蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

うつ病の最新情報を知りたい!

どうも!


安倍首相、お疲れ様でした。あまり政治色の濃いことは書かないけど、潰瘍性大腸炎と言う大変な病気を抱えながら要職を勤めあげてこられたことに敬意しかないし、私自身も疾患持ちなのでおおいに勇気づけられる。


さてさて、そんなこんなで暑い。とにかく暑い。北国ですらこうなのだから、関東以西なんかは私の想像を絶しているだろうな。コロナと熱中症は対策する方向性、ベクトルが真逆だ。
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だが、ストレスに起因する免疫力の低下はダイレクトにコロナのリスクを高めるし、心と体は繋がっているので、そう言う側面では関連性がまったくないわけではない。涼しくなってきてもいるけど、体調管理には万全を期されたい。


私個人の話であれだけど、再び家庭教師先のお寺からお呼びがかかり、週2~3のペースで通っている。だが家庭教師は密が不可避なので控え(まあ、相変わらずお寺の三男は密って来るけど)、裏方のガテン系の仕事がメインである。


図書館も学習室がまた開放され、えっちらおっちら登山をして山の上のそこを目指す。うすらでかいリュックに夢と参考書とエロスをしこたま詰めて。


アルバイトの求人を貼り出している会社に問い合わせると、いや今はコロナ騒ぎで営業縮小し募集してません、と言う所複数。んなもんさっさと剥がしなさい紛らわしい。んで、ハロワ行ったり求人サイトを見たりしてたんだけど、後者に関してはR銀行ほかに口座を開設してから登録してください、と言う。


「?」と思いとりま件の銀行に電話してみたら口座はすでにありますよ、とおっしゃる。ああ、そう言えばクレカ作ったときに口座作ったっけな、と淡い記憶が甘酸っぱく脳裏によみがえりながらも、諸事情で一回解約してまた作り直すのがいいですよ、と担当者に言われ、その通りにして一週間あまり経つ。まあ、それはいいのだが。


求人サイトの多くは、企業からの広告収入を、当該サイトに記載されている会社にサイト経由で応募して採用された人に、お祝い金として還元するシステムを取っている。しかも結構な額だ。口コミでは信用できないだの、手続きがめんどくさいだの批判精神旺盛なネット民のネガティブな意見が目につくけど、求人サイトは上場企業が多いし、取引先も超有名企業が多いのでそう言う心配はあんまりない。


まあ、うまい話はしっかりウラを取ることは勿論大事なことなんだけど。んで、R銀行の口座はそのお祝い金を振り込むのに必要になると言う寸法だ。


ハロワはまあ…。官公庁の求人は重宝するんだけど、相変わらずブラック臭のする会社の紹介が多いっすねぇ…。「アットホームな職場です」とか「若手が活躍出来る職場です」とか「社員旅行は海外です」とかとか、時代遅れの実態とかけ離れたテンプレの売り文句を謳い、異様な高給で釣ろうとしている年中求人出してる会社が多いのは笑うしかない。


まあ、かと言って求人サイトが優良な会社を相対的に多く掲載してるとは勿論言わないんだけど。出来れば就職四季報なんかの情報源は入手して、三年離職率とかのあからさまなデ―タは最低限見た方がいいです。


あとは不幸にしてブラック企業に勤めてしまった場合。洗脳教育とか施されて冷静な判断力が鈍り、視野狭窄に陥ってパワハラ上司に叱責されたり恫喝されたりしても自責に駆られ自分が悪いんだ、と病んでしまうケ―スもあると思う。


今は当事者じゃないから外野から好きなことが言えるのだ、と脳内でいくつかの私の人格のうちのひとつが声高に主張してるけど、これに関してはもう「逃げて~!」としか言えない。
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あ、ボイスレコーダーの証拠取りは個個人の判断にお任せしますw。復讐は悲しみの連鎖しか産まんものよ…。(すは~…。)やるなら労基とかの専門家に相談してからね。


話があちこち飛んだ。何話そ。


「運」について回を分けて書いてたんだけど、まだまだ続く。まだまだ続くので、気長に続きを書くとして今日は違った話題を。「うつ病」に関してである。出来る限り「運」の話と関連づけるつもりだ。


最近うつ病に関する動画やサイトが夙に増えた気がする。単に私のアンテナが情報を敏感に拾いやすく仕向けているのかもしれないけど、どちらかと言うと物質的な価値観と比べてないがしろにされがちだった心とか精神と言ったものに、人々の関心が移ってきている時代の趨勢も背景にあるのだろう。


コロナ不安も少なからず影響し精神疾患とかストレスの脅威を肌で感じている人も増えたのかもしれないし、精神世界とかスピリチュアルとかマインドフルネスなどに傾倒する人が増えたからかもしれない。


あとは昔の職場の人の中で、西洋文明的価値観のもと(なんだかボヤかした言い方してまっけど)エゴイスティックに振る舞い、人の心を踏みにじってきた人たちが因果応報的に老害化して孤立していっていると言うのも風の噂で聞いたりもする。それはともかく。


いくつか動画を拾ったり書籍を漁ってきた中で、自分のうつ病像が変遷してきた経緯を踏まえながら、最近の知見とか自身の生の体験談に触れたい。今現に病んでいてうつ病になるのではないか、と危機感を感じているとか、うつ病に罹り未来を不安視、あるいは絶望に苛まれている方に何かプラスになることがあればいいのだが。


まず一つ言えることは、自己肯定感と言う言葉が人口に膾炙しているけど、この言葉はどんな時でも自分を礼賛しなさいとか、自画自賛しなさいと言ったようなハッピーセットの概念ではなく、自分をゆるすとか受け入れる、などの受容の精神を色濃く包含していることだ。自分のダメダメなところ、弱いところ、情けないところ。こう言った面を自分の一部として認め、受け入れる所から心理療法面での治癒のステージに入る気がする。


誰にでもポジティブな側面、ネガティブな側面があって、コインの裏表みたいに陰陽のバランスを取りながら一人の人間は形成されている。例えば幼少期、過酷な要求を突きつけられ、努力しても否定されるような厳格な親御さんに育てられる環境にあった子供なんかはとりわけ、自分のダメな所、と判断した要素を自分から分離し否定すると言うようなことをする。


実はこのネガティブな自分はあくまでも、どこまで行っても自分の一部だから、肯定するとか否定するとかはさしあたり置いておいて受け入れ統合してやると、神と悪魔に分離していたピッコロさんみたいに合体後めちゃめちゃ戦闘力アップを果たしたりするんだけど、多くは、少なくとも苦悩の渦中にある時はそれに気づけない。


ましてうつ病にかかるくらいにストレスまみれだと、自分のダメな部分は良くて蓋をする、悪くは徹底して矯正しようとエネルギーを振り向ける。


前に運の話を始めた当初の記事で、インナーチャイルドの癒しワ―クの類は気休め程度の効果しかないみたいなことを書いたけど、言い訳めいているがスピリチュアル的な取り組みをかなりナナメ目線から見ていた。ごめんなさい反省してます。今はもちっとスピリチュアルにもオ―プンマインドな私なのです。ともあれ、インナーチャイルドを抱きしめましょう的なワ―クは感覚的に結構近いものがある。「ゆるしのワ―ク」とでも呼ぼうか。


参考文献として。

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法

  • 作者:根本 裕幸
  • 発売日: 2017/09/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


この本に「ゆるし」は載っている。コンセプトの「受容」については下記の本に。こちらは全編は結構読むのにエネルギーが要る書なので、まずはその章だけでも目を通されるといいだろう。


これはもう、病み真っ最中の時なんかはそもそも活字を追う気力すらないこともあるから、記載のワ―クとかまどろっこしくてやってられないかもしれないが、まあそれでも手元に置いておくだけでも安定剤くらいにはなる。いつか気が向いた時にやればいいのだ。


一番はこの書を書いている心理カウンセラーの先生に相談するのがいいのだろうが、人気が高くて予約が3ヶ月待ちとか、費用もそれなりだろうからあんまり現実的ではないかもしれない。勿論人による。


ちなみに、私もカウンセリングを受けたことはあるけど相談者の目線に立ったり、独自のノウハウや確かなスキルを身に付けている人はどうしても少なく、マニュアル通りの対応をしちゃう人が多い印象だ。私もそうだった。勿論相性なんかもあると思うので一概には言えないんだけどね。一人で悩まず相談を、的な謳い文句を掲げるいのちの電話なんかのボランティアのおば…お姉様は、


「あなたよりつらい人はいっぱいいるのよ、だから頑張って!」


みたいなことを言い放っちゃう人が圧倒的に多いそうなので、こう言う相談事はまあ、課金した方は絶対にいいんだけど。f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20200831143952p:plain


で、問題は受け入れの難易度の高さだ。私はうつ病を持っているから私の例で話すけど、バリバリ働く会社員を羨み、それと引き換えエネルギーが枯渇し、生産的な仕事が今も、いやもしかしたら未来永劫出来ないかもしれない自分を否定し、またエネルギッシュに頑張れない自分を激しく責めていた時期がある。


すると恐ろしいことに、自分をそうやって責め苛んでいると他人が、いや極端なことを言えば世界が、こぞって自分を責めたり牙を剥いたりと言うことが起こる。でもなんでそんな負のスパイラルが起こるのかさっぱり分からないからパニックに陥り、ますます墓穴を掘る、と言うやばい事態に陥る。


これはその人が道徳的、あるいは倫理的に良いとか悪いとかの話ではない。いやむしろ、そう言う風に心を病む人って真面目で誠実な優しい人が多いから(いや自分は今ではすっかりそうでもなくなってしまったんだけどさw)、客観的に見てもその人に罪はないよなあ、と言う気がどうしてもする。


ともあれ、そんな中で七転八倒し、親なんかも腫れ物を触るように接し他人は攻撃的になり、と言うドツボみたいなステージの中で、正解を探す。とりあえず探す。正解なんてものはないのかもしれないけど、何かしら古井戸の底から一筋の光明を見いだすみたいに、生きるヒントを探す。


お茶濁しみたいな情報とか、おどろおどろしい病気のネガティブ情報とか、いやその中でもちょっとした輝きを放つ情報とか、玉石混淆なんだけど、どっちかと言うとガラクタや害悪となるものが多い。自分のエネルギーや、振り向けた意識に即応した情報しか見えなくなってしまうからだ。


「比較の意識」は、人を不幸に陥れる思考の最右翼を担う重鎮の一つだ。ちっとも建設的じゃないし生産性もないと頭では分かっているのに、これに日がな耽溺するステージや精神状態って人間ならどうしたってあるだろうし、これが罠だって気づかずに、夜通しSNS浸けになってしまう人も多い。


だが、考えてみてほしい。ネット上でマウントを仕掛けてくる人がいようといまいと、お金が正義だろうとなんだろうと、うつ病の人の多くが重きを置く人の賞賛や承認、成功と言った、自分でコントロール出来ない領域のものが当人の価値を真に決める訳ではない。
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多くはそのように洗脳されてしまっているからなかなかこの思考のループからは抜け出せないんだけど、その執着している外部の状況や環境―他者や社会の承認や賞賛など―と言ったものは所詮は水物だし、時代の流れでいかようにも変わっていくものなのかもしれない。


何をやっても上手く行かずクサってしまうことも多いだろう。だが、そんな中でも希望を見据え、諦めず、前を向いて進んでいくうちに、不思議と手をさしのべてくれる人が現れたり、ひょんなことから出番がやってきたりするのが人生の機微と言うか、面白い所でもある。


私はどん底にいた時に何をやっていたかなあ、と思い返すと、まあ寝ていたw。日がな薬を飲んで寝ていた。んで、ちょっと薬が効き始めてエネルギーが回復してくると、近くの公園に散歩しに行ったり、認知の歪みをセルフで弱めたり、感謝出来ることを小さな事からでも書き並べたり、生きているうちに叶えたいことリストを書いて、もやもやと出来る限りリアルにイメージを膨らませ、スマホの録音アプリに私のダミ声でアファメーションを吹き込んで寝入りっぱな耳から流し込んだりしていた。


あ、あと、近くの動物園に猿山があるんだけど、子分の猿にてっぺんからマウント取ってるボス猿を眺めて、こちとら霊長類のトップだこのやろ~、と空しいマウント取ったりもしてたな。寂しいやつだ。
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「潜在意識の書き換え」は、そのままずっぽり同一のものかどうかのウラは取っていないが、心理学では「特別無条件同化暗示感受習性」と言う実に長ったらしいフレ―ズで言い表されている。平たく言えば、「眠たいときは暗示にかかりやすい」ってことだ。


ただ、世の中スピリチュアル難民で溢れているだろう、って事実が脳裏に浮かぶ人は多いだろうし、自分でネットや本を見まくって色々やってみたけどさっぱり、と言う人もきっと多い。


潜在意識の本質であるとか、正しい思考法みたいな土台のベ―スの理解が必要になるんだけど、それはここで触れるにはあまりにも情報量が膨大になるし、そもそも私自身が、分かりやすく人生大逆転しましたみたいな結果を出してる訳でも今んとこないので、いまいち説得力を欠くだろう。


だが、単に性格改善的な軸で語るなら、そんなに思っているほどハ―ドルは高くない。目指すのはしたたかなメンタルの強さではなく、しなやかなメンタルだ。これは案外難しくはない。根気は必要だけど。


さてさて、ここでもやはり「比較の意識」が首をもたげてくることって結構な頻度である。裕福な家庭に生を享け、何不自由なく自己肯定感マシマシで育ってきた子供が大人になったあの人と、毒親の元に生まれ親が酒乱で暴力を奮うとか、虐待親だとか。夫婦間に喧嘩も絶えない経済的にもハンデのある家庭に育った私、みたいな比較軸。
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潜在意識は過去の記憶情報がベ―スだから、ここにネガティブな情報がしこたま詰まっている人の人生がハ―ドモ―ドであろうことは確かにはた目で見ても分かるし、同情もする。


こう言うのって因果で、人は魂を何度も転生させその都度の"今世"で因果を解消し魂に膨大な情報をプログラミングしていくものらしいが、それでもまあ、納得はいかないでしょう。


「不幸癖」ってのがある。宿命的なものを受け入れつつも、「自我」が「良い悪い」と判断し色づけた事象ひとつひとつをどう解釈するかはその人の自由意志で決められるようになっている。


「不幸癖」のある人はただでさえ人生に対し不平不満愚痴悪口が多く、さらにそれは他者との比較論で余計に強化され、なんだったら自分は今までの人生ず~っと不幸続きだ、みたいな人生観が骨の髄まで染み付いている。


気持ちは分からないでもないが、こうなると、「鶏が先か、卵が先か」は分からないけど思考が先に来ると言う解釈を取るなら、人生に不平不満…etc…を言ってばかりの「不幸癖」が不幸な現実や出来事を次々招き寄せているとも言えるのだ。


私はそれを散々やり尽くしたから、病や貧困を受け入れ、いやなんだったら、それらに感謝しよう、と言うところまで突き抜けようと思った。このステージまで至ると、結構な人生の達人らしいのだが、受け入れステージまでは行っていたものの感謝ステージを思い立ったのはつい先日のことだったりする。


ものすごく長くなってきた。ここまで読んでくださった方を全力でハグしたいが密禁だし、そもそもまだまだ続くw。しかもどっちかと言うとしばらくうぜぇ自分語りの色彩が濃くなる。その後でちゃんとした知見やら見解やらには触れるんだけど。
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さて、「感謝ステージ」だけど、これはうつ病を経験しなければ分からなかった、いやそもそも見向きもしなかった見地だ。うつ病は大病の危機に瀕した人の緊急停止システムとして発動するとよく言われる。原発とかと同じ理屈だ。


だとしたら、割と順風満帆だけど、将来的になんらかの大病に罹る世界線を自分が歩んでいるとして、ここまで心とか精神、量子力学みたいなのに傾倒してないとすれば、果たして人に寄り添ったり、共感したり、弱い人の為に尽くそうとか思えただろうか?


平穏な人生の中で突然降りかかる災難。うつ病の緊急停止システムが発動する間もなく、いきなり訳も分からず最悪人生に自分の意志とか関係なく幕引きをするとして。


確かにうつ病は苦しいし、周りの偏見も昔ほどではないにせよ未だ根強いし、大体は貧困とセットだし自尊心もだだ下がりするしとロクなことはないように見える。いや、事実そうだろう。


だが、ロクなことはないんだけど、それでも無理やりこじつけでもいいから、感謝出来る側面とか、ポジティブな側面を探った。まあ、そうするしかなかった、と言うのもあるんだけど。


経済学部を出て、銀行マンとして実に華々しくない、モンスター社員としての社会人人生を踏み出した。んで、荒波に揉まれ、心を入れ替え次の役所ではくっそ頑張って、それなりに業績を評価されたりもしたがうつ病を発症した。


そこからは暗転、職を転々とし超ブラック企業に勤めたりもしたし、震災で死にかけたり、自○を試みたりもしたがなんだかんだでその都度助かった。車をGSに停め給油している時にいきなりてんかん発作を起こし、近くの病院に担ぎ込まれたこともある。座高が高いもんだから天井に頭を打ちつけ、車体がばいんばいん跳ねていたそうだ。ついでに言えば失禁もしていた。


ご老人がてんかん発作で色んなのに車で突っ込みまくっていた時期だ。自分だけならまだしも下手すりゃ人様を巻き込んでいた訳だ。ある意味恐ろしく悪運が強い。百獣のカイドウだろうか。


確かに、両手ますかけにたがわぬ波瀾万丈な人生だ。だが、もう過去を呪うことも、人生を呪うこともしていない。それ故に得たもの、気づいたことがたくさんあるし、普通に銀行マンとか公務員として、大組織の歯車として思考停止しながら働いている世界線を想像するとぞっとする。社会のお荷物が何言ってやがる、と言われそうだが事実そうだ。


さてさて、実は昨日、最近ちょっと行き詰まったことがあって神社にお参りしに行った。今の精神疾患ガイドラインでは、うつ病の改善にはさまざまなエビデンスを元に運動が極めて有効とされ、「睡眠(生活習慣の改善)・朝散歩・週2~3日(以上)、一日あたり30分~1時間くらいの中程度の強度の運動」が色んなところで推奨されている。


抗うつ薬を飲み始めてから実際に効果が現れるまではタイムラグがある。その間はネガティブな反芻思考に支配され運動どころではないし、薬が効き始めてもしばらくは、上記みたいなことは到底出来ないのが普通だ。主治医とよくよく連携する必要があるのは言うまでもないし、出来ない日があっても「全か無か思考」に陥って自分を責めることもない。


いや、口で言うのは簡単だけど、どうしたってそう言う時期はある。出来ることから少しずつ始めることが大事なのだ。「0→1」は偉大なる進歩である。うつ病になるといきなり「0→100」にしようとするんすよね…。


んで、私もご多分に漏れず実直に上の「」を習慣化し、日々こなしていた。これだけならなんだか美談めいている。ところがだ。始める前と後を比べるとどうも、メンタルが安定しない。なんだか、軽躁と軽鬱みたいな不安定なステージがやってきた。


おそらくだけど、朝散歩は事前にバナナ食ったり、ホエイの付かないプロテインを使ったりしてセロトニンの原料であるアミノ酸トリプトファンを摂り、日光のもとリズム運動をするわけだから、セロトニンを生成する過程でセロトニン神経が活性化していく。


その中で、うつ病になるとシナプス間隙のセロトニン濃度が下がるわけなんだけど、もう1つ、自己受容体と言うのがあって、これがストレスがかかったり、またセロトニン神経が経験値を稼ぎひとつレベルアップを果たす前に抑制的なネガティブフィ―ドバックとして働き、これもまたシナプスの間のセロトニン濃度を下げてしまうようなのだ。


だいたいサイクルとしては1か月。だからなんだか朝散歩を続けていると、その時期が来るとやたら胸のあたりに圧迫感を感じたり、差し込む不快感があったり嫌なことばっかり考えてしまうモ―ドになる。


だが、そこで止めてしまっては最悪だ。苦しいけど気力を振り絞って外に出て朝散歩して、その段階をセロトニン神経が乗り越えレベルアップを果たすと、嵐が過ぎさったみたいな感覚を覚える。あたかもイモ虫が伸縮を繰り返すがごとく、伸びる前にエネルギーを溜めるのと同じイメージだろう。


そして、うつ病患者なら3ヶ月が朝散歩の1つの節目と言われる。3か月欠かさずそれをやり遂げたときに、強度を増したセロトニン神経から迸るメンズビームが、いや違った、セロトニンにより、脳細胞に浸潤したストレスホルモン(コルチゾール)が剥離すると言う現象が起こる。これは私が実体験として味わったことだ。どうやら寝ている間に起こる。


私が誤ったのは、海馬にストレスホルモンの受容体があることから、記憶の中枢である海馬がストレスホルモンによって損壊することを殊更に恐れ、当時の主治医を担いでステロイド剤を出してもらってそれを飲んだり、海馬に取り込まれる過剰なストレスホルモンを抑制するために、ホスファチジルセリンと言うサプリをぼりぼり食いまくったことだ。(ホスファチジルセリンは一般に副作用はなく、優れたサプリです)

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こう言う生兵法をしでかすと、「扁桃体」→「HPA軸(視床下部→下垂体→副腎」と言うストレスに対処する内分泌系の機構に歪みを生じさせ、実際そうなってストレスホルモンの奔流を生々しく体感できる特異体質になってしまっている。


だから、途中途中で色々おっかない変化はどうしても起こってくるので、専門家ですら専門家の目線でアドバイスをする訳だしそれなりの覚悟が必要になると言うこと、常に専門家との連携を密にし自己判断をけして交えないことが何より肝要となる。少なくとも私と同じ轍は踏んでほしくない。


また、うつ病は一枚岩ではないので、ここまで頑張ったから完治する、とか言う分かりやすいものでもないと言うこと。だが、少なくとも、薬浸けになって再発を繰り返したり、無気力で何もしたくないとか、なんだったら前向きなことを一切考えられないと言うステ―ジは朝散歩だけでも十分抜け出せるだろう。注意点は世の中で言われているより色々あるんだけど。


んで、私は長いことこのレベルで留まっていた。基本的にはその後の治療方針は薬の比重が高かったと言える。だが、ここらでいっちょ、体力もついてきたことだし運動もバリバリやろうと思い立った。んで、6月上旬くらいからは「服薬・瞑想・睡眠(生活習慣改め)・朝散歩・運動・時々認知行動療法」を継続している。


で、だ。


始めた当初起こってきた変化は、連日続く片頭痛、そして睡眠リズムの淫ら、いや乱れだった。ヘンな発疹もたびたび出た。そして、腱鞘炎みたいな症状にも悩まされた。


これら一連の事象と、上の習慣づけの直接の因果関係は分からない。主治医だって分からんのだから私に分かる筈もない。あとは、やたら眠かった。勉強にはなんとかかじりついていたが、この間半ニ―トで良かったのかもなあ…。

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だが、割りと早く嵐は去った。合わせ技だと結構不快だが、一個一個の症状はそんなに大したことはない。ガンになったとか糖尿になったとかでもあるまい。


眠剤のベンゾは着々と減っていった。アマゾンで錠剤を割るグッズが売ってるんだけど、そいつで日々切り刻まれる量がだんだん小さくなっていくベンゾの青い断面を眺めながらほくそ笑んでいた。多くても一時期の20分の1とか。3日に一回とかは全く飲まなくても寝られたりしてもいた。


で、時は流れ。今に至る。軽躁軽鬱ステージがやってきた。


軽躁はそんなに日常に支障をきたすとか、人様に迷惑をかけるとかのレベルではない。少し浪費癖が強化されるとか、いきなり炎天下に何キロも歩いちゃうとかだ。いや、それはそれで別の意味でやばいのだが。あとは、中二病が強化された。


生の執着や死の恐怖が後退し、ヒタイも後退し竜の紋章が現れる。やたら直感と動物的な野生の勘が研ぎ澄まされ、セブンセンシズにでも目覚めたかのような中二病的万能感が発現し、気がついたら指の間と言う間にはコンビニで衝動買いしたうまい棒全種が挟まってた、みたいな。


きついのは軽鬱だ。躁期とのギャップゆえ、このまま這い上がれないのではないか、とか極端なことを考えたりする。大抵瞑想をしたり、外をうろうろしてきたりする。だが、効果が翌朝になると切れている。

主治医には勿論相談したが、躁うつに使われるリ―マスみたいな薬は処方されなかったし、主治医も私も双極性障害になった、とは思っていなかったので、とりあえず苦しいときに頓服として飲むよう安定剤を多めに処方されるに止まった。
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だが、最初は空元気を出して頑張っていたんだけど、だんだん心が折れそうになってくる。そうすると、意識は欠乏感とか恐れ、不安の方に向きがちになる。


昔ほどひどくないのは、瞑想や運動により前頭前野や海馬と扁桃体の、「ブレーキとペダル」が昔より上手く連携して機能しているからかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。


好転反応」と言うのは、なんだかアヤしげな民間療法業者やサプリ屋あたりが使う常套句なので大嫌いだがまあ、心身の浄化と言う視点からしてそう言うものなのかもしれないし、ホメオスタシスとか現状維持のメカニズムが作用して張り切りすぎやであんさん、と脳が待ったをかけているのかもしれない。いくら考えても分からんので、青空を仰いで「まあいっか。」とにかっと笑った。


でもなんだか疲弊してきたので、神社に音を上げに行ったと言うわけだ。「今の私に必要なメッセージをくださいいいィィ~ッ!WRYYYYY~!」とジョジョに出てくるクリ―チャ―よろしく祈った。お賽銭も少しだけ弾んだ。


その後おみくじを引いていい結果が出たこと、また、家に帰って観た動画で、病気に感謝するステージまで行ってみよ、的な情報に触れたことが、自分の心に再び火を灯してくれたのである。


ああ、自分語りが長くなってもうた。皆様、寝てないですか?


話を進める。これら一連の経験で腑に落ちそうなこと。「不安や恐れは9割以上現実化しない。したとしてもなんとかしてきたし、なんとかなるよね。」と言うこと。これが信念体系として根付くまでもう少しかかるかもしれないけど、長いことかけて経験則になってきた。ほんっと、取り越し苦労に終わることってめちゃくちゃ多い。


こう書いたからと言って、今現に心配症の人の気休めにもならないかもしれない。確かに、不安や恐れに囚われてメンタルが重たいときは、別のネガティブな出来事は残念ながら起こりやすくはなる。だが、その強迫観念めいた不安そのものずばりが起こることはまずもって、ない。


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ストレスや不安はどうしたって不快なものだし、避けたいものだ。なんだってこんなにめんどくせえものがあるんだろう、扁桃体やストレスホルモンと言うへっぽこなシステムのせいで現代人は苦労してんだよ、とか、いやそもそもネガティブな思考や感情そのものの存在意義なんかを哲学的に考えたりした。


だが、答えは出ず、結局潜在意識は律儀に答えをサ―チしようと働いてくれるので可哀想になって、脳のリソースを無駄に食うだけだよなあ、と思って、イメージの中で哲学者に丸投げした。


まあ、扁桃体がなかったら、人生になんの刺激も、スリルもサスペンスもなくなる気がする。それもなんだかつまらないし味気ない。ちなみに、扁桃体が全く機能しない奇病にかかった女性を少しばかり長い期間調査したところ、ペットショップの毒グモや大蛇となんの恐れも差し挟まず戯れて慌ててご主人が静止に入ったとか、犯罪蔓延るやばい地域にずかずか夜な夜な踏みいるようなことを何度も繰り返したりしたそうだから、そう言うのを聞くとなんともなあ、とは思う。


こう言うのを考え出すとなんだか自分が賢くなったような気がする。アホだから。抽象と具体から実存に迫る、みたいな。だがこれは明らかに哲学者や宗教学者のお仕事である。


さて、うつ病に関し、最近は色々と新しい可能性やら知見やらが出てきている。いくつか紹介しよう。


まずは「SITH-1遺伝子」。スターウォ―ズの悪役シスの暗黒卿にちなんでつけられたのだとか。正体はヒトヘルペスウィルス6だそう。東京慈恵医大の先生のグループが見つけた。


と、思ったら動画の貼り方が分からん。まとめると、ヒトヘルペスウィルス6にはほとんどの人が幼少期に罹患し、以後このウィルスは血液中に潜伏する。このウィルスは疲労やストレスが溜まると唾液中に急増する。
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んで、マウスによる実験で、鼻と脳を隔てる嗅球と言うところにウィルスが達して嗅球の細胞死を引き起こす。結果「SITH-1遺伝子」により生じるタンパク質により、脳内のストレスが強化されることが分かった。


実際、うつ状態にある人の「SITH-1遺伝子」によって作られるたんぱく質の抗体を調べた場合明らかに対照群との差異が観測され、またそう言った人の健常者と比したうつ病罹患率は12倍も高かったのだとか。生物科学超ニガテな私の書いてることなので、どこか話が破綻してたらすいません。遺伝子とかさっぱりなのである。


このニュースを最初に観て、「何してくれとんじゃボ○~!」と率直に思った。いやいや、勿論先生方に対してではなく、ウィルスに対してだ。だが、先ほどの哲学とか哲学者とかの話と同じで、ど素人なのでお任せしましょ、と言う少し日和見チックな傍観者モ―ドに意識が切り替わった。あとはもう、なるようにしかならんよね(ほじほじ)みたいな。


話は逸れるけど、「悟り」とか「ワンネス」の境地に至ると、自分どころか嫌いな他人や、なんだかよく分からない微生物に至るまで許し、受け入れる器が出来たりするんだろうか。まあ、私は嫌いな人は…。今はほとんどいないんだけど、昔の人を引っくるめるとそりゃあ、たくさんいる。小っせえなあオレ。


「慈悲の瞑想」と言うのがあって、生きとし生ける者だったり、嫌いな人、イヤな人の幸せを願う段がある。その人の笑顔を思い浮かべ、幸せを祈るのだ。最初は心がざわざわしたけど、今は慣れた。


「あなたの幸せを祈らせてください」って人、最近見ないけど昔はいっぱいいたなあ。それとは違うが、イヤな人を思い浮かべ、笑顔にしてハッピーになってくれよ、とかやる。嫌いな人が多ければ多いほど、ル―レットとかシャッフルみたいになりそうだな。


これが量子とか、エピジェネティックスとかの話ならがばい食いついたのだが。あ、エピジェネティックスは遺伝子知らんとあかんよね。めんどくせ~。

これらウィルス群は、コロナにせよそうだけど、もし意志を持って動いているとしたら鬼舞辻無残様みたいな感じなのかな。


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だが、ある日突然生を享け、快を求め不快を避ける。そう言う反射のメカニズムだけで動いている。結果、人間にとって有害だったりする。もっとも、私はヴィ―ガンとかじゃないから、こう言うのに何らかの形で対処するのが仕事ならなんの感情も差し挟まず排除するだけだ。そこに積年の恨みも何もない、と思う。


もう1つ2つ。「炎症モデル」と言う仮説が出てきたこと。でもこれは、「SITH-1遺伝子」と比べるとそんなに目新しいトピックだったっけな?と言う印象ではあるが。炎症の結果生じるサイトカインと言うストレス性のホルモンの濃度が血中で高まり、これが脳に達して脳細胞に何らかの変化をもたらすと言う説である。


あとは、一般的にネガティブな思考や感情に振り回されやすい人は脳内でノルアドレナリンなどの分解酵素の働きが遺伝的に弱いとか色々あるんだけど正直、どれも決定打には欠ける気がする。なるほど、原因の一部はカバーしているけど、全部をカバーしているわけではなさそうな。


あとは「NMN」と言うのをちょくちょく目にする。何かと言うと、平たく言えばヒトゲノムの解読がAIにより急速に進んだ結果、「長寿遺伝子」と言うものがクロ―ズアップされた。読んで字のごとし、アンチエイジングを司る究極体みたいなものである。これまた平たく言えば、「NMN」はその遺伝子を活性化する。


通常はサプリとして売っている。昔はセレブ価格だったのが、最近では量産体制が整ったのか、随分安くなってきた。それでも安くて3万近くはする。いや、もちっと手に入れやすいのもあるかもしれないが、あんまり安いのもなんだかやばそうだし。最低、継続的に飲むならそれなりの心の準備は必要だ。


これは、視床にもかなり大きなインパクトでプラスの作用をもたらすため、慢性的なストレスに対する耐性であるとか処理であるとかにとって有用に働き、認知症うつ病の改善、あるいは完治(まあ、認知症は厳しいだろうけど)の可能性を示唆する向きもある。


これらに言えることを総括すると、うつ病患者が絶望するほど世の動き、とりわけ医学の進歩は遅くはない、いや、思っている以上にスピードは早い、と言うことだ。ヒトゲノムの解読は終わった、って聞いたことはあるしそもそもこれらについての知識も理解もさっぱりなので間違っていたら申し訳ないが、いやまだ終わってなくても、AIがやばいスピードで解読を進めていくし、現在進行形で進めてもいる。


確かに、ゲ―デルが言ったようにアプリオリな全知全能の神と言うのはいないのだろうし、人の生きる世に問題が完全に消える、と言うことは、いかに科学が発展しようとあり得ない。AIが人間の仕事を取り上げ、仕事がなくなった人間にベ―シックインカムが導入され一定の所得が保障される世が来るとして、今度はヒマなことに人間は悩むようになる、と言ってたのは確かホリエモンだったけど、本当に一寸先ですら、未来のことは読めないし時代がどう変わっていくのかも読めない。


今でこそうつ病患者は誇りも自尊心も失っているかもしれないが、ビジネス1つ取ったって、これからの時代は「三方よし」の精神でやらずに、自分の利益だけ追求するやり方はもはや通用しなくなる。人の、自分の心に人一倍敏感で、人の痛みを知り、人に寄り添える感性を色濃く持つうつ病患者の出番は、これから増えていくかもしれないではないか。


「他人に優しく自分に厳しく」と言うのは結構昔から私が人生訓としてきたことだ。うつにかかる方はこう言う方は結構多いはずだ。行き過ぎて自意識過剰になったり、人によく見られたいと言う意識が色濃く出たり、人の目を気にしすぎたりして疲弊する。人は自分がその人が自分についてこう思っているだろう、と言うようなことは大抵思っていないのに。


さらに行き過ぎて、自分に厳しくが自責とか、自己嫌悪とかの域に入ってくるとメンタル的には危険信号が灯っていることになる。ストレスが原因になり結果にもなるだろう。すると、上述のように他人が攻撃的になったりするようなことが起きてくる。


「自分=世界」と言う解釈を目にしたことはないだろうか?これも引き寄せなんかではたびたび言われる。自分を責めたり攻撃したりすれば世界も攻撃的になり、自分に優しくすれば世界も優しくなる、と言うシンプルな構図だ。あくまで自分が起点なのである。だが、これが分かったからと言って、一朝一夕で自分に優しくなれる訳ではない。長年の思考の癖と言うのは簡単にはほぐれないからだ。


だが、潜在意識の書き換えにせよ、認知行動療法にせよ「ゆるし」にせよ、自分軸を取り戻すにせよ、地道な取り組みが必要になる。加えて、潜在意識が書き換わると、新たな人生目標などにゴ―ルを設定していくのが前後にあると思うんだけど、必ず天から試練が降りてくる。

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いや、天からなのかどうなのかは分からないんだけど、本当に次のステップに進むのか、覚悟を問われるようなことが起きてくる。だが、ああ、そう言うステージがあるのだな、と言う心の準備があるのとないのとでは、受けるダメージが全く異なるものになる。


「快適領域を抜け出そう」と言うのは、自己啓発なんかでは良く言われることだけど、これを少しずつしながら、深層の意識にもアプローチしていく。これがまあ、王道になってくる。だが、いくつかコツがある。それについてはまた別の機会に触れたい。あまりにも長くなってしまった。


さわりの部分を一つ。世の「思考は現実化する」の耳タコノウハウは、願望実現に重きを置きすぎて理想と現実の狭間に悩む人のことは割りと置いてけぼりである。スピリチュアルにはまる人で、そんなに日々満たされてるって人はたぶんあんまり多くはない。多くは切実に今の人生を変えたい、と強烈に願っている人たちである。


それなのに、まずはワクワクしましょう、とか、ワクワクに従いましょうとかからいきなり入るから、心が氏にかけている人なんかは強い違和感を感じてしまう。んで、ひたすら「ツイてるツイてる」とか唱えさせられ、やがて嫌気がさすのだ。


まずは小さいことにも幸せを感じたり、幸せを感じる基準値、閾値を下げること、感性を養うのが先である。世のこうした引き寄せノウハウで願望を叶えた人に何人か会う機会があったが、皆さん願望に執着する度合いより日々の出来事に感謝する習慣が遥かに大事だと口を揃えていたし、あとは実際に夢を叶えた先人の傍にいて毛穴レベルで吸収できるものを吸収した、と言っていた。


では、今回はこんな所で締める。あとは「ワンピース」と「鬼滅の刃」を読もう。自分は「鬼滅」はまだ全部読んでないけど「ワンピ」はこの前ようやく既刊は読み終わったところである。

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あ、最後に。ピュ―リッツァー賞作家で、うつ病歴のあるスタイロンの著作「見える暗闇」から。最終章である。

「このはかりしれない試練をもっとも忠実に表現する広大な隠喩はダンテの『神曲』の書き出しの詩句だろう。

人生の旅路のなかば、
われは入りぬ、暗き森に。
正しき道を失えばなり。」


鬱病を体験した大部分の者にとって、鬱病の恐怖は圧倒されるほど大きく、言葉ではとても言い表せない」


「しかし鬱病は魂を絶滅しないし、その真実を嘘めいた、また神がかったひびきを持たせる必要はない」


「この病気から回復した男女、しかも数えきれないほどの男女が、おそらく鬱病のただひとつの救いである恵みの証人となる。鬱病は征服できるのだ」。


鬱病の暗い森に住んだことがあり、説明のできない苦悩を知っている人たちにとって、奈落の底からの帰還は、詩人ダンテが地獄の暗い底から上へ上へと向かってとぼとぼと歩きつづけ、ついに『輝ける世界』と見えたところへ現れ出たことに似ていなくもない。そこでは健康を回復した者だれしもが、のどかさと喜びを感じる力をほとんどいつも取り戻す。それが『絶望を超えた絶望』に耐えぬいたことへの、それなりの補償なのかもしれない」


「かくしてわれら出で来て、ふたたび星を見ぬ」


でも案外、個人的にはベ―ト―ヴェンの、


「私は運命の喉首を締め上げてやる。決して運命に圧倒されない」


ってのが好きだったりもする。さすがは執念の人だ。


では!

※当記事は更新通知がなされていなかったようですので、予約投稿に切り替えた結果、いただいていた読者様のブコメやスターが消えることとなりました。お詫び申し訳上げます。


>切株おやじ様(id: masuhiro6595 )


コメント、ありがとうございます!

根付くまでは結構かかりますよね。私の場合は小さいことからちょこちょこっと手掛けていきました。


モカリーナ様(id:mocharina09


コメント、ありがとうございます!


相性ってあるみたいですね。稲荷神社はいいけど蛇神さまは、みたいな感じなんでしょうか…。そうですね、「運」は「勢い」ですから、若い売り出し中のグループの方がエネルギーに満ちているでしょうね。


>猫p様(id: nkobi1121 )

コメント、ありがとうございます!


いやいや、猫先生は十分に与えていらっしゃいます。結構心配になるレベルで。心身をいたわってくださいね。