蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

遊ぶために努力するのか?努力するために遊ぶのか?

  • 腎臓を捧げよ!
  • 数学をだらだら楽しむ。

こんにちは。

 

今日は定期通院の為お休みを貰いました。

 

さすがに3日も休むと仕事に行きたくなくなるのですが・・・。

 

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さて、目下だらだらとマイペース更新モードになっていますが、リアルの仕事と数学がメインでその間を縫って更新すると言うのは結構骨です。

 

でも、見てくださる方がいて、加えて交流できる方がいらっしゃるだけで結構モチベってもつもんだなあ、と思います。

 

今後も更新はマイペースになったり頻度が上がったりするかもですが、自分の直感重視ですんでそこんとこ世露四九w。(ふるっ)

 

で、ちょっと思ったのですが、なんとなくですけど「ですます」調より普通に「~である」調で行こうかと思ったんですね。

 

そっちの方が意外にするする文章が頭に浮かびやすかったりもします。

 

書いてることはアヤしさ全開のトンデモ科学を背景にしてますんで、「ですます」調だと余計にアヤしくなると思うのは・・・自分だけかな?w

 

と言う訳でさっそく。

 

腎臓を捧げよ!(進撃の巨人

 

でも、今日はお茶濁しの雑記に終始すると思う。

 

さっき、スズキのアラを食った。

 

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なんと、結構なぎっしりさで300円とかである。

 

ビールがこよなく欲しかった。こらえた。

 

別にインスタ映えとかはしないので写真は撮ってない。あるのはグロテスクな魚の頭アンド切り身である。

 

コラーゲンを堪能するなら別にアラで一向にかまわないのだろう。

 

次はアンコウを買ってこようと思う。いくらするかは分からないがそんときゃまたアラだ。

 

昨晩は道に寝そべっていたにゃんこ二匹と、ムツゴロウさんよろしくちゅ~しまくる夢を見た。どんだけ猫が好きなんだ、って話である。

 

数学をだらだら楽しむ。

 

そんなこんなで、数学についてである。

 

「心はすべて数学である」と言う本を買ってみた。

 

心はすべて数学である (文春e-book)

心はすべて数学である (文春e-book)

 

 

タイトルにすこぶる惹かれた。

 

ただ、学者先生が書いた本なのでそれなりに骨は折れる。

 

いきなりしょっぱなに三平方の定理の、あんまりポピュラーじゃない証明がある時点で結構敷居が高い。でもそこからはするすると行く。

 

「こころと数学」、と言うことであれば故岡潔博士を外すことはできないだろう。「知情意」と言うフレーズで情緒を重視した数学者である。

 

「こころ」は基本的には混沌としている。だから非線形の土俵に持ち込む必要があるのだが、誰も「こころと数学」と言う研究テーマで一定の成果を上げた人はいない。

 

ただまあ、直観的なレベル、瞑想なんかでその境地に歴史上達した人はいる。東洋哲学などの偉い人だ。

 

カオス理論がそもそも端緒についたばかりだからでもあり、誰もこころや意識を、数学の分野で研究テーマに掲げる人はいないからでもあるだろう。

 

これに心血を注ぐのは研究者としてはリスキーである。研究論文は基本的にはヒットを多数生み出すのが処世の上でもいいだろうし。

 

だから、医学部で量子力学を必修にしたらいいと言う意見を何かで読んだが、これも同じような理由でしばらくはないだろうと思っている。「エピジェネティック生物学」の勢力が台頭してくれば別だが。

 

少し前は「ゲーデル不完全性定理」を半分くらい読んだ。

 

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

 

 「不完全性定理」の直観的理解がある程度できればこの書はそれでいいのかもしれない。

 

ゲーデル唯一神の不在を証明した後、実は神様はいるんですよ、ってことを証明しようと生涯を費やしたようなのだが志半ばで命を落とした。そこの段はまだ読んでいない。

 

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両書とも難解な理論を出来るだけ分かり易く、具体的にイメージしやすい形で説明しようと試みているのだがいやはや、結構しんどいのかもしれない。

 

自分は数学との付き合いはそれなりに長いのだろうが、如何せん経済学部出身だと、微分統計学には結構詳しくなるがそれ以外がさっぱりだったりする。なので今は大学入試レベルの数学をいじっている。

 

「数学を究めよ!」とか謳っているが、「極める」のとは全然違う。

 

勿論欲を言えば極めたいw。

 

ただまあ、今やってることは「千里の道も一歩から」、いや、それどころか、数学の尖塔は「万里」である。「万里の道も一歩から」である。

 

その道で食うのみならず一流になるならどんな道でも、最低10000時間はその対象に注ぎ込むことが必要だとよく言われる。例えば日がな数学をいじっていたとして仮に10時間とかであっても、1000日必要なわけだ。

 

ただそれでも、数学をいじってるとひらめきや直感が鋭くなったり、色んなことの本質を見極めやすくなったりもする。「球筋が見える」と言うやつだ。

 

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自分がどうやら、大学入試と言う土俵であれば相当マニア向けの記事を書いているだろうことには最近気づいた。あくまで好きな人向きである。

 

世の中の人の大部分がどちらかと言えば数学アレルギーであることは知っている。

 

う~む、何が言いたいんだw。

 

だから、「考える」ことを重視する時間「解法を覚える」時間「解法を思い出す・あるいは組み合わせたりアレンジしたりする」時間と言うのはどれも円環状なんだけど、大学入試と言うことなら「覚える」、記憶の強化に力を注ぐのが効率は良いのだろう。

 

話は逸れるが、エビングハウス先生は立派なひげを蓄えているのは画像で最近知った。

 

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自分はあんまり「ジアタマ」と言うのはアテにしていない。磨き方次第でいくらでも光るのが頭ってものだし才能は後天的努力で開花する。

 

まあもし今の仕事を離れ、まずは個別指導の塾なんかで生徒さんを指導するとかになったらそれはそれでまた難しいのだろうけど。

 

そんときゃメンタルのいい保ち方とかやる気の出し方とか、心理学的な見地で独自色を出そうかと思う。

 

ただ、個別指導の塾の仕事と言うのは隅から隅までマニュアル化されていて、あんまり属人性はない。平たく言えばすごく地味だ。

 

独自色を出したいなら家庭教師とか大手の予備校なんかがいいのだろう。

 

だが。

 

自分が教えるとなるとやっぱりマニアックになるだろう。それこそ数学そのものを掘り下げたり数学を使って何かを分析したりと言った手腕と、教える手腕と言うのは本質的に異なる。これが同じなら、世の数学者の先生方はもれなく名伯楽になるだろう。

 

今のうちに「大数シリーズ」で「教え方」もしっかり学んでおきたい。

 

と言う訳で、また「大数万歳」で締めることになったw。

 

では。/おしまい。

 

 

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