メンタルがヤバい人向けの引き寄せ講座。⑥
- どこから来て、どこへ向かうの~♪
- 「クオリア」・「受動選択仮説」とは?
- また「さとり」の話なり。
こんにちは~。
さて、
「メンタルがやばい人向け引き寄せ」
とか謳っていますが別に、メンタルがやばい人限定ってわけではないですw。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
随所に溢れる引き寄せノウハウにちょこっとスパイスを加え、あとは実験精神をもって色々試してみた結果を少しばかり加味してお届けしておりますw。
どこから来て~、どこへ向かうの~♪
で~です。
いきなり、
「あなたは神様ですよ。」
的なことを前記事で書きました。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
ただこれを前面に押し出す気もないし、押し付ける気もないです。
「アプリオリ(先験的)な神様」
はいないし絶対真理も、人間の顕在意識のレベルでは到底うかがい知れないものです。
ただ、「100%自分原因説」と言うようなものがあったり、「潜在意識=現実」と言うようなことを腑に落とすと、色々なパラダイムシフトが起こるのも事実です。
・100%自分原因説・・・https://ameblo.jp/sennsaiisiki/
ご興味のある方はどうぞ。ちょっとスピリチュアル色が強いかも。いやまんまスピリチュアルなんすけど・・・。
このコーナーで最初から書いてきた、通底する考え方をもう一度おさらいしておきます。
1.誰一人として”世界の全体”を観測している人はいない。一人の人が受け取れる情報量は脳の構造上限られており、世界の一部をそれぞれ切り取って見ているイメージ。
2.物質的次元、現実は巨大でホログラフィックな鏡のようなものである。そこでは、われわれの思考が物質的に映し出される。つまり、われわれが経験する現実というのは、自分も最も優勢な思考を投影したものである。
3.2で書いたような思考が「信念」、あるいは「思い込み」と呼ばれる。目の前の現実は、昨日までの自分の考えと行動の答えである。
以上を踏まえると。
・自分の、あるいは自分についての思考を変えることは、自分を変えるだけでなく周りの世界をも変える。
と、言うことです。
「クオリア」・「受動選択仮説」とは?
だから、自分の中の無意識の領域が目の前に現実として投影されていて、人生はその答え合わせ的な意味合いを持っているとさえ言えます。
今は「受動選択仮説」と言う理論を唱える学者先生もいて、心を受動性のもとで捉え自由意思を否定しています。
どう言うことか。
自由意思と思えるのは、環境からの刺激に対する無意識の、脳内の情報処理の過程の結果を後で認識したものに過ぎない、と言うことなんです。
随分突拍子もない話のようにも思えるのですが、どうもあながち嘘でもないらしい。
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)
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「クオリア」と言う単語を聞いたことはありますか?
これ、言い出したのは脳科学者の茂木さんだったかもしれないんですけど・・・。
意識高い系なんだよなああの人・・・w。
結構ウラを取るにはこの「クオリア」についての冗長な説明が必要になるので、それはいったん置いておいて、まずはざっくり心、とりわけ無意識の領域が目の前に投影されてるんですよ~、ってことは押さえておいてください。
また「さとり」の話なり。
ただし、です。
前の方の記事で「さとり」とは「差、取り」であり、他人と自分との境を弱め、あるいはなくすこと、と言うようなことを書きました。
多くの悩みや苦しみの根源が、他人と自分を比べることによることはなんとなくお分かりだと思います。
「さとり」と言うのは「全体性」をも意味し、もともとの全体意識へ回帰する、と言う「ワンネス」と密接に関わっています。
なので自分をデザインし、他人と自分を隔てている自我をどうするか?って話になるのです。
自我が自分と他人を隔てる分離意識を生み出し、その対比が「真我」と呼ばれるものです。これが全体性を持つのですね。
釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったのは、
「オレ様が一番エラいんじゃ~、ひれ伏せ平民ども~!」
って意味じゃないですからねw。
お釈迦さまが言ったのは、
「唯我独尊」の「我」は、お釈迦さまだけのことではなく、我々、すべての人間のことです。
「唯我独尊」とは、ただ我々人間のみが果たしうる尊い使命、崇高なたった一つの目的を持っている、と言う意味です。
何の為に生まれてきたのか。何の為に仕事をして生きるのか。苦しくても生きねばならないのはなぜか。
人生の目的そのものに関わってくる話なんですね。
このすべての人間、と言う考え方が「真我」の世界です。「人類皆兄弟」なわけですな。
それでも、です。
なんだか訳の分からない人はいっぱいいるし、世界に飢餓や戦争、病、死、差別など理不尽不条理がはびこり、志半ばで屈辱感にまみれたまま死んでいく人もいる。なんでなんだろ?ってことはくっそ考えました。と同時に、自分自身屈辱感にまみれて死にたくねえなあ、ってこともくっそ考えました。
こう言うことについては今も考え中なんですけど、ただ人間は基本的に誰かを傷つけたり傷つけられたり、病気になったりしないと気づけない生き物であるのは確かです。
どこまで行っても人間は「人それぞれ」の相対主義で語られるものですし完全な人など存在しません。
スピ的な、
「みんな未熟なエンジェルで、神様(=創造主にあたる存在)が七億通りとかの経験をしてみたいからと分霊したのが人間です」
とか言われてもなんだかなあ、ってのが正直なところです。
けれども、一見すると全くここに独立して生きているかのように見える他人のために何ができるか?という関係性のもとで自分の人生を考えるとき、脳みそであり心であり身体であり、魂、みたいなものが覚醒するのも確かです。
ドーパミンやら何やらがどばどば出て、行動力が何倍にもなったりする。
だから、何度も過去記事で書いてきたのですが、
「世の為人の為エゴ心を捨てて」
と言うのは背景にはそんな裏付けもあるわけなのです。
こう言うののひとくくりをお釈迦さまが「縁起」と言ってるわけで。
・「縁起」・・・他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる/ウィキペディア先生
だから、「引き寄せ」だけで独立して語るとどうしてもスピ系寄りの、到底手の届かないなんだかキラキラした層の所有物みたいになっちゃうので、私は外堀から埋めていったんですけどね。
「引き寄せ」は常に起きています。
ただ、
「願った通りに引き寄せる」
となると難易度は青天井です。
なぜ青天井かと言うと、「心のコップ」を「愛」とか「感謝」とかのエネルギーで満たした、いわゆる波動の高い人がくっそ熱量を持って世の為人の為に行動した結果、ようやく願望が実現すると言うものだからです。
そこに至るまではそう言う人でも七転八倒します。千回試行して一回あたりを引くとかの話ですからね。
ただ、「思考は現実化する」ので、じゃあ潜在意識を書き換えましょう、と言う専門家はいます。
確かなところはまだ分かりませんけど、自分の力で書き換えていくよりは、ちょっとお高いでしょうけどそう言う人の確かな力を借りる、と言うのも選択肢かもしれません。
長くなってきたのでこの辺にしますかね。
では!/おしまい。
>面白マンガ道場様(id:falchion9)・・・コメント、ありがとうございます!心底気持ち悪いですよね。そう言うのが好きな人だけで、その世界でねちねちやってもらいたいですw。
>猫p様(id:nkobi1121)
・・・コメント、ありがとうございます!猫Pさんはオンオフの、「オン」の時の仕事の質も量も規格外だと思うので全然OKです。日本ホンットやばいです。
>ブラック企業は際立ってますよねw。
)・・・コメント、ありがとうございます!そう言う、悪い意味での体育会系気持ち悪さも