蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

私は私でヤマジュンスパイラルに陥っている。

どうも!

 

さて、時々「私はライトワ―カ―である。」みたいなことを書いている。いや、時々でもないか。

 

「ライトワ―カ―」とか「ETソウル」とか言うのは、外宇宙から闇を光に変えるとか、人々の恐怖や不安を癒したり弱めたりエネルギーを与えたりして、最近よく聞く"地球のアセンション、次元上昇"の主導役として地球で"仕事"をするために転生してくる魂、あるいはそう言う魂を持つ人を指す。

 

ただ、こう言う人も生まれてくる前に決めてきた人生のカリキュラム的なやつもそのお役目もすっかり忘れて生を享ける訳で、とても過酷な生を生き、その過程において自分の本質を突き詰めたりするとことか、自分の生まれてきた意味などに意識を向けさせ、あるいは向けさせられて、自分の「役目」なり「天命」なりに思いが至る訳だ。  

 

んで、私もこの単語を聞いてから妙にこの単語が気になるし、関連情報を意識無意識で拾うし、なんだかセルフイメ―ジ的なとこまでこびりついたりする。  

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「ソウルワ―カ―はお役目に至る前にただただ人生が大変なだけで終わる人さえいるから、なんかかんか人生の妨げになっているブレーキやらブロックやらを外した方がいいですよ~。」

 

と言うプロヘッソナルの方もいる。

 

仮に、だ。

 

そう言う人の所へ行く。

 

「おお…。今まで大変でしたね…。あなたをお待ちしておりました。このご縁に感謝いたします!でしたらまずはここにサインを。あなたは紛れもなくプレアデス星人として、この地球に光をもたらす為に生を享けたライトワ―カ―です!私に全てを委ねてください!」

 

みたいに、肉食系のノリでぐいぐい来られたらどうだろう?

 

「お前こそ星に帰れ。」

 

とか言っちゃいそう。

 

いや、実際は言わんし、一応は仕事をしてもらう訳だからお金は払うけど二度と行かない。

 

ど~でもいい。私がプレアデス星から来たんだろうがシリウス星から来たんだろうがM78星雲から来たんだろうが。

 

こう言うなんだか気持ち悪いスピリチュアルにはやっぱりどうしても心を開けないんだよな…。つ~か、怖い。やめて。

 

ああ、ヘンな悪夢を見るより怖い妄想をしてしまった。思わずチキン肌です。

 

行くとしたらやっぱりタイミングだ。今動く時でもないだろう。せめてこう言うのに私自身がもう少し心を開くとかじゃないと、一流のプロの情報にも至らない気もするし。

 

「アズイフの法則」と言うのがあって、行動面で"私はこ―ゆ―人だ。"と言うセルフイメ―ジのもと、それにふさわしい振る舞いを繰り返して行くうちにだんだんとそう言う風になっていく、板についていく、ってのがある。

 

なんか力づくで頑張る感じじゃなく、例えば"私は幸運な人だ。"ってとこを、行動先行で強めていくと実際にそう言う風になっていく、と言うものだ。

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こいつは闇やろ。

 

ただ、例えば私がリアルでもネットでもそいつを徹頭徹尾貫くとする。なんだったらこのブログもそれに合わせてプロフィールから一新する。いい意味でも悪い意味でも、先天的にせよ後天的にせよ意識無意識にせよ、この"ライトワ―カ―"ってもんになっちゃった感じだからだ。

 

プロフィールをこうする。

 

「私はシリウス星からやってきて、この世の闇を光に還す為にライトワ―カ―として生を享けました。そして…。」

 

などと言った所に着手し、なんだったらブログのデザインもそれっぽく、ブログのタイトルも、ハンネも、記事の内容もそんな感じになっていく。

 

・・・

 

う~ん、一瞬で読者様が4分の3になる未来しか見えないな。

 

だからまあ、リアル面ではもうこびりついちゃったものはしょうがないから、草の根ライトワ―カ―として陰陽の徳を積んだり、お年寄りをほっこりさせたり、いいお客さんになったり(あ、カモになると言う意味じゃないです。)、ニチャアと笑顔を振りまいたり、お寺でご奉仕するなり師匠と一緒に人の悩みに寄り添ったりで十分満たされる所はある。

 

正直私の出自がプレアデス星だろうが、土星だろうが、とっつぁん星雲だろうがそんなのは死ぬほどど~でもいい。

 

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世のスピリチュアルに依存しちゃうタイプの方は結構、このスピリチュアルの気持ちの悪いところでぐるぐるしている方が多いのだろう。あるいはど~でもいいとことか。

 

「私、今日から頑張ってワクワクします!ワクワクして、ワクワクに従って頑張って行動します!明日バイトの面接入ってるけど、ワクワクしないからドタキャンします!」

 

みたいな。

 

こう言う人はちょっと体育館裏に来いや、ってなるじゃないすか。

 

精神世界を突き詰めたりぐるぐるしたりするのはいいが、地に足をつけるところをしないし、何かイヤなことがあると自力で解決しようと動く前に私が波動が低いせいだ、目の前の上司の波動が低いせいだ、頑張ってパワースポット行って波動を高めなくちゃ!でも疲れ果てて動けない…。

 

みたいな。

 

いやいや、最後の「疲れ果てて動けない。」の所は充分に時間をとって休養すべきだし、何よりも自分を責めちゃいけないよってなるけどねぇ。

 

んじゃ、フワフワスピリチュアルが好きな方に向けてはやっぱり、「魂の成長」ってとこが大事で、これはどうしたって逆境で促進されるものだ。

 

スピリチュアルでぐるぐるしちゃうのも一定逆境とは言えるけど、どうしても"自力"で、ってとこが必要だ。うまくいかないからパワースポットで神様にお願いしなきゃ!じゃないのである。

 

ああ、愚痴ってしまった。

 

私なりには、外側の陰陽、ポジネガ、闇と光、善と悪、正不正、浄不浄、全か無かみたいな二元の部分で判断しないで(いや、たった今スピ好きの人をこき下ろしちゃったけどさ。ごめんなさい。)、ちょうどニュートラルなとこを突き詰めていちいち外側に振り回されないってとこと、我とかエゴとかを行動面でごりごり削っていくと言うことをやる。

 

あとは結果とか、お金とか、成功失敗とか、運不運とか人々の称賛とかうまくいくいかないとかの、やっぱり自己啓発とかスピリチュアルが好きな方が振り回されがちな、要は外側、運ゲーの部分に執着せず、まずは幸福と言ったところを希求した方がどうしたっていいし、なんだったら本質にせよ、枝葉のテクニックにせよそっちのが良くない?って気しかしないのだ。

 

叶えたい願望的なことは私も書いている身ではあるし叶えたい夢もある。だが、私はどっちかと言うと試行錯誤とか実験精神とかのプロセスを楽しんでいる所を進行形で書いている感じなので、すぐにでも結果を出したい!みたいな人にはクソの役にも立たないのかもしれない。

 

どっちかと言うと私の場合は、「夢は叶うし、叶わないでも今が楽しければいいや。」って感じの軽いノリでやってるやつをただただアウトプットしているだけだ。

 

そりゃあネガティブなことをぐだぐた考えてるより御都合主義でもなんでもいいから脳内お花畑モ―ドに切り替えた方が楽だし楽しいし、「思考は現実化する」んならいつかは叶うかもしれないしそうじゃないかもしれないじゃないですか。

 

宿命的なやつとか他人を物理的に変えるったってどうしても変えられないし、昨日今日バットを握った中年がイチローみたいになる!ったって限度ってもんがある訳じゃないすか。自分の股間のバットでも握ってなさい、とイチローにイメージの中で諭されて終わりだ。まあリアルイチローはそんなことは言わないだろうけど。

 

「思考は現実化」するったって限度ってものがある。

 

「人生なんてメンドくせえもんだろ、楽しめよ。」 

 

ってセリフ、なんだっけ?グリザイア?

 

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ちょいとマニアックな話をする。

 

こ~言う幸せ、ってとこに関与する脳みその部位として重要な役割を果たす所に「島皮質」ってとこがある。

 

ここの「島皮質」ってとこは、今不幸だ~と嘆いているような方でも後天的に、充分に育てていくことができる。

 

脳の部位はモジュールって言うか機能分化しているが、この「島皮質」ってとこはかなり役割が多岐にわたる。社会的感情とか道徳的直感、共感、芸術への情感を伴った反応、依存、痛み、ユ―モア、他者への表情への反応、購買の判断、食の好みなんかにも関与する。

 

一番特徴的なのは、脳の中の「ハブ(中継地点)」のような役割でありこれは、自分の外側から来る感覚と内側の感覚を繋ぐ、他人の気持ちと自分の気持ちを繋げる、また、過去の自分といまの自分や、いまの自分と未来の自分のイメージを繋げるといった時間的なハブ的なものだ。

 

なもんで、このハブの働きで、私たちは他者のことを理解したり、他者に共感したりすることができる訳だ。

 

まあここは、幸福感とか、私がちょくちょく言っている「自己愛」的な所とも密接に関わることはなんとなく掴んでいただけると思う。  

 

だから、動機とか出発は損得でもなんでもいいから、まずは利他であるとか、感謝できるリストを作ったりそれを実行に移したり、家族やペットとの絆を深めるとかで、この「島皮質」ってとこが育ち始める。

 

すると、ここに書いた徳積み的なことが無意識の領域に落ちるので、もう損得とか見返りとか、打算みたいなのが割かしどうでも良くなってもくる。

 

いずれ「欲」や「煩悩」、対極にあるであろう「恐怖や不安」と言った所と「幸福」と言ったとことかのもう少し突っ込んだ話もするけど、どうしたって子供の頃っつ~か、とりわけ大学生になんかなるとまずは圧倒的物欲を親のお金で満たす!みたいな所に行くじゃないすか。

 

だから自分でバイトしたり、なんかビジネスやって稼いだりしてそれを満たすってのは、それだけでものすごく立派な社会貢献であり親孝行でもある訳だ。

 

だが、この"物欲"ってのはど~やったってキリがないし、なんだったら依存スパイラルに入っちゃったりする。無間地獄に陥りやすいのだ。

 

なもんで、こう言ったド―パミン的な幸福ってとこをやるならやるで、土台のセロトニン的な幸福とオキシトシン的な幸福の土台が前提として必要だと思う。

 

ところが、もう社会人になっても、大金稼いでやれ高級車だ、タワマンだ、クル―ザ―でパ―ティーだ、なんだったら承認欲求を埋めるために高級車を乗り回して見せびらかすぞ~、だのインスタよ~、ってなことをやっていると、ちょいとヤバいルートに足を踏み込んでいくことになる。

 

ここらへんの話は前にもちょっとどこかでした気がするが、とりま長くなるので、これらのテ―マでまたシリーズでも作るとする。

 

なんだか説教臭くなったが、お坊さんの世界にも足を突っ込んでもいるのでこう言う話はまあ、するわなあ。

 

では!/おしまい。