蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

馬の背に身を預け惰眠を貪る。

どうも!

 

さてさて、飯食ってくつろぎモ―ドなのは大変結構なのだが、何しろ眠い。そして臭い(何が)。

 

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いや、「臭い」はともかく、睡眠に少しばかり悩みを抱える人間にとっては「眠い」ことはありがたいことでもある。

 

生産的に、釈迦力に仕事をされる方にとっては「眠気」と言うのは時に邪魔にもなるであろうが、ちょっとした仮眠の習慣を取り入れるだけでもいい変化へのスイッチにもなりまた、より高い生産性にも繋がるであろう。

 

長い目で見れば、全てが自身を成長させる糧となりうる。「地球は魂のアトラクションでありトレーニングジムである」と言うフレ―ズがあるようだが、まさに正鵠を射ていると言える。あとはこのプロセスをただただ楽しむだけだ。

 

さて、そんなこんなで日々を重ねていく中で、時にはしっかり自身を省みる、あるいは初心に返る時間を取ることが必要となることもある。

 

そんな時はまったりとコ―ヒ―でもすすりながら、以下の書をパラパラっとめくる。(ホントはスカートをめくりたい。)

 

 

 う~ん…。このタイトル(邦題)はもうちょっと何とかならんかったものか…。まごうかたなき良書なのに。

 

「東大生が教える」だの、「ハ―バ―ド発」だのの枕詞をタイトルに持つ書は多い。そして、その多くは良書である。

 

しかし、タイトルをつける側の認識と、書を買い求める顧客となる読者の印象であるとか認識であるとかはどうしてもズレが生じてしまうような気がする。昨今多い「東大王なんちゃら」のクイズ番組に少し苦いことを仰っていたのは、やはり東大出身者である脳科学者の中野信子さんである。

 

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私もそう思う。せっかくの良書におかしなバイアスが入りはしまいか。マ―ケティングを仕掛ける側には、「東大生が書いた~」とかつければ庶民の方々はありがたがってお金をポンポン投げるだろう、などと言う思惑や目論見があるのかもしれないが、受け止める側の心理的な反応とは必ずしも合致しない。

 

学歴コンプレックスを持つ方はどうだろう?日頃学歴マウントをしているような人はどうだろう?要は学歴なんてものはその人の真の価値をなんら反映しないただのモニュメントでしかないのに。無論、書の真の価値ともやはり少なからずズレる。

 

これはとても勿体無いことだと思う。

 

まあ、苦言はこれくらいにしてこの書についてだが、著者はハ―バ―ド大学教授のタル・ベン・シャハ―氏。

 

個人的な話であるが、今の師匠と出会い人生のドン底ステージを曲がりなりにも抜けたであろうタイミングで彼に薦められたのがこの本であった。

 

まだ迷走中であったのだが、荒波の中何とか帆を張り進み始めた頃に出会ったこの書に触れた私は目からウロコが落ち、この書にある様々な事柄を試してみた。

 

しかし、だ。

 

この書は「よりよく生きる」ための「人生の青写真のモデルケースダイジェスト版」って感じで、また一個一個の項目はしっかり一貫性はあるんだけど何となく独立しているように映るので、新たな疑問の海に叩き込まれやすい。

 

今ならこう言うのを滅茶苦茶楽しめるのだが、当時はただただメンドくさかった。

 

要はこの書は何となくYou Tubeの「まとめサイト」的な所がある。本質的なところは本人がどう受け止め、どう自分の意思で行動し紡がれるものでしか構築され得ない。

 

都度立ち止まり、別の詳しい書を求め、専門家の意見を仰ぎ、アウトプットをも出来る限り心がけて、自身の内面に落とし込んでいく膨大な作業はやはりどこまでも泥臭い。

 

だが、そうやって自分の地道な積み重ねで、手のひらの底の方に微かに残った、しかし目映い光を放つ努力の結晶は、何者にも代えがたい当人の財産となろう。

 

そしてその学びを人に伝え、実践し、新たな書を求め自身が確かな経験を積んでいくうちに見えてくるものを掴んだ自身が、以前より抽象度の高い視座から自身の人生を再度鳥瞰する時にまた、この書が必要になる。

 

膨大な過去の集積を顧みる時・・・無数の因果、禍福、幸不幸、成功と失敗など・・・を再度振り返る。

 

「今、この瞬間」において自身の「あざなえる縄」を振り返るとき、都度不幸だとしか思えなかった逆境こそが今の自身の確かな芯を創り、順境のときはさほど学んでいなかったことを知る。

 

大いなるもの・・・天地自然、森羅万象、そして誰しもが内に秘める可能性・・・こうしたものへの畏怖と感謝が止めどなく湧き、自身の小賢しい浅知恵や社会の詐術の類いがちっぽけなものであると知る。

 

確かに、私自身の過去あったこと・・・震災が一番伝わりやすいが、これが起こり目の前に横たわる無数の骸を思い出すと、やはり当時は不幸な出来事だとしか思えなかったし、なんで自分みたいな無力な者が生き残り、働き盛りであったり、幸せな家庭を持っていたであろう何の罪もない人がこんなに目の前に無惨な屍を晒しているのか。理解の範囲を超えていた。

 

ただただ生きた。

 

なりふり構わなかった。涙と鼻水を垂れ流しながら無様に生にすがった。しかし、それも果てそうになる。冷たくなる車内。

 

全国から応援のメッセージが多数届く。当時の私はただただ未熟で、

 

「当事者じゃねぇだろ、知ったようなことを言うな。」

 

とまで思った。冷たくも美しく輝く星々を見上げる。

 

当時、車をさるセルフのガソリンスタンドに寄せていた。結構な数の人が集まってきていた。なかなかに店長さんが人徳のある方だったのだ。

 

私はと言うと、自分のことしか考えていなかった。ガソリンは少しだけ入れてもらったが、暖房を炊いていると確実に消耗していく。私は見苦しくも、スタンドの中で暖を取り眠るお年寄りや子供の都合も考えず、透明な窓を叩いた。

 

結局それに関しては気づかれなかったようだが、ともあれ車に戻り、最低限の暖を確保するようにと店長さんに渡された銀色のシ―トで身をくるみ、がちがち鳴る歯、そして時に雷鳴にも似た瞬間瞬間の強烈な震動に戦慄する。

 

やがて、ガソリンが尽きた。

 

そのシ―トに身をくるんでいても、ただただ冷える。外から来るのではない、内側から来る覆せない冷たさ。それは確実に私の心を削る。

 

タイミングの悪いことに、私は近くの実家のことが気になり、少しばかり時間をもらってその日の夕方に実家の様子を見に行っていたのだ。

 

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店長さんは言う。止めておいた方がいいよ、残念だけど、と。

 

さる幹線道路と我が家は運河が隔てていた。車では物理的に確かめようがないので、事実を確認するにはその水かさが絶望的にまで増した運河の水の下にあるサイクリングロ―ドを渡っていくしかない。

 

私は肚をくくり、その道に足を踏み入れた。恐ろしいほどに冷たい冬の水。一度、道の窪みに足を取られ、腰まで沈んだ。

 

結局は実家のことは何も分からず、空しく戻ってきたのだが、夜半この衣類に染み込んだ水が私の体温と生命力を奪い始めた。

 

暖房が切れ、耐えきれずに外に出て獣のように右往左往する。何人かの男性陣がホタルみたいに、タバコに火をつけたたずんでいた。

 

私は当時はタバコを吸っていたので、彼らの中に入った。ただただ、自身の内面を蝕む孤独感を埋め合わせるために。会話は淡々としたものだった。

 

また車中に戻り、耐え難い酷寒に悶えごろごろ転がる。

 

たぶん、朝を迎えつつあったのだろう。いや、何となくお花畑っぽい光景を見たような気がするのだ。その時は苦痛の果ての果てからの解放、って感覚は確かにあったのだが…。

 

そのタイミングで、誰かが窓の曇りがない部分から車内を覗き込んだのだ。

 

私は目を、意識をそちらへ向けた。

 

老婆であった。瞬間私は渾身の力で扉を拳で叩き、扉をこじ開けた。

 

彼女は言う。そして、私をただただ労る。

 

「あそこで味噌汁の配給が始まったんだよ…。あら、何だい!ひっどい顔になってるよ!生きてて良かった!生きてて良かった!」

 

彼女は駆け出した。すぐに握り飯を握って来てやる、と。

 

10分もしないうちに彼女は取って返してきた。握り飯を数個携えていた。

 

この時に食べた握り飯は、これまでの人生の中で食べた食事の旨いものランキング何位くらいに来るのだろう?いや、ランク付けするなど傲慢も甚だしい。

 

涙と共に飲み込み、がっついた。ああ、ゲ―テが言ってたっけな、

 

「涙と共にパンを味わった者じゃないと人生の本当の味は分からないよ。」

 

とかだったか。

 

確かに壮絶な体験だったに違いない。私を生かして散っていった命もあろう。私を生かし、目の前で我が事のように喜び破顔している他者もいる。

 

この老婆は近所の人に自転車を私に貸すよう説得してくれた。結果、明るくなり水かさも減り運河の表面が見えていたので、私はありったけの力で運河を渡り、実家に到達した。

 

家族は無事であった。

 

この体験を今振り返り、再度自身の内面で記憶を色々な視点から眺めてみると、どう見ても「今、この瞬間」に未来に送り出すべきことは自ずと決まってくる。

 

他者がそれぞれのたった一回の自身の生を輝かせることに、少しでも貢献出来ることがあるのならそれをすることだし、また私自身が彼ら、彼女たちが繋いでくれた貴重な生をどこまでも幸せに生き、いつか彼ら、彼女たちの忘れ形見に何らかの形で報恩することを企図し生きる。

 

そして時折、この時に消えていった犠牲者の方々のことを思い出し、彼らの分まで生きることである。

 

そして必然としての「今、ここ」においてこの体験の記憶をただ単に不幸であった、と終わらせることでなく、関心とエネルギーを「利他」に向ける。少なくとも自分に執着している場合ではない。

 

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生きることは戦いなのかもしれない。しかし、本当にそんなに殺伐としたものなのか?それは私自身が生きて答えを探し続けるし、若い世代が少しでも人生に喜びを感じやすくなるように出来うることはしていきたい。

 

そんなところでごぜ―ます。では!/おしまい。