蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

いいことおもいついた話。

どうも!

 

さて今朝出がけに、門柱の所に何やらフラッタリングしているオブジェクトを意識高く見つけるイシュー。

 

それはハトであった。飛べなくなっている。

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どうも、車に轢かれたか、カラスにでもつつかれたか。

 

少しの間様子を見ていたけど、だんだん衰弱していっているようにも見えた。

 

だが、仕事に行かなくてはならないので両親に託すしかなかったのだった。

 

仕事の休憩時間は10時である。その時に両親に電話した。

 

どうもハトは死んでしまったらしい。

 

お線香をあげたよと言う返事を聞いて、可哀想な気持ちと安心感がまぜこぜの妙な感傷に囚われたが、仕方がないな、と思い仕事に戻る。

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今日の仕事は、ちょっとばかり別の仕事の準備をしなければならないので午前中で上がった。

 

家路につく。

 

ハトは庭にでも埋めたの?と聞いたらどうにも、明日ゴミと一緒に出すらしい。今ごみ袋だと言う。

 

こらこら、あかんでしょうに。

 

ハトの亡骸を持ってきてもらい、我が家の母方の婆ちゃんのお墓がある墓地に懇ろに葬ってまいりました。南無~。

 

と、この話はこれでおしまいである。

 

さて昨日、「のんのんびより」と言うアニメを観ていたら、釣りの話であった。

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ちょうどタイムリーに、公務員時代の同僚が渓流釣りに行ったと言うLINEをくれていた。

 

いかないか

 

釣り。一番最近行ったのはいつだったかなあ・・・。

 

私が住んでいる市は漁師の街で、釣りのメッカである。

 

海、沼、渓流。なんでもこいだ。

 

一番最近行ったのはそう・・・。もう十年前くらいになるかもしれない。

 

大昔だが結構鮮明に覚えている。沼にブラックバス釣りに行ったのだった。

 

初秋。山に囲まれたその沼ではしばしば大物が釣れるので県外からも釣り師が来る。

 

しかし当日は突風が吹き荒れ、山から吹き下ろす風はテントを飛ばす。結果テントはしばしば水浸しになるのだった。

 

アヤしげな、ヘンなにおいのついた疑似餌を沼に投げ込む。

 

「いいこと思いついた。お前、この沼でシ〇ンベンしろ。」

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寒いので何度も尿意を催す。出物腫物は所を嫌わないのだ。一人は沼に脱糞していたと思う。

 

これを全て「撒き餌」と総称した。

 

結果。

 

ボウズであった・・・。

 

ルアー釣りは難しい。疑似餌をいかに本当に生きていると見せかけるかがカギだ。だが、かなりの熟練を要する。

 

一人は一人が沼に脱糞したせいだ、と言って譲らないのだった。空しい論争。

 

しかし。

 

自然はいい。風光明媚な自然。釣れなくたって・・・なあ?

 

友と語らい、五感をフルに使って自然を毛穴から味わう。田舎の醍醐味だ。

 

ま・け・お・し・み。

 

いやいや。釣れるに越したことはないでしょ?

 

意見は割れる。

 

私もどっちかと言えば、釣れた方が良かったかな。

 

ここで話はクロスオーバーする。クロスオーバーイレブン

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魚とハト。どちらも供養する。生きるために。私が私であるために

 

いや、ハトはその亡骸を弔ってあげたいと言う純粋な思いから埋葬した。

 

どうも「供養」と言うと食うイメージが先行してしまう。

 

魚はぼりぼり骨まで食う。カルシウムがたっぷりである。これぞ真の供養である。

 

ましてや自分で釣り上げた魚を食う時には、もう骨までしゃぶり尽くす。

 

奪ってしまった命。それを粗末には出来ないのだ。圧倒的感謝である。

 

だから腹の中におさめる。

 

それは正規の消化のメカニズムを以て身体の細胞や五臓六腑に運ばれる。医学的なことは素人だから分からんけど。

 

そして少なからず、心にも栄養が染み渡る。食った後の満足感と幸福感。酒もあればなおいいだろう。

 

人間は食物連鎖の頂点なのだろうか?

 

いや、そんなことはない。

 

人間は葦である。でも考える葦である。

 

葦と言うことは、素っ裸で野に放たれたら無力だ。古代の人はそうして「闘うか逃げるか?」の二択で本能を研ぎ澄まして生きてきた。

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その名残が不安や恐怖と言ったネガティブな想念の発祥なのである。

 

食うか食われるかのデッドオアアライブな緊張感の中で我々の祖先は生き抜いてきた。そして今の我々がある。

 

でも、こんなに便利な世の中になり、安全安心がかな~り担保される時代になると、こう言ったネガティブな要素はどっちかと言うとウザい存在となる。

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そして代わって新たに今生じているリスク要因はストレスだ。起こるかどうかも分からないことへの予期不安や取り越し苦労が多い。

 

うつ病などのメンタル疾患は、要するにこうした強いストレス、あるいは断続的なストレスに対処するために取られる身体の緊急停止装置みたいなものだ。

 

でも、そろそろ進化論的にこのうつ病と言うのも淘汰されてもいいんじゃないかなあ、とも思う。

 

それにとってかわるものがないから何とも言えないんだけど・・・。

 

うつ病になって幸せって人はまあ、あああんときは本当に闇だったけどあの時あの絶望があったから今がある、と笑って話せる類のものではあろう。

 

だがその一方で、多くの人が立ち直れず、もしくは立ち直ることを望まず、あるいは非業の死を遂げる。

 

ああ、どうもうつ病の話を始めると怨念が籠るからこのくらいにしておく。

 

さてさて。

 

さるシリーズの数学の難問指定の問題に初めてまみえた。時間は無制限だと言う。

 

う~む。考える。ちんこ。

 

気が付いたら独り言ちていたらしい。隣室で寝ているおかんから苦情があった。オレはじーさんか。

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だがッ!!閃いたねッ!!昨日床につくとき、ああ、ああすれば解けるんじゃね?と思ったのだッ。

 

潜在意識は過去の記憶を全て洗い検索を始めている。ただ、時間無制限R指定なので、もう割り切ってああでもないこうでもない、と試行錯誤を始めた結果だった。

 

この解き方は駄目、ならこれは?みたいに取捨選択する。

 

結構寝入りっぱなは色んなことを閃く。枕元にアイデアメモを置いていた発明家も多々いたらしい。ドクター中松さんとかかな?

 

寝入るときはα波とかΘ波とかの穏やかな脳波になっているはずだ。

 

だがッ!私はッ!寝たw。爆睡したさッ。

 

でも起きたらちゃんと覚えていたのだ。

 

・「これはッ!!世紀の発明だッ!まさに時代を変える原動力になる偉大な発明だッ!!」

 

・「これはッ!カオス理論の新しい地平を開くッ!!宇宙の成り立ちや意識、脳のことまで何でも紐解けるぞッ!!」

 

・「いいこと思いついた。お前、オレのケ〇の中でショ〇ベンしろ。」(あべ)

 

まあ・・・。私はせいぜい阿部さんレベルかなあ・・・。

 

下品だし。ノンケだって構わないで食っちゃうし。青いツナギ着て寝てるし。

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そもそも、男の〇つのなかでション〇ンすることがいいことなのだろうか。

 

そんなところである。

 

やらないか

 

では!また明日!/おしまい。

 

 >切株おやじ様( id:masuhiro6595  )

 

コメント、ありがとうございます!

 

そうですよね。肯定語で伝え、ご本人も肯定形で受け止められるのがいいのだろうと思っています。大事なことですよね。

 

アメリッシュ様(id:funyada 

 

コメントありがとうございます!

 

「頑張れ」は禁句ではないと思います。その人の置かれているシチュエーションやタイミングなどに左右される言葉ですよね。

 

>ハマサンス様(id: hamasansu   

 

コメント、ありがとうございます!

 

ありがとうございます。そう言っていただけることが一番うれしいです。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20191002171055j:plain

 

「頑張れ」は使いどころが難しい言葉かもしれませんね。

 

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うつ病闘病記(仮称)■
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