蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

シーバトロンACEのダイオウグソクムシロボに自己肯定感と悟りの境地を学ぶ。

「はい。テスト返します。土岐。数学0点です。」

 

「は?オレ、そんな間違ったはずないんだけど・・・。」

 

「いやほれ。名前書いてないし。」

 

「書いてんじゃん!ここにちゃんと!土岐仁三郎って!」

 

『じゃあ、ここだな。「(左辺)=(右辺)」を「(左近)=(右近)」と書いてる。」

 

「・・・。・・・いま、”じゃあ"つったよな。あ、でもほんとに「(左近)=(右近)」になってら。」

 

「左近さまと右近を一緒にしないで!」

 

「何がサコンさまだよ!知らねえよ。それくらいで0点にすんな!訴えるぞ!」

 

「赤点は補習。マインドフルネス微分法を叩き込む!」

 

「なんだその微分法!聞いたことがねえぞ!」

 

「ところで、オレのキ〇タマを見てくれ。こいつをどう思う?」

 

「話をそらずな!」

 

/おしまい。

 

さて。こんばんは。

 

今日は仕事はお休みです。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930201144j:plain

今は充電期間であ~る。まあ明日作業所にはちょっとだけ顔を出すが。

 

名刺を印刷しに行ったのだが、なんと一日で出来てしまった。

 

仕事が早い。

 

今は私に特に肩書はない。真っ白なキャンバスのような人間なのだ。(ウソをつくな)

 

表側に名前と電話、メールアドレスを書き。裏面にプロフィールを書いた。

 

うつ病で引きこもり経験あり」

 

としてある。

 

こいつをばんばんピ〇クチラシのようにばらまくのだ。

 

パンデミックのように拡がるだろう。感染力は抜群である。(こらこら)

 

いや、ウソだ。ちゃんと配る。礼儀作法を弁えて。

 

名刺の渡し方を研修で野郎と向かい合って何度か練習させられた。

 

日本のビジネスマナーの半分くらいカットしてもあんまり大勢に影響がない気がしている。

 

建前より本音と拳一本で生きていきたい、そう思う今日この頃なのです。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930201313j:plain

さてさて。

 

次の職場(?)であるお寺さんにまつわる、と言うか佛教哲学的な、でも雑談をする。

 

そこのおこちゃまと遊ぶのがメインの仕事になりそうだ。

 

いや、ビジネスでやるのか、しっかりと黒執事みたいに主従の関係を結びセバスチャンになるのか。それとも対等な関係を結び心の友となるのか。

 

私は三番目がいい。

 

この前お寺のイベントで遊んだとき、ダイオウグソクムシのロボの超合金みたいなおもちゃを見せてくれた。

 

そして思ったのだ。ワラジムシ、ダンゴムシダイオウグソクムシ

 

いや最初、ダイオウグソクムシロボ(仮称)についてだが、銀色に光るダイオウグソクムシをトランスフォームさせると本当にロボになるのだ。

 

たぶんアニメか特撮なのだろう。今度本格的に仕事が始まったら本人に聞いてみる。

 

いや、ぐぐれば出てくるんじゃ?

 

ダイオウグソクムシ ロボット」(検索)

 

これだ。これに違いないッ!!

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930192056j:plain

ドッギャアアアアアン!!

 

ダイオウグソクムシロボ&オニイトマキエイロボ シ-バトロンACE」

 

とある。

 

う~ん・・・。なかなかハイセンスでシュールな感じだ。

 

ムチとか持たせるといいかもしれない。私は女王様よ!って感じだろうか。

 

子供と遊ぶのは好きだ。

 

ただ、子供は疲れを知らない。大人の方は色々頭で考えちゃうから純粋に遊びに没頭できないのだ、きっと。自我のなせるわざである。

 

だからこれは私の心のリトマス紙的に、純な心を持っているかどうかが試されていると言えよう。(ホントかね)

 

それはさておき。

 

ダイオウグソクムシとワラジムシ、ダンゴムシなどにはなんらかの共通項がある。

 

フォルム、足の数、昆虫のようで昆虫ではない、などなど。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930201406j:plain

生き物は人間のために生きているわけではないようなことをどこかの記事で書いた。だが、多くの生き物を人間の都合で殺している。

 

だからせめて感謝をしなければならない。

 

命を学ばせてくれてありがとう。命を繋がせてくれてありがとう。君らのおかげで私は生きられるのだ。

 

ヴィーガンだかなんだか知らないが、彼らには彼らの生き方があるのだろう。そんなことをする必要はない。したい人がすればいいだけだ。勿論押し付けもいけない。

 

で、だ。

 

ワラジムシをダンゴムシに見立て、あれ?丸まらないなあ、とつぶしちゃった経験は田舎の子供時代の記憶を持つ方なら一度や二度ではないはずだ。

 

そうやって命を学ぶのである。彼らも隣人なのだ。おけらだってアメンボだって生きているのだ。

 

何が言いたいのか分からなくなってきた。

 

人間が人間としてこの世に生を享ける確率は2兆分の一くらいの確率である。父方母方のご先祖を遡っていくと、ざっと計算すると10代遡るだけで1024人のカップルが出来る。

 

もっともっとさかのぼれば本当にびっくりするくらいのご先祖がいる。そして、卵子精子がナニして生まれてくるのが我々人類だ。

 

そして我々を形成する細胞の一個一個も生き物だ。いやはやとんでもねえな人間って、と思うのだ。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930201445j:plain

自己肯定感の話をちょくちょくしてるけど、一番の自己肯定のコアとなるのはこう言うことなのではないか、とも思う。

 

心の面でもそうだ。

 

確証バイアスと言うのがあって、要はさる思い込みを一度持ってしまうと、その思い込みを強めるような情報ばかりに目が行くようになる心理学的傾向を言う。

 

例えば、だ。

 

「マーフィの法則」と言うのが昔流行った。

 

「捨てた書類に限って、あとで必要になる」

 

ということをネガティブかつユーモラスに語っている。

 

これは真実であろうか?

 

これが心理学的に真実だとすると、たとえば

 

「人間には、ある書類があとから必要になることを無意識に察知し、それを捨てる傾向がある」

 

というすごい能力があることになる。

 

真相はどうか。

 

それには、「書類を捨てた/捨てなかった」と「後で必要になった/ならなかった」を組み合わせて、ありうるパターンを作り、4つのマトリクスそれぞれの数を比較してみる。

 

それで分かる。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190930195859j:plain

このマトリクスで、「書類を捨てて、あとで必要になった」ケースの多さが統計的に有意であれば、マーフィの法則は真実になる。

 

「統計的に有意」というのは、偶然の誤差だと言われるレベルではなく、はっきりと意味を持ちますよ、と言うくらいの意味である。

 

すると。

 

実際には、マーフィの法則と言うのは心理学的な実験の手続きで実証されたものではない。「あるある」なのだ。

 

なぜかと言うと、「捨てた書類に限って、あとで必要になる」と言うマトリクスの欄の内容が一番記憶に残ってしまうからなのである。

 

ありうる4つのパターンのうち、「書類を捨てて、あとで必要にならない」ケースと「書類を捨てず、あとで必要にならない」ケースは、なかなか意識に上らない。

 

「書類を捨てず、あとで必要になる」ケースは、そのとき「よかった!」と思ってそのうち忘れてしまう。

 

しかし、「書類を捨てて、あとで必要になる」ケースでは強い不快感が生じ、記憶に残ってしまう。

 

だから、「思い込み」の問題・産物なのである。

 

そして、いちいちありうるすべてのパターンを挙げて、それぞれのデータを収集するのはとても大変なことなのだ。

 

。だから人間の心は、いったん「捨てた書類に限って、あとで必要になるのではないか」と思ってしまうと、その仮説に合致するケースばかりを探し、合致しないケースは記憶から消すようになってしまうのだ。

 

これは「引き寄せ」なんかとも共通することだ。

 

RAS(=「網様体賦活系」)と言うのが脳みそにはあって、膨大な情報量からその人の必要な情報のみをトリミングする仕組みなのである。

 

だから、自分の身に起こる現実は全て心が決めていると言っても良い根拠はここにあり、これもまた自己肯定感の一番の根拠になりうるものだ。

 

どうですかすごいでしょう自分って。「アートマン(=我)」の話も途中だけど。

 

自己肯定感は自己受容とか自己信頼、自尊心などに支えられている。

 

自分の価値はまあ、人から認められることもあるわけだけど、自分から他者に求めに行くとおかしなことになるし、まずはまんま裸の自分を受け入れ、価値を認めることはとても大事なことなのだ。

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20190922173149j:plain

支えとなる根拠はこのように色々あるのである。ついでに言えば、幸も不幸も解釈次第だ。主観で決まるところが大きい。

 

あ~あ、また説教くさくなっちゃったよ。

 

さてさて、そんなわけで、最近アニメをさっぱり観ていない。アニメの感想や映画の話もしたいわけなんだけどどうにも心が動かない。困ったものである。

 

では!/おしまい。

 

>Green様( id: shiho196123

 

 コメント、ありがとうございます!

 

心を育てる・育つのは本当に地道です。人生最大の生きる目的なのかもしれませんね。魂の成長と言うか。

 

>切株おやじ様( id:masuhiro6595  )

 

コメント、ありがとうございます!

 

自己肯定感が高いのは大変すばらしいことです。もっともっと高めちゃいましょう。

 

>猫p様(id: nkobi1121  

 

コメント、ありがとうございます!

 

「一日一回スクワット」も、疲労が蓄積しているときはきついですよね。「小さな習慣」、読んでみますか。

 

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

しんどいこともあるけれど、昔と比べると今のしんどさはたいしたことはない。自分の場合はそう思えてもいます。

 

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

うつ病闘病記(仮称)■
本文はこちら