南南西に祈りを捧げよ。
どうも!週末なので本能赴いてます。(意味不明)
さて、今日は職場のお寺の本堂の回廊(まあ、外の廊下ですね)の掃除および参道正門の掃き掃除であった。
色々あって、回廊の方は2週間くらい手付かずであった。
大敵(いや、「敵」っつ~か)は鳥のフンである。
こいつをブラシでごしごし擦るのだが、大体週一~二のペースでやるところを一週明かしたもんだからいたるどころフンだらけである。
お釈迦様目線から見た「鳥のフン」とは。けしてムダなものではない。
我々掃除夫(私はどっちかって―とお寺のメインの仕事以外の「なんでも屋」的立ち位置にいるが、「掃除夫」モ―ドをかっこよく「スイ―パ―」モ―ドと呼称している。勿論、私の胸のうちに潜めてはいるが)の仕事であり生活に直結するだろう。
鳥のフンは風雨に晒されればやがては消えていくものなのかもしれないが、基本は微生物を生かすだろう。
フンコロガシはいない。いてたまるか。
だが、私にとっては「鳥のフン」処理=「立派な職務」であり。「今、この瞬間」に心を込め、ただただ仕事になりきる。
ただ。今日はちと通常の時間の枠では収まりきりそうもない。正門にもっさり落ち葉があ!落ち葉があ!!
落ち葉がオレを呼んでいるッ!
なんかシャンソンとアダルトコンデンポラリ―系オ―ルディ―ズの混合っぽいな。気のせいかな?
先週せっせと掃いては捨て、掃いては捨てしたのだが、先週のゆうに倍はあり、まさに掃いて捨てるほどある。
時間配分!ワンモアセッ!
お釈迦様が神であり、仏であり社長であり上司である。お釈迦様こそが絶対!あ、勿論ヤバい宗教ではない。
結局ト―タルで通常の時間を30分ほどオ―バ―して98%完了。奥さんに止められたw。
いや、そ―ゆ―話ではなく、回廊を掃除中の時に思い付いたことがある。
回廊はまず鳥のフンを隈なく擦り落とし、あとはホウキで掃いてモップ(まあ、雑巾をくっつける)をくねくねさせながら汚れを取る。
ホンマもんの修行寺だと坊主なりたての方がここをダダ~ッと雑巾かけするイメージがあり、そう言うやり方をする所もあるのだろう。なんとなく「一休さん」のイメージが重なっていた。
なんで「ボケて」やねん。アニメのやつね。
このお寺は疑似モップくねくね方式である。いや、「くねくね」ではなくていいのだろうが、私はこれがやりやすかった。
あ、そもそも「くねくね」ってアレだ、回廊の幅はたぶん1mちょい位なんだけど、両側を掠めるような感じでS字・逆S字を描いていくやつ。こいつで廊下の黒いホコリががっつり取れる。
私はアホだからこれを「私の心の汚れ」になぞらえている。社長にとっても、住職にしても奥さんにしても檀家さんにしても登壇される方にせよ私にせよ、これはメリットまみれだ。
「win×win×win×・・・」、「何方よし」
なのだ?
こじつけでもヨ~シ!こじつけ大好きィ!
いや、それはそ―と、ひとしきりそれが終わった頃。私の脳内に降ってきたインスピレーション的なひらめきがあった。
こじつけにせよ、回廊のホコリは"私の心の汚れ"(=たぶん、大半はえろえろなやつだと思う)なり"エゴ心"であり、"阿頼耶識の汚れた種"(唯識思想的な表現。「阿頼耶識」は「潜在意識」にほぼほぼ近いとして、「種」って何やねん?「めんたるぶろっく」??)だとすれば。とか、流しで雑巾をざばざば絞って締めに入っていた時。
私の人生を変えた書が頭をよぎった。
この書がきっかけでこのお寺に飛び込んだのであったな。ふむ。
この本に触れる前の私は引きこもり最終過程に入っていた。大学生で言うなら「四回生」にあたる。卒業のタイミングでこの書に出会わなければ、私は引きこもり大学大学院一年生になっていた所だ。
部屋で膝を抱え、ネット=世界。日がなツイッターを眺め、TLに流れるポジネガツイ―トとツイ―ト主をナナメ目線で、惰性で眺める毎日。はて?こんな生活を何年続けていたんだったか?いや、通算で言ったら10年はゆうに越えていた。
人生を半分以上諦め、いつ死んでもいいと思っていた。人生の被害者であり、運命の奴隷であり、生まれてきたことすら後悔していた。
この書はまさに私の窮地を救ってくれたと言える。
振り返れば、節目節目で私は良書に助けられ(最近ならば結構ホイホイとダイレクトに著者さんやその関係者にアポを取って 会いに行ったりするくらいになったのだが)この書もまた、絶妙のタイミングで出会えたと言えるし、いわゆる「必要にして必然」と言うやつだったのだろう。
この書にある「エゴを削る」・「エゴをいわば融解させる行為をとおして…」・「阿頼耶識の汚れた種子を焼き付くす」などなど。
これは、私がたまに書く(たまにでもね―か)今の「我」を削るってとことまんま繋がるきっかけ、伏線の一つになってたであろうことは最近たまたま認識したのだが。
西洋的な潜在意識のメンタルブロック的なやつなら従来から知識としては知っていたし、なんだったらその手の効果の程はアヤしい遠隔ワ―ク的なものを頼んでやってもらったり本で買った知識を実践したりしていたが、この書の「汚れた種子」は「エゴをなくして世のため人のために」ってとこでしか焼き尽くせない。
私は自分の知識太りであったり、地に足をつけていなかったり、他力・依存先行の人生を歩んでいたことを深く恥じた。
まずは、就労支援B型事業所にて社会復帰デビュー。そこでマットレスのメンテナンスに奮闘すること半年くらい、その終わるちょい前くらいに今のお寺にアポを取った。
市内で一番大きなお寺で、市内の大人ならほぼほぼ知っている名刹。そこに飛び込むことにした。あ、一応、修行目的ではなく、だ。
それが今通っているお寺ってわけだ。最初は3人の子供さんの家庭教師および遊び相手だったが、コロナ騒動でそれがあまり出来なくなり、基本的には「なんでも屋さん」、メインはガテン系の仕事になる。
「これも"縁"だよなあ・・・。」
とか独り言ちながら。
だって、ここの住職はただでさえ多忙を極め、会って話をしたやつがどこの馬の骨かも分からんやつだった訳で。
それがなんだか意気投合し(この書の話もちょっとだけした)、子供さんまで任せてもらえた訳だ。縁がなければ、アポは取れないか門前払いだった筈である。なかなかに面白い縁でもある。私の「今」、そして「人生の目的」にも結果的に繋がったのだから。
今日ぞ―きんざぶざぶしながら思い付いたのは、その雑巾についたホコリってとこから先ほどのこじつけからの芋づるで「阿頼耶識の汚れた種子」ってフレ―ズが出てきて本書を思い出し、もっかいこの書を読むのと著者の横山氏にメ―ルしたいな、と思った一連の流れであった。
んで。
今、この書の著者紹介欄を見ると、立教大学の教授と正眼短期大学特任教授を勤め、おそらくはさる佛院の館長も勤めている。勿論どれも「現職」かどうかは現時点では分からない。また、ホ―ムページやメ―ルアドレスの類いは書かれていない。まあ、ここらへんはこれだけの著名人だ。リサ―チリサ―チィ!
立場だけ見ても相当な重職を兼務しており極めて多忙であることが予想され、 しかもこのコロナの時期だ。リアルでお会いするのはしばらく先のことになりそうではあるが、まずはメ―ルを、と考えている。
メ―ルもだらだらしたやつではダメだ。
言葉は人間が産み出した叡知であり、心は奇跡である。これら両方が備わっていなければ想いは伝わらないだろう。いや、私の言葉は別に叡知でなくてもいいのだろう。特に飾る必要もあるまい。
私は私で、今一度この書を隅から隅まで読み直し、日常や実践にさらに落とし込み、それからの話になると思っている。
まあ、そんな思い付きの話ですた。
あ、そうそう、「執着」と言うテ―マで二書。
二書とも買ったのはだいぶ前だ。勿論一回は両方とも目を通している。
仏陀は人間の苦しみの根源は「執着」と言い、これをやや敷衍、アレンジした形で以下の書では「求めて渇いていく心(=「タンハ―」)などとも書いている。
これらは厳密にはイコ―ルではないだろうが、ニュアンスとしては結構重なるのも確かだ。
しかしながら、仏教的な「執着」の扱いは、
「執着をするな。」
とかで終わってたりするw。そもそも論として「執着」を全否定する勢いで、そんなもんをするのがそもそもあかんのだ、と言う論調で貫かれているものも多い。
と、なると、具体的な手法は「心理カウンセリング」の世界を探るのが筋になる。
しかしだ。
この手の本はワ―クが多く、正直言うとメンドくさかった。
一応、どっかの記事で書いたんだけど、今の師匠の二ヶ月に一回のペ―スでわが市では開催される師匠の講演のあとの、健康相談の中の人生相談には恋患い…と言うか、元カレが忘れられなくて…って人が来たって書いたんだけど、
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
こん時はこの書のワ―クをなんとなくうろ覚えで紹介した。(だって「執着」の本を勧められる訳がないじゃないすか。私「執着」してるの!?ってとこでトラブルになるかもしれんし)
私は私で当時、理系の大学の進学の準備のべんきょ―の方に意識が向いていたから、なんかテキト―にワ―クを撫でて終わっていたのである。
だが。
ど~もやっぱり、私のテ―マってとこで「執着」を言うのなら、「健康への執着」ってとこはやはりどう見ても、ゼロとは言えんまでもなんぼも弱めておいた方がいい。あとはそれをアレンジし、私は私で他に執着しているテ―マもあるだろうからそれに応用するし、人様に適用できる実用のレベルまで昇華できるものもあるかもしれない。
んで、昨日あたりからマ―カ―引き引き理論編を読み、明日あさってあたりは引きこもってワ―クにみっちり取り組もうと思っている。専用のノ―トも3冊テ―マ別に使うことを想定して揃えた。
お膳立てはいいとして、勿論一回二回ではダメだよ、とおっしゃる。ただ、一回目のワ―クが一番時間とエネルギーを要しますよ、とも。
図書館行こうと思ったが、どうも最低でも自室、出来ればホテルの一室、個室をとってそこでやってください、とある。カフェや図書館ではどうしても人目があるから、人によっては感情が激し泣いたり頭抱えたり、ってのがあるみたいだから(勿論私も例外ではない)やめましょう、また自室も、ついスマホなどに手が伸びるでしょ、と。宅配なんかもあるかもしれんし。
スマホに手が伸びるのは心が逃げたがってるんだと。まじか。
つ―訳で、私は南方2kmくらいのとこにあるモ―テルで。いや、うそうそ、自室でやります…。
プロセスで色々還元できるものもあるだろうから、それはまた記事にしたい。「執着」をテ―マにコ―ナ―化するのもありだろう。
「コ―ナ―化」で思い出したけど、思いっきり中断中の「コ―ナ―」が山のようにあるな。いずれ棚卸しよ。
そんな所です。では。/おしまい。