蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

男は読経!なんでもためしてみるのさ。

どうもおばんです。

 

さて、書道教室に通うことになった。週二回、木と日。日は基本べんきょーしなければならないのでちょっと厳しいが、木曜日は二週間サイクルで通院の日なのでオフにできると踏んだ、たっふんだ。

 

なぜ今書道か。

 

いやなんか、瞑想とかマインドフルネスに通底するものをビビビッと感じたのだ。ちなみに芸術の才能はない。過去や未来を切り離し、「今ここ」に集中する。目の前の書に。「とめはね」って漫画があった・・・ような。

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師曰く(いやまだ正式に入会手続きはしてないんだけどさ)、心の乱れはもろに字に出るそうだ。痔ではない。

 

あとは、出会いとか縁とか。趣味の場での交流がしたかった。寂しかったんだよォォォ~~~!!(アホ)田舎だし。

 

ちなみに出会い厨ではない。でも、行ったら子供しかいなかった。社会人も来るらしいんだけどどうも出席リズムにはランダム性があるらしい。

 

他にパソコン教室とか、楽器教室とかも視野には入れていた。ただ、結構先生と意気投合してしまったので(まあ、営業戦略の一環もあるんだろうけどさ)ホイホイと入会してみようと思ったわけだ。

 

出会いとか縁とかの目的ならまあ、他にもいろいろあるかもしれない。生け花とかもあった。武骨な私が花を生けるとしたら自分のけつとかになりそうなイメージが浮かんだのでやめた。

 

人間、居場所を複数作ることは必要だ。フォーマル、インフォーマル両面である。勿論一人になる空間と時間も含む。職場と自宅の往復だけでは正直すり減ってしまうだろう。ペルソナを外す場と言うのは絶対に必要なのだ。

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呑み屋さんでもいいんだけど、昔みたいに会社勤めとかだったらいいけど今は経済的に無理だ。ちなみにお役所勤務時代は行きつけの呑み屋さんがあり、そこで夕飯を作ってもらっていた。勿論有料で。

 

さて、今の勤務先(?)のお寺での話なのであるが、書道教室どうなりました?とかねてより毎日のように聞かれていた。いやあ、なんか習い事してみたいんすよね~とは伝えていたからだ。もしかすると上達すれば写経などもするようになる・・・かもしれない。

 

とまあ、私個人の話はこの辺にしておく。

 

今日は何書こう。また思いつき、即興で何か書く企画・・・ってほどのものではないけど。

 

また心理学的な話でもするか。

 

例えば、仕事や人間関係を円滑に進めていく上で、心理的な両親との和解と言うのはとても重要なファクターだ。それとこれとに何の関係が?と思われるかもしれないが、意識レベルでも無意識レベルでも過去の記憶とか刷り込まれた教育理念であるとか、親から受け継いだ影響と言うのは計り知れず、それが良くも悪くも人生の舵取りに深く関わってくる。

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で、両親にも色々タイプがあって、愛情深く大事に育てられる子、封建的な家風で厳格なしつけの下育つ子供、放任されて育つ子供、虐待されて育つ子供。一人っ子、兄弟姉妹がいるいない実に多種多様だ。

 

それがいいとか悪いとかの話ではなくて、子供と言うのは繊細で感受性が高いゆえに親に言われたことを、親の意図とは違う形で受け止めてしまうケースも無批判に鵜呑みにするケースもとても多い。これが時に、大人になってまで本人の深層心理に影を落とすことがありうるのだ。

 

日本と言う国はとりわけ、近所付き合いとか世間体と言った価値基準を教育やしつけの中に反映させやすい。こうしたものが他者の目を気にしすぎるルールが多数でできていく一因でもあろう。批判を怖れ、他者の顔色を伺い、自分本来のやりたいことや本音を封印したままなんとなく、社会規範や常識を優先したものを自分のルールと混同してしまう。

 

まあ、それはともかくだ。例えばである。

 

私は父親にあの時あんなことを言われた。理不尽だと思った。母親の期待が過大で、とにかく苦しかった。それは親が自身の将来を案じてのことだったと頭では理解しつつも、当時のことを思い出すともやもやと黒い感情が湧いてくることがある。こう言うのはたぶん誰しも、自然なものとして持っている。幼少期に、こうした本音は建前の下、抑圧して無意識の領域に沈めてしまっているかもしれない。

 

精神分析やら精神療法などの場ではこうした抑圧された記憶を意識レベルに引き上げる方法も取られるケースもあるだろう。だが、セルフでなんかできんかな?と考えた時、まず「両親への文句」と言うことで、定期的に吐き出して黒い感情を整理することをお勧めしたい。

 

・あの時遊園地に連れて行くって約束したのに連れて行ってくれなかった。

・授業参観の時昭和のアイドルみたいな服を着てきた。

・あの時二時間以上も折檻しやがって!ちくしょう!!

・あんたらが離婚したせいで寂しい思いをしたんだぞ!

・あんとき暑いのにアイスを買ってくれなかった!

 

とか、子供心に思いそうなことでもいいし(一部ふざけてますけど)今になって思い返すとむかむかすると言う記憶があればなおのこといい。「〇〇だ!ちくしょう!!」みたいなことを、誰が見る訳でもないので生々しく書いていい。黒い感情は封印するから膨張するのだ。なるたけリアルに当時の記憶を鮮明に再現しながら感情ごと吐き出す。

 

人との関係性であれ、現実の諸問題であれ、自分の心が決めていることってすごく多いのだ。

 

例えばである。目の前に座っている同僚がさっぱり仕事しないのでしわ寄せがきまくっているとする。当然真面目な私は腹が立って腹が立って仕方がない。でも、そいつにいくら言っても暖簾に腕押しだ。こんなケース。

 

こう言う時は自分の内面にフォーカスする。すると、自分も本音ではさぼりたいし楽をしたいんだけど、同時に自分に厳しくてそんな怠惰な自分が許せない。そんな矛盾した思念を抱えていたりする。

 

こう言う時実際に、たまに盛大にさぼって、ああ、まあいっか、みたいに自分を許したり放任してやると、なんとその同僚のさぼり癖が緩和されたりすると言うようなことが実際に起こる。不思議なのだが。

 

で。両親との心理的な和解と書いたけど、まずは両親への文句を顕在意識のまな板の上に昇らせ、その上で両親に感謝できることを書く。これを定期的にしていると、日常生活の中で色々な停滞していたことやトラブル、面倒事などが不思議と解決されていったりする。

 

これは現実に起こりうることだ。とりわけ、父親との和解は仕事、母親との和解は人間関係やパートナーシップの面で改善効果があるようだ。

 

これは両親と死別しているとか、離婚して片親であるとかは関係なくできる。用意するのは紙とペンだけだ。ヘンなオカルトとかファンタジーの類ではないので安心して取り組んでいただきたい。そんな胡散臭いものだったら心理学でどうこう言われていないわけだけど。

 

そんなところで終わる。では。/おしまい。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

昨日お寺の三男が「こちんこちんこち・・・」と10回言って?と言ってましたw。ヤマジュンフルボイスはもうだいぶなくなってしまっています。今はニコニコよりようつべに多いですね。実はヤマジュンマイブームは第12次くらい。スパロボより多いです。一番好きなのは「教育実習生絶〇す」。 

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

恥ずかしいですよねw。「何か書いてんだ。」と自嘲気味になります。

 

オオイヌノフグリ様(id: ooinunohuguri    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

更新ペースは日々更新されている方でもとても大変な面もあるでしょうし、難しい所ですよね。ご無理をなさらず。

 

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

なんとなくもわっと脳裏に浮かんだ言葉をそのままタイトルにしてしまいましたw。ちなみにたぶん常に、何かに憑依されている感じがします。イタコの口寄せ的な。

 

 

 

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