

 

掃く。掃く掃く。心の穢れを清める。阿頼耶識にある(らしい)汚れた種子を焼き尽くす。これが仏の道である。マザーテレサは言った。「大きなことをやる必要はない。小さなことを大きな愛をもってすることが大事なのよ。」と。でもマザーテレサを持ち出すとバックにおわす神様が喧嘩しそうだ。

 

やがて。

 

わりかし綺麗になってきた。三男坊も動く動く。

 

ここは神様が通る道であり、幸せなご夫婦が通るのだ。

 

と、思っていた。

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流れなど全然知らない。普通の結婚式場とかの結婚式には何度も行っているが、仏前婚となると勝手が分からない。それもまた一興ではあるけど。

 

何度もご親族の方ですか?とか、あれやこれはどこにありますか?とか聞かれるけど、一度だけご住職さんですか?と言われたのはびっくりした。頭丸めてないやん。

 

お昼。お寿司である。お寿司は至宝である。漁師の町なのだ。魚料理やお寿司は名店が多い。ついでに言えばラーメン屋さんも激戦区になってきている。ちょっとした食のホットスポットでもある。

 

式は午後二時から。そのくらいに新郎新婦が外から来る、と聞いていたような気がしたが聞いてるようで聞いてなかったのだ。

 

もう本堂の中にいた。あれ?

 

すすす、と私が想定していた方向とは逆側から新郎新婦が出てくる。私が掃き清めた(つもりの)コンクリの上に敷かれた赤いシート(?)の上で写真撮影。ああえがった。こう言う瞬間はほっこりする。そして心から幸せになってほしいと思えるのだ。

 

あ、別に新郎がおまけと言うことを言っているのではない。門の外を行きかう女子高生やお婆さんがあらあ?綺麗なお嫁さんだこと~と言うてる。せやろ?(なんでオレが威張るねん) 

 

さしずめ私はお刺身のツマみたいなもので、引き立て役なのだ。それが黒子に徹すると言うことだ。影となり風景に溶け込み隠密に動く。三男坊が忍者に少し興味があるらしかった。

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式が始まる。二時五分前くらいにすすす、と脇の入り口から入る。

 

長女と次女がお琴を弾く。和尚さんがいっぱい入ってくる。皆さんそれぞれに役目がある。全ては二人の門出のために。

 

と。

 

お琴を弾いて戻ってきた次女と三男が私を笑わそうと私の方を向いて、おかしな顔やジェスチャーをする。やめてくれ頼む。

 

和尚さんが実にいいことを言った。

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要は仏陀の教えの根幹にある「縁起」の概念だ。もう少し抽象度を下げてなじみ深く身近な概念にすると「縁」の話でもある。「縁」とは仏教にしかない考え方だ。この世は人だけではなく、森羅万象あらゆるものが全て繋がっている。相互作用・相互関係。それは無限で複雑怪奇だ。

 

その中でとりわけ、人に与え、与えられる関係性を意識する。この教えは、何度心に叩き込んでも叩き込み切れない、魂に刻むべき教えである。

 

ルフレッド・アドラー流だと「共同体感覚」とか「GIVE&GIVE」(後者は違うと思うけど)、と言ったような考え方にもちょっと近い。ざっくり言うと人は人の幸せに貢献して幸せを感じる生き物なのだ、と言うことでもある。無私の愛ではあるが自己犠牲はやや歪みがあり、反対に自分のエゴを満たすことばかりが行動理念・原理になると道を誤る。

 

「歪みねえな!」

 

てなことを。

 

また私の心のどこか深い所に大事にしまったのだった。

 

いや、それより。

 

その場に居合わせた人たちのご健勝とご多幸を心から祈る。最後は般若心境で締め。般若心境の締めは「ソワカ!」である。つまり個から全体へ。ワンネス的な。自我の崩壊を促すのだ。

 

でも、読経で「ソワカ!」って言ってたっけ?仏教について知ってるようで知らない私なのだった。

 

あとは外で記念撮影。ア~ンドお神酒を呑む。

 

「先生、呑めるくちですか?」

 

「強いんだか弱いんだかよく分からない所がありますけど、暫く呑んでなかったのでちょっとだけ・・・。」

 

のんでみた。

 

(心の中の本音)うんめえ!何このお酒!樽ごと抱えて帰っていいすか?

 

新潟の銘酒だった。

 

長女が「呑めば呑むほど強くなる?」とかマニアックなことを聞いてきた。ジ〇ッキー・チェンだろそれ。いや、たぶん強くはならないと思う。非暴力主義、ガンジーのような男なのである。

 

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少しずつ関係者が次の会場へ移り始めた。私含めスタッフはそろそろ上がりかな?と思っていたが、スタッフさんはもう二人は女性で所用もあり解散し、わりかし肉体労働向きでたいした予定もない、おっぱいのことしか頭にない野郎である私が抜擢された。そう、撤収準備である。

 

飾ってあった花を花瓶から摘む。おし〇このことではない。それを新聞紙に丁寧にくるめ、マッハでお堂を汚さないように運ぶ。あた!あたたたたたたたた!!

 

重たいもの。軽いもの。運ぶ運ぶ。

 

お寺とはとても忙しいものなのだなあ。しみじみ思った。和尚さんはこれから通夜に出かけまた明日は葬儀なのだそうだ。基本、普通の日も滅多に落ち着いてることはない人である。

 

しかし。

 

色々な人に光を与え希望を与える仏の道と言うのも、なんとも尊いものである。

 

私はまあ・・・、お寺向きではないけどさ。人生相談みたいなことは時々やってはいるけど。

 

そんなこんなで後半は怒涛だったが終わった。

 

最後に玄関で昼に食べたお寿司とかお裾分けとかを受け取る。あざすざす!!

 

そして・・・。

 

その袋の一番下にひっそり。諭吉が眠っていたのであった・・・。母親が見つけたw。

 

今、神棚に飾っております。大事に使わせていただきます、へへ~。

 

以上!/おしまい。

 

アメリッシュ様(id: funyada   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

人類補完計画」ですねw。はい、一回一回の吐き出し作業は地味ですけど、たまに思いついた時にやってるとメンタルに効きます。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

墨は服につくともう取れないですからね。

 

長谷川大尉!愛しておりました!

 

竹刀のやつも超好きです。戦争のやつはまだようつべにありますね。個人的に「男狩り」が観たいです。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

頭はあんまり良くないと思いますw。Greenさんの記事も本当に分かり易いし腑に落ちます。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

 コメント、ありがとうございます!

 

安価で結構な頻度で教室を開いてるんですよね。バイタリティのある先生です。書の方は・・・近いうちに・・・。げふんげふん。

 

>猫p様(id: nkobi1121    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

書は集中力が途切れるともろに乱れますw。あ、茶道は確かに和菓子が食えますね。

 

>ちゃんこ様(id:  chanko_bamboo    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

こちらこそ!いつもありがとうございます!「ダンベル何キロ」の動画はやばすぎました。笑いすぎて腹筋と喉ぼとけ及び、鼓膜がやられましたw。

 

 

 

 

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男は読経!なんでもためしてみるのさ。

どうもおばんです。

 

さて、書道教室に通うことになった。週二回、木と日。日は基本べんきょーしなければならないのでちょっと厳しいが、木曜日は二週間サイクルで通院の日なのでオフにできると踏んだ、たっふんだ。

 

なぜ今書道か。

 

いやなんか、瞑想とかマインドフルネスに通底するものをビビビッと感じたのだ。ちなみに芸術の才能はない。過去や未来を切り離し、「今ここ」に集中する。目の前の書に。「とめはね」って漫画があった・・・ような。

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師曰く(いやまだ正式に入会手続きはしてないんだけどさ)、心の乱れはもろに字に出るそうだ。痔ではない。

 

あとは、出会いとか縁とか。趣味の場での交流がしたかった。寂しかったんだよォォォ~~~!!(アホ)田舎だし。

 

ちなみに出会い厨ではない。でも、行ったら子供しかいなかった。社会人も来るらしいんだけどどうも出席リズムにはランダム性があるらしい。

 

他にパソコン教室とか、楽器教室とかも視野には入れていた。ただ、結構先生と意気投合してしまったので(まあ、営業戦略の一環もあるんだろうけどさ)ホイホイと入会してみようと思ったわけだ。

 

出会いとか縁とかの目的ならまあ、他にもいろいろあるかもしれない。生け花とかもあった。武骨な私が花を生けるとしたら自分のけつとかになりそうなイメージが浮かんだのでやめた。

 

人間、居場所を複数作ることは必要だ。フォーマル、インフォーマル両面である。勿論一人になる空間と時間も含む。職場と自宅の往復だけでは正直すり減ってしまうだろう。ペルソナを外す場と言うのは絶対に必要なのだ。

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呑み屋さんでもいいんだけど、昔みたいに会社勤めとかだったらいいけど今は経済的に無理だ。ちなみにお役所勤務時代は行きつけの呑み屋さんがあり、そこで夕飯を作ってもらっていた。勿論有料で。

 

さて、今の勤務先(?)のお寺での話なのであるが、書道教室どうなりました?とかねてより毎日のように聞かれていた。いやあ、なんか習い事してみたいんすよね~とは伝えていたからだ。もしかすると上達すれば写経などもするようになる・・・かもしれない。

 

とまあ、私個人の話はこの辺にしておく。

 

今日は何書こう。また思いつき、即興で何か書く企画・・・ってほどのものではないけど。

 

また心理学的な話でもするか。

 

例えば、仕事や人間関係を円滑に進めていく上で、心理的な両親との和解と言うのはとても重要なファクターだ。それとこれとに何の関係が?と思われるかもしれないが、意識レベルでも無意識レベルでも過去の記憶とか刷り込まれた教育理念であるとか、親から受け継いだ影響と言うのは計り知れず、それが良くも悪くも人生の舵取りに深く関わってくる。

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で、両親にも色々タイプがあって、愛情深く大事に育てられる子、封建的な家風で厳格なしつけの下育つ子供、放任されて育つ子供、虐待されて育つ子供。一人っ子、兄弟姉妹がいるいない実に多種多様だ。

 

それがいいとか悪いとかの話ではなくて、子供と言うのは繊細で感受性が高いゆえに親に言われたことを、親の意図とは違う形で受け止めてしまうケースも無批判に鵜呑みにするケースもとても多い。これが時に、大人になってまで本人の深層心理に影を落とすことがありうるのだ。

 

日本と言う国はとりわけ、近所付き合いとか世間体と言った価値基準を教育やしつけの中に反映させやすい。こうしたものが他者の目を気にしすぎるルールが多数でできていく一因でもあろう。批判を怖れ、他者の顔色を伺い、自分本来のやりたいことや本音を封印したままなんとなく、社会規範や常識を優先したものを自分のルールと混同してしまう。

 

まあ、それはともかくだ。例えばである。

 

私は父親にあの時あんなことを言われた。理不尽だと思った。母親の期待が過大で、とにかく苦しかった。それは親が自身の将来を案じてのことだったと頭では理解しつつも、当時のことを思い出すともやもやと黒い感情が湧いてくることがある。こう言うのはたぶん誰しも、自然なものとして持っている。幼少期に、こうした本音は建前の下、抑圧して無意識の領域に沈めてしまっているかもしれない。

 

精神分析やら精神療法などの場ではこうした抑圧された記憶を意識レベルに引き上げる方法も取られるケースもあるだろう。だが、セルフでなんかできんかな?と考えた時、まず「両親への文句」と言うことで、定期的に吐き出して黒い感情を整理することをお勧めしたい。

 

・あの時遊園地に連れて行くって約束したのに連れて行ってくれなかった。

・授業参観の時昭和のアイドルみたいな服を着てきた。

・あの時二時間以上も折檻しやがって!ちくしょう!!

・あんたらが離婚したせいで寂しい思いをしたんだぞ!

・あんとき暑いのにアイスを買ってくれなかった!

 

とか、子供心に思いそうなことでもいいし(一部ふざけてますけど)今になって思い返すとむかむかすると言う記憶があればなおのこといい。「〇〇だ!ちくしょう!!」みたいなことを、誰が見る訳でもないので生々しく書いていい。黒い感情は封印するから膨張するのだ。なるたけリアルに当時の記憶を鮮明に再現しながら感情ごと吐き出す。

 

人との関係性であれ、現実の諸問題であれ、自分の心が決めていることってすごく多いのだ。

 

例えばである。目の前に座っている同僚がさっぱり仕事しないのでしわ寄せがきまくっているとする。当然真面目な私は腹が立って腹が立って仕方がない。でも、そいつにいくら言っても暖簾に腕押しだ。こんなケース。

 

こう言う時は自分の内面にフォーカスする。すると、自分も本音ではさぼりたいし楽をしたいんだけど、同時に自分に厳しくてそんな怠惰な自分が許せない。そんな矛盾した思念を抱えていたりする。

 

こう言う時実際に、たまに盛大にさぼって、ああ、まあいっか、みたいに自分を許したり放任してやると、なんとその同僚のさぼり癖が緩和されたりすると言うようなことが実際に起こる。不思議なのだが。

 

で。両親との心理的な和解と書いたけど、まずは両親への文句を顕在意識のまな板の上に昇らせ、その上で両親に感謝できることを書く。これを定期的にしていると、日常生活の中で色々な停滞していたことやトラブル、面倒事などが不思議と解決されていったりする。

 

これは現実に起こりうることだ。とりわけ、父親との和解は仕事、母親との和解は人間関係やパートナーシップの面で改善効果があるようだ。

 

これは両親と死別しているとか、離婚して片親であるとかは関係なくできる。用意するのは紙とペンだけだ。ヘンなオカルトとかファンタジーの類ではないので安心して取り組んでいただきたい。そんな胡散臭いものだったら心理学でどうこう言われていないわけだけど。

 

そんなところで終わる。では。/おしまい。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

昨日お寺の三男が「こちんこちんこち・・・」と10回言って?と言ってましたw。ヤマジュンフルボイスはもうだいぶなくなってしまっています。今はニコニコよりようつべに多いですね。実はヤマジュンマイブームは第12次くらい。スパロボより多いです。一番好きなのは「教育実習生絶〇す」。 

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

恥ずかしいですよねw。「何か書いてんだ。」と自嘲気味になります。

 

オオイヌノフグリ様(id: ooinunohuguri    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

更新ペースは日々更新されている方でもとても大変な面もあるでしょうし、難しい所ですよね。ご無理をなさらず。

 

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

なんとなくもわっと脳裏に浮かんだ言葉をそのままタイトルにしてしまいましたw。ちなみにたぶん常に、何かに憑依されている感じがします。イタコの口寄せ的な。

 

 

 

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パトラッシュとネロは憑かれてる。

おばんでございます。

 

はてさて、週中でございますが、せめて週一くらいは更新しないと皆様から忘れ去られかつ、最果ての島に漂流し、天文学的確率で通過する漁船や貨物船に救助信号を出すまで、砂浜でひたすらのの字を描きながら過ごすことになってしまう。とりあえず元気ではありますw。

 

ブランクが空くとモチベも中途半端、ネタも中途半端だ。書きたいときは前のめりなのに。ブログとはきっとそんなものなのだろう。

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なにぶん、当方からの訪問もままならず心苦しいのだが、アクセス数など二の次で、交流を心の支えに細々と運営しておりますゆえ見捨てないで下せえ。

 

前置きが長くなってしまった。何書こう。

 

今日お寺の三男に「お母さん、この先生下品なことしか教えてくれない。」と密告されてしまった。アラフィフのいい年したおっさんがうんこマンだの〇んこマンだの言ってるからである。

 

差し当たり、何か役に立ちそうなことを考えつく限り即興で書くw。

 

アファメーションとイメトレの話、あとは否定的・ネガティブな思考や感情との折り合いの付け方などである。

 

まずアファメーションである。

 

「私は神々しく気高く、志高い信念を持ち、たくさんの信頼できる仲間たちに囲まれ生き生きと仕事をしています。ありがとうございます。」

 

とか言うやつだ。

 

これは正直、効力のほどは個人的には立証できていないがその実、意識の深いところにはほどほどに浸透しているようでもある。

 

よく言われるのが、メンタルブロックに阻まれるので寝入りっぱなとか起きた直後のぼ~っとしているときに唱えるとよいとか、イメージを駆使して現実と虚構の区別のつかない潜在意識をだますとか、である。

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思うに、イメージ力は強いに越したことはないが、結構これを苦手とする方も多いのではないかと言うことだ。方法はいくつかある。

 

一つ試してみよう。

 

昨日の夕飯を思い浮かべる。五感を駆使し、味、味付け、見栄え、香り、舌触りなどなど詳しく脳裏に思い浮かべるのだ。

 

実はこれが結構手近に、取り出しやすい記憶であると同時にほどほどに頑張らないと仔細をイメージできない対象なので、イメージ力鍛錬にはもってこいらしい。これを何回かやっているとじわじわとイメージ力が磨かれ向上していく。ちなみに瞑想もイメージ力向上に一役買う。

 

そして、アファメーションをやっている最中になるたけイメージを伴わせたものにする。「ビジョンボード」と言って、夢や願望などに紐づくシンボル的なものをスマホのアプリに仕込んでおいて、網膜に焼き付けてからアファメーションするなどもありだろう。

 

今の所効果は検証中だ。ただ、ひたすらに肯定的なフレーズを唱えたり録音したものを聴いたりするものなので、自己効力感やら自己信頼やらが育っていないと難しいとか、聴いてる間はいいけど日中ネガティブスパイラルに陥ってしまっている人は台無しになるとか、なんかそこら辺の問題点を看過したまま世に広く紹介されているっぽい。

 

心は丹念に育てていかなければならない。精神分析的な手法とか心理学的手法などはプロの手を借りるとは言っても時間、もしくは予算に限りがあるだろうし、それだけではどこかで壁に当たるので、足で稼いで成功体験を積み重ね自信をつけるとか、長い目で見て総合的な見地で行動や実践を通したアプローチも必要になる。

 

巷のスピリチュアル系のノウハウだとどこかしら、この具体的行動を抜きにして苦しみから解放されたいという願望が先に出すぎている気もするのだ。

 

言うまでもなくネガティブな、足を引っ張る想念は少ない方がいい。こう言う不安要素は確かに取り越し苦労が多く97%だか98%だかは実現しないんだけど、そうと分かっていても沼にはまってさあ大変、となったときの脱出法はいくつか持っていた方がいい。

 

色々な書籍で紹介されているのが、「今の考え、うそうそ。デリート。」とか、「今の思考、キャンセルキャンセル。」とかやるやつ。ただ、うざったい不安や怖れを跳ねのける上では、慣れるまではこれだけではちょっと弱い。

 

ド〇クエよろしく呪文やおまじないを重ねがけするのもいいし、上記の鍛錬でイメージ力が見事磨かれてきたら、そのパンプアップされたイメージ力を駆使して怖れを締め出す方法もある。ここら辺はメンヘラである私が長年(?)追い求めてきたテーマでもある。

 

リスト化していくつか紹介しよう。脳内ホルモン分泌術と併せて使ってみてほしい。(※脳内ホルモン記事シリーズはまだ中途です)

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

①恋人をイメージし、ネガティブな考えの源となっているものやネガティブな思考・感情にフォーカスし、イメージで愛の光を照射する。(書いててすげえ恥ずかしい)

 

そして、「私はあなたを心から愛しています。私は心からあなたを受け入れます。」

 

と唱える。

 

そこォ!!恥ずかしがってはいけない。書いてるこっちが恥ずかしいんだ!!w

 

ちなみに、私は前カノがよく私のドタマを抱え、おっぱおに顔うずめさせてなでなでしてくれる人だったので(年上でした・・・)、その人の眩しい笑顔を思い浮かべ、かつ頭をなでなでしてもらい、秘密の呪文「キダイスキダイス・・・」と10回言って?とイメージの中で頼むのだ!!

 

※注:「キダイス」の呪文・・・「キダイスキダイス」と実際に口に出すか、心の中で唱えてみてください。分かりますよね?w(※注:人それぞれです)

 

自己愛と自己嫌悪は両立しない。愛と不安・怖れも(たぶん)両立しない。愛は地球も宇宙も救うのである。前カノ、カムバ~~ック!!(もう結婚してますがな)

 

さて次。

 

②「大丈夫、困ったことは起こらない。」

 

これは「不安は98%実現化しない」、と言う動かしがたい真実に意識をフォーカスさせるおまじないである。せっかくそう言う統計的ミシガン大学的調査結果があるのに、肝心なところでそのリサーチ結果に意識が向かないのでは勿体ないのである。むか~し、高田明和先生と言う精神科の教授先生の本に書いてあった。

 

③「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる。」

 

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高僧一休さん。私も時たま一休さんみたいな頓智を駆使して、面倒事からしれっと逃げることができるようになってきたがまあそれは別の話で、上の文句を一休さんのご尊顔をイメージしながら唱えよう。す~っと、なんとな~くほんわかと否定的な感情や思考モードが和らいでいく。

 

なお。

 

上の一休さん画像。一休さんはお弟子さん達だったか同僚のお坊さん達だったか。いまわの際に、「困ったときはこの巻物を開けなさい。」と手渡したのだそうだ。勿論その時点では、お弟子さんたちは高僧一休さんの妙案がその巻物にみっちり凝縮されて詰まっているのだと思っていた。

 

ある日。お寺の経営が傾いた。

 

どうしようどうしよう。お弟子さんたちは慌てふためいた。

 

「そうだ!」

 

お弟子さんの一人がはた、と気づいた。一休さんが遺した巻物があるではないか!これこそが打ちでの小づち、リーサルウェポンになるだろう!

 

あけてみた

 

「大丈夫だ。心配するななんとかなる」

 

巻物にはそれだけ、書いてあったと言う・・・。

 

なんか、そんな話だったような気がする。

 

画像は以下のサイトから。

 

ポジティブな気持ちになれる歴史上の有名な名言集

 

潜在意識やら何やらを持ち出すと、潜在意識の投影が目の前の現実なわけだから(あ、ここらへんなんのこっちゃ?と言う方はスルーしてくださいな)、否定的な思考が潜在意識に入り込まないよう心強い門番を顕在意識に持たないといけないわけだ。とは言っても人間弱いから、誰だって落ち込んでネガティブ思考が強化されることはありうる。

 

問題はそこから抜け出せなくなって、反芻思考になってしまうことであり、それをやんわりと受け流すしなやかなメンタルを保つために、「今の思考、デリート」とか言う前にこれらを切り離し、客観視するために必要な措置を講じるとよいわけだ。心理学用語としては「ラベリング」と言うテクニックだ。

 

さて、最後。

 

④「本当か俺?(私?)無意識の力は無限だよ?」

 

この本に書いてあったw。

 

無意識さんに任せればうまくいく (PHP文庫)

無意識さんに任せればうまくいく (PHP文庫)

 

善と悪。生と死。薬と毒。こうした対立軸はしばしば判断や分別、比較と言った思考の癖が反映される結果起こるものであり、しばしば心を縛り付けて離さない。これも反芻思考の原因となるのだ。その時に唱え、無意識の扉を少し開ける。ふわっと、気分が楽になる.私はあんまり使いこなせてないけど。

 

おまじないの数々はこんなところだ。

 

あとは自身が幸せになるために、「快」を増やし「不快」を減らす。シンプルにこれでメンタルは浮揚するものである。この時は自分のエゴを満たすためにではなく、自分を大切にしつつも他者を幸せにする観点が必要なことは何度か触れているとおりである。

 

慣れないうちは慣れないが、訓練次第で助けになると思う。勿論気休め以上の効果は十分に見込めるし使えば使うほど磨かれていくものだ。

 

ご参考にしていただければ幸いである。

 

その上で、日々具体的な行動を伴いながらの、イメージを駆使してのアファメーションならそれなりに効果はあると個人的には思うのだが、どうだろうか。

 

そんなところである。

 

なお、こうした心理学的アプローチに関しては読者様のGreenさんのブログに詳しい。ぜひ、ご覧になっていただきたい。

 

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では。/おしまい。

 

アメリッシュ様(id: funyada

 

 コメント、ありがとうございます!

 

押し付けがましいのは駄目ですよね。本人が自己満足してるケースが多いので厄介です。

 

>ひめぐま様(id: himegumatan

 

 コメント、ありがとうございます!

 

本当にかわいらしい癒しのデザインです。ありがとうございます。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

ウォーキングの時ストップウォッチを入れたり、文房具を入れたりしています。レビューも書かせていただきますね。ありがとうございます。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

恐縮です。哲学と心理学。斎藤一人さんもですが、深く深~く掘り下げると同時に、横の点と点との繋がりも出来ることを考えるとすごくわくわくします。

 

>ハマサンス様(id:  hamasansu   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

結局のところ、実際には今の瞬間に過去も未来も凝縮しているので、今を大事に、と言う帰結になりますよね。美人の歯科医の先生。本当に若くて美人です。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

くそみそテクニック」、先日改めてニコニコ観ましたけど名言の宝庫ですよね。ヤマジュンマイブームが来ています。う〇こしたい道下君のアレにアレで栓をする、と言う発想にもたまげたなあ。

 

>切株おやじ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

「遊そ部」は帰宅部より希少価値ありです。私もあったら迷わず入ります。

 

>猫p様(id: nkobi1121  

 

コメント、ありがとうございます!

 

性人式だと、ちょっと羽目を外しただけでも警察沙汰になります。普通の成人式のQNみたいな暴挙に出たら大量一斉検挙で一網打尽ですね。

 

 

 

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イリーガルピッチ。つまりボークだ。

どうもおばんです。

 

さて今日は病院のはしごであった。歯科医と眼科である。

 

「はい、舌を動かさないでくださいね~。」

 

「す、すいませんがぼがべがぼがば。(窒息)」

 

歯科医で歯石を取る行程だろうか、その段で発生する水が喉の奥に溜まり息が出来なくなる。鼻呼吸をラーニングしたのはつい最近のことであるが未だ慣れず・・・。

 

でも歯科医の先生は美人の女医さんである。(それがど~した)

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一方眼科。こちらはいよいよ眼鏡装着と相成った。視界がぼやける目がかすむ。健全なものにはモザイクがかかり、不健全なものからはモザイクが外れる仕組みになっている。

 

ともあれ。

 

車は今持ってないけど、自転車にせよ原チャにせよこの視力ではいろいろまずい。今まで裸眼で生きてこれたのが奇跡のようだ。

 

はてさて。

 

何について語ろうか。エロヌとサスペンヌがいいか。それより裸サスペンダーか。

 

広く人生について語るそうだそれがいい。

 

私自身は、佛教哲学とかニーチェやらカントやらをはじめとする哲学に救われた経験があり、何かで発言を求められるにせよ行動原理にせよ、そこを起点とした話を時々してしまう。これは無意識がそうさせているオレは悪くないんだ!w

 

・・・すんません。

 

誰しも対象そのものを見ておらず、その人オリジナルのレンズと言うかバイアスと言うか、フィルターやら思い込みやらを通じて知覚している。そのレンズを状況や経験に即して付け換えることは信念体系の柔軟な刷新で、こう言うロジックが認知行動療法などにも適用されて効果をあげている。

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また誰しも、自分自身を客観的に見ることにはあまり長けてはいない。加えて客観というのはそれを観察する主観がなければ存在せず、対象知覚は個人の視野と経験に制約されるものである。

 

てなことを。

 

もっと豊富なボキャブラリーで語っている文章が、有名中学入試の国語に採用されていることに舌を巻いたのは先日記したとおりである。加えて。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

自己意識は他者の存在に依存すると説いたのはヘーゲルであり、ここらへんにも言及している。

 

う~む。

 

そこまで人生を深くふか~く考えているおこちゃまはたぶんいまい。いるとしたら相当な修羅場をくぐり抜けている。

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勿論別に、いちいちこのような理論背景を知らずとも問題そのものはテクニックで解ける。だがかなり重みのある文章を作問者が突き付けているのは確かだ。

 

「われ思う。ゆえにわれあり。」

 

デカルトとか考える人のロダンみたいな神童が輩出されることは、社会的には素晴らしい人的資産となるだろうが、社会は多くはこう言う人材を、どちらかと言えば権力とかお金の力で人柱にしてしまう。

 

対立軸と言うのは文学であるとか芸術であるとか科学であるとか。歴史上それに関わる人を困惑させてきた。ニュートン物理学によれば、恒常性ないしバランスはある力に同等の対立する力が拮抗することで達成される。そうした対立しあう諸力は存在の本質的な部分をなすが、おそらくそのなかでもっとも強力なものは、生と死にたいして私たちが抱く本能的衝動である。

 

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のような偉大な劇作品は、愛の持つ生を肯定する力ばかりではなく、そこにはらまれる死につうじる、毒をはらんだ諸相をも示す。

 

ただそこから生まれうるのは他者への無条件のリスペクトだ。

 

同時に他者もまた、そうした生と死の拮抗した衝動とそこから生じる心理的葛藤、あるいは過去の心の傷、トラウマなどに時には負け、折り合い、受け容れ、押し合いへし合いしながら、成長しながら必死に生きている存在なのであると言うことを深く知りうる。それもまた、死がもたらす重要で偉大な視座・側面でもある。

 

「汝の隣人を愛せよ」と言うが、キリストみたいな聖人にはなれずとも、私でも性人くらいにはなれる。

 

いやそうじゃなくて。

 

ただまあ、厳しくも愛のある家庭に育った子息は結構まっすぐに育つイメージがあるけど、これも統計的に見てそうなのかもなあ、と言う主観に基づいており、実際の所はもっと内実は壮絶なのかもしれない。

 

とは言え幼いころから、上述したような人生の諸問題について深く考える機会を与えられた子供がいるのなら、そう言う人材を市井に求める一定の役割を受験制度も担っているのかもしれない。

 

だけどまあ大抵はなんだか知らんけど、共通テストで民間の英語を取り入れると言っておきながら土壇場で延期するような、受験生を振り回す方向に働く場合の方が多いだろう。

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さて、何が言いたいんだったか。

 

自然とか人生とか世界とかは外的カオスだ。コントロールできない。古からコントロールできないものをコントロールしようと人類は色々な方法で頑張ってきたけど、このコントロールしたい欲やら生存欲やら承認欲やらから解き放たれ、ぶりぶりうんこでも垂れて川や海に流し、撒き餌だウェ~イ!とか言ってる時間も必要だと言うことが言いたかった。「快と不快」。もともと人間はこの二つの対立軸で生きてきたのだ。

 

自然に親しもう。今日眼科で齢85になるご老人と意気投合し語り合ってきた。私は年長者に結構モテる。ニ黒土星はモテ期に入りますよ、とかDr.コパ氏が雑誌でのたまっていたが、私は常にモテている。いかんせん若い異性にはいまいちモテないだけの話だ。

 

子供ももう少しのびのび生きていい。「生きづらさ」を子供の頃から課せられるのもある意味人生の課題であるが、過酷ないばらの道だ。だがたぶん、過酷ないばらの道でない人生と言うものもまた、存在しない。

 

日本ではとりわけ、若いうちに苦労をして後で楽を取ろうとする傾向がある。でも若いころ苦労して年をとっても苦労ばっかりとか、若くして急逝するとかもありうる。

 

メタリカの「One」と言う曲は凄絶だ。

 


【日本語訳】 メタリカ Metallica - One

 

圧倒的虚無。

 

「ジョニーは戦場へ行った」と言う映画に感銘を受け出来た曲。私のカラオケのレパートリーでもある。(きいてねえよ)

 

「One」には”孤独”とか、”手足をもがれたダルマ”と言う含みもある。手足を爆弾により失い、ベッドに縛られ、チューブで食事を与えられ、死を望みながら生きる。

 

「あなたより辛い人はいっぱいいるよ」とか、「あなたが死にたいと思った今日は誰かが生きたいと思った今日」みたいな言葉よりも、「PCのハードディスク、全部消去したか?」と言うフレーズの方がより生を繋ぐ。死にたいと願う人や絶望している人を引き留めたり励ましたりするのに他者がしうることなんてたかが知れていて、多くは害悪にすらなる。それでも。

 

私は多くの生を今日も祝福し重みを噛み締め、心の中で、時には行動で繋ぐために出来ることを日々増やしていきたいな、とは殊勝にも思っているのだ。(自分で言うな)

 

さて、引きこもり家族会の月例会に出席した話をする・・・と言いたいところだが、どうにもこうにも長文になってしまった。まあかいつまんで言うと、「支援と意識しない、あるいはされないような支援」が出来たらいいな、という話であった。支援者の自己満足でなく、押し付けがましくもなく、愛があるものがいい。

 

ビジネスを持ち込むと暴力的な業者が跋扈していることもありデリケートで、かと言って献身的に、ただただ本人が扉を開くのを待ち続けるのも身内が疲弊するだろうしどうすればいいかなあ、と言う話であった。結局結論が出ず、今度東京に行くけどカプセルホテル泊まりでもいいすか?的な話を最後に持ち掛けられた。

 

ここは仕事との兼ね合いで返事をすることにした。だがそこにまた出会いと縁が生まれる。出来ることなら行きたいものだ。

 

さてさて。もう一つ大切な縁がござる。

 

読者様のモカリーナさんのショップからポーチを購入した。

 

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ちょっとスマホの調子が悪く、写真が現在この画像だけです。後日写真を追加させていただきます。すでに開封し使わせていただいております。心の籠った癒しのデザイン。

 

モカリ-ナさん、ありがとうございます。

 

あさっては遊ぶ。「遊そ部」とか「カッ飛部」とかの部活があったらよかったなあ、と思う。「遊そ部」は「あそびあそばせ」っぽくてなんか素敵だ。

 

今日は病院デーだったので完全オフである。進行形で読者様のブログ巡回をしておりますので、見かけたらドロップキックでもかましてやってくだせえ。

 

ではでは。/おしまい。

 

ビッグボーイ様(id:juliajewelkali   

 

コメント、ありがとうございます!

 

私もニヒリストだった頃がありましたね~。ニーチェの「超人」思想は私に再起する力をくれました。何回も読み返すほどの気力はちょっと無かったですけど・・・w。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

だんだん納豆フリークになりつつあります。5つはすごいなあ。中のタレがあんまりよくないらしいんですけどつい美味いのでかけちゃいますね。マスタードは鉄板です。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

普遍性がある上にいつ見ても新しい発見があるものですよね。ニーチェは魂レベルで刷り込まれた感覚すらあります。

 

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

これ!と言う目に見えた効果があるまで3か月くらいはかかるみたいです。じわじわ効いてくる雰囲気ですね。

 

 

 

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瞑想と善玉菌、そしてニーチェの最高最善最適な統合。

どうもお久しぶりです。

 

はてさて、なかなかブログの方に気力と時間を割けない状況下にある。色々悪循環でどうにもこうにも。一度自身をしっかり客観視して足元を固め直す必要がありそうだ。

 

読者様のところには目下全然遊びに行けていません。また鋭意追いつきます。

 

さて、あんなに続かなかったw瞑想を再開している。ア~ンドロイテリ菌と言う善玉菌を摂取し、納豆を常食にするようになった。ちょっとした健康オタクである。

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とは言え、持病を持っているので健康体や、ましてやドラゴンボールのセルみたいな完全体にはなれないのだが、少しでも健康な心身を作り、維持することはもはや義務だろう。医療費の負担減にも貢献できる。

 

あとは実験精神でいろんなものを試してガッテンして、確かな効き目があるものはブログはじめ様々な媒体で公開し、なんだか胡散臭くて効き目も胡散臭いのはベールを被せて笑い飛ばすとかしなければならないのだ。

 

ところで、なぜ納豆か。

 

ロイテリ菌で私のオヤジ殿の屁が二日くらいでニオイが減退したことは前に書いた。ただ、そんなに目に見える形で著効があるかどうかは正直検証不足である。効果は持続的なものでなくてはならない。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

かくして実験は始まった。オヤジ殿には治験者になってもらうたび謝礼を払わなくてはならなくなるので自分で試すことにした。

 

プロバイオティックス・ストロー30本入り

 

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とは言え。

 

自分で自分のおならを臭ってみたとかではない。絵面がやばすぎる。さっき自身を客観視する宣言したばかりでそれはないではないか。

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このストロ-、よく見ると青い部位の途中に小さく茶色いスポットがある。ここに菌がびっしり付着しているのだろう。界王様みたいにちゅーちゅーコップにくんだ水なんかを吸うと、その茶色いのは限りなく薄くなる。水の吸引により剥離するのだ。

 

だが。それだけではあかんかった。

 

水溶性の食物繊維が善玉菌のエサになる。水溶性食物繊維。納豆とか山芋なんかがいい。

 

山芋はまあまあ食えるけど実は納豆には少し苦手意識があった。だが、食わず嫌いと言うのはあるもので、食ってみたら存外美味い。気持ちとか気合いの問題なのかもしれない。

 

これで万全。しかあし。それに瞑想を上乗せする。

 

~聴くだけで、本当の自分とつながるCD付き~  はじめての「超意識」覚醒

~聴くだけで、本当の自分とつながるCD付き~ はじめての「超意識」覚醒

 

 「超意識」と言うワードが気になっていたので買ってみたが、ややスピリチュアル色が強かったので副読本は少し読んでやめた。エゴとかメンタルブロックなどには詳しい。

 

思うに、エジソンが言っているように「天才とは99パーセントの努力と1パーセントのインスピレーション」であり、最初からインスピレーションを求めては本末転倒な気がする。はたまた王貞治氏が言うように、「努力は報われる。報われない努力があるならそれは努力が足りないから」なのである。だがまあ、報われない努力と言うのもなかなかにしんどいのは分かる。

 

努力を報われる努力に昇華させるために出来ることはすべきだ。ピントの外れた努力は成功可能性を下げるので、結構ここは科学の領域なのである。

 

さておき。

 

これにくっついてきたCDはなかなかイケている。イメージでヨガの世界の金粉みたいなもの(「プラーナ」とか言うらしい)を頭頂部のチャクラから呼吸と共に吸い、ネガティブな穢れを吐き出しましょう的なアナウンスに乗ってすーはーすーはーやるのだが、瞑想が少し親しみやすいものになってきた。

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善玉菌と瞑想はまず、たぶんあんまり副作用はない。懐具合と気力と時間の問題だ。だから自分で飽きない工夫をしつつ、生活に取り入れるとメンタルに寄与する。

 

善玉菌と瞑想。これらはざっくり言えば幸せホルモンに関わる。腸活はメンタルに大いに反映するし、瞑想は感情をコントロールできたり、自分を俯瞰するメタ視点を手に入れたりできる。私は習慣化するところで今までつまづいてきたのだ。だから、習慣化するところに持っていくまでの工夫って案外世に出てないよな、と言うのはなんとなく感じていた。

 

これは筋トレにせよ、種々の体力作りにせよ、勉強や読書にせよ、飽き性の人でなくても日々多忙な現代人はいかに時間を捻出するかに留まらず、気力の捻出も考慮に入れなければならない。するとこれは意志力の問題になろう。

 

実は、瞑想を継続していくことによって意志力は強化されていく。前頭前野が鍛えられていくからだ。まさに脳筋の世界だ。脳筋とは瞑想のためにあるような言葉なのである。

 

だからここは私の日々の実践日記的なものになるので、発見があればブログ上で取り上げましょうと言うことに最後はなってしまうが、今の所瞑想習慣化自己記録更新中であるので引き続き随時報告していく。たぶん上の著作の恩恵は大きい。なんだか知らんけどああ、またやってみよう、と言う気にさせられるのだ。

 

とまあ、そんなところである。

 

さて、また著作をどかどか買ってしまった。ああそう、孫正義氏とケネディ氏の伝記を買ったのだが、後者は英語のペーパーバックだった。英検準二級、TOEIC470点程度の英語力を必要とするらしい。まだぶん投げている。

 

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

 

 

ジョン・F・ケネディ・ストーリー The JFK Story (ラダーシリーズ Level 4)

ジョン・F・ケネディ・ストーリー The JFK Story (ラダーシリーズ Level 4)

 

 

 

心理学大図鑑

心理学大図鑑

 

これは今日届いてたw。 

 

彼らはある意味死を超越した人たちだ。お二人とも死線を彷徨ったり、死の宣告をされた経験を持っている。そこに共鳴したのだ。

 

今の所、私が持っている答えは何度も繰り返すけど、医療のプロの力を借りながらもあとは自身に向かうフォーカスを利他の方向へ向けるしかないのだと思う。孫さんはそれでなんか神風が吹いちゃった人なのだ。

 

だから自分に執着してる場合ではない。てか、自己に執着してても苦しくなるばかりでろくなことはない。内面世界をとことん突き詰めるとかでもいいけど、それをしつつ自分が認識する外面にはエゴ・利己心を後退させて尽くし、他者の笑顔や幸せのために汗するのだ。

 

だから、これでいいのだ。(なんだそれ)

 

さて、今週末には温泉に行ってくる。公務員時代の同僚と恥部を晒しながら語り合ってくる。「パンツを脱いだ猿」は哲学者のバタイユだったか。まだ読み終わってないけどニーチェより読みやすい。ニーチェにはめちゃくちゃ影響を受けたけど。

 

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

  

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

 

 

ニーチェの思想や哲学と言うのは、どちらかと言うと人を諭したり押し付けたりするものではなく自分の胸の内に秘めておく種類のものだ。

 

「弱者になるな、超人になれ」。

 

ざっくり言えばこうだけど、ちょっと意識が高いので「弱者になるな、超人になれよ」とメンタルを病んでいる人に言うのは、アントニオ猪木氏の「元気があれば何でもできる」とか松岡修造氏的なしんどさや暑苦しさをもって受け止められてしまうだろう。この二人は好きなんだけど。

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でも、だ。

 

前に手取り23万とか手取り14万とかでネットで一騒動あったけど収入の多寡如何より、例えば手取り23万が少ないと言ってる人に、それよりオレの収入は少ないんだ、贅沢だ!と噛みつくのはそもそも噛みつく相手を誤っている。いや誰に噛みつくかと言えば、噛みつく相手は自分自身だとしか思えないのである。自分を責めるとかではなく。

 

まあ私自身目下絶賛底辺だけどさ。だけどそんなに将来を悲観してはいない。思い込みはプラシーボである。なんかの歌のタイトルにしたいくらいだ。

 

この手の話は本来シラフではあんまりしない話なのにブログ上では結構、それも繰り返ししている。説教おじさんにならないように気を付けなければならない。だから自分の胸に秘めてめらめらと燃やしておくものにしておこう。ニーチェはよき薪になる。本を燃やすのは焚書になっちゃうからだめだけど。私にとって本は神聖なのだ。

 

そんなところだ。

 

ではでは。/おしまい。

 

アメリッシュ様(id: funyada

 

 コメント、ありがとうございます!

 

こう言うのは後天的な努力でなんぼでも磨いたり高めたりできるのに、ジアタマがどうとか言う人が多いのは勿体ない気がします。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

勉強嫌いになるような教え方にも問題がありますよね・・・。知識重視・偏重なのはやる気を削ぎます。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

母親と切り離されるのが自我の最初の芽生えなんですね。人との比較の軸を後生大事に抱えちゃうのはつくづく勿体ないです。完全になくすことはできないまでも弱める努力は必要ですよね。

 

>ちゃんこ様(id: chanko_bamboo   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

小中くらいの年代だと学力の伸びは学習時間に素直に比例するところがある、と今日話してきました。将来の可能性や選択肢を増やしたり伸ばしたり。将来への投資と言う側面は間違いなくありますよね。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

確かに、小さいころから過当な競争原理に晒すことは酷でもあります。そんな中でも本当の自分を尊重する時間も精神的なゆとりも持たせたいと思っています。好きなことをやりなさい、と言う気持ちはありますね。

 

>猫p様(id: nkobi1121  

 

コメント、ありがとうございます!

 

ラカンはぜひ触れてみたいですねえ。エゴや欲望、そして願望。願望に関しては実現と言う文脈で語るとエゴや欲は邪魔になると言う共通認識がされてるところがあって、私の現時点の持ってる知識では結構ファンタジーな語り口になりそうです。

 

 

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なんで勉強するの?②

どうも!

 

はてさて、「なんで勉強するの?」と言う哲学的な、なんとなくソクラテスの時代に遡ったかのような命題について考えている。貴重なご意見も頂戴している。ありがたいことである。

 

反面、読者様との交流が目下疎かである。また遊びに行きますね。

 

今日はお寺へ行って、小二の男の子と格闘ゲームごっこをしながら、いや、この速度からベクトルから入った空中波動拳エントロピー増大に則り・・・。(なんのこっちゃ)いや、いかに勉強モードに切り替えさせるかについて思案していた。

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「さあ、チャレンジするぞ!」(※「チャレンジ」・・・小学生通信教育の鉄板みたいなやつ)

 

とか、

 

「うんこするぞ~!」(※「うんこ」=「うんこ算数ドリル」)

 

とか言うのだが、あからさまにえ~~!と嫌な顔をする。そしてさらなる遊戯をねだる。

 

いや、そうじゃない。マインドフル的「今ここ」において、集中するのだ。目の前の足し算に。漢字ドリルに。

 

そこに何か意味や意義はあるのか。それを深く、哲学的に追求しそれで勉学が嫌だ、と言うのであればとっぷり膝を突き合わせて弁証法的に議論する。あるいは不安や不満を酌む。ユークリッド的な「学問に王道なし」ではいささか身も蓋もないが。

 

そこに意味などなくただただ本能的に嫌悪感があるのだとすれば、これはまたどう意欲を引き出すのかは私の仕事であり、それなりにやりがいも感じるところだ。

 

反面「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので。私は勉強は好きだけど、(上手かどうかはともかく)目の前の子はあんまり勉強は好きではない。

 

それはともかく。

 

しかしながらなんだかんだで机に座り、取り組みだすとこれがなかなか知性と感性、悟性が輝きを放つ。面白い考え方や視点を持っているし、色々なアレンジや組み合わせも駆使してくる。直球より変化球が得意なタイプだ。

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私自身は、勉強の意義の一つとして「知識」と「イマジネーション」の軸を外すことはできないと思っている。最近の教材や入試問題は必ずしも紋切りの知識偏重、知識の詰め込み方式ではなくなってきている。これを歓迎する向きもあれば、対策を立てにくいと敬遠する向きもあるだろうが、長い目で見れば子供の創造性とか想像力を育むのではないか、とも考えているのだ。

 

こう言うのは、昔ながらの日本の文科省御用達教育システムではこれからの熾烈な国際競争には勝てない、と言う危機意識なんかも背景にあるのかもしれない。ころころ変わる受験制度とか傾向などに辟易する人も多いと思うので良し悪しなのだが、ここはまあどの受験生も事情は同じで公平な選抜試験で競うのだから私は別にいいのではないかな、と思ってもいる。

 

こう言う所に面白さややりがいを見出すようになってくれれば教師冥利に尽きるのだがはてさて。

 

ここで、いただいたコメントを踏まえ、議論を掘り下げる。精神科医の猫先生からコメントを頂戴した。

 

学校の教育上の勉強は答えが出るものであり、いわば補助輪付きで安心感がある。時に奇問・怪問の類もあるかもしれないが、まあめったなことではお目にかからないし、そんな問題は大抵地雷であり捨て問だ。選球眼も大事な受験生のたしなみなのである。

 

普通は学校で習う教科書レベルの知識から始まり、少しばかりテクニカルなスパイスを加え掘り上げたり組み合わせたり、アレンジすることで解けるものが多い。ここの組み合わせやアレンジの部分をたぶん出題者や採点者は評価している。でもどこまで行ったって答えはあるし出るものばかりだ。

 

ところが、社会に出るとこれがまあカオスだ。日々変化に富む現場でひっきりなしの選択や決断を迫られる。答えなどないものの方が多いのではないか。たとえマニュアル化された現場であってもイレギュラーな事例は山ほど出てくる。生身の人や顧客を直接間接に相手にするのだ。とりわけ高度に専門的な知識を要求される職場では感覚的な、あるいはその人の経験に裏打ちされた判断や勘がものを言うことも多い。こう言うのはとてもマニュアルでどうこうできるものではない。

 

ここのギャップは当然のことながらでかい。途方もなくでかい。いきなり学生気分が抜けないままどこかの本支店や店舗、現場に配属されOJTを通して半分身体で仕事を覚えていくが、ほぼほぼ戦力にはならない。飛んでくる叱咤、下手すれば罵声。だが、これこそが仕事だ。

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悔しければ自分で、創意工夫と試行錯誤と知恵、精神論はあんまり好きじゃないけど気合いと根性、あとは的確なコミュニケーション術・力、人間力で乗り越える。乗り越えられなければそのステージを降りることも選択に入れなければならなくなる。そう言う胆力のある人にはチャンスを与えるが、そうでない人には残念ながら寛容ではないのが社会だ。

 

いわば学校での勉強に対する取組みは、仕事場での考えるのではなく感じて覚える勉強の予行演習である。これは本当にそう思う。前記事で「社会の要請で」勉強をする仕組みになっている的なことを書いたが、正直そうだ。大人心として、そこは焦りも感じるのである。

 

だけど、そんなに社会ってどうしようもなく厳しく冷淡で、弱肉強食の血も涙もない世界なのだろうか。私はどうもそうは思えない。

 

変な話、「社会」と言う概念と言うか観念は白紙のニュートラルなものである。そこになんらかのフィルターとかバイアスなどを被せるのは人の判断だ。人によっては権力社会とかになるかもしれないし、また別の人にとっては公平(な)社会かもしれない。話を戻す。

 

社会にせよ、会社組織のボスにせよ管理職にせよ、クライアントにせよ、要求水準は高くなってきてるなあとは思うけどもてる能力を日々磨き、己を超え続ける人にけして冷淡ではない気がしている。あからさまなブラック企業はあかんけど。

 

同僚にせよそうだ。切磋琢磨し健全に競う人は自分を高めるよきライバルであり戦友である。どういう捉え方や解釈をするかで仕事場は天国にもなるし地獄にもなる。

 

人間深層意識のレベルでは安定や安全を欲する保守的な生き物だ。なるべく本能的には変化をしたくないと潜在的に思っている。これは多かれ少なかれ個人差があるんだけど。

 

変化を求める人には逆風は吹くけど日々のビジネスシーンはとても刺激的なものになる。こう言うことも踏まえて、ちょっと大風呂敷だけど学校の勉強や受験をスリリングなゲーム感覚で捉えられると面白くなるのになあ、と個人的には思っていたりする。

 

社会に出てからの問題発見能力にせよ、問題解決能力にせよ抽象度の高い判断にせよ実学にせよ、学校で行う勉強は精神的な意味合いも含めその予行演習だ。変化に富み刺激的な仕事場に入る前のショックアブソーバー的な趣旨もあるかもしれない。これに自分を超え続ける喜びを見出したら完璧である。そんなわけで猫先生のコメントには全面的に賛同するのだ。

 

自分の価値観の城から出ず融通の利かない人になってはまずい。そう言う意味でも自身を客観視したり柔らかい感性を持つためにも勉強は必要だ。色んな縦の穴と横の穴を掘りまくり、どこかで穴が繋がったりして点と点が線になったりするのが知恵となり血となり肉となる。これは勉強と実践のなせるわざである。仕事も勉強も楽しんでほしいなあ。すべては自分の経験値と成長に紐づくのである。

 

そんなところである。

 

さて、話を少しやわこい方へ。

 

selector infected  WIXOSS(「ウィクロス」と一般的には称するシリーズの一連のアニメ作品群)を観ていた。最新作ではない。普通の販促アニメかと思ってたけどおお、これは・・・。

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どろどろだ。鬱々している。だが、どうにも目が離せなくなった。

 

どちらかと言うとマニアックな話題になるので、今後小分けにして折に触れ語る・・・かもしれない。テーマは欲望とかエゴとか願望とか。まあどちらかと言うと得意分野である。

 

では。/おしまい。

 

ビッグボーイ様(d:juliajewelkali  

 

コメント、ありがとうございます!

 

子供のまっすぐな瞳に言葉が時に詰まりますw。ソクラテスと言う先哲は実に偉大ですねえ。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

算数ドリルがバキュームカーになったかのごとき問題もありましたw。なにい!?今度はう〇こォ?・・・私がバキュームカーに間違われる日も近かったりして。

 

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

好きなことをやるのが一番です。これからの時代そうなんですよね。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

なんでも一時、一世を風靡したとか。中身はぷっ、と吹き出してしまうものが多いです。

 

 

 

 

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