蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

なんで勉強するの?②

どうも!

 

はてさて、「なんで勉強するの?」と言う哲学的な、なんとなくソクラテスの時代に遡ったかのような命題について考えている。貴重なご意見も頂戴している。ありがたいことである。

 

反面、読者様との交流が目下疎かである。また遊びに行きますね。

 

今日はお寺へ行って、小二の男の子と格闘ゲームごっこをしながら、いや、この速度からベクトルから入った空中波動拳エントロピー増大に則り・・・。(なんのこっちゃ)いや、いかに勉強モードに切り替えさせるかについて思案していた。

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「さあ、チャレンジするぞ!」(※「チャレンジ」・・・小学生通信教育の鉄板みたいなやつ)

 

とか、

 

「うんこするぞ~!」(※「うんこ」=「うんこ算数ドリル」)

 

とか言うのだが、あからさまにえ~~!と嫌な顔をする。そしてさらなる遊戯をねだる。

 

いや、そうじゃない。マインドフル的「今ここ」において、集中するのだ。目の前の足し算に。漢字ドリルに。

 

そこに何か意味や意義はあるのか。それを深く、哲学的に追求しそれで勉学が嫌だ、と言うのであればとっぷり膝を突き合わせて弁証法的に議論する。あるいは不安や不満を酌む。ユークリッド的な「学問に王道なし」ではいささか身も蓋もないが。

 

そこに意味などなくただただ本能的に嫌悪感があるのだとすれば、これはまたどう意欲を引き出すのかは私の仕事であり、それなりにやりがいも感じるところだ。

 

反面「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので。私は勉強は好きだけど、(上手かどうかはともかく)目の前の子はあんまり勉強は好きではない。

 

それはともかく。

 

しかしながらなんだかんだで机に座り、取り組みだすとこれがなかなか知性と感性、悟性が輝きを放つ。面白い考え方や視点を持っているし、色々なアレンジや組み合わせも駆使してくる。直球より変化球が得意なタイプだ。

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私自身は、勉強の意義の一つとして「知識」と「イマジネーション」の軸を外すことはできないと思っている。最近の教材や入試問題は必ずしも紋切りの知識偏重、知識の詰め込み方式ではなくなってきている。これを歓迎する向きもあれば、対策を立てにくいと敬遠する向きもあるだろうが、長い目で見れば子供の創造性とか想像力を育むのではないか、とも考えているのだ。

 

こう言うのは、昔ながらの日本の文科省御用達教育システムではこれからの熾烈な国際競争には勝てない、と言う危機意識なんかも背景にあるのかもしれない。ころころ変わる受験制度とか傾向などに辟易する人も多いと思うので良し悪しなのだが、ここはまあどの受験生も事情は同じで公平な選抜試験で競うのだから私は別にいいのではないかな、と思ってもいる。

 

こう言う所に面白さややりがいを見出すようになってくれれば教師冥利に尽きるのだがはてさて。

 

ここで、いただいたコメントを踏まえ、議論を掘り下げる。精神科医の猫先生からコメントを頂戴した。

 

学校の教育上の勉強は答えが出るものであり、いわば補助輪付きで安心感がある。時に奇問・怪問の類もあるかもしれないが、まあめったなことではお目にかからないし、そんな問題は大抵地雷であり捨て問だ。選球眼も大事な受験生のたしなみなのである。

 

普通は学校で習う教科書レベルの知識から始まり、少しばかりテクニカルなスパイスを加え掘り上げたり組み合わせたり、アレンジすることで解けるものが多い。ここの組み合わせやアレンジの部分をたぶん出題者や採点者は評価している。でもどこまで行ったって答えはあるし出るものばかりだ。

 

ところが、社会に出るとこれがまあカオスだ。日々変化に富む現場でひっきりなしの選択や決断を迫られる。答えなどないものの方が多いのではないか。たとえマニュアル化された現場であってもイレギュラーな事例は山ほど出てくる。生身の人や顧客を直接間接に相手にするのだ。とりわけ高度に専門的な知識を要求される職場では感覚的な、あるいはその人の経験に裏打ちされた判断や勘がものを言うことも多い。こう言うのはとてもマニュアルでどうこうできるものではない。

 

ここのギャップは当然のことながらでかい。途方もなくでかい。いきなり学生気分が抜けないままどこかの本支店や店舗、現場に配属されOJTを通して半分身体で仕事を覚えていくが、ほぼほぼ戦力にはならない。飛んでくる叱咤、下手すれば罵声。だが、これこそが仕事だ。

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悔しければ自分で、創意工夫と試行錯誤と知恵、精神論はあんまり好きじゃないけど気合いと根性、あとは的確なコミュニケーション術・力、人間力で乗り越える。乗り越えられなければそのステージを降りることも選択に入れなければならなくなる。そう言う胆力のある人にはチャンスを与えるが、そうでない人には残念ながら寛容ではないのが社会だ。

 

いわば学校での勉強に対する取組みは、仕事場での考えるのではなく感じて覚える勉強の予行演習である。これは本当にそう思う。前記事で「社会の要請で」勉強をする仕組みになっている的なことを書いたが、正直そうだ。大人心として、そこは焦りも感じるのである。

 

だけど、そんなに社会ってどうしようもなく厳しく冷淡で、弱肉強食の血も涙もない世界なのだろうか。私はどうもそうは思えない。

 

変な話、「社会」と言う概念と言うか観念は白紙のニュートラルなものである。そこになんらかのフィルターとかバイアスなどを被せるのは人の判断だ。人によっては権力社会とかになるかもしれないし、また別の人にとっては公平(な)社会かもしれない。話を戻す。

 

社会にせよ、会社組織のボスにせよ管理職にせよ、クライアントにせよ、要求水準は高くなってきてるなあとは思うけどもてる能力を日々磨き、己を超え続ける人にけして冷淡ではない気がしている。あからさまなブラック企業はあかんけど。

 

同僚にせよそうだ。切磋琢磨し健全に競う人は自分を高めるよきライバルであり戦友である。どういう捉え方や解釈をするかで仕事場は天国にもなるし地獄にもなる。

 

人間深層意識のレベルでは安定や安全を欲する保守的な生き物だ。なるべく本能的には変化をしたくないと潜在的に思っている。これは多かれ少なかれ個人差があるんだけど。

 

変化を求める人には逆風は吹くけど日々のビジネスシーンはとても刺激的なものになる。こう言うことも踏まえて、ちょっと大風呂敷だけど学校の勉強や受験をスリリングなゲーム感覚で捉えられると面白くなるのになあ、と個人的には思っていたりする。

 

社会に出てからの問題発見能力にせよ、問題解決能力にせよ抽象度の高い判断にせよ実学にせよ、学校で行う勉強は精神的な意味合いも含めその予行演習だ。変化に富み刺激的な仕事場に入る前のショックアブソーバー的な趣旨もあるかもしれない。これに自分を超え続ける喜びを見出したら完璧である。そんなわけで猫先生のコメントには全面的に賛同するのだ。

 

自分の価値観の城から出ず融通の利かない人になってはまずい。そう言う意味でも自身を客観視したり柔らかい感性を持つためにも勉強は必要だ。色んな縦の穴と横の穴を掘りまくり、どこかで穴が繋がったりして点と点が線になったりするのが知恵となり血となり肉となる。これは勉強と実践のなせるわざである。仕事も勉強も楽しんでほしいなあ。すべては自分の経験値と成長に紐づくのである。

 

そんなところである。

 

さて、話を少しやわこい方へ。

 

selector infected  WIXOSS(「ウィクロス」と一般的には称するシリーズの一連のアニメ作品群)を観ていた。最新作ではない。普通の販促アニメかと思ってたけどおお、これは・・・。

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どろどろだ。鬱々している。だが、どうにも目が離せなくなった。

 

どちらかと言うとマニアックな話題になるので、今後小分けにして折に触れ語る・・・かもしれない。テーマは欲望とかエゴとか願望とか。まあどちらかと言うと得意分野である。

 

では。/おしまい。

 

ビッグボーイ様(d:juliajewelkali  

 

コメント、ありがとうございます!

 

子供のまっすぐな瞳に言葉が時に詰まりますw。ソクラテスと言う先哲は実に偉大ですねえ。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

算数ドリルがバキュームカーになったかのごとき問題もありましたw。なにい!?今度はう〇こォ?・・・私がバキュームカーに間違われる日も近かったりして。

 

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

好きなことをやるのが一番です。これからの時代そうなんですよね。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

なんでも一時、一世を風靡したとか。中身はぷっ、と吹き出してしまうものが多いです。

 

 

 

 

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