蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

引きこもり・「8050」問題への具体的対処を探る。①

どうも!

 

今日は精神科受診でお休みである。相変わらず溶けそうなほど暑い。

 

さて昨日、「引きこもり家族会 月例会」へ出席したのだが・・・。人が減った・・・w。

 

いや、いいのだが。

 

代わりに新しい人が来ていた。若い女性だった。いやいや、別にだからなんだ、と言うことではないのだが。

 

おば・・・いや、パワフルな二人の妙齢の女性のうち一人が別件で欠席。いっつもこの二人を中心に話が進む感がある。私も話に乗る。

 

主宰者と寡黙な男性はほとんどしゃべらないが、話を振られると結構核心を突いた重たいことを言うので存在感はある。前回来ていた引きこもりなうの人は来なかった。そんな感じで始まった。

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仕事上の不安、生活上の不安、悩み。まずはそんな所から話はスタートする。とっかかりは大事だ。新しく来ていた若い女性も職場に馴染めずつい最近退職したばかりらしい。

 

色々話を聞いていくと、自分が例えば休んだことにより誰かがそれを肩代わりする。それが申し訳なく罪悪感を感じるのだと言う。その反面、一人で抱えやすく頼まれごとを断れないので徐々に、負担やらストレスやらが重くなっていったと。ふむ。

 

すご~く真面目だなあ、と言う率直な印象を受けた。そして他者から見た自分、と言うのを殊更に強く意識してしまう在り方だ。

 

「自分が思っているほど他人はあなたのことを考えちゃいないものだ」

 

などと言うフレーズがあるが、今のこう言う懊悩を抱えた人にはダイレクトにはそう言う言葉をかけてもたぶん心には響かない。一番は悩んで悩んで悩みながらも行動して成長し、自分のステージやら視点やら抽象度やらを上げてしまうのが一番なのだが、勿論そんなことも言えず。そんな所から会合はスタートした。

 

うん、「お悩み相談」である。自分が思うのは、仮に何らかの形で誰かが自分の仕事の肩代わりをしてくれたとすれば、それはそれでしっかりと謝意を伝え、自分は直接その人に対してでもいいし、他の誰かのためにしっかり汗を流せばいいのではないかと思う。

 

こう言うのって繋がってて循環しているのだ。その肩代わりしてくれた人にお返ししてもいいし、他の人でもいい。あまりやってもらったことを負い目に感じることはない。

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それに組織ってそんなもんだ。自分一人がいなくてもしっかり回っていくのが組織だ。そう言う考え方や割り切りを受け入れるまでは時間がかかるかもしれないが、肌感覚で落とし込んでいくしかないだろう。実際に回るんだから。

 

あとはオンオフの切り替えをしっかりつけること。こっから先は手に余るのでお力添えをお願いします的な頼み方でもいいではないか。「自分も良し、他人も良し」である。自己犠牲的なのは良くないし、上司や同僚の顔色や評価を殊更に気にしてもしゃあない。他人の気持ちなどわからないんだし自分の気持ちだって分からないのである。

 

とまあ・・・。知ったようなことを言ってるけど、そんな簡単なことじゃないかもしれない。

 

真面目過ぎる特性はとにかく決めつけや囚われ、思い込みが強くなってしまう。いや、ちょっと前までの自分もそうだったので分かる。自分が身に付けたのはケセラセラだしなるようになれ思考だし、マインドのレベルでごちゃごちゃ考え出すモードになったら無意識に仕事を丸投げしてしまうやり方だ。この辺は過去記事にタネ本を載せてあるので引用しておく。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

さて、お次の「お悩み相談」。(だんだん会の主旨からずれていってねえか?w)

 

市から委託され生活困窮者の実態を調査し、市役所に調査結果を報告する仕事をしている女性の話。勿論生活困窮者は引きこもりの人も包含する。

 

問題は、一回二回訪問しただけでは当事者の実態など分からず、その世帯の世間体もあるので近所の人に聴取するわけにもいかない。でも何度かアタックし、じょじょに親御さんと打ち解けて、少し当人についての断片情報を得る段になる。

 

子供が置かれている状況や心境。何かをやらなければならない。それは分かっている。でもそのエネルギーがない。動けない。そんな自分を責める。アインシュタインがかつて遺した言葉(=「なぜ自分を責めるのですか、そんなことしなくても他人が責めてくれるのに」的なヤツ)ではないが、外野はそんなターゲットを見つければすぐに石をさんざん投げつける。

 

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そんな中。

 

親御さんとのコミュニケーションも少しずつ取れてきたのだが、「仕事」の二文字を出すとキレるお子さんがいる、と言う。そう言う問題を抱えた世帯があるから、と市役所に掛け合うが、とにかく縦割り行政の弊害やら保健師さんやらのマンパワー不足やらも手伝って対応が遅い。いや、遅いと言うより、そっちでやってくれ的な対応をされることも多々あると言う。

 

で、会社で共有しようとすると、それぞれがそれぞれの世帯を面倒見ているのだからあんたが未熟で悪いんだ、ってことになってしまう。そうやって堂々巡りのループに入って行ってしまうのだ。

 

これはどうだろう。

 

ぱっと見では市の対応はちょっと首をかしげてしまう所があるのは確かだがなんとなく、当事者を取り巻く各主体の横の連携が取れていないイメージだ。

 

対象としている生活困窮者の全てが精神科や心療内科を受診しているわけではないだろうが、まずは精神科医・カウンセラー・行政・その女性が属する会社さんのような委託会社さん。その当事者の目線に立てる第三者。これらが個々バラバラに動いている感じがする。

 

「求めよ、さすれば開かれん」ではないが、ネットで多くの情報が得られるこの時代に、そうじゃなかった時代より遥かに引きこもり世帯が多いのはなぜなのか。勿論、複合的な要因が絡む。ただ、当然行使できる権利すら知らないまま、生活にますます窮する人も多かろう。

 

昨日タイムリーに夜、恩師から電話が入った。

 

自分を振り返ってどうだったのか。自分はいかにして前進するきっかけを得たのか。その原点にやはり向き合わなければならないのだろう。確かに自分でも色々やった。一寸先すら見えず、不安で押しつぶされそうになりながら。その一歩目がとてつもなく重い。反対に言えばその一歩を踏み出すと、案外後はするすると行く。ホメオスタシスとか「現状維持メカニズム」などで説明がつくだろう。

 

自分が出来ることは、その本人にとって貴重な「第一歩」を踏み出すきっかけを作ることだ。だが、それは相対性の枠組みにあり、人それぞれスイッチが違う。私自身、失敗を怖れていてはいけないのだろう。もう、綺麗ごとや能書きなんざクソだ。

 

自分は恩師のなりふり構わない、理屈ではない何かを感じ取った。要は心意気ってやつだ。

 

話を戻す。と言うか。

 

話が長くなってきたので次回に譲ります。では。/おしまい。

 

 

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