蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

うつ病の最新情報を知りたい!

どうも!


さて、年の瀬である。

 
道行く人々に幸あらんことを祈り、何やらマスクの中で思い出しスケベ口角上げをかましながら食材を見繕う。パンツの中までビショビショだ。


最近は山芋をよく食う。かのウサイン・ボルトの100m走の世界記録更新に、少なからず一役買っていたのが山芋だとさえ言われる、超優良強壮食材である。


副腎から分泌されるDHEAと言う若返りホルモンの分泌に関与するが、私はホレあれだ、どっちかって―とエロ目的だったりする。多くは語らない。


"多く"。「竿役のオ―ク」。

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…何を言っているんだ。


まあ、そんなこんなで。そんな話をしようと思ったのではない。


うつ病の最新情報を知りたい!」


と銘打っている。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 


過去何回か書いていることではあるが、何とも稚拙極まりなく恥ずかしさを禁じ得ない。穴があったら挿れたいくらいだ。


×「扁桃体に電極をブッ刺す」→○「膝下野」


う~ん、扁桃体に電極をブッ刺したら一体どうなってしまうのか!!梅宮ア!!


過去の脳外科的な処置で扁桃体を一部切除したとか、扁桃体が先天的にない奇病に罹患している人の話なら。


後者に関して言えば、およそ恐怖の感情と言うものが皆無か、あるいは恐ろしく希薄である。

 

かと言って、一般的な知能は平均以上とかで、しっかり良識も教養もありごくごく普通の人であるのだが、ペットショップなんかに行った、この奇病を持った女性が、毒蛇やら毒蜘蛛やらのやばい生き物に興味深く触れたりするんで、立ち会っていた人が制止に何度も入ったとかなんとか。

 

あとはあれだ。ホラ―系やらスプラッタ系の映画を観ても全く動じることがない。


でも、他の感情…ポジティブなものもネガティブなもの(悲しいやつとかね。)にはそんなに感度が低い訳でもない。個人差はあるだろうが、感情が平板とかではないようだ。


・・・。


・・・これ、前も書いたよ―な。デジャヴとか思い込みならいいのだが。  


恐怖や不安がない訳だからさぞかし生きやすいのかと言えば、実はそ―でもなく、夜な夜な犯罪蔓延るヤバい地区にずかずか丸腰で入ってっちゃったりするようだ。
  

そんなこんなで。


この「扁桃体」には多くの現代人が手を焼くのだが、精神疾患患者はその傾向が際立つ。常時活発に過活動するか、もしくはたやすく暴走してしまう。

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記憶やトラウマ。「カルマ」に関しては…そこまで行くとスピリチュアル的でもあるしもはや訳わかめだが、脳みそは過去の、その人の身に起こった負の体験に類する外部の情報をモニタリングしており、その人の生命を守るため事が起こった時は、すかさず「闘うか、逃げるか」反応を起こす為の記憶の仕分けとラベリングをしている。

 

例えば、がきんちょの頃に頭が坊主のガキ大将にいじめられていた子供が大人になると、同じような風体の人を見ただけで無意識的に心がざわつく。


こんときは、しっかり大脳辺縁系がHPA軸(視床下部―下垂体―副腎)にストレスホルモン(コルチゾールやアドレナリンなど)の分泌の指示出しをする。その最前線で旗頭が「扁桃体」と言うことになろう。


これをまあ、律儀にやってくれるのだが、大脳新皮質がガチで育ってしまった現代人には仇になってしまっている。


分からないのは、書物やら論文やらの類いでは、とりわけ無意識下のネガティブな情動記憶がしこたま扁桃体にぶっ込んである、みたいな書き方をしているものも少なからずあることだ。


確かに、いわゆるフラッシュバックの時の扁桃体の過活動化は有意に認められ、いわばその時のリアルタイムの凍りついたトラウマ記憶が体感覚を生々しく伴っていること、及び連動した扁桃体の暴れ具合を観ても、一部客観性は認められる。だが、これだけだとど―も薄っぺらい気がする。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復


海馬に蓄えられた記憶は側頭葉に入るとされる。また、確かに情動記憶のどれ程の部分かは分からないが、それは扁桃体にも入っている。


いわば記憶を掘り出す時なんかは、断片に散り散りになった記憶の欠片を紡いで、ナラティブな文脈や脈絡を持ったものにする。セピア色の何やら憂いを帯びた記憶とかだ。


ちょっとは詩的に表現してみた。


これがそもそも理屈が根底から破綻してたら、穴があったら挿入してさらにそこからもう一段階進展させる勢いの、嬉し恥ずかしさを伴う。(どっちだよ…。)


まあいい。


これがトラウマ記憶となるとちょいと事情が違っていて、当時の臨場感さながらに恐怖映像が凍りついていたりする。


物心つく前に児童虐待を受けていた子供が、将来的に複雑性PTSDを持ち犯罪に走ったりする。


こう言うのはやはり、こうした幼少期とか乳児期のトラウマが関与していて、生涯これに操り人形のように振り回され、本人もどうすることも出来なくなっている。


余談であるが、先立って皇族の真子さまが「複雑性PTSD」と報じられたが、専門家にケチをつけるつもりはないが、恐らくはそうではなく、「適応障害」だと思う。


複雑性PTSD」ともなると、多くはどこか穏やかな風情の土地で静養すれば快方へ向かっていく、と言うようなことはない。


勿論、今回真子さまの身に起こったことはとても重いことで、また誹謗中傷は言うまでもなく、誰も幸せになどしない。道徳的な観点から、なんちう生ぬるいものではないのだ。


まあ、余談は余談として、さて、このあまりにも辛い記憶の負のエネルギーを解放するにはどうしたら。


いくつか方法はある。


基本的に、私は恐怖体験の追体験や述懐などを伴う曝露療法には個人的には賛同しない。

 

これは先述のクモとかの、ちょいと不快な感情を喚起する生き物に対する恐怖症なんかの緩和にフォ―カスして開発された心理学的手法だった筈だ。


ちなみに、私はクモは好きである。いや、誰も聞いてないと思うけど。


事実、米国のPTSDを患った帰還兵に対する曝露療法の治療成績はよろしくなく、かえって悪化してしまうケ―スも少なくない。


少なくとも如何に、患者さんやクライアントさんに与えるストレスを小さくして治療効果を上げるかが問われる訳で、こう言った観点からも優れた手法は後々開発されてきた。


どの道、現時点では恐怖記憶にしっかり向き合い、それにべっとりまとわりつく不快な負のエネルギーを浄化しなければならない。


そこで、専門家が立ち会ったり、経絡(※あれです、「北斗の拳」で出てきたやつね。)をちょいちょい刺激しながら、ネガティブな記憶に向き合ったりする。その記憶が本人のものでしかないとこもまた、きついところだ、

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んで、こうした記憶がどう言う風に断片が脳だったりの神経系に収納されたりしているのかはとても曖昧なのだが、例えばうつ病とかだと、先述のHPA軸が精神的に健康な人とはちょいと理が異なっていたりする。


「負の調節機構」とか言われるのだが、例えば、扁桃体が「闘うか、逃げるか」の二択反応から、視床下部にストレスホルモン分泌の機構を作動させるよう働きかけるとして、最終的にストレスホルモンであるコルチゾールがどこに取り込まれるか、とか、最終的にどうなるか、って問題が出てくる。


普通であれば、コルチゾールは恐らくは、海馬にある二つの受容体に取り込まれ、無害化される。この過程で、海馬は視床下部の上位の調節・制御機関と言えなくもない。


んで、さらにさらにその行き着く先を追いかけた文献はあまりないのだが、まあ仮に、とりわけ過去のネガティブな記憶と相殺されるような形で働いていることも考えられる。勿論、現時点での私の浅学ぶりでは、定かなことは言えんのだが。


ただ、よく「感情はエネルギーで、地層みたいに古いやつから上に積みかさなっていて、感じ切ると消えていく。」みたいな表現がされるけど、これら一連の反応によってそれが起こっているのかもしれない。


だから、経絡をぽこぽこ叩いて、恐怖記憶なんかを感じきると、ストレスホルモンがごそっと減ったり、恐怖記憶の負のエネルギーがかなり削がれたりするのではないだろうか。ちと分からんけどさ。


この経絡ぽこぽこは「エネルギータッピング」と言う手法である。あまり専門家の手ほどきなども要らず、普通に書籍なんかでしれっと紹介されているが、なかなかに優れた手法だ。

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で、うつ病であるが、この機構がちと歪んで、たわんでしまうイメージだ。海馬が萎縮したりするのは、ストレスホルモンでがしがし削られちゃうからだろう。


ただ、抗うつ薬を飲んだり、有酸素運動をすると、神経由来成長因子(BDNF)と言うのが主に海馬に作られ、新生ニューロンが出来る。これが逆転の糸口となる。


ただ、まだ今の所は、HPA軸の歪みやたわみがどこまで回復・復元するかは定かではない。


私はアホだから、プロテイントリプトファンを盛んに摂って、座禅による丹田呼吸をしたり、有酸素運動セロトニンを作る、ってことをがしがしやったら、どうもたぶん、脳の神経細胞に浸潤していたコルチゾールが剥離して逆流して、ってことをやらかした。


まあ、えらい目に遭った訳だが、まあ能力が全体の10%とか5%とかの(顕在)意識のとこだけで張り切るとこ―ゆ―ことになるのだな。(遠い目)


しかし、だ。人間の自然治癒力と言うのは途方もなくエグい。んで、プラセボとかの思い込みの力もまた、エグい。そのことをまざまざと見せつけられている。


この辺の話はど―してもくっそ長くなるので、追い追い語っていった方がいいだろう。


んで、自然治癒力や潜在力の引き出し方、治癒へどう導くか、ってとこにもやはりコツがあり、この辺は認知科学とか神経言語プログラム(NLP)の話になってくるだろう。


精神科医の樺ちゃんが、


うつ病心の風邪ではなく、心の骨折ですね。」


と表現していたが、言い得て妙で、まあ骨折なら、肉体の筋組織やら骨やらの超回復ってのがあるように、脳とか心とかにも、そんな力があるのかも知れない。

 

ただ、問題なのは、確かに人生考え方次第のところはあるのだが、もうオレは何のために生まれてきたのだろう…的なドツボ状態から事を起こそうとすると、無気力から刺激を求める感じになってしまい、回復がエグい具合で波乱万丈になってしまうことで。

 

まあ、諦めなければ何とかなる、と言うスポ根めいてくるところがあり、確かにそれは真だけど、人によってはブッ壊れる。よく正常に自我を保って生きてるよなオレ…。

 

いや、自分語りが目的なのではない。

 
ただ、人生って、光を知るために、対極の闇を経験するように出来ている、ってことなんでしょうね。

 

お金で苦労する人は、将来お金のありがたみを知るだろうし、愛する人との死別を経験した人は、そんな思いを誰にもさせたくない、と、その後の行動に一定の方向性と一貫性が現れるかもしれない。


人生って深いっすねえ…。


長くなってきたので一旦終わる。皆様良いお年を。