蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

引きこもり・「8050」問題への具体的対処を探る。③

どうもです。

 

今日は「引きこもり家族会月例会」に出席してきた。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

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この会、毎回来る固定メンバー以外は結構人が入れ替わる。

 

今日は仙台近郊の市の女性議員さんも来た。そして、当事者とそのお母さん。

 

その議員さんも私と同じで、どうきっかけを作り、当事者に気づかせてあげられるか?その土台や基盤作りをどうするか?と言うことに関心を強く持っていたようである。

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ただまあ、今は草の根的な活動である。

 

少なくとも、今日来てくださった親子の間に意見交換の場を持っていただくことで、通常のご家庭内の話し合いでは見えにくい客観的な視点を持ってもらえたようである。

 

当事者は当事者しか知りえない苦しみや悲しみ、辛さ、逆説的に喜びや達成感、幸福感と言うものがある。

 

その息子さんはご近所とか、社会との付き合いや距離感に行き詰まりを感じており、人と会うのが怖いのだそうだ。

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それでも今日の会に飛び込んできてくれたのだ。そして結構話しやすかったらしくぶっちゃけトークもしていた。

 

人間関係。

 

ここは日本社会の病理と言うか、闇である。現場、仕事場で例えば初見の仕事を教えるときでもいちいち頭ごなしに怒鳴る人なんかもいまだに多い。

 

声のでかい、加害側になり易い人は組織の中では幅を利かせやすく、被害者は守られるどころかかえって攻撃されたり、不利な立場になったりもする。そう言う空気はすでに学校で縮図として現出している。

 

集団主義帰属意識、反面同調圧力と言った負の面。それが強く出ると心に傷を負う人が増える。どうしたものか。

 

そこは今後、もう少し突っ込んで考えていきたい。

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さて。

 

その息子さんが胸の内をさらけ出してくれたおかげで私も改めて、自分が自分の人生を再度取り戻すきっかけって何だったんだろうな、と振り返る機会を持てたのである。

 

私は母親の存在が大きかった。

 

父親は割と条件付きで子供を愛すと言うところがあったので、どこどこ大学を出ないとだめだとか、肩書にこだわっていた時期が長かった。

 

それは自身が現場勤務で、落下傘で本店とかから降りてきた大卒の年下の管理者に顎で使われたりした体験があるからである。

 

だから私には兄と弟がいるが、父親は特に三人とも大学へ入学させなければならないと言う強いこだわりを持っていた。

 

そこで、今振り返れば・・・。と母親はよく漏らす。

 

勉強さえできていればいい。そんな幼少期を送らせていたのだと。

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家事とか、身の回りのことなどを自分でやらせず、口に出す前に自分でやった方が早いと考えていたそうなのだ。

 

心の病については、家族、とりわけ両親との心理的和解をすることがとても大事なのである。

 

だからと言って、過去を振り返って事細かに、あの時ああだったからだめなんだ、とか思い出したりすること自体不毛だし、それは反省として振り返るよりどちらかと言えば後悔にしかならない。

 

だから、そこからは未来・目的志向で今から何ができるかを考える。その前提の下で腹の中にあるもやもやは感情として吐き出す。

 

それは面と向かっての衝突ではなく、紙に書き出したりするとかの割と地味なプロセスだ。過去のネガティブな親子間の体験の記憶をリアルに掘り起こし、そこにメスを入れる。

 

そして紙面でそれを再現し、感情もろとも吐き出す。

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今の深層意識を作っているのは幼少期の記憶がかなりの部分を占めている。幼少期は当然自意識も育ってないし未熟だから、叱られたことなどを未だに深層意識では根に持っていたりするのだ。

 

それを事細かに思い出すのは難しいけれども、あの時こうしてほしかった、とか、こんなことで怒られたのは理不尽だ、とか。可能な限り吐き出す。

 

こう言った心理療法は実際に行われている。本来であればカウンセラーやプロの力を借りるのがいい。

 

しかし、今日来ていた息子さんは過去にカウンセラーの指導を受けたそうなのだが相性が悪く、ソリが合わなかったそうなのだ。だからこれは絶対条件ではない。

 

認知行動療法などと併せ、セルフでやらなければならない場合の方が多いのかもしれない。田舎なのでカウンセラーの絶対数が足りないのである。

 

ともあれ。

 

その息子さんは部屋に閉じこもり、何をやってもうまく行かない現実を前に塞ぎ込み、幾度も暴れたり壁を殴ったりしたそうだ。

 

しかし、お母さんが自分のために本気で汗を流してくれている。その姿に次第に心が氷解していったそうである。

 

と。

 

そこではた、と気づいた。自分も最初のきっかけってそう言うことだったかもしれない。

 

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自分を徹底的にいじめ、責め、生まれてこなければよかったなどと呪い続ける一方で、このままではまずい、と言う焦りも募らせる。その苦しみから何とか逃れようと、色々な情報を漁った。

 

ネットだけでは情報のソースの大海のスキミングしかできない。なんとなく表層的な理解で終わる。結論、本の方がいい。

 

私は佛教哲学の本をたくさん集めたが色々な啓発書もある。

 

人によってそこは異なる。潜在意識の書やスピ系の本も随分読んだ。

 

だが、実際に人の中に入って行こうと考えたのは、恩師が適時的に指示を出してくれたのもあるが、母親が自分のために汗を流し、必死に駆け回ってくれたことが大きい。

 

そのあとは家事を手伝ったり、仕事に行って他人の中に入り自分の存在意義みたいなものを再確認することを通し、与え与えられることの喜びと感謝の妙味を知った。

 

自分が幸せなら。人に幸せを分け与える。そうすると、いくらかは自分に跳ね返ってくる。積極的に善行をし、人に与えようと言うのが色々な宗教とか哲学、心理学などから汲み取れる共通項である。

 

ただ、それは自己否定の沼から底を打って這い上がる後の、少しエネルギーが満ちてきたときに行うことだ。

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どうやったら再度、自分のもとに人生を取り戻し、自身に価値を見出すきっかけを作るのか。それは人それぞれやり方が異なる。

 

今日集まっている人はみな志は同じだ。今後も積極的に会に参加し、知恵を出し合い、小さな声を丹念に拾っていく。ちょっとしたきっかけで、想定もしていなかった人との接点が出来たりする。そこは出会いの妙だ。

 

そこからまた輪が広がっていく。あとはそれぞれの宿題だ。会の性格上大々的に宣伝することはしないが、来る者拒まず、去る者追わずである。たぶんw。

 

ここには頭っから当事者を否定したりする人はいない。社会にはすぐに甘えるな!とか自己責任だとか、犯罪者予備軍だ、とかきつい言葉を浴びせたり、差別したり、レッテル貼りをしたりする人が多い。

 

だからと言って、当事者だけで傷の舐め合いをしていてもダメである。

 

どのタイミングで、どう具体的なアクションを起こすか?そこは緊密な専門家や行政との横の連携が不可欠だ。だから今回、議員さんが問題意識を持って参加してくださったことは前進であろう。

 

そんなところである。

 

では!/おしまい。

 

アメリッシュ様(id:funyada 

 

コメントありがとうございます!

 

「感謝ノート」、心がほんわか温まります。

 

モカリーナ様:(id:mocharina09  

 

コメント、ありがとうございます!

 

作業所は冬寒く夏暑かったですねw。ようやく涼しくなってきました。

 

>ハマサンス様(id:hamasansu   

 

コメント、ありがとうございます!

 

ご先祖への感謝と言うのは結構、心を豊かにする側面もあります。遠い自分が生きていない昔に思いを馳せたりなんかもします。深いですよね。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

 ポリゴンは例の事件がネガティブに結びついちゃった可哀想なキャラなので余計に愛があります。ドラクエの歩きゲーも人気ですね。

 

>切株おやじ様(id: masuhiro6595   

 

コメント、ありがとうございます!

 

そ、そうか!!さらに父親と母親から掘り下げて・・・。なんて強運なんでしょう。その視点までは考えが及びませんでした。

 

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