蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

性欲バスターズ。③

どうも!

 

さてさて、久方ぶりでございますが、よりにもよってこのコ―ナ―にテコ入れすることになるとは思わなんだ。過去記事貼っときますよ~。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

さてさてさて、今休みなんすね。私の仕事は不定期なのでいまいち祝休日の個人的概念が薄い。困ったものである。

 

色々な本を読み漁ったり様々なワ―クなどに取り組んでいたのだけれど、どれもこれもうん、本を侮っておりました、さ―せん。

 

 

 

 

 「執着」対策実用版。この2冊があればかなり進展しよう。後者はKindleで読み放題で取り扱っている。何よりページ数が少ないのがお手軽感がある。

 

私は「健康不安」ってとこから来る「健康への執着」手放しをテ―マに取り組んでみた。

 

確かに入り口はそこなのだが、幼少期の父母との関係性であったり、子供の頃に見て恐怖した「家庭の医学」のすんげぇ古いバ―ジョン(がきんちょの頃は医師になりたいと思っていた。野口英世伝記に心動かされたことおよび、父が医師を目指せ、と日頃から言っていて、何となくそう思い込まされた感じだろう。)で見た胃がんのおどろおどろしい図柄。

 

もしかしたらこいつが心気症、心気妄想の根源的な引き金になっている可能性を考えたが、扁桃体にモヤっとした非言語の情報として貯蔵されているであろう恐怖の記憶は3歳までに形成される、と言うのが定説になっていて、もしかすると「前世の記憶」である可能性もある。

 

何だろう?前世のオレは性異常をこじらせた結果、ヘンな性病にでも罹って死んでいったんかいな?ああ、長ぇ、ごめんなさいw・・・が困った諸問題を引き起こしているのかもしれない。

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「前世の記憶」ともなれば個人のレベルではちとお手上げだ。ジグムント=フロイトやその娘さんのアンナ、お弟子さんのメラニ―・クラインさんあたりが提唱した流れをちょいと紐解く。

 

とりわけアンナは父のジグムントが打ち出した「自我(エゴ)・超自我(ス―パ―エゴ)・エス(イド)」辺りから由来する「自我の防衛本能」ってとこの掘り下げを行った。

 

超自我」ってとこは、一種の内面化された口うるさい両親っぽいポジ、「エス」とか「イド」ってのはさながら卑劣なヘビだ。 自分たちによいと感じられるように我々をけしかける。それは完全に欲望に突きうごかせされており、ひたすら快楽と(食物や快適さ、暖かさや性欲といった)基本衝動の充足を目指す。自我は、さながら意志決断をおこなう大人のように、衝動を統制してどうふるまうべきかの判断をくだすところ、つまり、エス超自我のあいだに宙吊りにされた調停者ポジにある。

 

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ちょいと混乱を招きやすいのだが、古い哲学や宗教書の類いは、東洋で言えば「梵我一如」(ヤ―ジュニャヴァルキヤが説いた『「ア―トマン」(我、自己、私)の正体がブラフマン(梵、世界の根本原理)と同一であることを知った人間は、すべての苦悩から解放され「究極の真理」に到達する)ってとこ、また今の「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」の原点とも言えるジェ―ムズ・アレン氏の『「原因」と「結果」の法則』によれば、

 

『万物に生気を与えているポジティブなエネルギーである「至高なる善」の光はつねに宇宙に充満しています。そして、「悪いこと」は、その光のほんのわずかな部分が自我によって遮られてできる、ちっぽけな影にすぎません。」

 

などと教えている。

 

「自我」ってものは、東洋的には真理、西洋的には真の持続的な繁栄や幸福ってとこを突き詰めるにはちとジャマな存在な訳だ。

 

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だが、フロイト的な「自我」に関しては、完全に自立した子供、ってニュアンスがある。「老いては子に従え。」などと言うが、「超自我」ってとこおよび、己の強欲をも統制すり「自我」はなかなかに頼もしく、かっこいい存在にも映る。

 

これらは私の中で完全に統合されていない概念だし、読まれる方はますます混乱されるであろうから、今んとここんな感じである。

 

私にとってはライフワークそのものだから、今後もこの分野は書籍、および物足りなければ論文にも手を伸ばすし、自分の内奥をひたすら掘り下げると言うことは今後も続けていくわけであるが。

 

何か都度、重要な学びやら気付きやらがあれば、都度記事にアップさせて頂く。

 

「前世の記憶」ってとこは、恐らくは「ヒプノセラピ―」の領域になってくるであろう。であれば、一流所に当たる必要がある。

 

精神科医も「精神療法」って名目で治療にあたるが、基本的には多忙を極める精神科医が一人一人の患者さんにじっくり膝を突き合わせてこう言ったことをすること自体がそもそも物理的に不可能だし、技法を持っているとしたら個人で、予約制とかでやりそうな。

 

だが、こんな特殊なスキルを披瀝したのでは、同業者から散々石を投げられるであろうからこれまた厳しいだろうし、精神科医の領分ではないと言える。

 

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また、私が来年の1月に学ぶ予定であるマインドフルネス瞑想の某上位互換版は、ひたすらに己の内奥を掘り下げていくプロセスである。だがまあ、来年の1月に正規の料金の半額で受講する為の審査の作文は通ったんだけど、このタイミングにその料金を用意するのは厳しいかもしれない。

 

あ、過去記事で何回かこの瞑想について触れたものがあるんだけど、基本的にはネット上では書かないように釘を刺された。(私の記事を見られた、とかでなく)

 

秘密主義のアヤしい結社運営とかではなく、海外ではさる誰しもが知っている名優さんであったり、超大作の監督さんがこの瞑想を啓蒙したり運営したりの財団を立ち上げたりとまあ熱いム―ブメントがあるのだが、日本ではいまいち認知度が低いところがある。

 

事情についてはzoomで面談した方に話した。来年以降、正規の料金であれば任意の月に受講できるし、今回のタイミングをはずしても、年2回ある受講料半額の作文提出は今後も行っていくつもりです、と言ったら、奨学金の担当者に来年度、半額で任意の月に受講できないか掛け合う、とまで言ってくれた。

 

だがまあ、これはもう私の今後の人生にガチに必要なものなのであんまり迷惑は掛けられないし、タイミングが問われる半額での受講より、拘束型の積み立てをして受講費を貯め、任意の月に受講した方が現実的だとも思う。

 

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↑要はこう言うことだ。至言っすねぇ。高橋ヒロシ氏の「Worst」より。

 

あ、し―ましぇん、個人的な問題についてつらつらとw。

 

「自我の防衛規制」って言葉はフロイト親子から由来する。受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的カニズムを言う。

 

防衛自体は自我の安定を保つ為に行われるので、健全な機能と言えるが、時にはそれは不快な感情や気分を人間に与えることもある。

 

心理カウンセリングの世界では「執着」や、「取越苦労」などの類いは「心の防衛本能」であると説明する。たぶん潜在意識がその生体を守るために、モヤモヤと「間違った声」を内面に喚起させ、その人をあらゆる手段で引き留めようとする心理的作用であろう。

 

「正しい声」へのアクセスや、太いパイプ・連携を強化していくプログラムについてはいつものこの書をど―ぞw。

 

 

 

あ、メラニ―・クラインについて少し触れたけど、この人は児童心理学の創始者的な存在で、フロイト親子とはちょいと異なった観点での学説を構築しアンナさんとはしょっちゅうぶつかっていたらしい。私は親しみを込めて「メラニ―婆ちゃん」と呼んで慕っていたりする。(※故人です)

 

深刻なうつ病による死の衝動に苦しんだ生涯を送ったが、偉大な業績を遺し90歳近くまで生きた強い女性でもある。素敵すぎる。

 

 

精神分析学入門 (中公文庫)

精神分析学入門 (中公文庫)

 

 

 

自我と防衛

自我と防衛

 

 

 

新釈 メラニー・クライン

新釈 メラニー・クライン

 

 

さてさてさてさて、いつものマニアックな話からの~?

 

「性欲」の話でございますが、既に3,000文字を超えているのぉ。

 

まあいい。本題から入ろう。テストステロン超お手軽超向上メソッド!そ・れ・は…ッ!迸るッ!

 

「局部に直射日光を当てる」

 

であるッ!

 

これ、筋トレより遥かに効率も効果も高い。

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だが、問題はどこで、どんなシチュエーションでやるか、だよね?w分かる!分かるぞぉ!

 

庭とかでやって、近所の人に見られたら普通に通報ものだろう。露出狂の人はいいだろうが。

 

んで、私個人の話をさせて頂くと、この情報をゲットしたタイミングって夜だったので、フリーのルクス(=光度)測定アプリを落とし、部屋の明かりの照度を測ったら大体150~200って数値が出たんすね?

 

んで、私が使ってる電気スタンドって結構明るいから、おもむろにポ○チン出してスタンドを使ってみたワケよ。(圭一くん、わざわざポコ○ン出す必要があったのかな?かなあ?)

 

そしたら、「1,500~2,000」と言う数値が出た。

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よく、メンタル疾患では朝散歩が推奨されるワケなんだけど、こん時の太陽光が1,500~2,000ルクスと言われている。無機質な、人工的な光源だがそれに匹敵するのかな?と思い、○コチン出したままスタンドの光をそこに当て、読書を一時間くらいしていた。

 

その翌日。

 

いよいよお天道様の出番である…ッ!

 

その照度測定アプリを直射日光にかざしてみた。時刻は大体午前の11時くらい。

 

「50000」

 

と言う数値。どうもMAX値っぽい。

 

「???」

 

となった。いやたぶん、私が認識している「ルクス」の概念そのものが既にアップデートされているかもしくは、アプリの方の物差しそのものが私の認識とズレているかのどちらか、と考えるのが妥当であろう。

 

まあ、そこは難しく考えることもあるまい。

 

私はまずは、ベランダとか出る訳にもいかんから、窓の前におもむろに仁王立ちして少しシェ―ドがかかった窓越しに射し込む陽光にポコチ○を因果晒しばりに晒す。これでも20000くらいの数値が出ていた。

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だがッ!もの足りぬ!

 

結局アレだ、少~し窓を開けて、一番高い角度まで昇ったお日さまの直射の勝負日光ってやつを受けて勃つことにした。

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ご近所様の目を気にしつつ、あのアオリ運転の宮○容○者みたいな格好で廊下に座り、○コチンに日光が当たるように時折角度やアングルをくねくね身をよじって調整し、アプリを太陽に向ける。まさに変態の所業。

 

結果。「50000」の、フリーザ様のカウンターをぶっ壊すレベルの日光を20分くらい股間に当てることに成功する。

 

時にアニメ「オ―バ―ロ―ド」のOPが流れてくる。

 

「♪答えはどこへ~探して~股間に~」

 

「オバロ」。二期の半分くらいで止まっていたな。

 

「オバロ」は一期、女子供には滅茶苦茶強気な連中がアインズ様やナザリックの守護者に虫けらみたいに蹂躙されるのが胸がすいてた所があって、二期くらいになってくると敵さんが段々ホネのある強者になってくるのがちょいと残念である。

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最新巻はアインズ様を上回る強さの天敵との戦いが表紙に示唆されているようだが?まあ、気長に見よう。

 

オーバーロード14 滅国の魔女

オーバーロード14 滅国の魔女

 

 

さて、話を戻すと。

 

「テストステロン対策」については少し参考のサイトを貼っておくとします。

 

①テストステロンでモテる

 

②男性ホルモン『テストステロン』を増加させる16の方法

 

筋トレは基本。何か、確かに日光は滅茶苦茶効果はあるし努力が要らんお手軽さがあるけど、ダイレクトに効果が「どん!」と跳ね返ってきてる即時的実感がやや希薄な所はある。いや、長い目で見て効果は滅茶苦茶あるんだけどさ。

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だが、筋トレはfor ダイエットであり無酸素運動であり、とりわけスクワットはけつ筋を鍛えるので有酸素運動と関連づいて無駄肉がごりごり落ちていくしまた、「成長ホルモン」の分泌をも促すので前者とは切り離した方がいいのかも。

 

さて、最後に脱線した話を二つして締める。

 

テストステロンをバリバリに高めると。特にJK以下の年代にセクハラされる。電車とかで結構な頻度で距離を詰めてくる。ボディタッチが多いのね彼女たち。

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身体にせよ、金銭にせよ色々試すのはまあ、少々のことでは人間なんとかなるものだが、犯罪だけはあかん。だから、テストステロン道は結構なイバラロ―ドでもある。意志力は副次的な宝だが、自信のない方はあんまり踏み込まない方がいいのかも。

 

もう何がなんでもモテたい!って人はいいだろうが、男は所詮は性欲の権化なので、彼女をめでたくゲットしたら浮気はぜってえダメだぜ。おにいさんとの約束だ。

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私はモテるモテないはど―でもいいし今それどころではないので、モテたい方がモテる領域に突き抜けてくれれば、この点に関してはただただ本望である。

 

もひとつ。「inti4s」ってあっかるいランプがある。

 

 こいつは「20,000ルクス」のフレコミだ。

 

私は高くて買えないがだいたい3万くらい。これがあれば何時であろうと股間にビ―ムを当てられるだろう。あとは単純に、基本はアラ―ムなのですんごい照度の光でおはよう!とばかりに爽やかでエグい光で起こしてくれると言う寸法だ。メラトニンの観点から安眠も約束されるだろう。求道者向け。

 

もひとつは、山奥に別荘を持っている方はそこに籠り、全裸で日光を浴びながらダンベルバ―ベルスクワットをこなしたらどうなるのだろう?ってことを考えてみた。別荘を持つほど裕福でかつ、別荘に泊まれるほどのライフスタイルが出来ている方向けである。どなたか、試してご報告お待ちしていますw。

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そんなところだ。では!/おしまい。

 

>ハマサンス様(id:hamasansu)

 

コメントありがとうございます。

 

ジョジョは人生が詰まっていますよね。

 

 

全部ジョジョ。(更新ペースを落としますお知らせ)

どうも!

 

さてさて表題の通りであるが、ちょいと更新のペースを落とそうと思っている。

 

リアルがちとバタついてきたのと、インプットが追い付かず本やら資料やらが山積みになってきたことがある。

 

その分ネタはもりもりあるのだが、私自身ももう少し難解な概念を誰にでも分かりやすく伝える技術を磨く必要もあろう。そこらへんのバランスを考え、3日に一遍とか、5日に一遍とか週に一遍の発信としようと思う。

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さて、今日は昔就労支援の事業所を紹介してくれた福祉の関係の方と面会し、その流れで障がいを持った方向けのプログラミングであるとかデザインであるとか、あとはワ―ドやエクセルに至るまで、就労に至るまでのIT技術を身につける場で話を聞いてきた。

 

私は就労しているので、利用に少しばかり制限が出る可能性があると言う前提のもと、とりま体験の算段に漕ぎ着けた。

 

ここの設立の理念には大変共鳴したのだが、今の社会の仕組みに障がい者が合わせる、と言う在り方ではなく、既存のルールや常識に囚われず障がいを持った方が主体的に人生を力強く、誇りを持って作っていけるような支援がしたい、と職員さんは力強く語ってくれた。

 

この理念や志には大賛成である。

 

ちょっと昔まではアホだからなかなか気付けなかったんだけど、障がいを持つとどうしても健常者との比較の軸が生まれてしまい、これに意識が向いた状態で生きてしまいやすい。そして劣等感や自責のループからなかなか抜け出せず苦しみ続ける。

 

真実は、私自身が眩しくて羨望と嫉妬の眼差しを向けていた健常者とて何かしらコンプレックスや欠点を抱えており、また障がい者とて、抱えた障がいは確かにハンデには違いないが、それをプラス、武器にして生きることはいくらでも可能だと言うこと、であった。

 

卑屈になることはない。障がいと共に生きることにより魂も磨かれよう。人に寄り添い、人の痛みが分かる人間になっていく。心が育っていく。これは、何者にも代えがたい当人の宝となっていく。また、好奇心をガソリンとして、さまざまな情報を欲し、都度意識の深層が再構築されていくので、思いも寄らないような発想が生まれたりもするのだ。

 

要は心意気ってやつである。何も団結して革命を起こそう!などと言うワケの分からない世界に突き抜けなくてもいいので、自分の内面の既存の概念をぶっ壊したらいい。

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これらを自力でやる。ここは退いてはいけない。

 

そうすれば、道は拓けるように出来ている。神様はそこまで非情なことはやらない。 

 

「自分を信じる力」と「思い込みの力」はある意味恐ろしい。不可能を可能にする力である。だが、「思い込みの力」は、ちと使い道を誤ると当人の身を滅ぼしかねない。諸刃の刃である。

 

アマゾンで「思い込み」ってワ―ドで検索するといくつか書が出てくるが、多くは「間違った思い込み」を正す書が多い。名著「ファクトフルネス」を始め、大半はバイアスの入った誤った思い込みを見直し再検証することを促す書である。

 

 

その中で、「セルフイメージ」の本であるとか「人生の99%は思い込みの力で決まるよ~」って本も少数ではあるが一定数はある。「99%」とはまた大きく出たなあ、とも思ったが、まあ真実とも言えよう。

 

人生の99%は思い込み―――支配された人生から脱却するための心理学

人生の99%は思い込み―――支配された人生から脱却するための心理学

  • 作者:鈴木敏昭
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

人は、自身が思っている通りの人間になっていく。1年後かもしれない、2年後かもしれない。5年とか10年とかにわたる場合もあろう。だが、確実にそうなっていく。

 

私は私なりの「セルフイメ―ジ」ってものは大体確立しつつあるのだが、背景にはやはり、障がい…とりわけ精神疾患者の背負っているものがある。

 

前記事に「一人一宇宙」てなことを書いたけど、私が持っている「世界観」は昔持っていたような悲惨な、殺伐としたものではない。だが、虐げられ、屈辱の中散っていった多くの精神疾患患者の、ちょっと重たい表現になるけど血塗られた歴史を見ている。

 

この人たちに何の罪があったのだろう?

 

人一倍真面目で優しく、思いやりがあるが一方では繊細で傷つきやすい。こう言う人が社会の枠組みに組み込まれると、多くはその優しさが全ての人に向けられるから、こう言う場合は少なからず悪意を持った人が現れてしまう。

 

傷つき、組織内でいじめに遇ったり差別されたりもあるだろう。「弱い!」とか「氏ね!」などと心無い言葉を浴びせられることもあるだろう。

 

結果、自身を追い込み、最悪死に至る。

 

だったら、誰がその魂を鎮めるのだ?誰が彼ら、彼女らの死に責任を取るのだ?「罪と罰」の仕組みはあろうが、その人が何の咎を?

 

こうした、今の世だけではない、膨大な歴史が積み重ねてきた因果の束。これを私は背負っているとも言える。

 

また、日本と言う国は死者や、死に関わる仕事をする人を差別してきた歴史がある。これは進行形でまだ根強いのかもしれない。

 

時折、でっかい石を抱えて地中深くに埋葬された亡骸が出土することがあると言う。これは、死者が甦り人の世に出てこないよう忌み嫌う生者の心の顕れ、である。

 

差別はけして日本にだけあるものではない。ただ、日本人特有の、共有して抱えている独特の「心の闇」は、ある。

 

「やられたらやり返す」ではない。そうすれば、またそのやり返した側が膨大な「業」を抱えることになろう。

 

「心の闇」は、多くの人が抱えたまま朽ちていく。現実はそうに違いないが、何か打つ手はないのか?と自問自答するとき、それは「在る」。 

 

考えただけでは何も解決はしない。今見えている「課題」をこなし、成長するプロセスでたくさんのものが見えてくるだろう。

 

私はただただ、それを追い求める。淡々と。

 

てな所だ。だいたいいつもの流れの話になってしまった。

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んじゃ、実用的な話もちょっとだけやって終わる。

 

「お金」の話なのだが、心とがっつり連動していて、また目が出るまで少しばかり我慢が必要な分野でもある。

 

まずはお金との主従関係を間違えてはいけない。これはガチである。

 

んで心を養い、ささやかなことでも幸せだ~って思えるような「心の豊かさ」を育むこと。地味な取り組みではあるが「感謝リスト」などが推奨される。

 

あとはアファメーションや言霊の類い。これも有効ではある。しかし、だ。

 

具体的なキャッシュポイントを出来るだけ増やすのがポイントとなる、ポイントだけに。

 

「出来るだけ」と書いたのは、例えば多忙を極める立場にある(いや、こうした方は逆に多忙すぎてお金を使う暇がなく、お金がオ―トで貯まっていきやすいのだが)会社員の方にせよ、正社員・非正規社員にせよ、「副業」はやはり重要である、と言うこと。また、あんまり収入の多寡にはこだわらなくていいから、給料日に入ってくるだけのキャッシュを月単位にならし、やはり出来る限り「毎日が給料日♪」ってポイントを増やしてほしい。

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何でもいい。地味なものでOKである。メルカリでもいいしブックオフでもいい。隙間時間にポチポチ稼げるお小遣いサイトなんかもいいだろう。

 

これは、「ああ、給料日が25日なのに後どうやって過ごしたら…。」ってなり、欠乏感や不足感に向かいがちな意識ってとこをちょいとなだめ、既存の流れに変化をもたらして潜在意識を安心させる狙いがある。

 

すると、長い目で見てアファメーションとか言霊なんかの効果も上がっていきやすいのだ。

 

「お金」に関わるアファメーションとか言霊の類いは、アイデアとかインスピレーションを促す効果がある。ちょいと時間はかかるかもしれないが、これらの組み合わせで「豊かさのブレーキ」になっている「心の癖」もほぐれ、循環する、させる流れも増えていきやすくなるだろう。

 

てな訳で終わります。次回の更新時は未定です。ではではまた後程。/おしまい。

 

>切り株おやじ様(id:masuhiro6595)

 

コメントありがとうございます。

 

いやあ、難しいのが普通です。

 

自分の説明がへたくそなことを棚に上げるつもりはないですが、この手の話に食い付く人は少ない方がいいのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

ゴスロリ少女と奇跡のコラボ。

(タイトル:淡い「願望」ですw。)

 

どうも!

 

さて、よ―やくちょいと一イキつく日にちが取れた。んな訳で昨日のうちに読んでおくべき書をリストアップ、および朝からモチベを上げやすいように色々根回ししておく。

 

「・・・」

 

ダメじゃん。

 

いやいや、ダメじゃないのだが、なんつ―か毛穴レベルとか五感レベルで楽しみてぇなあ、と思い、とりま最近仲良しになったさる会社さんのゆかりの閑静なお食事処に行こうかな~、などと算段していた所である。

 

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交通の便はあまり良くないが、てくてく歩いていくのにさほど心理的抵抗感はない。だが、明日は午前に人と会う約束があり、まんまその流れで電車に飛び乗りそこへ向かうことにする。

 

本はいい。素晴らしい。良書との出会いはまた、人との出会いともまた違った「縁」とも言える。

 

昨日、今度著者さんにメ―ルを出したいなあ、と言っていた書にまた目を通し始めた。

 

 

 う~ん、どうなんだろうこの本…。「正しい生き方」なんてものはない。人が産まれて、死ぬ。土に帰り、何かを生かす。肉体は尽きても、魂は不滅とされる。

 

この書はまずは「自分とは何か」と問い続けなさいと説く。

 

本書に初めて触れたとき、そのフレ―ズに、そして「一人一宇宙」と言う言葉がそれこそ魂に刻み込まれるインパクトで私の内面に革命をもたらした。

 

「一人一宇宙」と言うフレ―ズは聞き覚えがあった。よく苫米地さんとか、その流派のコ―チングの専門家がこの表現をよく使うことは知っていた。

 

これ、仕組みそのものの詳細はずっと後に詳しく語る。一記事にはとても収まりきらないだろう。「空観/中観/仮観」の入り口である「空観」すら満足に説明していない。

 

ともあれ、私が最初にリアルで会いに行った苫米地さんの流派のコ―チングの専門家のメルマガにもやはり、このフレ―ズはしばしば出てくる。

 

ごくごく簡単に、読まれる方が混乱を招かないであろうと自身が現時点で判断するレベルでの話をする。

 

この世に生きる誰しも、同じ世界を、宇宙を見ていない。

 

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何となく「世界とはこんなものですよ~。」とか、「宇宙はこんなものですよ~。」と言う認識はあり、共通認識になっていると各人が思い込んでいる「世界」なり「宇宙」と言った表象は、言葉によりそう思い込まされているだけ、とも言える。

 

ルフレッド・アドラーも言う。人々は世界を、自身の目に色眼鏡をかけた状態で認識しており、世界が変わる、と言うのはこの眼鏡をかけかえるなり、色を濃くしたり薄くしたりすることにより生じる解釈の差、である。これも同じことを言っていると言えよう。

 

その時々の感情を伴う心の動きにより、世界はいともあっさりと変わる。

 

例えば、だ。

 

私が酔っ払った状態で目の前にある一万円札を見ている。なんとなくボヤ~、っと霞んで見えるかもしれない。

 

お金に対する視点も色々と変わりうるが、とりまここにあってもしゃあないから財布にしまおうかな、とか、うひょっ!まだ一万円もあるじゃん!とか、後一万で今月しのがなくちゃいけないのかあ、とか。心もころころ変わる。

 

その様子を私のおかんがなんだか可哀想な人を見る目で見ているとする。

 

おかんが私と一万円札を交互に見やる。

 

「何この中年は一万円の紙っ切れとさっきから睨み合っているのかしら?さっと寝たらいいのに。」

 

などと思うかもしれない。私が複雑な感情や心境や感傷の類いを乗せていた一万円札は、母から見たらただの「紙っきれ」、である。

 

じゃあ、私がその一万円札をそのままの状態にし、翌朝目覚めた、とする。

 

その目が最初に捉える一万円札は、一万円札の正確な姿であろうか?

 

いや、そうではない。

 

やはり、それを見てあれこれ考え、何らかの感情で修飾を行うだろう。酔いが醒めて正確に"それ"を捉えている、と断言は出来ないことは、どこまで行っても同じなのである。

 

んじゃ、この一万円札を見ている「自分」ってのは、そもそも何なのだ?

 

むか~し、どこかの記事でこの命題について、「ア―トマン(我、自己、私)」と「ブラフマン(梵、世界の根本原理)」と言う二つの軸から掘り下げ、

 

「ああ。これらが同一のものだったんだな。」

 

と気がつくことが真理である、と書いたことがある。

 

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ただ、なにぶん不勉強で、この概念を上手く説明できる言葉を持たなかった。感覚では理解していたし、ああ、自分が今世において目指す所、ゴ―ルとなるものになるのだろうな、とは思っていたが。

 

「自分とは何か」。「自分とは何か?」と問いを発し続けよ、と本書は説く。

 

「自分」とは。突き詰めればどこまでも掴み所のないいわば「幻」、である。この書はもうちょいとここら辺の説明を具体的に試みてくれている。

 

横山氏は、次のように問うそうだ。

 

まず手を例にあげて、

 

「その手はだれの手ですか」

 

と質問すると、だれしもが、

 

「これは自分の手です」

 

と答える、と。ついで、

 

「手はたしかに目で見てその存在を確認することができますが、あなたがいま言った自分という言葉が指し示すものがあるかどうか観察してください」

 

と問うと、質問された相手はじっと考え始めるが、なかなか答えが返ってこない。答えに窮してくる。なぜなら、言葉は必ずなにかを指し示すべきなのに、この「自分」という言葉に対応するものを決して見つけられないからだと。

 

私たちは容易に「自分」というものは言葉の響きがるだけであるという事実に気づくことができる。あるのは手、足、ないしは身体、さらには見ているという視覚の働きだけであるのに、それらに対して本来的には存在しない「自分」という言葉を付与して「自分の手足」「自分が見る」などと考えてしまう。

 

ここらへんはまんま引用させていただいた。

 

「空(=くう)」とかの話ともまんま繋がる具体的な話になるのだが、「自分」と言うものにも何ら実体はない幻である、つまりこれが「空」の一例、てな話になり、また世の中のあらゆるものが全て、有るとも言えるし無いとも言える。「空」の話とは後程別記事でリンクさせていただく。

 

だからこの書では一歩踏み込んで、

 

「自分なんてものは存在するかしないかよ~分からんものなんだから、自我を削り、エゴを捨てて人のため世のため尽力しなさい。」

 

とはっきり説いている。んで、「自分なんてどうなってもいい!」と心の中で叫び事にあたれ、と。

 

ただ、ここまでお読みいただいてこの結論。「やべぇ…。」と思われる方も結構な数いらっしゃると思うし、個人的にはそうあって欲しいな、と願っている。

 

普通は会社に出勤し、収入を得て、家庭を築き温かい家庭で労働の疲れを癒す。日々の仕事には色々遣り甲斐も感じてはいるが大変なことも多い。だが普通の方の人生(まあ、男性の方だけど)とは概ねこんな感じであろうと思う。

 

私は、過去はただただこう言う方々が羨ましかった。そして、ささやかな幸せにも気づかず、気づけず、心が渇き、誤った優越感や劣等感に浸り、自責が蜜であった時期がある。

 

「私は何のために生まれてきたのか?」

 

これは随分と長いこと、私が自問自答してきたことだ。

 

普通の人生を生きる。こうした方には悩みなんてものはあっても、自分が抱え、日々自分を苛む悩みと比べたらどうってことのない楽な人生を送ってやがる。

 

電車などに乗り、談笑する高校生たちを見て、何の悩みもねぇんだろうなあ、と恐らくは、死んだ目で見ていた筈だ。

 

私は確かにある意味特殊なケ―スかもしれない。少なくとも既に"カタギ"じゃないのかも、とどこかの時点で思った。

 

自分の役割と価値を探し続ける日々。行き着いたのがこの書、である。

 

この書でははしがきに、「なにか」?「なにか」?と問い続けよ、「いかに生きるか」?などと考えるな、と説く。こうしたフレ―ズであるとか、上で書いてきたようなことに激しく揺さぶられるのは…う~ん、どっちかって~と、少数派であってほしいなあ、とも思う。

 

私は本書にぐいぐい引き込まれるが、なんともフクザツな心境でもある。

 

さて、「ヴァイオレットエバ―ガ―デン」をこつこつ進めていたが…。

 

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久々に"規格外"と呼ぶにふさわしい作品に出会えた、と確信している。ちょっと前だと「宇宙よりも遠い場所」と言う素晴らしい作品があったが、心どころか魂に揺さぶりをかけてくるインパクトがありそうだ。

 

なんとか劇場版に間に合えばええなあ。

 

そんな所です。では!/おしまい。

 

>ハマサンス様(id:hamasansu)

 

コメントありがとうございます。

 

初心に返る、って、気がつくと怠ってしまうので心がけておきたいですよね。「臭い」は…う~ん、加齢臭かなんかかな?w

 

 

 

 

 

 

馬の背に身を預け惰眠を貪る。

どうも!

 

さてさて、飯食ってくつろぎモ―ドなのは大変結構なのだが、何しろ眠い。そして臭い(何が)。

 

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いや、「臭い」はともかく、睡眠に少しばかり悩みを抱える人間にとっては「眠い」ことはありがたいことでもある。

 

生産的に、釈迦力に仕事をされる方にとっては「眠気」と言うのは時に邪魔にもなるであろうが、ちょっとした仮眠の習慣を取り入れるだけでもいい変化へのスイッチにもなりまた、より高い生産性にも繋がるであろう。

 

長い目で見れば、全てが自身を成長させる糧となりうる。「地球は魂のアトラクションでありトレーニングジムである」と言うフレ―ズがあるようだが、まさに正鵠を射ていると言える。あとはこのプロセスをただただ楽しむだけだ。

 

さて、そんなこんなで日々を重ねていく中で、時にはしっかり自身を省みる、あるいは初心に返る時間を取ることが必要となることもある。

 

そんな時はまったりとコ―ヒ―でもすすりながら、以下の書をパラパラっとめくる。(ホントはスカートをめくりたい。)

 

 

 う~ん…。このタイトル(邦題)はもうちょっと何とかならんかったものか…。まごうかたなき良書なのに。

 

「東大生が教える」だの、「ハ―バ―ド発」だのの枕詞をタイトルに持つ書は多い。そして、その多くは良書である。

 

しかし、タイトルをつける側の認識と、書を買い求める顧客となる読者の印象であるとか認識であるとかはどうしてもズレが生じてしまうような気がする。昨今多い「東大王なんちゃら」のクイズ番組に少し苦いことを仰っていたのは、やはり東大出身者である脳科学者の中野信子さんである。

 

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私もそう思う。せっかくの良書におかしなバイアスが入りはしまいか。マ―ケティングを仕掛ける側には、「東大生が書いた~」とかつければ庶民の方々はありがたがってお金をポンポン投げるだろう、などと言う思惑や目論見があるのかもしれないが、受け止める側の心理的な反応とは必ずしも合致しない。

 

学歴コンプレックスを持つ方はどうだろう?日頃学歴マウントをしているような人はどうだろう?要は学歴なんてものはその人の真の価値をなんら反映しないただのモニュメントでしかないのに。無論、書の真の価値ともやはり少なからずズレる。

 

これはとても勿体無いことだと思う。

 

まあ、苦言はこれくらいにしてこの書についてだが、著者はハ―バ―ド大学教授のタル・ベン・シャハ―氏。

 

個人的な話であるが、今の師匠と出会い人生のドン底ステージを曲がりなりにも抜けたであろうタイミングで彼に薦められたのがこの本であった。

 

まだ迷走中であったのだが、荒波の中何とか帆を張り進み始めた頃に出会ったこの書に触れた私は目からウロコが落ち、この書にある様々な事柄を試してみた。

 

しかし、だ。

 

この書は「よりよく生きる」ための「人生の青写真のモデルケースダイジェスト版」って感じで、また一個一個の項目はしっかり一貫性はあるんだけど何となく独立しているように映るので、新たな疑問の海に叩き込まれやすい。

 

今ならこう言うのを滅茶苦茶楽しめるのだが、当時はただただメンドくさかった。

 

要はこの書は何となくYou Tubeの「まとめサイト」的な所がある。本質的なところは本人がどう受け止め、どう自分の意思で行動し紡がれるものでしか構築され得ない。

 

都度立ち止まり、別の詳しい書を求め、専門家の意見を仰ぎ、アウトプットをも出来る限り心がけて、自身の内面に落とし込んでいく膨大な作業はやはりどこまでも泥臭い。

 

だが、そうやって自分の地道な積み重ねで、手のひらの底の方に微かに残った、しかし目映い光を放つ努力の結晶は、何者にも代えがたい当人の財産となろう。

 

そしてその学びを人に伝え、実践し、新たな書を求め自身が確かな経験を積んでいくうちに見えてくるものを掴んだ自身が、以前より抽象度の高い視座から自身の人生を再度鳥瞰する時にまた、この書が必要になる。

 

膨大な過去の集積を顧みる時・・・無数の因果、禍福、幸不幸、成功と失敗など・・・を再度振り返る。

 

「今、この瞬間」において自身の「あざなえる縄」を振り返るとき、都度不幸だとしか思えなかった逆境こそが今の自身の確かな芯を創り、順境のときはさほど学んでいなかったことを知る。

 

大いなるもの・・・天地自然、森羅万象、そして誰しもが内に秘める可能性・・・こうしたものへの畏怖と感謝が止めどなく湧き、自身の小賢しい浅知恵や社会の詐術の類いがちっぽけなものであると知る。

 

確かに、私自身の過去あったこと・・・震災が一番伝わりやすいが、これが起こり目の前に横たわる無数の骸を思い出すと、やはり当時は不幸な出来事だとしか思えなかったし、なんで自分みたいな無力な者が生き残り、働き盛りであったり、幸せな家庭を持っていたであろう何の罪もない人がこんなに目の前に無惨な屍を晒しているのか。理解の範囲を超えていた。

 

ただただ生きた。

 

なりふり構わなかった。涙と鼻水を垂れ流しながら無様に生にすがった。しかし、それも果てそうになる。冷たくなる車内。

 

全国から応援のメッセージが多数届く。当時の私はただただ未熟で、

 

「当事者じゃねぇだろ、知ったようなことを言うな。」

 

とまで思った。冷たくも美しく輝く星々を見上げる。

 

当時、車をさるセルフのガソリンスタンドに寄せていた。結構な数の人が集まってきていた。なかなかに店長さんが人徳のある方だったのだ。

 

私はと言うと、自分のことしか考えていなかった。ガソリンは少しだけ入れてもらったが、暖房を炊いていると確実に消耗していく。私は見苦しくも、スタンドの中で暖を取り眠るお年寄りや子供の都合も考えず、透明な窓を叩いた。

 

結局それに関しては気づかれなかったようだが、ともあれ車に戻り、最低限の暖を確保するようにと店長さんに渡された銀色のシ―トで身をくるみ、がちがち鳴る歯、そして時に雷鳴にも似た瞬間瞬間の強烈な震動に戦慄する。

 

やがて、ガソリンが尽きた。

 

そのシ―トに身をくるんでいても、ただただ冷える。外から来るのではない、内側から来る覆せない冷たさ。それは確実に私の心を削る。

 

タイミングの悪いことに、私は近くの実家のことが気になり、少しばかり時間をもらってその日の夕方に実家の様子を見に行っていたのだ。

 

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店長さんは言う。止めておいた方がいいよ、残念だけど、と。

 

さる幹線道路と我が家は運河が隔てていた。車では物理的に確かめようがないので、事実を確認するにはその水かさが絶望的にまで増した運河の水の下にあるサイクリングロ―ドを渡っていくしかない。

 

私は肚をくくり、その道に足を踏み入れた。恐ろしいほどに冷たい冬の水。一度、道の窪みに足を取られ、腰まで沈んだ。

 

結局は実家のことは何も分からず、空しく戻ってきたのだが、夜半この衣類に染み込んだ水が私の体温と生命力を奪い始めた。

 

暖房が切れ、耐えきれずに外に出て獣のように右往左往する。何人かの男性陣がホタルみたいに、タバコに火をつけたたずんでいた。

 

私は当時はタバコを吸っていたので、彼らの中に入った。ただただ、自身の内面を蝕む孤独感を埋め合わせるために。会話は淡々としたものだった。

 

また車中に戻り、耐え難い酷寒に悶えごろごろ転がる。

 

たぶん、朝を迎えつつあったのだろう。いや、何となくお花畑っぽい光景を見たような気がするのだ。その時は苦痛の果ての果てからの解放、って感覚は確かにあったのだが…。

 

そのタイミングで、誰かが窓の曇りがない部分から車内を覗き込んだのだ。

 

私は目を、意識をそちらへ向けた。

 

老婆であった。瞬間私は渾身の力で扉を拳で叩き、扉をこじ開けた。

 

彼女は言う。そして、私をただただ労る。

 

「あそこで味噌汁の配給が始まったんだよ…。あら、何だい!ひっどい顔になってるよ!生きてて良かった!生きてて良かった!」

 

彼女は駆け出した。すぐに握り飯を握って来てやる、と。

 

10分もしないうちに彼女は取って返してきた。握り飯を数個携えていた。

 

この時に食べた握り飯は、これまでの人生の中で食べた食事の旨いものランキング何位くらいに来るのだろう?いや、ランク付けするなど傲慢も甚だしい。

 

涙と共に飲み込み、がっついた。ああ、ゲ―テが言ってたっけな、

 

「涙と共にパンを味わった者じゃないと人生の本当の味は分からないよ。」

 

とかだったか。

 

確かに壮絶な体験だったに違いない。私を生かして散っていった命もあろう。私を生かし、目の前で我が事のように喜び破顔している他者もいる。

 

この老婆は近所の人に自転車を私に貸すよう説得してくれた。結果、明るくなり水かさも減り運河の表面が見えていたので、私はありったけの力で運河を渡り、実家に到達した。

 

家族は無事であった。

 

この体験を今振り返り、再度自身の内面で記憶を色々な視点から眺めてみると、どう見ても「今、この瞬間」に未来に送り出すべきことは自ずと決まってくる。

 

他者がそれぞれのたった一回の自身の生を輝かせることに、少しでも貢献出来ることがあるのならそれをすることだし、また私自身が彼ら、彼女たちが繋いでくれた貴重な生をどこまでも幸せに生き、いつか彼ら、彼女たちの忘れ形見に何らかの形で報恩することを企図し生きる。

 

そして時折、この時に消えていった犠牲者の方々のことを思い出し、彼らの分まで生きることである。

 

そして必然としての「今、ここ」においてこの体験の記憶をただ単に不幸であった、と終わらせることでなく、関心とエネルギーを「利他」に向ける。少なくとも自分に執着している場合ではない。

 

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生きることは戦いなのかもしれない。しかし、本当にそんなに殺伐としたものなのか?それは私自身が生きて答えを探し続けるし、若い世代が少しでも人生に喜びを感じやすくなるように出来うることはしていきたい。

 

そんなところでごぜ―ます。では!/おしまい。

 

 

 

 

ロックマンが倒せない!(「メイドインアビス」&「ハンター×ハンタ」一部ネタバレ有り)【差し替え】

どうも!水族館でネコザメを見て性的興奮を感じるめんつるです。  

 

あ。さっきアップした記事まんまの内容なんですが、抜け字誤字がすごかったんで差し替えバ―ジョンをアップする次第である。

 

普通に推敲して更新すればいいのだが、どうも「下書き」機能がちょいと使いにくく、「更新通知」の面でちょっとだけ疑念があるもので。ちっちぇなあオレw。

 

さてさて、そろそろ読者様・・・とりわけ、いつも訪問してくださる方々の元へ訪問しなければ、と思っている。

 

私の中では神に近い、いや。人は皆すべからく神様を内に秘め、要は神様なのだが。

 

「オラオラオラァ!"お客様は神様だるるォ!?"。」

 

などとオラついているDQNのあんちゃんなんかもやっぱり神である。(あ、アヤしい…w。)

 

ただただ修行不足なだけである。「オレがオレが!」・「私が私が!」のまんま、修行が足りないままお墓まで行っちゃう人もいる。それもまた人生。

 

いや、そ―いう話はいつもしている。

 

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読者様のもとへ伺うこと。

 

報恩、感謝、勉強、交流、刺激…動機は多々あれど、それ以前に人としてあかんやろ。

 

ただ、アクセス数を稼ぐためにどう、とか、読者を増やす為の工夫的なアクションは、なんとも心がピクリとも動かないのでどうにもこうにも。

 

それに、要領よく結果を出したい!みたいな方が私のブログを見たとしても、

 

「要領よく結果を出すために結果に執着しないでね~、一喜一憂しないでね~。」

 

てなとこで「???」ってなり、「こいつバカにしてんのかな?」とか、「ケムに巻きたいのかな?」ってなるじゃん?って気しかしないので、どうも需要と供給のミスマッチ感が凄いのである。

 

まあでも、あんまり難しく考える必要もあるまい。

 

基本は来る者拒まず去る者は追わず、であり、私自身が色々な分野においてフラットな視点や刺激、変化が欲しいのでそのうちなんかやるかもしれない。

 

そんなことを思うた昼下がり。ただただそう言う方に対し、今んとこ言いたいのは今を楽しまにゃ損ですよ~、ってとこだけである。

 

さて、本題に入ろう。いきなりアニメ「メイドインアビス」の話をかます。観てない方はお口にチャックだ。(なぜ)

 

いやそもそも、アニメに全く接点のない方にはすいませんとしか。

 

劇場版を踏まえた話であるが。以下の動画。

 


Made in Abyss Movie 3 Theme Song 「MYTH & ROID - Forever Lost」

 

うん、こりゃ名曲、神曲だ。

 

だが、これをふつ―に自室で聴いてるのと、劇場版を一通り観て初めて聴いたのとでは天地の差があるなあ、と思う。 

 

劇場版。観る人をほぼほぼお通夜状態に叩き込む、「R-15指定」まんまの曰く付きの内容である。

 

この「お通夜状態」は、期待感120%で出向いた作品の果ての果てがただただク○だった時に、人間が自然な反応として抱く茫然自失から来る「お通夜モ―ド」とは全く異質のものである。

 

なんつ―か、言葉がない。そっから来る「お通夜」。

 

この劇場版に登場し、主人公側の「敵」・「壁」として立ちはだかる「白笛」、黎明卿ボンドルドの圧倒的存在感。

 

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私も初見ではこのキャラを称して「サイコパス」と、割と最近の分かりやすい「記号」・「符号」でレッテル貼りをして済ませていた。

 

んで、「鬼畜」であり、「壊れている」、「心がない」などなどが続く。

 

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しかし、だ。

 

上に貼り付けた動画のコメントをたまたま読んでたら、

 

「こいつ、普通にただただいいやつやねんなあ…。」

 

と書いている方がいたのを見つけた。

 

それを見て、考えた。職場のお寺へ歩いて向かいながらの道すがら。ずっと考えていた。

 

「"いいやつ"…そう言えんこともないよな…。」

 

そう考えている自分がいた。

 

いや、たかだかアニメやろ、って方も多いだろう。

 

しかし、だ。

 

このクラスの作品になると、まんま作品やその中で展開される世界、世界を彩る登場人物が全て、自身の生き方にまで疑問符や揺さぶりをかけてくる。

 

そう言う作品は間違いなくあるし、ああ、アニメファンでえがったな、と思える無上の瞬間だったりする。

 

それはともかくこのボンちゃん。

 

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こっちは「ワンピ」のボンちゃん。

 

細かい内容にはキリがないので触れないが、確かに壊れている。頭がイカれている。しかし。

 

普通の常識とか固定観念で言うところの二元である「善悪」とか、「正しいか間違っているか」と言った尺度では語りきれない境地にいるキャラクターでもある。

 

それはこの曲(ED曲)と映画の内容を包括的に噛み締めると余計に分かる。

 

こいつは、人間的な常識の物差しで言うところの「善悪」で言うのなら、まあ確かに悪には違いない。「白か黒か?」で言ったらまごうかたなき「黒」。どこまでも黒い、黒塗りのベンツもびっくりの純然たる「黒」、「ベタ塗りの黒」。

 

だから、「グレー」な所がないのである。

 

と言うことは、表主する行動―子供達を騙して集め"成れ果て"にしちゃったり、娘をなんの躊躇もなく"カ―トリッジ"にしてしまったり、と言った行為に至るまで、純然たる信念と言うか、ただただ揺るぎのない「己」の名の下に徹頭徹尾貫かれている。

 

ただ、それが世間的な圧倒的「マス」側と全く真逆なだけだ。

 

こいつは「悪」には違いないが、どこまでもピュアなやつでもある。上のコメントを書かれた方はその本質を見抜いていた、と言える。慧眼実に素晴らしい…。(ボンちゃん風に)

 

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天才の生み出すラスボスはやはり、なんと言うかああ、主人公側が勝ったぞやった、ざまあみろ!みたいなのとは一風違ったキャラクター性を持っていることが多い。

 

勿論そう言う作品やラスボスもあるしいるけど、ずっと長く強く記憶に残りやすいのは前者のタイプである。

 

「ハンタ―×ハンター」のメルエム様なんかもそんな感じだ。

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まあ、富樫先生の中ではラスボスではないし、物語が未完なので実質的にもラスボスではないのだがそう言うのは置いておき、このキャラクターも深い。

 

最初は異生物のキメラアントの王として生を享け、チ―ト級の戦闘力を持ち、これまたチ―ト級の圧倒的戦闘力を持ち、かつそれまでの積み重ねてきた物語上で言うところの能力において絶望的なまでのポテンシャルを秘め、残酷に主人公の師匠的立ち位置のキャラクターに死をもたらす存在である護衛軍のネフェルピト―をも力でねじ伏せるだけのカリスマ性をもつ。

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生まれたばかりの頃は、尾の汚れを拭き落とそうと近づく部下を自身の機嫌を損ねる異分子として首をはね、エサとして喰らいまずい、と吐き棄てる。

 

そんなキャラクターが、だ。物語が進むにつれ、変わっていく。

 

退屈を感じ、戯れに玉の間に呼んだはずの軍将棋の名人であるコムギ。

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彼女が王に心をもたらし、心を溶かしていく。

 

彼女に肉体的な強さはない。ましてや王であるメルエムにとっては生かすも殺すもなんの造作もない真逆の弱さである。

 

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メルエムは肉体的な強さもさることながら、極めて知性に優れている。その彼が「負ける」と言うことを知る。軍儀(=「軍儀」)における負け。

 

反面、なんの取り柄もなく家でもずっとお荷物だったけど、こと軍儀においては天才的な才能を持ち負け知らず、家の稼ぎ頭として生活を支えるようになった彼女。

 

メルエムは軍儀を学習し、何度もコムギに対戦を挑む。メルエムも天才だが、その手をことごとく封じ込めるコムギ。

 

しかし、こと軍儀以外のところではなんの取り柄もなく、ただただ優しい。ただ、取り立てて王を崇め、畏怖する感じでもなく素の自身を出し、部屋に入ってきたでっかい猛禽につつかれ傷まみれになり、メルエムに救われる描写も描かれる。

 

ただただ、メルエムの腕の中で赤子のように、鼻水を垂らして泣きわめくコムギ。

 

「余はこいつをどうしたいのだ?」

 

メルエムは葛藤する。

 

生かすも殺すも、食うも造作もないはず。まったく無力な存在のはずなのに…。しかしながら、明らかにメルエムの中の彼女の存在は大きな光になっていく。

 

メルエムはハンター協会の長であるネテロとの死闘の前に言う。

 

ただのエサである筈の人間の中に、生かすに足る、生かす価値のある者がいると言うことを知った、と。特区を設け、弱者が差別されない世界を作る、と。

 

生まれた瞬間に全てを持っている者がいる。一方で、国境を隔て、生まれてすぐに死ぬ命、搾取され尽くし終わる命がある。世界の無情、矛盾。

 

そんな提案をするメルエムにネテロは言う。

 

「大変じゃのう、王よ。」

 

ネテロは心中、王の内面に"人間"が宿り、メルエムは「蟻の王」と「人間」の間で揺れていると看破する。

 

そしてネテロもまた、この時点でのメルエムにとっては生かすに足る人物。対話を求め続ける。

 

しかし、お互いに立場を異にする二人。結局戦闘に入り、最終的に敗北と己の死を悟ったネテロは、世界と自身を引き換えに、己の心臓に自身の死と共に作動する殺戮兵器

 

「ミニチュアロ―ズ」

 

を自ら作動させる。王も知らない、人間の心の深淵の闇を暗示しつつ。このシ―ンには戦慄する。

 

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ネテロの、天才富樫の渾身のメッセージ。王メルエムが最初に感じる恐怖。

王は三人いる護衛軍の二人のエキス、念を飲み復活するも、ネテロが己の命と引き換えにメルエムにもたらした「ミニチュアロ―ズ」は猛毒。

 

近くにいた護衛軍もその毒によってやがて死に至り、圧倒的な戦闘力をもって読者に恐怖と絶望感をもたらしたもう一人の護衛軍であるネフェルピト―もまた…。

 

師が生きていることをただただ信じ、師を助けにきたゴンにも絶望的な現実を突きつけたピト―は、全てを引き換えにしパワーアップを果たした主人公(通称ゴンさん)に叩き潰され絶命する。

 

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そして、メルエムも死期を悟る。死期を悟った、圧倒的なカリスマ性とチ―ト級の戦闘力、そして残虐性をもっていた王の帰る場所。そこはコムギのもとであった。

 

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王の身体が毒で侵され、余命幾ばくもないことを知るコムギ。一緒にいればその毒は彼女にも死をもたらす。メルエムは彼女に告げる。

 

コムギは言う。「お供させてください…。」と。

 

そして二人が天に召されるとき。コムギもまた「メルエム」と王を敬称なしで呼びかけ、二人手を取って老夫婦が共に天に召されるかのように、逝く。

 

この一連の描写を見て、

 

「メルエムをやっつけた!メルエムざまあみろ!」

 

ってなる人は、まああんまりいなさそうである。

 

もうボンちゃんの話かメルエムの話か分からなくなってきたが、これらの作品群のラスボス級の存在は、普通にオラオラ威張り散らしていたり、我を崇めよ!的なアピールをするとかの分かりやすい悪党ではないのである。だから、単純な勝ち負けなどの次元を超え、意識無意識の記憶にシンボリックな、そして有形無形の存在感を残しやすいのだ。

 

まあ、そんなところかな。深いです。

 

また結局重たくなっちまった。「お笑い」動画を貼ってバランスを取りつつ読者様のもとへェェェ~!いつもありがとうございます!!

 

 


はねるのとびら 悲しい閉店 (山本他)

 

では!/おしまい。

 

 

 

ロックマンが倒せない!(「メイドインアビス」&「ハンター×ハンタ」一部ネタバレ有り)

どうも!水族館でネコザメを見て性的興奮を感じるめんつるです。  

 

さてさて、そろそろ読者様・・・とりわけ、いつも訪問してくださる方々の元へ訪問しなければ、と思っている。

 

私の中では神に近い、いや。人は皆すべからく神様を内に秘め、要は神様なのだが。

 

「オラオラオラァ!"お客様は神様だるるォ!?"。」

 

などとオラついているDQNのあんちゃんなんかもやっぱり神である。(あ、アヤしい…w。)

 

ただただ修行不足なだけである。「オレがオレが!」・「私が私が!」のまんま、修行が足りないままお墓まで行っちゃう人もいる。それもまた人生。

 

いや、そ―いう話はいつもしている。

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20201115143559j:plain

読者様のもとへ伺うこと。

 

報恩、感謝、勉強、交流、刺激…動機は多々あれど、それ以前に人としてあかんやろ。

 

ただ、アクセス数を稼ぐためのどう、とか、読者を増やす為の工夫的なアクションは、なんとも心がピクリとも動かないのでどうにもこうにも。

 

それに、要領よく結果を出したい!みたいな方が私のブログを見たとしても、

 

「要領よく結果を出すために結果に執着しないでね~、一喜一憂しないでね~。」

 

てなとこで「???」ってなり、「こいつバカにしてんのかな?」とか、「ケムに巻きたいのかな?」ってなるじゃん?って気しかしないので、どうも需要と供給のミスマッチ感が凄いのである。

 

まあでも、あんまり難しく考える必要もあるまい。

 

基本は来る者拒まず去る者は追わず、であり、私自身が色々な分野においてフラットな視点や刺激、変化が欲しいのでそのうちなんかやるかもしれない。

 

そんなことを思うた昼下がり。ただただそう言う方今んとこ言いたいのは今を楽しまにゃ損ですよ~、ってとこだけである。

 

さて、本題に入ろう。いきなりアニメ「メイドインアビス」の話をかます。観てない方はお口にチャックだ。(なぜ)

 

いやそもそも、アニメに全く接点のない方にはすいませんとしか。

 

劇場版を踏まえた話であるが。以下の動画。

 


Made in Abyss Movie 3 Theme Song 「MYTH & ROID - Forever Lost」

 

うん、こりゃ名曲、神曲だ。だが、これをふつ―に自室で聴いてるのと、劇場版を一通り観て初めて聴いたのとでは天地の差があるなあ、と思う。 

 

劇場版。観る人をほぼほぼお通夜状態に叩き込む、「R-15指定」まんまの曰く付きの内容である。

 

この「お通夜状態」は、期待感120%で出向いた作品の果ての果てがただただク○だった時に、人間が自然な反応として抱く茫然自失から来る「お通夜モ―ド」とは全く異質のものである。

 

なんつ―か、言葉がない。そっから来る「お通夜」。

 

この劇場版に登場し、主人公側の「敵」・「壁」として立ちはだかる「白笛」、黎明卿ボンドルドの圧倒的存在感。

 

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私も初見ではこのキャラを称して「サイコパス」と、割と最近の分かりやすい「記号」・「符号」でレッテル貼りをして済ませていた。

 

んで、「鬼畜」であり、「壊れている」、「心がない」などなどが続く。

 

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しかし、だ。

 

上に貼り付けた動画のコメントをたまたま読んでたら、

 

「こいつ、普通にただただいいやつやねんなあ…。」

 

と書いている方がいたのを見つけた。

 

それを見て、考えた。職場のお寺へ歩いて向かいながらの道すがら。ずっと考えていた。

 

「"いいやつ"…そう言えんこともないよな…。」

 

そう考えている自分がいた。

 

いや、たかだかアニメやろ、って方も多いだろう。

 

しかし、だ。このクラスの作品になると、まんま作品やその中で展開される世界、世界を飾る登場人物が全て、自身の生き方にまで疑問符や揺さぶりをかけてくる。そう言う作品は間違いなくあるし、ああ、アニメファンでえがったな、と思える無上の瞬間だったりする。

 

それはともかくこのボンちゃん。

 

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こっちは「ワンピ」のボンちゃん。

 

細かい内容にはキリがないので触れないが、確かに壊れている。頭がイカれている。しかし。

 

普通の常識とか固定観念で言うところの二元である「善悪」とか、「正しいか間違っているか」と言った尺度では語りきれない境地にいるキャラクターでもある。それはこの曲(ED曲)と映画の内容を包括的に噛み締めると余計に分かる。

 

こいつは、人間的な常識の物差しで言うところの「善悪」で言うのなら、まあ確かに悪には違いない。「白か黒か?」で言ったらまごうかたなき「黒」。どこまでも黒い、黒塗りのベンツもびっくりの純然たる「黒」、「ベタ塗りの黒」。

 

だから、「グレー」な所がないのである。

 

と言うことは、表主する行動―子供達を騙して集め"成れ果て"にしちゃったり、娘をなんの躊躇もなく"カ―トリッジ"にしてしまったり、と言った行為に至るまで、純然たる信念と言うか、ただただ揺るぎのない「己」の名の下に徹頭徹尾貫かれている。

 

ただ、それが世間的な圧倒的「マス」側と全く真逆なだけだ。

 

こいつは「悪」には違いないが、どこまでもピュアなやつでもある。上のコメントを書かれた方はその本質を見抜いていた、と言える。慧眼実に素晴らしい…。(ボンちゃん風に)

 

天才の生み出すラスボスはやはり、なんと言うかああ、主人公側が勝ったぞやった、ざまあみろ!みたいなのとは一風違ったキャラクター性を持っていることが多い。勿論そう言う作品やラスボスもあるしいるけど、ずっと長く強く記憶に残りやすいのは前者のタイプである。

 

「ハンタ―×ハンター」のメルエム様なんかもそんな感じだ。

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まあ、富樫先生の中ではラスボスではないし、物語が未完なので実質的にもラスボスではないのだがそう言うのは置いておき、このキャラクターも深い。

 

最初は胃生物のキメラアントの王として生を享け、チ―ト級の戦闘力を持ち、これまたチ―ト級の圧倒的戦闘力を持ち、かつそれまでの積み重ねてきた物語上で言うところの能力において絶望的なまでのポテンシャルを秘め、残酷に主人公の師匠的立ち位置のキャラクターに死をもたらす存在である護衛軍のネフェルピト―をも力でねじ伏せるだけのカリスマ性をもつ。

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生まれたばかりの頃は、尾の汚れを拭き落とそうと近づく部下を自身の機嫌を損ねる異分子として首をはね、エサとして喰らいまずい、と吐き棄てる。

 

そんなキャラクターが、だ。物語が進むにつれ、変わっていく。

 

退屈を感じ、戯れに玉の間に呼んだはずの軍将棋の名人であるコムギ。

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彼女が王に心をもたらし、心を溶かしていく。

 

彼女に肉体的な強さはない。ましてや王であるメルエムにとっては生かすも殺すもなんの造作もない真逆の弱さである。

 

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メルエムは肉体的な強さもさることながら、極めて知性に優れている。

 

その彼が「負ける」と言うことを知る。軍儀(=「軍儀」)における負け。反面、なんの取り柄もなく家でもずっとお荷物だったけど、こと軍儀においては天才的な才能を持ち負け知らず、家の稼ぎ頭として生活を支えるようになった彼女。

 

メルエムは軍儀を学習し、何度もコムギに対戦を挑む。メルエムも天才だが、その手をことごとく封じ込めるコムギ。

 

しかし、こと軍儀以外のところではなんの取り柄もなく、ただただ優しい。ただ、取り立てて王を崇め、畏怖する感じでもなく素の自身を出し、部屋に入ってきたでっかい猛禽につつかれ傷まみれになり、メルエムに救われる描写も描かれる。

 

ただただ、メルエムの腕の中で赤子のように、鼻水を垂らして泣きわめくコムギ。

 

「余はこいつをどうしたいのだ?」

 

メルエムは葛藤する。生かすも殺すも、食うも造作もないはず。まったく無力な存在のはずなのに…。しかしながら、明らかにメルエムの中の彼女の存在は大きな光になっていく。

 

メルエムはハンター協会の長であるネテロとの死闘の前に言う。

 

ただのエサである筈の人間の中に、生かすに足る、生かす価値のある者がいると言うことを知った、と。特区を設け、弱者が差別されない世界を作る、と。

 

生まれた瞬間に全てを持っている者がいる。一方で、国境を隔て、生まれてすぐに死ぬ命、搾取され尽くし終わる命がある。世界の無情、矛盾。

 

そんな提案をするメルエムにネテロは言う。

 

「大変じゃのう、王よ。」

 

ネテロは心中、王の内面に"人間"が宿り、メルエムは「蟻の王」と「人間」の間で揺れていると看破する。

 

そしてネテロもまた、この時点でのメルエムにとっては生かすに足る人物。対話による和解を求め続ける。

 

しかし、お互いに立場を異にする二人。結局戦闘に入り、最終的に敗北と己の死を悟ったネテロは、世界と自身を引き換えに、己の心臓に自身の死と共に作動する殺戮兵器、

 

「ミニチュアロ―ズ」

 

を自ら作動させる。王も知らない、人間の心の深淵の闇を暗示しつつ。このシ―ンには戦慄する。

 

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ネテロの、天才富樫の渾身のメッセージ。王メルエムが最初に感じる恐怖。

王は三人いる護衛軍の二人のエキス、念を飲み復活するも、ネテロが己の命と引き換えにメルエムにもたらした「ミニチュアロ―ズ」は猛毒。近くにいた護衛軍もその毒によってやがて死に至り、圧倒的な戦闘力をもって読書に恐怖と絶望感をもたらしたもう一人の護衛軍であるネフェルピト―もまた…。

 

師が生きていることをただただ信じ、師を助けにきたゴンにも絶望的な現実を突きつけたピト―は、全てを引き換えにしパワーアップを果たした主人公(通称ゴンさん)に叩き潰され絶命する。

 

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そして、メルエムも死期を悟る。死期を悟った、圧倒的なカリスマ性とチ―ト級の戦闘力、そして残虐性をもっていた王の帰る場所。そこはコムギのもとであった。

 

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王の身体が毒で侵され、余命幾ばくもないことを知るコムギ。一緒にいればその毒は彼女にも死をもたらす。メルエムは彼女に告げる。

 

コムギは言う。「お供させてください…。」と。

 

そして二人が天に召されるとき。コムギもまた「メルエム」と王を敬称なしで呼びかけ、二人手を取って老夫婦が共に天に召されるかのように、逝く。

 

この一連の描写を見て、

 

「メルエムをやっつけた!メルエムざまあみろ!」

 

ってなる人は、まああんまりいなさそうである。

 

もうボンちゃんの話かメルエムの話か分からなくなってきたが、これらの作品群のラスボス級の存在は、普通にオラオラ威張り散らしていたり、我を崇めよ!的なアピールをするとかの分かりやすい悪党ではないのである。だから、単純な勝ち負けなどの次元を超え、有形無形の意識無意識の記憶にシンボリックな存在感を残しやすいのだ。

 

まあ、そんなところかな。深いです。

 

また結局重たくなっちまった。「お笑い」動画を貼ってバランスを取りつつ読者様のもとへェェェ~!いつもありがとうございます!!

 

 


はねるのとびら 悲しい閉店 (山本他)

 

では!/おしまい。

 

 

 

「原発の町」女川町旅&食レポ。

どうも!

 

今日は急遽幼馴染み(♂)が帰省、アッ――っと言う間に休みが終わってしまいました。記事も書きたいことはあらかた決まっていたのであるが、どっちかって―とやっつけ気味になると思う。 

 

友人とは11時くらいに経ち、宮城県の女川町へ。

 

女川町。「原発の町」とも呼ばれる。これは近隣地からも、少し遠方の土地からもこの呼称で言われることは多い。「原発」。いずれ、記事で思うところを書くつもりでいるが、ネット上で政治色の強い内容は書きたくないので、コストやらエネルギー問題やらの切り口になろうかと思う。

 

 さてさて、原発の話はとりま置きまして。

 

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向こうに鹿が見えるぜ!

 

写真に撮るとどうにもショボい。臨場感と迫力に欠ける。

 

「白鹿のモニュメント」。初見のインパクトは素晴らしかった。ああ、海外行きてぇ。(なにいきなり)

 

海外諸国。見ると観ると聞くとは違う。違いすぎる。ああ行きてぇなああ行きてぇ。

 

海外旅行行きたいだけで記事が埋まる勢いなのでこれくらいにして、ここは私の住む土地から程近い女川町。まずは女川に愛をッ!

 

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私は今は車を持っていない。外にはしょっちゅう出るが、基本は市内か仙台に行動圏は限られていた。しかし、女川。ええやんけ。

 

プチ旅行は12月に入るとちと寒いので、それまでに2回くらいはしておきたいと思った。行くところは居住の市内と仙台、およびその沿線以外のどこか、である。

 

今月末から新規で、追加で始まる家庭教師のお宅は県央なので、そっちでわくわくしている。

 

どうせなら仕事でわくわくしてほしいものだ。いや、教育業が天職ならそりゃあわくわくもするだろうがねぇ…。こればっかりは。勿論仕事だからプロの役目は果たすけどそ―ゆ―ことじゃなくてさ。

 

まあいいや。

 

家庭教師宅訪問の時間までは間があるので、朝っぱら早く出ていって既存ル―ト上になかった路線で色々な駅周辺を長い目で見て探索したい。パワースポットなんかも色々ある筈だ。

 

だが、季節は冬へ向かう。これは確実だ。んで、基本的には契約は高校受験までの指導となっている。

 

腹を壊したらど―するよ。

 

うんこもらすと後がない。これは痛い。もらしたらアウトのアウトレイジな世界に生きなければならない。ど田舎に行くとコンビニがないないな~い!なんて事態はざらなのだ。

 

まあ、そんなにハラが弱いわけでもないのだが、冬はねぇ…。まあ、普通にコロナのリスクだってあるのだがどちらかと言うとハラを下す方を心配している。

 

んで、心配事の9割は起こらない。クレア先生の教えである。

 

 

 さてさて、話がずれている。旅レポは要はニガテなのである。

 

カレ―を食った。

 

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友人はカレ―、私はカツカレー。(なに、この淡々とした食レポ)

 

右脳でもっさり掴んで左脳で翻訳するのが得意な筈なのだが、食べたものを五感で味わうとかイメージもりもりで修飾するのはバリバリ得意分野なんだけど、語彙が追い付かない。こ―ゆ―のはリクツじゃないのだね。

 

得意な人を羨む分野ではない。食レポが上手い人の食レポは写真からして違う。言葉選びの巧みさは芸術の域に達していたりする。だがあえて、そう言う普段使わない領域の脳みそを稼働してみるのも逆バリ的でいいだろう。

 

受けて勃つ❤️

 

芳醇な香りを漂わせ、見目麗しいおフラ~ンスなしょうしゃな雰囲気の…。

 

しょうしゃ。

 

う~ん、字~からしてアヤしいな。スマホゆえの弱点。文字のカタマリになるとたまに弱点を露呈するスマホのお可愛い所である。

 

やめだ!やめやめ!

 

芸術とはッ!こう言うものを言うのだッ!!

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かっけぇ…。

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なんか、たまたまビ―トルズの「ホワイトアルバム」などを聴いている。

 

青に映える白。白に映える青。白に映える白。

 

 

 

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アニミズム。ありますねぇ。確かに神道の世界にも鹿はシンボリックな存在感を持つ。名和さん、目の付け所が違いすぎる。

 

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幼馴染みの話によると、女川町は復興の一環として駅周辺およびイベントで各界、とりわけ芸術や建築の分野の第一人者を招聘し腕を奮っていただいたそうだ。

 

彼らも復興のため、と人肌脱いでくださり、恐らくはさほどの謝礼も受け止っていない筈である。素晴らしい方々だ。

 

しかし、だ。(おやじギャグは言わんぞ)

 

どうもテコ入れしたのが駅周辺ばかりで、復興地特有の"泥臭さ"がないのがねぇ、と彼はつぶやく。彼の言うことはなかなかに的を射ている。

 

まずは地元の住民との物理的より心理的距離感を感じるところはあった。

 

彼が言うのは、観光客を呼んでお金を落としてもらうのはいいけど、彼ら一線級の仕事と地元産業との一体感に欠ける、と。

 

つまり、地に足が付いていない感覚はどうしてもする。

 

一方で、この町の町民の心理はやはり原発で揺れている。彼ら・彼女たちの胸中は複雑であろう。

 

願わくば、ここの町に住みたい!くらいの若い方が来れば…、などと思っているかもしれない。被災地特有の高齢化の問題も抱えている。

 

この町の地場産業は漁場だ。だが、駅前の新興の町並みを歩く限り、それが還元されている雰囲気は感じられなかった。

 

行政がパイプ役となって収益の再配分をするにしても、確かに断絶するのは「物」ばかりではない。「心」も離れてしまう。

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「物心両面の幸福」ってことに車内で触れた。私の口をついて出た。

 

勿論彼の言を受けて私なりに頭の中でそれを攪拌、斟酌した結果出た言葉であり、この町に必ずしもあてはまる言葉、フレ―ズではない。

 

最初に言ったのは京セラの稲盛会長である。

 

だから話そのものはあさっての方向へずれるが、これからの時代は「物」と「心」の豊かさを両立させることが「幸福」への道である、との主旨であるが、一昔前までは一時経営の世界を離れ、袈裟を着て仏門入りした稲盛氏の奇行である、と揶揄された時期もたぶんあった筈である。

 

だが、彼は彼なりに激しい競争に明け暮れ、心をいつしか削り、疲弊し最初は一時経営現場からの逃避の動機も幾分かはあったかもしれないが、「五方よし」と語っているように、京セラと言う一枚看板を、地域や国、顧客、社員全部ひっくるめて、「与える」所から「心」を養っていった末での「物心両面の豊かさ」と「五方よしの豊かさ」と言うものを追求しなければ画竜点睛を欠く、と思ったのかもしれない。

 

幼なじみは今はさる大手の某電機メ―カ―の中間職を勤めているが、ああそれ稲盛さんだよね、と付け加わえた上で言う。

 

当時はとりわけ日本の大企業の経営の世界では誰も見向きもしなかった経営理念であったと。むしろ、鼻で笑われる勢いであった。

 

しかし、今となっては、この言葉はとりわけ大企業の経営陣や管理職層を席巻し研修なんかでは最初に言われたりしてて、人事なんかが急に手のひら返したみたいに血相かえてやたらと声張り上げてるぜ、と、くくくと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

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彼もどちらかと言うと大組織向きではない。確かに人事の面では冷飯を食ったが、それで良かったよ、と言う。お互い一番腹を割って本音で語る仲であるが、彼の口からは仕事場の愚痴はあまり聞いたことはなかった。

 

「物心両面」。これはいずれ一記事設けるつもりであったが、まあさわりはこんなものである。  

 

旅レポ食レポの方はさっぱりであった。ニガテなもんは仕方がない。

 

ではでは。