蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

全部ジョジョ。(更新ペースを落としますお知らせ)

どうも!

 

さてさて表題の通りであるが、ちょいと更新のペースを落とそうと思っている。

 

リアルがちとバタついてきたのと、インプットが追い付かず本やら資料やらが山積みになってきたことがある。

 

その分ネタはもりもりあるのだが、私自身ももう少し難解な概念を誰にでも分かりやすく伝える技術を磨く必要もあろう。そこらへんのバランスを考え、3日に一遍とか、5日に一遍とか週に一遍の発信としようと思う。

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さて、今日は昔就労支援の事業所を紹介してくれた福祉の関係の方と面会し、その流れで障がいを持った方向けのプログラミングであるとかデザインであるとか、あとはワ―ドやエクセルに至るまで、就労に至るまでのIT技術を身につける場で話を聞いてきた。

 

私は就労しているので、利用に少しばかり制限が出る可能性があると言う前提のもと、とりま体験の算段に漕ぎ着けた。

 

ここの設立の理念には大変共鳴したのだが、今の社会の仕組みに障がい者が合わせる、と言う在り方ではなく、既存のルールや常識に囚われず障がいを持った方が主体的に人生を力強く、誇りを持って作っていけるような支援がしたい、と職員さんは力強く語ってくれた。

 

この理念や志には大賛成である。

 

ちょっと昔まではアホだからなかなか気付けなかったんだけど、障がいを持つとどうしても健常者との比較の軸が生まれてしまい、これに意識が向いた状態で生きてしまいやすい。そして劣等感や自責のループからなかなか抜け出せず苦しみ続ける。

 

真実は、私自身が眩しくて羨望と嫉妬の眼差しを向けていた健常者とて何かしらコンプレックスや欠点を抱えており、また障がい者とて、抱えた障がいは確かにハンデには違いないが、それをプラス、武器にして生きることはいくらでも可能だと言うこと、であった。

 

卑屈になることはない。障がいと共に生きることにより魂も磨かれよう。人に寄り添い、人の痛みが分かる人間になっていく。心が育っていく。これは、何者にも代えがたい当人の宝となっていく。また、好奇心をガソリンとして、さまざまな情報を欲し、都度意識の深層が再構築されていくので、思いも寄らないような発想が生まれたりもするのだ。

 

要は心意気ってやつである。何も団結して革命を起こそう!などと言うワケの分からない世界に突き抜けなくてもいいので、自分の内面の既存の概念をぶっ壊したらいい。

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これらを自力でやる。ここは退いてはいけない。

 

そうすれば、道は拓けるように出来ている。神様はそこまで非情なことはやらない。 

 

「自分を信じる力」と「思い込みの力」はある意味恐ろしい。不可能を可能にする力である。だが、「思い込みの力」は、ちと使い道を誤ると当人の身を滅ぼしかねない。諸刃の刃である。

 

アマゾンで「思い込み」ってワ―ドで検索するといくつか書が出てくるが、多くは「間違った思い込み」を正す書が多い。名著「ファクトフルネス」を始め、大半はバイアスの入った誤った思い込みを見直し再検証することを促す書である。

 

 

その中で、「セルフイメージ」の本であるとか「人生の99%は思い込みの力で決まるよ~」って本も少数ではあるが一定数はある。「99%」とはまた大きく出たなあ、とも思ったが、まあ真実とも言えよう。

 

人生の99%は思い込み―――支配された人生から脱却するための心理学

人生の99%は思い込み―――支配された人生から脱却するための心理学

  • 作者:鈴木敏昭
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

人は、自身が思っている通りの人間になっていく。1年後かもしれない、2年後かもしれない。5年とか10年とかにわたる場合もあろう。だが、確実にそうなっていく。

 

私は私なりの「セルフイメ―ジ」ってものは大体確立しつつあるのだが、背景にはやはり、障がい…とりわけ精神疾患者の背負っているものがある。

 

前記事に「一人一宇宙」てなことを書いたけど、私が持っている「世界観」は昔持っていたような悲惨な、殺伐としたものではない。だが、虐げられ、屈辱の中散っていった多くの精神疾患患者の、ちょっと重たい表現になるけど血塗られた歴史を見ている。

 

この人たちに何の罪があったのだろう?

 

人一倍真面目で優しく、思いやりがあるが一方では繊細で傷つきやすい。こう言う人が社会の枠組みに組み込まれると、多くはその優しさが全ての人に向けられるから、こう言う場合は少なからず悪意を持った人が現れてしまう。

 

傷つき、組織内でいじめに遇ったり差別されたりもあるだろう。「弱い!」とか「氏ね!」などと心無い言葉を浴びせられることもあるだろう。

 

結果、自身を追い込み、最悪死に至る。

 

だったら、誰がその魂を鎮めるのだ?誰が彼ら、彼女らの死に責任を取るのだ?「罪と罰」の仕組みはあろうが、その人が何の咎を?

 

こうした、今の世だけではない、膨大な歴史が積み重ねてきた因果の束。これを私は背負っているとも言える。

 

また、日本と言う国は死者や、死に関わる仕事をする人を差別してきた歴史がある。これは進行形でまだ根強いのかもしれない。

 

時折、でっかい石を抱えて地中深くに埋葬された亡骸が出土することがあると言う。これは、死者が甦り人の世に出てこないよう忌み嫌う生者の心の顕れ、である。

 

差別はけして日本にだけあるものではない。ただ、日本人特有の、共有して抱えている独特の「心の闇」は、ある。

 

「やられたらやり返す」ではない。そうすれば、またそのやり返した側が膨大な「業」を抱えることになろう。

 

「心の闇」は、多くの人が抱えたまま朽ちていく。現実はそうに違いないが、何か打つ手はないのか?と自問自答するとき、それは「在る」。 

 

考えただけでは何も解決はしない。今見えている「課題」をこなし、成長するプロセスでたくさんのものが見えてくるだろう。

 

私はただただ、それを追い求める。淡々と。

 

てな所だ。だいたいいつもの流れの話になってしまった。

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んじゃ、実用的な話もちょっとだけやって終わる。

 

「お金」の話なのだが、心とがっつり連動していて、また目が出るまで少しばかり我慢が必要な分野でもある。

 

まずはお金との主従関係を間違えてはいけない。これはガチである。

 

んで心を養い、ささやかなことでも幸せだ~って思えるような「心の豊かさ」を育むこと。地味な取り組みではあるが「感謝リスト」などが推奨される。

 

あとはアファメーションや言霊の類い。これも有効ではある。しかし、だ。

 

具体的なキャッシュポイントを出来るだけ増やすのがポイントとなる、ポイントだけに。

 

「出来るだけ」と書いたのは、例えば多忙を極める立場にある(いや、こうした方は逆に多忙すぎてお金を使う暇がなく、お金がオ―トで貯まっていきやすいのだが)会社員の方にせよ、正社員・非正規社員にせよ、「副業」はやはり重要である、と言うこと。また、あんまり収入の多寡にはこだわらなくていいから、給料日に入ってくるだけのキャッシュを月単位にならし、やはり出来る限り「毎日が給料日♪」ってポイントを増やしてほしい。

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何でもいい。地味なものでOKである。メルカリでもいいしブックオフでもいい。隙間時間にポチポチ稼げるお小遣いサイトなんかもいいだろう。

 

これは、「ああ、給料日が25日なのに後どうやって過ごしたら…。」ってなり、欠乏感や不足感に向かいがちな意識ってとこをちょいとなだめ、既存の流れに変化をもたらして潜在意識を安心させる狙いがある。

 

すると、長い目で見てアファメーションとか言霊なんかの効果も上がっていきやすいのだ。

 

「お金」に関わるアファメーションとか言霊の類いは、アイデアとかインスピレーションを促す効果がある。ちょいと時間はかかるかもしれないが、これらの組み合わせで「豊かさのブレーキ」になっている「心の癖」もほぐれ、循環する、させる流れも増えていきやすくなるだろう。

 

てな訳で終わります。次回の更新時は未定です。ではではまた後程。/おしまい。

 

>切り株おやじ様(id:masuhiro6595)

 

コメントありがとうございます。

 

いやあ、難しいのが普通です。

 

自分の説明がへたくそなことを棚に上げるつもりはないですが、この手の話に食い付く人は少ない方がいいのかもしれません。