蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

ピーチ姫の捨てゼリフ。

どうも!

 

ブルマには特に魅力を感じませんが、元ヤンキースのソリア―ノが穿くとなれば話は別だと思っています、みんなのギルオジめんつるです。

 

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さてさて怒濤の一週間でしたが、今日はさっくり病院へ行きカントン包○を…いや、ウソウソ。

 

コロナへの警戒心がなさすぎだ、としばしば指摘される。う~ん、確かにそうかもしれないが、全く警戒していないわけでもない。ただ、いたずらに朝っぱらのワイドショーの類いの情報の洪水に翻弄されるくらいなら、さっさと出掛けた方が精神衛生上良いと思う。

 

それでもトリプルワ―クなう、来月後半からはカルテットワ―ク「?)になるのでお寺の奥さんからはちと釘を刺されてはいる。お寺ともなればそこら辺は私みたいな風来坊とはちと勝手が異なるだろう。なおかつ受験生の娘さんを二人も抱えてもいる、う~む。

 

一応うがい薬を携帯し、防寒とか免疫力を下げないための諸々の対策であるとか。よく笑いを習慣に取り入れるとか精神を整えネガティブな想念の処理や制御を心がけるとか。なんつ―かそれが全てだ。あとは勿論密は避けるけど。

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基本的に、かなり「天任せ」の心境や境地になってきている。世俗的な事柄に散々っぱら執着することをやり尽くしたら、なんだか肩の力が抜けた。

 

スピリチュアルの世界なんかでは「宇宙におまかせ」などとよく言うようだが、どうしても人の力では抗えないもの、覆せないものはある。だが、それを覆そうとする根源的な欲やエゴの類いが人間にはあり、そいつは自然への畏敬や感謝からは遠ざかる不自然な在り方、と言えるのかもしれない。

 

人生これで上等なのだ。健康が善で病気が悪。金持ちが善で貧乏が悪。イケメンが善でブサイクが悪、みたいな。こ―ゆ―西洋的な二元論に囚われているのはなんともつまらん。

 

日本と言う国は色んな意味で特異な立ち位置だ。西洋の文化や宗教、東洋の文化や宗教、そして古来育んできた日本独自の価値観や宗教感。なんつ―か、滅茶苦茶ハイブリッド感がある。そんな国に生を享けたのだ。

 

災害も多い。国土は狭い。もともと狩猟民族ではなく農耕民族。そしてうんこは臭い。あ、こりゃ―どこでもだ。

 

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だからこそ、日本国民には天地神明、森羅万象への畏敬や感謝の意識が色濃く醸成され、受容の精神が育った。震災の時は助け合いや譲り合いの精神精が発露し海外の人々の心を動かした。

 

「和の国」・「和の心」。まあ、厳密には「和」とは「日本」そのものではないらしいが、詳しいことは分からん。

 

だが一方で、もともとが農耕民族な訳だから、そのDNAの負の面が表出すると日本人の闇が表に出る。異質、個性叩き。出る杭を打ち、いじめ、村八分にする、みたいな。

 

非常時にはその人の本性が出る、と言われる。震災の時の私個人の"本性"はなんとも褒められたものではなかった。後にこれを深く恥じたが、当時は自分のことしか考えていなかった。

 

死の衝動はほとんど消失したが、散々健康不安や死の恐怖につきまとわれた後に行き着いた結論は、「死に場所」である。ただまあ勿論、無駄死にや犬死は御免である。

 

これは長年の「脳の癖」の類いのものだ。一朝一夕でどうこう出来るものではない。ただ、自分の意志で命を断つと言う選択肢を過去に捨てた以上、そのエネルギーは救いを求める目の前の人に向けよう、と思うに至った。

 

まあ、ここらへんのことはしばしば書いている通りである。

 

そこらへんからだ。うつ病特有の嫌な心気症の類いの暴走が弱まっていったのは。勿論こんな方法は万人向けとは言えまい。

 

今一歩踏み込むならば、何らかのないものねだりの類い…まあ、今流行りの願望実現でも夢でもなんでもいいが、こう言うやつへ意識を向けることにより強化される「負」や「闇」の類い…そこから生まれる葛藤やストレスからは     そろそろ自身を解放させる必要がある。

 

 この苦しみの連鎖の源泉が「執着」であろう。そこから生まれる物理学上の「作用反作用」。世の多くのコンプレックスを色濃く持ち、現状を変えたい!と切実に願う人がぐるぐるしちゃうところはまあ、ここなのだろう。

 

理想と現実のギャップは常に「不足」「欠乏」を心に生み出す。それが延々ループする。テレビでは相変わらず高級セレブがどう、とか、あの華やかな有名人がどうの、と言うニュースとネガティブニュースで視聴率を稼ごうとするマスコミが大衆を煽動し、人々の誤った優越感や劣等感を浮き彫りにし、振り回す。

 

親や教師、上司に「こうあるべき」と言う幻想が埋め込まれているから余計に構造はややこしい。

 

こりゃあ苦しいはずだ。日本人の幸福度がなぜこんなにも低いのか。諸説あるだろうけど、もう和洋折衷の価値判断や物差しがごちゃごちゃに入ってきてて、深層でどうしようもなくカオスになってて、自分がなくなっている。

 

もうあれだ。

 

多くの人の目の前でスベリ芸をやる。例えばこう、だ。

 

ルービックキュ―ブを用意する。これを1分で6面完成すると宣言した直後おもむろに黄金の金槌を持ち出し、キュ―ブを粉々にする。

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見ている人が呆気に取られていても終わらない。

 

座ってズボンを下ろし、座り小便を破片にかけ、供養する。去る。以上。

 

恥を捨てよ。

 

いやいやいや。捕まるから。

 

だが、どっかで「平常心」とか「中庸」、「自然体」と言うところに突き抜けないといけない。散々っぱら執着するくらいしたらいったんダメダメな自身を許す必要がある。だが、そこからがスタートだ。

 

「頑張らない方がうまくいくよ」とかのフレ―ズは如何にも耳障りがいい。西洋テイストバリバリな意識の高い自己啓発系のノウハウに疲れた人が、こう言うのを書店の書棚で見つけたとて、心が動くのかどうかは分からないが、スピリチュアルなんかにはまる人の心の隙間にはすっ…と入ってきやすいのも確かだ。

 

もうここらへんに関してはあれこれ言わない。私自身がどっちかと言うとどうでも良くなった、と言うのもあるし、こんな場末のブログで何を言ってもしゃあないので、そう言う経験も必要だよね長い人生、と少し引いた目で見守ることしか出来ない。

 

迷走してこその人生だ。無責任なようだが。情報が氾濫する世に、迷走しない人はいまい。迷走する人の気持ちが分かる感性をまだ失ってなくて良かった、と言うのは至極個人的な事情だが。

 

よく見かけるのだ。

 

本人も迷走しまくったのに、ステ―ジが上がっちゃうと途端に上からになる人が。一人で生きてきたわけでもあるまいに。

 

だが、私も過去に共感性がかなり弱まった時期があるし特段ステ―ジが上がったとか下がったとかでもないので、人様のことは言えない。

 

多くの人は共感性を失うと思う。だが、それもまた人間臭いのかもしれない。まあ、そんでもって人間、たかだかそんなもんでもある。

 

自分が何か大いなるものの一部である、と言う認識は大事だ。だがひとたび、自然が猛威を奮えば、自然の一凪ぎで木っ端みたいに吹き飛ぶチンケな存在であるのもまた人間だ。

 

パスカルやダ―ウィンあたりが言ったことが人間の真実なのかもな。ちっぽけで弱い。だが、考える葦。んで、生き残る種とは、最も強いものでも知的なものでもなく、変化に最もよく適応したものだ、ってやつ。

 

まあ、全ての過程を楽しもう。今生はそれが全てだ。あ―だこ―だと自力で知恵を絞り、失敗し、時に人様の力や知恵を拝借し、なんだかんだで変化し成長する過程を。オレも、あんたも。

 

そんなまとまりのないところで終わる。では。

 

>切り株おやじ様(id:masuhiro6595)

 

コメントありがとうございます。

 

そこらへんの思い通りに行かないところが「マリカ―」のニクいところです。私はどっちかと言うと「成功」より「性○」の方が好きですね。

 

>猫p様

 

コメントありがとうございます。

 

電車で通勤する行き帰り。頭の中はこんなんばっかりです。