提督と競艇童貞の決断。
どうも、アジトのしょくん。
嗚呼、日曜ですねえ…。めうアフタヌーンですぬえ。
憂鬱になってませんかあ?
私は、アファメーションをしてみたのです。
肯定的な言葉を唱え、深層を説得する。成功哲学とか自己啓発ではおなじみですねえ。
やってみるウ。
「私は仕事を心から楽しんでいる。日曜の午後6時くらいになると、次の日からの仕事に思いを馳せていつもワクワクしている!」
・・・
・・・ピクリともしねえな、股間が。
推敲。
「私は仕事を心から楽しんでいる♣️。日曜の午後6時くらいになると、次の日からの仕事に思いを馳せてボク、感度ビンビンなんだよねえ◆」
う~ん、ちょっとだけいいかな、95点🖤。
いやあ、やっぱきちいですわ。
別に、アファメ―ションを否定もしてなくましてや、小バカにしているワケでもない。ただ、使い方に流儀があり、色々と気を揉むシロモノなのだ。
いくつかある。
一つは、よく完了形で言おうとか、現在進行形で言おうとかのやつがある。あとは否定語を使うなとか。
要は今の現状とあまりにもギャップがありすぎると、鋭い人は(いや、特にそんなに鋭くなくともか)ゾワッ、とする感覚があるかも知れない。
この"ゾワッ…。"は、なんつ―か無価値感とか無力感とか閉塞感とかの、なんかネガティブなやつだ。大抵恐れとか不安とか孤独感とかの重たいのがへばりついている。
アイデンティティファクターと言う、顕在意識と潜在意識を隔てる壁にある負の信念やら思い込みやらとかで、一般に「メンタルブロック」と呼ばれることが多いだろう。
なもんで、脳波がリラックスしてる時はアルファ波とかシ―タ波とかが優位になっており、この壁が薄くなってたり少し穴が空いてたりするので、こう言う時を狙って行きましょう、と言うことが言われる。
だが、難しいのはこう言った所に留まらないのだ。
私はあんまりアファメーションを多用するのは、人によってやっぱり相当気を付けるか、専門家のサポートを得た方がいいんじゃないかなあ、と言う気がとてもする。
潜在意識がポジティブ優位かネガティブ優位かは個人差がある。ここがネガティブ優位だと、実はかなり危ない。
どうも世の願望実現本をつらつらと見てると、ここの負の面が下手したらごっそり抜け落ちて何も書いてなかったりする。
何故か、っつ―と、んなコトを書くとそりゃあ、本が売れなくて著者さんと出版社、その他利害関係者が困るからだ。
私も実はこの点、こ―ゆ―業界事情もあって(私は関係者じゃないけど)、なんか迂闊に書けね―よなあ、と言う気がしている。(前はボロカスに書いてた気がするけどw。)
私はアファメーションはまあ、たまにはやるけど、本当にごくごくたまにだ。イメージングとかはまあまあやる。
なんかテキトーにお茶を濁してしまったが、まあ色々あるのだ、人生は。(なんじゃそりゃ)
一般に、ゴ―ル設定は絶対にしておいた方はいい。人生のナビゲート役が、どっちへ進んでいいのか分からなくなる。大海で四方八方何も見えず、地図もなく漕ぎ出す。これが如何にヤバいことかはお分かりだろう。
「ゴ―ル」をネガティブなものにする人はいないだろうし、ポジティブなものにする前提でここに関してはまあ、色々な本に書いてある。
プロに聞くと、色々素敵なことも教えてくれるので、経済的にゆとりのある人はプロを頼るのもいい。
その後で、やっぱりアファメ―ションをいっばい唱えましたの本が多い(いや、そんなに数をいっぱい読んだワケではないからそう言うのじゃないのもきっとあるだろう。)のだが、難しいのはそこからよね。
「ゴ―ル」を決め、そこに臨場感を持たせてから、アファメーションでさらにその臨場感を盛っていく訳だ。んで、脳を騙すテクなのだが。
どうしても理想と現実のギャップを埋めるために、ネガティブなもんを削ぎ落とすプロセスが出てくる。
いわゆる「ゲシュタルト崩壊」から来る「潜在意識のデトックス」などと言うやつだ。
スピ系とかだと「お試し」などと言うのかも知れないが、同義かどうかは分からない。
まあ、あとは言わない。書いてある本もちゃんとあるし、ネットを見れば色々と出てくるので、詳しくは上のワ―ドを検索してそちらを見て頂きたいと思う。
そもそも、ただでさえイヤなことが一切ない人生などあるだろうか?いや、んなもんはない。ち~ん。
「ゴ―ル設定」でその人の宇宙で、その人の人生の流れが出来る。あるいは、なんかの山を登る、と高らかに宣言した訳だ。
人生は確実にそっちに流れる。これはマジだ。これは天の采配なのかも知れないし。人生の大いなる流れなのかも知れないし。天地自然とか宇宙とか神仏とかの、見えない世界の力が働いている、と言うのはどうやら大マジだ。
ただ、如何せん肉体をまとった我々人間サイドが未熟なもんだから、色々なカベにぶち当たってクサったりネガティブになったり、行動を怠ったりしてその分、夢や願望の実現が遅れていく。と言うことなのだろう。また、すんげ―時間がかかる息の長い夢もあろう。その間様々な風雪に耐える。
となると、いくつかコツが見えては来ないだろうか?ヒントは「自我(エゴ)」であり「恐れ・不安…etc」。
山を何か登る、と決めたとする。そんなに高い山じゃないかも知れないし、すんげ―鋭峰かも知れない。そこは個人差がありそうだ。
よくエゴイズムをまとった願望は叶いにくいとか、執着心が強くなると叶いにくいと言うことが言われるが、これにもやはりワケがありそこにも後で詳しく触れる。
わたしゃどっちかって―と、そっち専門の人間なのだ、エゴ外しとかの。
長くなってきたのでここいらはここいらでシメる。
まあ、夢や目標を達成し活躍しておられる方々は心底すげえな、と思う。半端じゃない。
だが勿論、そうじゃない方も今そうじゃない方も、やっぱりすげえのだ。無限の可能性を秘めている、と言うのは全ての人に共通している。
別にキレイ事とか、あの素敵な彼女は良くてそれに引き換えダメな私はどんどん不幸になっていくの、とかの類いではない。
しかし、あたら自己否定とかネガティブ思考癖などでそれをツブしてしまっておりまた、その自己否定にも本質的な構造論と攻略法がある訳なのですな。
まあ、息の長いテ―マだ。のんびり語ろう。攻略のノウハウは私やゆかいな仲間たちが今磨いたり増やしたり、シゴいたりしている所でもあるからして。
エゴが人を苦しみに陥れることが多いがまた、苦しみがエゴを解体するところがある。
「今すぐキミを…壊したい…。」
おアトがよろしいようで。(よろしいか?)/おしまい。
(おまけ)中和画像。(アニメ最近全県見てないから何貼っていいかわからん。)
※私はハンターのアニメ、旧版は見てなかったりします。
一人一宇宙①。
「衝撃波!来ます!!」
「艦板!備えろ!!」
「・・・ぶっふお!?」
あたかも、激流に揉まれる木の葉の如く揺さぶられる宇宙戦艦。
かつて、大海で勇猛を以て知られた巨大なガレオン船にちなんで建造された旗船とて、敵の無重力フォトンパワード・ オフトゥンの前には無力なのだろうか…。
しかし、一つだけ言えることがある。
今のうちだ、言っちまえ。どうせ誰の記憶にも残らない。
何となくカッコいい、中二病っぽいカタカナ文字をあてたネ―ミングであれば万事解決か、と問われれば全くそんなことはなく、大宇宙の360度全方位からの非難を轟々浴びたとて、何を言い返しても弁解にすらならないほどには十分に複雑かつセンシティブな御事情を、敵戦力である帝国軍側は抱えていたと言っていい。
ここはバトランティス帝国軍総督、ジ・アブドゥラ・ハマン=カンダタの座す指揮管制塔にある総督室。
彼は戦況を冷静に見つめ、艦下にあるクラインの壺・・・を模したつもりが、どこからどう見てもしびんにしか見えない体の透明かつ巨大な容器へ向け、また新たな屁を装填する。
管制塔の総督室に、いい感じでいい感じの放屁音が響いた。彼はその行為をなぜか"終活"と称していた。
そして、下っ腹にしこたま溜まった、腸内で熟成発酵した屁を肛門から絞り出すと、解放感からと地球の木っ端共を蹴散らすガスをひり出す地獄の門番として、愉悦の笑みを浮かべる。
そしてそして、地球に住まう者ならばみな口を揃えて言うであろうが、彼らバトランティス帝国側の人間には知る由もない、次のようなフレ―ズをわれわれは想起せざるを得ないのだった。
「ドリフのコントかよ!?」
どうせ誰の記憶にも残らない。宇宙は広いのだ。総督はいつも開き直っている。
「終・活!!」
ドボォ!!(放屁音)
怠惰は大罪だと思う。アレだその、「クラインの壺」を模してるワケだから、たま~に戻ってくるのよね、総督の屁が。
困ったものである。この屁こき丸が。
湿った屁。音は小さく、ぬめった感が強く、何より臭い。
乾いた屁。それはたとえるならば一陣の風小僧。時たまJKのスカートをめくり上げる作用を持ち合わせることもあるが、それが屁では普通なら、気まずい。
「この炎を飛び越えて来い!飛び越えて来たなら…。」
カンダタは呼び掛け、挑発する。
彼の偉容が"粋で鯔背な"地球防衛軍の主力艦隊と指揮艦ソドムの管制モニタに映し出される。そして不敵な笑みを浮かべ、股間のタムシを気にしている。
「うう…。」
「臭そうやな。」
「フォトンベルトか何かのつもりか!!」
「うう…。駆除してえ…。」
バトランティス帝国軍と地球防衛軍のおのおの陣取るちょうど内分点7:3くらいの所に、不知火のようなかがり火がちろちろと横に列をなしている。その色はどことなく黄色っぽかった。
「艦長…。もうダメです。まさか自分の屁を武器に転用してくる敵がここまで脅威たり得るとは…。
戦闘員総員、いやその特には実害は出てないんスけど、ガスマスクがちいせえとか、オレの屁の方がもっとくせえ!!とかの不平不満愚痴文句や意味不明のマウンティング合戦などが噴出しまた、戦意を削がれウノなどに興じたり、FANピーZAにのめり込んだりと、思い思いの余暇を楽しんでおります!!」
「・・・。総員給与一律3割カ―ット!!!」
ビシイッ!!
戦闘員はすぐさま配置につき、きびきびと働き出した。現金なものである。
一方その頃。
地球側の親善大使カルロスサン=タ―ナ―氏(54)がだんびらを右手に、左手にスマホを持ち、慣れた手つきでヒズ・フェイバリット・AVをFANピーZAのお気に入りリストに次々にぶち込み、右足で彼所有のクル―ザ―船の操縦桿を操りながら、約束の地へと刻々と近づいていた。なかなか器用な男である。
しかしながら問題は、本編とはあんまり関係のない話であることだった。
さて。
帝国側と地球側にらみ合うこと、既に宇宙暦的にゆ―と2か月くらい。食糧はイメ―ジを即時的に具現化出来る機能搭載ヘルメットを各人が被っているので、適当にてめえで調達しててめえで食ってたが、なんか性の乱れが双方認められたとかいないとか。
食欲性欲睡眠欲。リビド―は如何ともしがたいのであった。
じゃあ理想の異性を具現化して抱けばいいだろ馬鹿野郎とか思うけどまあそんな中、誰かが提案したのだ。食糧交換と人員の一時トレ―ドをッ。
膠着した戦局はマンネリを招く。異国の、いや異星の文化や風俗、食物、青い果実を味わうのも悪くはない。
「宇宙はエロい。」
「何言ってるんスか、艦長。」
双方の綺麗どころやらイケメンやらが船に乗り込む。別に一時的な敵さん船への平和的な移動と滞在である。手当ても厚い。
そして双方、
「踊り子には合意なしに手を出さない。」
等々と言う盟約が盛られた文書を交わしてもいた。これを違えれば宇宙の恥として、後世まで禍根と汚点を残すことになる。
「男に二言はない。」
双方の長は、固く胸に誓っていた。なんかそ―ゆ―とこは三國志然としている。
チュイ~ン…。
「お!?来たぜ!帝国側のお姉さんたちだ。食いもんとかもうめえらしいぜ!!」
「ヒャッハ―!!かたせ梨乃みてえな女はいるかあ!!」
「こ、こら!待たんか!!持ち場を離れるな!!」
嬉々として戦闘員が敵勢力側の輸送船に近づく。扉が開き、ちょっとばかり大袈裟な演出にも似た勿体をつけた後に、そろそろと女性たちが降りてくる。
「おお…。」
あれだ。ヤ○ク・デ・カルチャーとかのノリの異星人然とは断じてしていない。
さすがは大宇宙に冠たる帝国。人種の坩堝であり、地球人の好みや性癖に刺さる人選をするなど造作もないことなのであった。
(続く)
先行逃げ切りが信条です。
私は追い詰められていた。
身体は強張り、極度の緊張をほぐそうにも私の意志に反して各部位が軋みを上げる。
ああ…。私は今、運命の歯車に、魂の牢獄に囚われている。
四面楚歌か。
私はあらん限りの力を振り絞ったが、肉の強張りが、軋みが、激痛と言う名の身体反応を返してくる。身体の一切の曇りなき動機から来る主人への反逆であろう。
しょせんは無駄な抵抗だ。空想の中で、意志の刀はもろくもへし折れる。
慈悲はないのか…。
やむなく私は観念し、顔を両の掌で覆い、パンツを脱いだ。
「くくく・・・。」
私の身体に絡み付いた"それ"は、動作にぬめりを加え、這いずってくる。
「こうしてもらいたかったくせに…。くすくす。」
折よく、電話が鳴った。
「…ちっ!」
私は我に返ると、夢魔との戯れを中断した…。
「ばかおめえ!いいとこで電話してくんじゃね―よ!」
「・・・。まあた、しょうもねえことしてたんだろ?」
・・・。
その通りだった。
いやその。
ここ最近のヨタ話をさらに続けるが、宜しいでしょうか?(思いくそへり下りながら)
今は勃ちっぱ、もとい立ちっぱの時間が大半の仕事内容になっちゃっているのだが、最近の傾向として。
休み時間中にうんこが出ないのに、仕事時間になると急にもよおしてくる。
いや、実際に業務が始まれば便所には行きやすい。しかしながら、今週は研修最終週なのである。
講師の先生に「すいません。」と断ってそそくさと便所へ消える。
いや別に、皆さんなんとも思っていないだろうからまあいいや、とか思い、ずるっとパンツを下げてクソした後、さすがに余韻に浸っている間はないが、排泄後来る"ぶるぶるっ。"と言うアレだけはとりあえず堪能する。
あとはアナルを洗うのと流すのはそりゃ基本のキなのだが、そこらへんの一連をちゃちゃっ、とこなし、一連のバナナうんこを流してまたそそくさと研修室へ戻るのだ。
まあ、所要時間にして小便タイムとさして変わらぬ。
・・・
オレは戦士か。
便秘とか下痢に比べりゃ贅沢な悩みだ。腸内はフロ―ラちゃんが8割と、あとはなんかヤリ持った黒いたらこくちびるのバクテリアが1割、日和見が1割と見越している。脳腸相関はすこぶる快調である。
しかし、少しばかり節操がなさ過ぎやしないかねああん!?
・・・ごめんなさい。上から目線かますつもりはなかったんです・・・
私の心の中は愛に満ちている。愛でクソが出口を求め、早くなるゥ。
まあいいや。モラさなきゃいいんだよ。
さてさて。
ビルの4Fとかで研修を受けている。
一度、レッドアリ―マ―が襲来し、皆バニックに陥りそうになった。
私は諸手を前方に突き出すと、ロケットパンチを飛ばしてレッドアリ―マ―を捕らえ、ワイヤーで繋がれた拳を手元に戻しモンスターをがしっ、とハグする。
そのまま。4Fから飛び落ちる。
眼下に私の親友テリ―マンの頭部が見える。なんで今日野球帽かぶってきてんねん。
「阿修羅バスターあああ!カ―ッカッカッカッ!!」
レッドアリ―マ―を仕留めた。
・・・。
…とかなんとか。
考えながらクソをしていた。
何を言っているのだろう。
さて、真面目な話も少しはしておきたいな。
本を腐るほど買ってしまった。一応は、まあまあ積読みしない程度には読みこなせては…いる。
だが、本の話題について語り出すと止まらなくなりそうだから止める。(じゃあするなよ…。)
ジャンルがどうも偏ってきている気がしてならないのだ。
私はビジネス書の類いをあんまり読まないところがある。お金の本はめちゃめちゃ好きなのでよく買う。
なんか、意識の高い本ってニガテである。自己啓発とかのジャンルにもそう言うのが多い。
だから、色々な場で意見を求められても、あんまり意識の高いことは言わない。
でも、案外意識の高い人とはウマが合うことも多い。分からんものである。
意識の高い人が、どんな時にも意識が高いかっつ―と、全然そんなことはなかったりする。いや、そう言うケ―スはむしろ稀だ。
意識高い系の人って、よくブログでネタにはするが、これまたあんまり見たことはない。
だが、昔銀行屋さんだった時とか、お役所にいた時、あと大学生の時分はまあまあいたかも知れない。
「類友の法則」と言うのは実に興味深い。
んで、なにげにメ―ルを整理してたら、「教えてgoo」とかのアレで「嫌われ体質を直したい。」と言う女性からの切実な質問が寄せられていたのを垣間見た。
文面からすると、一言で言うとめっちゃいい人である。少なくとも、すごく優しい人だ。
小中学生といじめられ、自○を考えたこともあると言う。その頃から、私は嫌われ者だ、と言う自己像は強固であったに相違ない。
今は、そう言うこともありものすごく周囲に気を遣っているのだが、最初は優しい人もだんだんよそよそしくなり、一人、また一人と彼女の元を去っていく。
この質問者さんには、たくさんの回答が寄せられていたのだが、なんか胸糞が悪くなったので全部は読んでいない。
前記事で触れたことに繋がるのだが、意識無意識の無意識部分に恐怖とか不安とかの負のエネルギーががっつり詰まっている人は、自己否定が強くなりがちだ。
これが怒りとか哀しみとかが優勢なら、まだ発散のしようもありそうだ。まあ、人間関係の別のトラブルは絶えないだろうが…。
幼少期に愛情が不足していたなどのケ―スとか、極端には虐待されていたなどのケ―スがよく見られる。
んで、なまじ優しいもんだから、恐怖とか不安をどうすることも出来ず、抑圧してしまう。
あくまで、これはその人の、その時々の主観で受け止め、ポジティブにもネガティブにも解釈する、とかの話にはなる。
だが、年端も行かない子供が、ワケも分からず悪意を向けられ、それをこれは天から与えられた越えられる試練だ、とか、誰でもこう言うことはある、などと精神的な緩衝材とか、自身や状況の客観視など出来るはずもない。
今の所は、だが、無意識部分の状態が恐怖が優勢になっている人は、このエネルギーを解放しかつ、ポジティブなエネルギーをこつこつ入れていくしかない。
だが、人によっては、これがなかなかエグいのだ。
こう言う事情を知ってか知らずか、寄り添った同じ目線で回答を寄せていた人がごく少数。
あとは自分を嫌いだから人も嫌い、人はあなたのうつし鏡なんですよ、とか、もっと自分を好きになりなさい、とか、あなたは自覚はないかも知れないが、引き寄せの法則って言うのがあって、あなたが自分を否定しているから、他人のことも否定するような波動とかエネルギ―を発するんですよ、とかの意見が多かった。
問題は、波動とかエネルギーとかは確かにそうなのであるが、従前のスピリチュアルとか成功法則などでうまく行くとか行かないとかの話は、現時点でそれを浴びせた所で当人は混乱するだけであり。
あまりごちゃごちゃジャッジしたくはないので、第三者としては、どうしてもこの無意識部分を愛とか安らぎとかの、ポジティブなものにしないとただただきつい、と言うことだ。
「思考は現実化する」
もこりゃまた真だ。
だが、思考が現実化しているのは無意識部分が大半を占めている訳だから、ここがネガティブ優勢だと現実もまた、ネガティブで苦しいものとなる。
ここを書き換えるには膨大な努力が必要だが、不可能ではない。ないのだが。
少なくとも現時点では、よく自分に優しくしなさいとか好きになりなさいとか、ありのままを受け入れなさいとか言われるけど、どうしていいか分からない、と言うのが、当人の本音としてはある筈だ。
8~9割方がものすごい上から目線気味だったもんで、読むのを止めてしまったのである。
ネットの質問箱とかで聞いてはいけないことなんだろうな…。まあ、知恵袋よりかは万倍マシだとは思うけどさ。
その、とりわけ「無意識部分=恐怖・不安優勢」の方のメンタルってとこは、それなりには急がないといかんのだろう。
今の所は個人的にはそんなに大したことはしてあげられないので、なんとももどかしくなる。
引き寄せとかの話であれば、こちらの書は素晴らしい。
だが。
邦題はもちっとなんとかならなかったのだろうか…。
ともあれ。
寄せられていた回答の是非はともかく、世に出回っているのは、無駄に意識が高いものか、私は目醒めました系の目線からの、苦しみや悩みは一切なく何でも上手く行きますとかのやつか、フワフワしたお花畑っぽいやつかのト―タルで98%くらいは占めそうだから、こう言う良書を何冊か入れて、ワンクッション入れとかないとなあ、とは思う。
てなことを思うたのであった。
で、唐突に終わる。では。/おしまい。
瞑想ガチ勢のうつろいゆく日記②。
どうも。
宮城の増粘剤、キサンタンガムめんつるです。
フレンチドレッシングとかに入ってます。
「なんか…。嗅いだことのないようなにおいがしますぅ…。」
・・・
で。続きである。
kindle読み放題とかで候補に上がってきた写真集がなかなかエグかった。いい時代になったものだ。
普段私がどう言う所に関心が向かっているかを如実に物語るとともに、スケベで良かったなあ、と心底何かに感謝したのだった。
・・・おぢちゃんの股ぐらを蹴ってくれんかね。お金なら少しなら払えるから。
・・・。ああ、読み放題だから無料か。ふむ。
・・・
だから。どこが続きやねん。
さて。
コロナ患者数が増えてきた、との報道が、スマホを開くたんび入ってくるカンジだ。たまには見るが…。
まずもって新規患者数と累計患者数だけ知らせているものがすごく多いのが「?」である。
客観的な判断資料を提供せず、いたずらに不安や恐怖を煽っているだけのようにも見える。
背景まで掘り下げれば、こう言う報道をよく見るAさんがいるとして、彼の今の不安心理の5、6割は減りそうな気がするのだが。
まあ、マスコミ報道のあり方そのものがそもそもそうなんで、私はいちいち見ないのだが、ただ医療従事者の方であったり、飲食店であったりの、こうしたアオリをもろに受ける方々への同情を禁じ得ない。
国が一元的に情報を管理し、節操のないマスコミに報道規制を、と言う声もちらほら見る。
ただまあ、国は国で民業圧迫っぽくなるし、全体への波及効果がどんな具合に展開するかを見通そうとしても全く不透明だし、それも無理だよな―。
まあ、そんなことを思うた。
ちょいと「超越瞑想(TM)」についてごくごく簡単に触れる。
つっても、ごくごく一般的なことしか書けないので、ご興味のある方がもしいらっしゃったら書籍とか、ネット検索で情報をあたって頂いた方は…いいか。
少なくとも、こうしたメンタルトレ―ニング的なツ―ルにせよ何にせよ、すごい逆説的な作りをしていて、逆境ほど意識は進化し順境はたいした成長がないものである。
まあ、メンタルは一日にして成らずだし、筋トレを遥かに凌駕するドM気質と泥臭さが求められる。艱難辛苦にありがとう的な。
・・・楽な方法ってないすかね?w誰か教えて下さい。
・・・てなワケで、普通はこう言うメントレガチ勢にならなくても、十分日々を楽しく過ごせるラインには持って行ける。
一応今後TMの個人的な体験記は時たま踏まえつつも、そこには特に本質はないと言うことで、切り離して生暖かく客観的に参考とか反面教師とかにして頂ければ幸いだ。
檻の中をうろうろするパンツを脱いだ猿を見るような目で時に蔑んでほしい。(女性限定)
自己啓発なんかの話なのかも知れないが、「Be Do Have」の法則、と言うのがあるそうだ。最初の「Be」で9割方決まってしまうとも言う。
何か、っつうと、その人の心をコップにたとえると、その心のコップにどんだけポジティブなエネルギーがあるかで、「Do」(仕事などのパフォーマンス)だの「Have」(至福とか心身の健康とか、精神的・物質的な豊かさなどなど)だのが決まる、と言うことである。
だから心のコップにエネルギーを注ぎましょう、と言うことが推奨(?)されている。
そのエネルギーはずばり!愛である!!
…いやその、「愛」とかっつ―と何だかむず痒い感じがするじゃないすか、いい年こいた図体のでけえ中年がなんだかモジモジしちゃいますけど。
その人の「あり方」を整えましょう、であったり、「心のコップ」を「愛」のエネルギーで一杯にして、ステンドグラス効果よろしく、あふれる愛を他者にシェアしましょう、と。そんな所になる。
だが、今が苦しい人にとっては、言うは易し行うは難し、であろう。
今が苦しい人の心のエネルギーは、恐怖とか不安、怒りや悲しみなんかが多い。そりゃ自己否定的にもなるってものだ。
こう言う所に、ただただポジティブシンキングすれば解決!みたいなことを言ったって、臭いものに蓋をしながら引きつった笑みで私はとても幸せです!みたいなことを言わされるカンジになる。宗教っぽくなるだろう。
通常はちょいと荒療治が必要になる場合もあるが、苦しい人はいきなり荒療治をかますワケにもいかない。
無意識の現状を維持したい、と言うメカニズムがここで働いてしまう可能性があるので、最初はゆっくりゆっくりが肝要である。
真面目な人は目標に向かってひたむきに、ポジティブに努力する人もいるしまた、苦しみや不安から逃れたい一心で釈迦力になっちゃうタイプの人もいる。
とりわけ後者については、最初からいきなりトバして挫折する確率がとても高いので、あくまで二、三日はソフトにゆるゆるで、短時間で切り上げて無意識を慣らすのがコツである。
で、だ。
ちょいと曝露療法の話をするんだけど、いや~な記憶をイメージさせて恐怖や不安、怒りの感情を増幅させ、ピークまで膨らんだのを感覚で感じ、あとは感じきってしぼんで行く負のエネルギーを感覚で確認。
その上で、そのいや~な記憶にその後の日常の中で振り回されにくい精神状態を得るワケだが。
これは歯医者さんで膿んでぐらぐらになった歯を一回、ばこっと根本を外し、下にあった膿みたいなストレスをエクトプラズムみたいに吐き出して、また歯をぱこっ、とはめるような風情がある。
異なるのは、歯は新しい差し歯やら銀歯やらにしない、ってとこではある。
膿出しをしてしまうと、元の歯をまた差し込んでも、また膿んでくるリスクはとても低くなるし、記憶そのものを改竄するとか消したりするとかではないからだ。
苦しい人がいきなりこれをやってはいけない。それなりに精神が健全な人ですら、子供の頃にあったすんげ―嫌だったこととか苦しかった時とかの恐怖映像を浮かべ、膨らまししぼんでいくところを体験してください、なんつったらドン引くものだ。
それはそうと。
例えば、心気症の人がいるとして、常に病気の心配をしている、とする。
胃が痛い。胃がんじゃないだろうか?
「もっと良く診てください!なんでもない、ってことはないでしょう!?」
などと。
いや別に検査したけど異常はなかったですよ、と言うA医師に食ってかかり、信用ならん!と言って翌日はB医師のいる別の病院へ行った。
また何でもない、と言われ、また食ってかかって、もう大病院でしっかり精密検査してもらわないとダメだわ、とかになっていく。
こう言う思い癖が「因」である。んで、別に胃がんでもないのに、肉体的な大病のリスクは思い癖のせいではね上がったりもする。
つまり、精神が「因」で肉体が「果」。
んで、体…、まあこの人の場合は胃とするが、そこの胃もたれやら痛みやら、ちょっと体重が減ったやらでも「因」が強化され、また「果」へとはね返っていく悪循環に陥る危険性がある。
ただ、統計的(?)な「心配事の9割は実現しない」もこれまた真実で、まあほぼほぼとりこし苦労なのだが、それでも心配事に囚われてしまうとやはり身体への悪影響はじわじわ蓄積したり、嫌な出来事を招き寄せたりのリスクは残念ながら上がる。
だからとりこし苦労にメインキャストを渡してはならない。
ドクターショッピングを繰り返す患者さんがもしそう言うことをどこかで言われたことがあるとして、はた、と気がつき、じゃあ思い癖とか思い込み、誤った信念とかをなんとか出来ないだろうか?と思ったとする。
こう言う思い癖は「破局観」とか「破局視」とか言うかもしれない。
今日はよくても明日は破滅的な展開になり、また胃がキリキリ傷んで、運び込まれて胃がんと診断されるんだわ!見てらっしゃい、あのヤ○医者共、訴えてやるから!みたいに最悪の未来が来ると決めつける。
そこにテコ入れしなくちゃ、と。
ポビュラ―な所ではやはり認知行動療法だよね、となる。あとはやはり、精神科とか心療内科の領域になるので、薬物と精神療法、カウンセラーさんがいるなら心理療法も頼ってみたら良いだろう。認知行動療法もそうだけど。
そこまでは良い。
だが、この思い癖の根本にあるものとその基本構造、及び思い癖が肉体的な所にまで波及していく機序とかメカニズムって、はてどんな感じだろう?そこらへんを最近探っていた。
そこでTMが感覚的ではあるが、とても多くのデ―タを提供してくれる。
あとは感覚は単なる主観的なものだと何の意味もないので、瞑想の先生に聞いたり回してもらった書籍でウラを取っている。
「それってあなたの感想ですよね?w」
機序やらメカニズムやらは何となく前者より直感的にも理論的にも説明はある程度つきやすいので、後回しにする。
問題は前者だ。ここも、何となく見えてきたかも知れない。あくまで絶対でなく。
曝露療法や様々なエネルギー心理学の領域の心理療法は、概ね基本構造は本質的にあまり変わらない。患者さんに優しいか、患者さんに厳しいかでエグい差があるけどさ。
素の曝露療法は、軽めの人および、ある程度無意識レベルのストレスの浄化が進み、自身の経験値も高い人向けだ。
じゃないと患者さんの精神的負担がエグく、下手すりゃ精神崩壊の危険すらある。
ただ、そこと他のノウハウの骨子を抜き出し、寄り合わせたりアレンジしたりオリジナルのテイストを組み合わせたりやらで、何となく新しい手法の青写真が見えてきた。
原因療法的なところにメスを入れ、なおかつ肯定的なエネルギーを照射するイメージで切開&膿出しをし、その人にとってのうるせえとりこし苦労が脅威にならないように仕向けるには?
いくつか考えうる。
だが、それでもまだまだ患者さんの負担がちとでかいので、ミ―を実験台に色々試しているワケである。
あとは、何やら仙台にすごい名医さんがいるのだが、予約制でなかなか取れないのだ。精神医学・心理学・哲学に通じ、患者さんのレビューを見てもすこぶる評判がいい。私は診察目的ではないかも知れないが、近々行ってみようと思っている。
他何名か、専門の方と繋がりが出来たが、色々な視点や考え方があって面白い。今が大変な患者さんにとっては面白いどころか、待った無しの方々も多いので、んな悠長なことは言ってはいられないのだが。
…なんだか個人的な話が多くなってしまったな。
とぬかしておきながら、もひとつ個人的な話があった。
「催眠」をちと試している。
今のところは自己催眠に留まっているが、一回深夜におっばじめたら深い催眠状態になり、「え?これいつまで続くの?」みたいな状態に陥ってしまった。
あれだ。地面に縫い付けられた巨人状態だ。
んで、渾身の力で催眠をぶち破った。
人間追い詰められると力が出るものだが、脳筋にもホドがあるな。
催眠はかかりやすい人とかかりにくい人がいるとは思う。かかりにくい人はちょっとしたコツが要るが、かかりてえ!と言う意志さえあれば、実は思っているほど大きな問題はなかったりする。
ちなみに、私はめっちゃかかりやすい。根が単純だからだろう。ほっといて。
催眠で色々な奇病を癒した歴史は実は結構長い。勿論病気の治療だけではない。ただ、弾圧を受けたりした時代もあっただろうな。細かくは紐解いてないけど。
現代はいわゆるエリクソン派の人が主流だと思うが、若い方々の台頭が目覚ましい。
(こりゃまだ半分くらいしか読んでないけど)
個の時代。才能とか自身の無限の可能性を見いだしたのが早い人は、やっぱりそう言う道で生きた方がいい。いい大学入っていい会社に入ってばかりが能ではないとマジもんで思う。
一回催眠の味をしめてしまうと、ちょいと危険な香りのする催眠状態でサキュバスに搾りとられるだの、ハ―レムでいんぐりもんぐりするだのの催眠コンテンツに踏み込んでしまうことがある。(何が「しまうことがある」じゃ。)
ただ、注意すべきは、催眠の痕跡が無意識の深い所に知らず知らずに残留したり蓄積したりがあるので、脱催眠をこまめにしときましょう、と言うことである。
…う~ん、誰に呼びかけているのだろう。あくまで、やってる方含めご興味のある方向けのくそマニアックな世界だな。
うん、個人的な話が熱くなりそうなんでやめるw。以下一般的な話は次回以降致します。では。
>猫先生
コメントありがとうございます。
腹減ってる時の食べ物とビ―ルもろもろの旨さと言ったら。「こんときの為に生きてるよねプハ―!!」とか深夜にやってます。
>Green様(id:shiho196123)
コメントありがとうございます。
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
瞑想ガチ勢のうつろいゆく日記。①
どうもあけましておめでとうございます。いささか月並みではございますが、今年も宜しくお願い致します。
さて、少々上から気味に一言言わせて頂きますが。寒い。
私の胸に、心にぽっかりと穴ぼこが空き、隙間風が吹き抜ける。
誰か、温かい愛をください。
出来れば、ビジネスとか絡んでない感じのやつがいいっす。
・・・
完璧に肉体的な快楽しか求めてないよね。私の愛は節穴なのかもしれない。
まあいいだろう。うんこ。
さてさて、タイトルに「瞑想ガチ勢」とか書いてしまったが、うん、まあ私は十分ガチ勢だと思う。
ただ、人様に語る時はあくまで慎重で、ドン引かれるカンジじゃないかな?的なエア―空気読みをしながら、ああ、マインドフルネスとか流行ってますからねえHAHAHAHA!的に、何となくお茶を濁して終わること10人中10人くらいである。
日本はとりわけ、「瞑想=宗教」の図式が強固でかつ、宗教はあんまりポジティブなイメージがない。
まあ、これは理由は多言はあえてしないし、無理からぬことである。
んで、瞑想もまた、仏教の禅のイメージが強いだろう。
んで、本屋さんに行くと如何にも「精神世界」コ―ナ―とかにありそうだし、仏教もまた宗教なんでこれまた、否定的な見方をされるのも無理からぬところだ。
科学的なエビデンス云々をくっつけても、嫌がる人にはただただ鬱陶しい尾ひれ葉ひれにしかなるまい。
んなワケで、そこら辺はアホな私でも弁えてはいるつもりなので、今日もまた、この場末のマイブログ上でぼそぼそと語るワケである。さみしいなオイ。
私は去年の4月だかに「超越瞑想(以下「TM」)」と言うものを習うたワケだが、これはある程度時や場所を選ばないので、仕事が引けて部屋に戻りぐだる前に、公園のベンチで青いツナギをまといながら、ノンケだって構わないで喰っちまう体でヤったりもしていた。
たまにがきんちょが来る。一回ヒザの上に乗りやがっ・・・乗ったお子ちゃまがいた 。
目を開け、「があ~。」とかジャイアントロボみたくもろ手を上げて反応してみたら、ますますぐいぐい乗ってきた。
もろ手を上げたのでフトコロと心身のガ―ドが甘くなり、ワキが臭くなったと思ったのだろうか?
しょうがないから駅弁的に後ろからM字開脚っぽく抱え、ママの所へ連れて行こうとするもママはいない。
大丈夫なのだろうか?人見知りとか警戒心とか言うワ―ドを一切合切知らないようだが。
まあ、私は見てくれや中身はともかく、変質者の類いではない。
しかし、放置して帰るのもあまりにも後味が悪いし、しょうがないから一緒に待つことにする。
がきんちょを隣に座らせ、ちんこだのうんこだのと、手伝いに行ってるお寺の三男坊にするみたいなことを言い出す。
そしたら、あんまりそう言う下品なことは好きじゃない、と大人なことを言い、私はケッコンしてるのか?と言う事実確認に関心を示した。
いや、してねえ。と言ったら、しないの?とさらにねじ込んで来るので、左の鼻穴ほじりながらう~んまあ、そのうちするかもね―、と言ったら、彼女はいるの?とか言う。
いや、いねえ。と右の鼻穴ほじりながら正直に自白した。
笑われたり憐れまれたりするのかなあ、と思っていたが、特に感情が動いた様子はなかった。まあ、子供はそんなもんかも知れないな。
なぜか職場でもらったお菓子類の中にチョコボールがあった。それに指でこっそり鼻くそをつけて食べさせようと思った。
そのうち、ママが来た。
やらな…、いや、常に保護下に置いておかないと色々ヤベ―んじゃ、と説教をかますワケにも行かず、ぺこぺこ頭を下げられたので、なんだか照れ臭いんだか忠告したいんだか分からんヘンな心境になってきたのであった。
とりま、こちらも丁寧に頭を下げ、帰ることにする。
何が言いたかったんだっけか。
ああ、そうそう。
「"私"って、どこにいるんだろう?」
的な、ワケの分からない話で、
「結局、"私"なんてもんはどこにもいね―んじゃ?」
みたいな話になってくる。
瞑想ガチ勢の行き着くところはまあ、こんな所なのだろう。
だがまあ、ウソだと思われるかも知れないが、別に人間をやめたワケではない。
ただ、こう書くと、何となく入り口付近でメンタルを安定させるとか、ストレスを軽減するとかの所で留まってほしいな、と言う気は結構する。
上みたいな話は、古から哲学されてきた。
例えば、自分の手を上げ、これは誰の手ですか?あたりから入ると、そりゃあオレのだろうよ、となるのが普通で。
じゃあ、その"オレ"ってのはどこに存在するか説明出来ますか?みたいなことを聞かれるとする。
すると、すんげ―掴み所がないのだが、いや、オレをオレだと思うオレがいるだろうよ、みたいな話になってくるかも知れない。100人中一人くらいは、「オレがガンダムだ!」とか血迷う人もいるかもしれない。
やって見ると分かるかも知れないが、このオレオレ問答が、延々と続くのだ。「無限遡行」などと言う。
デカルトさんが「われ思う、ゆえに我あり。」と言ったのは、真実ではない。
私と思い込んでいる存在、まあアイデンティティが思考に同一化、埋没化している、ってことになる。説明がややこし過ぎるが。
過去記事で自我意識がど―だのこ―だの書いたのだが、こう言うのを言葉で表現するとぐだぐだになるのだ。勿論、私の文才がないことも言うまでもない。
んで、後世サルトルさんが出て来て、いやいや、「われ思う、ゆえにわれ在り」かも知れんけど、「われ在り」と言っている意識は、考えている意識とは別物なんじゃないの?ってことに気づいた。
この「気づいた」とか、「気づいている」ってのがことのほか重要で、自分が「考えている」とか、「思考している」とか、「脳内会話している」とかに気づいたとき、この"気づいている"意識はその思考の一部ではない。別の次元の意識なのである。
その別の次元の意識が「われ在り」だ、と言う。
織田信長や豊臣秀吉が亡くなるとき、「人生は夢だった」的なことを言っていたと思うが、似たようなニュアンスかも知れない。
ただ、自分の中に思考しかなければ、思考しているなんてことは分からない。自分が夢を見ているのに気づかない夢中歩行者みたいなものだ。
夢を見ている人が夢のなかのすべてのイメ―ジに自分を同一化するように、すべての思考に自分を同一化する。
要は「頭のなかのおしゃべり=自分」と思い込んでしまうと言うことで、こうした古い機能不全の心の癖に囚われて生きてしまう、と言うことになろう。
しかし、自分が実は夢を見ている、と気づけば、夢の中で目覚める。別の次元の意識が入り込むのだ。
デカルトはエゴの根源を発見し、サルトルは相当に、深い洞察をしたことになるが、自分の発見の真の意味に、つまり新しい次元の意識が生まれたことに惜しくも気づかなかった。
エゴの定義付けも結構難しい。少なくとも私は上手く言葉で伝えられる自信がいつもない。常にないと言っていい。
「自我」や「エゴ」は、「分離意識」から生じ、「実体のないある方向性をもった意味」、と書いてある。んでまあ、記憶から形成されているカンジだ。
???
これは本を通読せんと分からん。私と思い込んでいる幻想の偽りの自分だの、自己中心の感情だのの表現も見られる。
すいません、私は何となく感覚でざっくり掴んでいるもので、上手く説明出来んくさ。
↑ご興味のある方がいらっしゃるかどうかは分からないが、「さとり教本」代表格だと思う。順番的にも「上→下」推奨、だと個人的には思う。
ただ、脳みその癖として、その生体を生かそうとする防衛本能とか生存本能が裏目に出てしまう、と考えるとすると?
「心の声」として捉えると、大半はネガティブな否定的なおしゃべりとして現れる。心配事とかの源泉で、これに反応して現れる感情は恐怖とか不安とか怒りとかの、やはりネガティブなものが多い。
実はポジティブなものもあるのだが、なんとなく独り善がりなもので構成されている。
私はああ、そいつがエゴだな、くらいに捉えている。アメリカンな表現だと「モンキーマインド」だの「ワンダリングなんちゃら」みたいなカンジになりそうだ。
エゴは他者との比較と競争が大好きで、エグいくらいに
肉食系だ。それでいて寂しがりな所があり、常に居場所を求めてそこに同一化を図る。物の所有だったり、頭の中のおしゃべりだったり。
時には病床にいる人の、
「私は一生治らない病気の被害者だ。」
と言う自己イメージに居場所を作り、絶え間ない苦しみを量産し、新たな病を生んだりする。その人の都合などお構いなしで好き放題暴れまわることがある。
多くの宗教書とか昔からの自己啓発書なんかを紐解くと、何となく宇宙があって、それはもう四方八方宇宙なのだが(さらに高次元には神仏が、と言う書もあるが、それこそ宗教っぽくなるのでやめるw。)、それは愛とか安らぎそのもので、自我とかエゴとかはその中にぽつんとある光を放たない天体、みたいな書き方をしているものを見る。
まあ適切だろう。
その天体が光を遮って出来る「影」とか「闇」が「苦しみ」であり、んじゃその天体をちっこくすればいいんでない?ってとこに至る人は至るだろう。
だからけして、不幸や災難、病気などは神様の気まぐれでも、天罰の類いでも、ましてやプレゼントやギフトの類いではないと思うのだが、まあそこは人それぞれの信じる所があるだろうからとりま、不幸のただ中にいる人にそ―言うことを言ってくれるなよ―、くらいには留めておく。
だから、自我意識が極まるとこまで極まり、苦しみの極致に至り、これじゃあかん!ってことで我を削る、みたいな営みを始めるワケだ。まあ、他ならぬ私がそうだったのだが。
なんだかまた長くなってきた。ここらで一旦区切る。酒呑みながら書くもんじゃね―な…。ふう。/おしまい。
うつ病の最新情報を知りたい!
どうも!
さて、年の瀬である。
道行く人々に幸あらんことを祈り、何やらマスクの中で思い出しスケベ口角上げをかましながら食材を見繕う。パンツの中までビショビショだ。
最近は山芋をよく食う。かのウサイン・ボルトの100m走の世界記録更新に、少なからず一役買っていたのが山芋だとさえ言われる、超優良強壮食材である。
副腎から分泌されるDHEAと言う若返りホルモンの分泌に関与するが、私はホレあれだ、どっちかって―とエロ目的だったりする。多くは語らない。
"多く"。「竿役のオ―ク」。
…何を言っているんだ。
まあ、そんなこんなで。そんな話をしようと思ったのではない。
「うつ病の最新情報を知りたい!」
と銘打っている。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
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過去何回か書いていることではあるが、何とも稚拙極まりなく恥ずかしさを禁じ得ない。穴があったら挿れたいくらいだ。
×「扁桃体に電極をブッ刺す」→○「膝下野」
う~ん、扁桃体に電極をブッ刺したら一体どうなってしまうのか!!梅宮ア!!
過去の脳外科的な処置で扁桃体を一部切除したとか、扁桃体が先天的にない奇病に罹患している人の話なら。
後者に関して言えば、およそ恐怖の感情と言うものが皆無か、あるいは恐ろしく希薄である。
かと言って、一般的な知能は平均以上とかで、しっかり良識も教養もありごくごく普通の人であるのだが、ペットショップなんかに行った、この奇病を持った女性が、毒蛇やら毒蜘蛛やらのやばい生き物に興味深く触れたりするんで、立ち会っていた人が制止に何度も入ったとかなんとか。
あとはあれだ。ホラ―系やらスプラッタ系の映画を観ても全く動じることがない。
でも、他の感情…ポジティブなものもネガティブなもの(悲しいやつとかね。)にはそんなに感度が低い訳でもない。個人差はあるだろうが、感情が平板とかではないようだ。
・・・。
・・・これ、前も書いたよ―な。デジャヴとか思い込みならいいのだが。
恐怖や不安がない訳だからさぞかし生きやすいのかと言えば、実はそ―でもなく、夜な夜な犯罪蔓延るヤバい地区にずかずか丸腰で入ってっちゃったりするようだ。
そんなこんなで。
この「扁桃体」には多くの現代人が手を焼くのだが、精神疾患患者はその傾向が際立つ。常時活発に過活動するか、もしくはたやすく暴走してしまう。
記憶やトラウマ。「カルマ」に関しては…そこまで行くとスピリチュアル的でもあるしもはや訳わかめだが、脳みそは過去の、その人の身に起こった負の体験に類する外部の情報をモニタリングしており、その人の生命を守るため事が起こった時は、すかさず「闘うか、逃げるか」反応を起こす為の記憶の仕分けとラベリングをしている。
例えば、がきんちょの頃に頭が坊主のガキ大将にいじめられていた子供が大人になると、同じような風体の人を見ただけで無意識的に心がざわつく。
こんときは、しっかり大脳辺縁系がHPA軸(視床下部―下垂体―副腎)にストレスホルモン(コルチゾールやアドレナリンなど)の分泌の指示出しをする。その最前線で旗頭が「扁桃体」と言うことになろう。
これをまあ、律儀にやってくれるのだが、大脳新皮質がガチで育ってしまった現代人には仇になってしまっている。
分からないのは、書物やら論文やらの類いでは、とりわけ無意識下のネガティブな情動記憶がしこたま扁桃体にぶっ込んである、みたいな書き方をしているものも少なからずあることだ。
確かに、いわゆるフラッシュバックの時の扁桃体の過活動化は有意に認められ、いわばその時のリアルタイムの凍りついたトラウマ記憶が体感覚を生々しく伴っていること、及び連動した扁桃体の暴れ具合を観ても、一部客観性は認められる。だが、これだけだとど―も薄っぺらい気がする。
海馬に蓄えられた記憶は側頭葉に入るとされる。また、確かに情動記憶のどれ程の部分かは分からないが、それは扁桃体にも入っている。
いわば記憶を掘り出す時なんかは、断片に散り散りになった記憶の欠片を紡いで、ナラティブな文脈や脈絡を持ったものにする。セピア色の何やら憂いを帯びた記憶とかだ。
ちょっとは詩的に表現してみた。
これがそもそも理屈が根底から破綻してたら、穴があったら挿入してさらにそこからもう一段階進展させる勢いの、嬉し恥ずかしさを伴う。(どっちだよ…。)
まあいい。
これがトラウマ記憶となるとちょいと事情が違っていて、当時の臨場感さながらに恐怖映像が凍りついていたりする。
物心つく前に児童虐待を受けていた子供が、将来的に複雑性PTSDを持ち犯罪に走ったりする。
こう言うのはやはり、こうした幼少期とか乳児期のトラウマが関与していて、生涯これに操り人形のように振り回され、本人もどうすることも出来なくなっている。
余談であるが、先立って皇族の真子さまが「複雑性PTSD」と報じられたが、専門家にケチをつけるつもりはないが、恐らくはそうではなく、「適応障害」だと思う。
「複雑性PTSD」ともなると、多くはどこか穏やかな風情の土地で静養すれば快方へ向かっていく、と言うようなことはない。
勿論、今回真子さまの身に起こったことはとても重いことで、また誹謗中傷は言うまでもなく、誰も幸せになどしない。道徳的な観点から、なんちう生ぬるいものではないのだ。
まあ、余談は余談として、さて、このあまりにも辛い記憶の負のエネルギーを解放するにはどうしたら。
いくつか方法はある。
基本的に、私は恐怖体験の追体験や述懐などを伴う曝露療法には個人的には賛同しない。
これは先述のクモとかの、ちょいと不快な感情を喚起する生き物に対する恐怖症なんかの緩和にフォ―カスして開発された心理学的手法だった筈だ。
ちなみに、私はクモは好きである。いや、誰も聞いてないと思うけど。
事実、米国のPTSDを患った帰還兵に対する曝露療法の治療成績はよろしくなく、かえって悪化してしまうケ―スも少なくない。
少なくとも如何に、患者さんやクライアントさんに与えるストレスを小さくして治療効果を上げるかが問われる訳で、こう言った観点からも優れた手法は後々開発されてきた。
どの道、現時点では恐怖記憶にしっかり向き合い、それにべっとりまとわりつく不快な負のエネルギーを浄化しなければならない。
そこで、専門家が立ち会ったり、経絡(※あれです、「北斗の拳」で出てきたやつね。)をちょいちょい刺激しながら、ネガティブな記憶に向き合ったりする。その記憶が本人のものでしかないとこもまた、きついところだ、
んで、こうした記憶がどう言う風に断片が脳だったりの神経系に収納されたりしているのかはとても曖昧なのだが、例えばうつ病とかだと、先述のHPA軸が精神的に健康な人とはちょいと理が異なっていたりする。
「負の調節機構」とか言われるのだが、例えば、扁桃体が「闘うか、逃げるか」の二択反応から、視床下部にストレスホルモン分泌の機構を作動させるよう働きかけるとして、最終的にストレスホルモンであるコルチゾールがどこに取り込まれるか、とか、最終的にどうなるか、って問題が出てくる。
普通であれば、コルチゾールは恐らくは、海馬にある二つの受容体に取り込まれ、無害化される。この過程で、海馬は視床下部の上位の調節・制御機関と言えなくもない。
んで、さらにさらにその行き着く先を追いかけた文献はあまりないのだが、まあ仮に、とりわけ過去のネガティブな記憶と相殺されるような形で働いていることも考えられる。勿論、現時点での私の浅学ぶりでは、定かなことは言えんのだが。
ただ、よく「感情はエネルギーで、地層みたいに古いやつから上に積みかさなっていて、感じ切ると消えていく。」みたいな表現がされるけど、これら一連の反応によってそれが起こっているのかもしれない。
だから、経絡をぽこぽこ叩いて、恐怖記憶なんかを感じきると、ストレスホルモンがごそっと減ったり、恐怖記憶の負のエネルギーがかなり削がれたりするのではないだろうか。ちと分からんけどさ。
この経絡ぽこぽこは「エネルギータッピング」と言う手法である。あまり専門家の手ほどきなども要らず、普通に書籍なんかでしれっと紹介されているが、なかなかに優れた手法だ。
で、うつ病であるが、この機構がちと歪んで、たわんでしまうイメージだ。海馬が萎縮したりするのは、ストレスホルモンでがしがし削られちゃうからだろう。
ただ、抗うつ薬を飲んだり、有酸素運動をすると、神経由来成長因子(BDNF)と言うのが主に海馬に作られ、新生ニューロンが出来る。これが逆転の糸口となる。
ただ、まだ今の所は、HPA軸の歪みやたわみがどこまで回復・復元するかは定かではない。
私はアホだから、プロテインでトリプトファンを盛んに摂って、座禅による丹田呼吸をしたり、有酸素運動でセロトニンを作る、ってことをがしがしやったら、どうもたぶん、脳の神経細胞に浸潤していたコルチゾールが剥離して逆流して、ってことをやらかした。
まあ、えらい目に遭った訳だが、まあ能力が全体の10%とか5%とかの(顕在)意識のとこだけで張り切るとこ―ゆ―ことになるのだな。(遠い目)
しかし、だ。人間の自然治癒力と言うのは途方もなくエグい。んで、プラセボとかの思い込みの力もまた、エグい。そのことをまざまざと見せつけられている。
この辺の話はど―してもくっそ長くなるので、追い追い語っていった方がいいだろう。
んで、自然治癒力や潜在力の引き出し方、治癒へどう導くか、ってとこにもやはりコツがあり、この辺は認知科学とか神経言語プログラム(NLP)の話になってくるだろう。
精神科医の樺ちゃんが、
と表現していたが、言い得て妙で、まあ骨折なら、肉体の筋組織やら骨やらの超回復ってのがあるように、脳とか心とかにも、そんな力があるのかも知れない。
ただ、問題なのは、確かに人生考え方次第のところはあるのだが、もうオレは何のために生まれてきたのだろう…的なドツボ状態から事を起こそうとすると、無気力から刺激を求める感じになってしまい、回復がエグい具合で波乱万丈になってしまうことで。
まあ、諦めなければ何とかなる、と言うスポ根めいてくるところがあり、確かにそれは真だけど、人によってはブッ壊れる。よく正常に自我を保って生きてるよなオレ…。
いや、自分語りが目的なのではない。
ただ、人生って、光を知るために、対極の闇を経験するように出来ている、ってことなんでしょうね。
お金で苦労する人は、将来お金のありがたみを知るだろうし、愛する人との死別を経験した人は、そんな思いを誰にもさせたくない、と、その後の行動に一定の方向性と一貫性が現れるかもしれない。
人生って深いっすねえ…。
長くなってきたので一旦終わる。皆様良いお年を。
近未来テクノロジーに乗せる夢。
ウィ―ム…。(シャッター音)
「いらっしゃいませ~!!」
(おっ、爽やかだな。
ここのブックマートは当たりかもな。今日の断捨離で色々見繕った甲斐があったかもしれない。第一印象って大事だよな。)
「あの~、買い取りをお願いします。」
「本日はお売り頂きましてありがとうございます。こちらの番号札をお持ちになり、査定が終了するまで店内を自由にご覧になってお待ち下さい。番号をアナウンスします。」
「宜しくお願いします。」
(どれ、のんびり待つとするか…)
・・・
・・・・・・
(約一時間後…)
(な、何やってんだ?査定にこんなにかかるわけないよな?ちょ、ちょっと確認するか…。)
「ちょっと!!」
「はい、なんでしょう?」
「なんでしょうじゃないですよ!!いつまで待たせる気ですか!?」
「あ―、何番の番号札ですかね?」
「39番ですが?」
「ああ、39番さんね。どれどれ。
お売り頂いた書籍の中に、
"下着の国のアリス"
って本があったでしょう?そちらの買取査定にちょっと疑義を生じましてね。」
「は?ギギ?」
「はい、"下着の国のアリス"と言う本なんですが。」
「いちいち復唱するなよ!恥ずかしいだろ!!」
「…。こんな本を売りに来る方が恥ずかしいと思いますが。お客様。」
「・・・。あんた、ケンカ売ってんの?」
「まあいいですわ。とりあえず他の金額が確定した品についてつなぎで簡単に説明しますわ。」
「は、はあ…。」
「まず、車の雑誌とか少年ジ○ンプとかの類いですが、まあ、分かるとは思いますが値のつけようがないんで持って帰ってください。」
「・・・。」
「・・・。おたくさん、車何乗ってんの?」
「あ?なんでんなことあんたに言わなきゃいけないんだよ!?知るか!!」
「まあ、どうせダサい車乗ってんでしょ。ちなみに私はマセラティ乗ってますがね。」
「うるせえよ!!」
「その時計も…。そんな安もんじゃ、女にももてないでしょ?私はジオフィジック付けてますがね。」
「うるせえってんだよ!!いちいちマウント取ってくんなよ、気分わりいな!!」
「そんなにご立腹なさらずに…。私はただ、お客様の笑顔が見たくて最善を尽くしているのに。」
「・・・。これで笑いを取ってるつもりだったの?」
「まあいいですわ。
でね。この"くたばれジャイアンツ"なんですが…。おたくさん、どこファンなの?」
「阪神だけど?」
「困るんですよね…。うち、巨人ファンのお客さんが多いもんでね。いくらアンチ巨人でも、器の小ささ具合が窺えて…。」
「・・・。単に買い取らなきゃいいだけなんじゃないの?」
「まあ、もうちょっとだと思いますわ。お客様の相手をしてると疲れてくるんで、"下着の国のアリス"の査定の様子を見てきますわ。」
「・・・。もういいよ…。」
(一時間程前。)
「あぁんお兄ちゃん、そこじゃないよお、そこ、おしりの穴だよお。」
「・・・。店長、そのエロゲ―、ほんっと飽きないっすね。」
「おう、なんか用か?」
「ああ、この"下着の国のアリス"って本なんですがね。こっちは店長の管轄になりそうなんで、査定をお願いしに来たんスが。」
「・・・。見ねえ本だな。どれ。(カチャ。)
ぺらぺら…。
ああ、昭和のフェチ本か。よくんなもん持ってんな。ところどころページが不自然に波打ってるしな。
だが…。まあ、実用性はそれなりにはあるかも知れんな…。ふ~む…。」
「んじゃ、任せますよ。」
すたすたすた。
(で、今に至る)
「まあ、もう少しじゃないすかね。長くかかってるってことは、高値がつく可能性の裏返しかも知れません。あんまり重たく考えるとこじゃないかも知れませんよ?」
「・・・。」
「で?何か買いたい本とかCDとかはないんですか?」
「・・・。いや、特には・・・。」
「"下着の国のアリス"!!30まんえん!!!」
「・・・え!?」
「・・・ほう?」
「さ、さんじゅうまんって…。ま、マジか…。」
「あ、やっと値がついたみたいっす。大変お待たせして申し訳ありませんでした。
30円ですね。」
「・・・はあ!?今、30万円って奥から聞こえてきたんだけど!?」
「いやあ、当店の店長の前職は駄菓子屋のオヤジでしてね。前の仕事のクセが抜けねえんでしょうね。30円は30万円に、3000円は3000万円に…。」
「な、なんて店だ…。」
「ま、売るも売らないも、あとはお客様が決めることてす。どうなさいます?」
「もう、煮るなり焼くなり好きにしていいよ…。」/おしまい。
さて。
なんかその、「ウマ娘」のアニメにガチ泣きしてしまいました。アプリの方も入れてはみましたが、まだ手付かずです。
史実に忠実ながらも、シリーズ構成の秀逸なこと。とりわけ、ライスシャワ―とツインタ―ボにくっそ魂を揺さぶられました。
いい意味でしばらく立ち直れなさそうですw。
スペシャルウィ―クはなんとなく優等生なイメ―ジ、トウカイテイオ―は超一流の才能に恵まれたけど波瀾万丈なイメージでしたが、前者はちょいと予想した感じではなかったけど、後者はえらくドラマチックに魅せてきました。
全く…。リアルタイムで、競馬場でこれらの名レ―スを見た人をしばき…いや。羨まし過ぎる。動画もいいですが、はよ臨場感マシマシのVRとかで味わう時代が来ればいいなあ。
そんときは、メモリアルレ―ス、そして密林に小屋を作りゴリラを三匹飼うつもりです。
トップブリ―ダ―推奨。
ではまた。/終