競うなッ!持ち味を活かせッ!!(バキ)
- 「あるある本」っていいですよね。
- 「願望実現」のワナと一本の道すじ。
- 「生きにくさ」の正体って?
こんにちは~。
今日は上司が午前中休みで、隣のシマのおっちゃんが私を褒め殺すw。
う~ん、つくづくアメとムチの使い手だなあ。
ただ、今上司がメインでやってる仕事も覚えちゃえってことを言ってまして、さらに高みへってことなんだろうけど、正直身体がいくつあっても足りないっす。
「あるある本」っていいですよね。
そんなわけで。
また性懲りもなく本を買い漁ってしまったわけですが。
「願望実現」とかの文脈で自己啓発とか、成功哲学とか数多ある中で、「スピリチュアルあるある」、「自己啓発あるある」あたりから出発しているユニークな本です。
「あるあるネタ」っていいですよね。
うつ病であれば、下記の本なんかは「メンヘラが浴びせられる台詞あるある」です。
「うつ」は甘え?君にサーチあれ。: ?うつ病患者を苦しめる新たな100の戯言? (まるるんず出版)
- 作者: 錦山まる
- 発売日: 2018/12/25
- メディア: Kindle版
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「ブラック企業あるある」のマンガなんかも出ていて、多くの人の共感を集めています。
「あるある」は皮肉であり風刺であり、対象をネガティブに、斜めの目線で見てはいるんだけど受け手の溜飲を下げる効用があって、痛快さを覚えてしまう共通した構造を持っています。愚痴とは明らかに異なる。
ただこれも相当センスを磨かないといけないし、磨いてきたんだろうなあ、と思うのです。例えばツイッターの140字くらいでしれっとシンプルにキレがあってかつコクもあるフレーズを叩き出す力量がないといけない。
自分はあんまりシニカルな視点って養ってないからすごいな、と感心しきりなんですよね。
私のはみんなでハッピーになりましょううへへええ、的な能天気ハッピーセットが基本構造であり、ただなんとな~く「生きるヒント」的になったりもする。まあ、それでいいんですけどね。
「願望実現」のワナとわずかな道すじ。
で、だ。
上の「夢」本。
動画サイトで最近よく観るスキンヘッドの破戒僧みたいな人の本です。
【究極奥義】引き寄せの現実創造を極めると宇宙と自分の区別がつかなくなる
「宇宙となかよし」とか言うハンネだと、最初はなんとなく「情弱ホイホイ」の胡散臭さを禁じ得なかったのですが、この人は、あんまりアテにならない私の直感ですけどまあ、「大丈夫」な人だと思います。(失礼)
スピリチュアルって、
「願望を実現したいなら願望を捨てましょう。願望を持ってはいけません」
的なものすごい矛盾を内包しているじゃないですか。
そのために、煩悩や執着を断ち切る意味で滝に打たれたり、瞑想したり、胡散臭い教祖にお金払ったり。
「精神世界」を知るには「さとり」を開かなければならないわけだけど、いまいちこの「さとり」と言うのもなんだかよく分からんし、「さとり」を開くためにエゴを捨て、執着を捨て、無になりましょう、ありのままのあなたを受け入れましょうとかなんとか、基本的に難易度が青天井なんですよね。
この「Qちゃん」は欲望とか願望にまっすぐで、願望に執着したっていいじゃんって感じの突き抜け感があってむしろ個人的には親近感が持てるのです。それが人間でしょう、と言う・・・。
「生きにくさ」の正体って?
で、まだ出だしのとこしか読んでないのですが、「さとり」とは、「差を取る」こと、と書いてあったんですね。
あとはよく聞くフレーズである「人生は思い込みでできている」。
この「差を取る」と言うフレーズは実は非常に重要で、要はもともと人間は「ひとつ(ワンネス)」なんだから他人と自分を比べるのは止めましょうって境地なんです。
他人と自分を比べることが苦しみの根源だったりすることが非常に多いわけで。
人間、生まれた時は素っ裸です。心も身体も、です。
ところが、まず母親と自分との境界線が出来、社会性を身に付けていく過程でさらに他人との境界線が出来ていき、それが「自我」となるわけですが、この「自我」こそが人を人たらしめるのと同時に多くの苦しみを生み出すわけですね。
で、成長過程の中でこの自我、つまり自分と他人との境界線をどんどん強くしていく過程があり、そこではた、と気づいた人がまた、自分と他人との境界線を薄くしてもともとの「全体」へ還る。
これが「さとり」であり、(他人と自分の)「差を取る」ってことなんです。願望が叶うのはまさにこの時、だと言うことなんだと思います。
ただ、願望に執着すればそれはそれでまたしんどいので、願望やゴールを明確に意識しながらも今を充実させる、ハッピーに自分を満たしながら生きると言うことを優先した方がいいのかな、とは思うのですが、そこはまだ読み進めてみないと分からない所です。
「さとり」の境地にはじゃあ、具体的にどう至るの?って話ですが、例えば無理難題をくっそ考えて考えて考え抜いて、ばたっと中断して寝る。
すると潜在意識が働いて、寝ている間に解決してくれる局面があるのだと言うのですね。
夢の中で世紀の大発見をした人は数多います。ベンゼン環のケクレさんとか。
アインシュタインとかニュートンと言った人たちは電波系で、でもこの人たちも多分その境地にいたのでしょう。
まあそれはともかく、人間の不幸や苦しみの多くは「他人と自分を比べる」物差しであることは間違いないと思います。いや、思いますってかそうです。
日本人はとりわけその感覚が色濃くて、一言目にはやれお隣さんがどうとか、世間体がどうとか、同じ学校のあの優等生がどうとか。
幼いころから過当競争の渦に叩き込まれ劣等感や優越感の芽をすくすくと育てちゃうじゃないですか。
その割に集団に馴染まないといけない、自分はへりくだって相手を立てて・・・とか。加えてなんだか社畜になるための教育を叩き込まれ、生きにくさの根っこの部分をそれこそ自我が芽生える過程から刷り込まれるわけです。そりゃ生きにくくなるってもんですよ。
そこで多くのスピリチュアルが仕掛けてくる、
「ありのままのあなたが完璧なんです」
的なフレーズに胡散臭さを感じつつもつい寄って行っちゃったりする。ご多聞に漏れず私もそうでした。心が弱っているときにそれはそれは甘い罠を仕掛けてくる。
だからスピ系や自己啓発系に依存してはいけないのです。依存する過程は必ずあるし無理ないんだけどさ。
私もこの辺の「スピリチュアルあるある」を語り出すと熱くなるのでこの辺にしときますけど、本題はそこにはなくて、この「差を取る」ためにどうするか、と言うことにフォーカスすると意外にいろんな方法が見つかります。一朝一夕にはいかないんですけどね。
それはまた長くなるので別の機会に別のコーナーを設けて綴っていきます。私自身がそもそもその過程上にいますのでね。
では!/おしまい。
>>猫p様(猫p (id:nkobi1121)
・・・コメント、ありがとうございます!
「まあいっか」にはヤオヨロズの言霊が宿ってますw。フロイト先生の解釈は下ネタに帰着するスタイルですよね。