蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

運び屋さんとしての「運」③。

どうも!


さてさて、初のスマホ更新に挑戦します。


前記事に記載した通りなのだが、マイパソから発せられる毒電波は下手すりゃ精神を汚染する力さえあるため、長時間の使用を控えることにした。


ちなみに、友人宅で彼のPCを図々しくも使い試しさせてもらったが特になんともなかったので、何か我がPCは底知れぬ秘密か闇を抱えているのかもしれない。


エクセルなんかもスマホにアプリがあるし、長文を書くときにちょっとばかり心理的抵抗があるだけなので、多くの方がそうしているだろうと思うスマホへの重心の傾斜配分を、日頃からやって慣れておこうと思う。

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基本おっさんなのでデフォルトがアナログだし、文字入力も遅いので、しばらくは耐えるしかない。PCのネットを使う比重が減るのでネット回線の料金がもったいないな。はよPC買えや、って話か。まあ今のPCにも勿論愛着はあるのだけれど。


さてさて、運について語っていた。と、思うたら前とか前々とかの記事の貼り方が分からん。とりま進めます。


「運」に特化していた訳じゃないんだけど、一時期は運や運勢に関わる書籍を読み漁ったし、ネットで情報を集めたりパワースポット巡りにもちょこちょこ出かけていた。「場」の醸し出すエネルギーと言うのはどう言う理屈なのかは分からないけど、そこで得られたものは心身に何かしらプラスの化学反応を起こす、らしい。


海外旅行に行ったりすると分かるかもしれないんだけど、妙に直感やインスピレーションに冴えたり元気になったりもする。う~ん、なんか人生、って~と大げさだけど、流れ的に今停滞しているな、と言うときは、運の良さげな人たちが集まる場所に行くとか、まあ時間的経済的な余裕があるのであれば、国内にせよ海外にせよ旅行に出かけることは有益だ。まあ、このご時世だからちょいと自重する必要はあるけど。


ちなみに、パワースポットは相性があるらしい。私はあんまり気にしないんだけど、気にする人は気にする。


で。


「運」にまつわる学びや体験を深めたいと言う気持ちが高じて、実際に運のいかにも良さげな人に飛び込みで会いに行った話をレポしようと思っていたのだが、その人はあまりバーチャルの世界の露出が控えめなので、止めた方がいいのかもな、と思った。(じゃあ書くなや。もちろんアヤしい人物ではなく著名人…の側近の人。)


その関係者の人たちとお友達になれたし、運の話なんかもしばしば出るので、そこら辺もシェアと言うか、随時還元していきたい。

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あとは今日明日と、天才マ―ケタ―の和佐大輔さんのウェビナ―がある。今日は全行程の2/3を終えたところだがなかなか濃密な話が聞けた。


和佐さんは、小学校を卒業する頃だったと思うけど海に遊びでダイブしたときに、テトラポッドに頭を打ち一命をとりとめたものの、車椅子生活になってしまった。


途方にくれた筈だが、どっこい諦めていなかった。16歳でネットでビジネスを立ち上げ、17歳で年収1億円を叩き出してしまった。パソコンは手が使えないので、しばらくは割り箸を口にくわえてキ―を叩いていたそうである。


私なんかはつい自らを障害者とレッテル貼りして落ち込むことがあるけど、和佐さんはなんと言うか、まさに進運、そして人生を強靭な意志力で切り開いてきた人だ。「天は自らを助くる者を助く」。あとは「人間万事塞翁が馬」とか、運不運、幸不幸について言及する諺や故事は色々あるけど、それらの教えは真実だと思う。


人生そのものが物語で、その瞬間瞬間の選択により紡がれていくものなのだとしたら、より良い選択肢をなるべく選ぶようにする。そしてその選択の目先の成功や失敗、勝った負けたとかの二元論に終始して一喜一憂するのではなく、近視眼的思考を捨てて長い目、あるいはフラットな視点でそれを必然にしていくしかない。


それには、過去をどう解釈するかも大切だし、過去の選択の結果、あるいは予想の斜め上から降りかかってきたものも引っくるめて、全部が連面と繋がり「いまここ」に集約する在り方が大切だ。運の悪い人は一個一個が分断しているので、「いまここ」に至るまでの土台が危うい場合が多い。


で、だ。和佐さんの話の中でいくつか印象に残った話を引用する。


和佐さんも、「人」と「場所」と言うものをとても重視していた。なるべく勢いのある人がくる場所に行って、パワーと言うかエネルギーを充電してくる。彼はコロナ前はよくライブに出かけていたようだが、若くて勢いのあるア―ティストのライブと、インディ―ズバンド30周年記念ライブ、あなたならどっちに行きます?ってたとえを出していた。


セミナーにせよなんにせよ、内容とかコンテンツはわりと二の次で、その場の全体的なエネルギーを重視して飛び込むらしい。そうすることによって、謎のモチベーションとか、なんと言うかいい気みたいなものを充電出来る。そしてその上で、その場から派生した、まあ懇親会にせよなんにせよ、出来ることなら最終的に、肚を割って話せるような知己が出来れば最高である。ビジネスのセミナーとか行って、


「今年はいくら稼ぎましたか?」


なんて話で終始してたらすごくもったいないのだと。ふむふむ。あんまりビジネスのセミナーは行かないけどよく分かった。


そして、その「場」で出来上がるなんらかのコミュニティが、日頃の喧騒からの「逃げ場所」になっていく。なんだかあからさまにアヤしいのはダメだけど、日常仕事か家族か、みたいな生活をしていて、例えば親御さんの介護とか深刻な問題を抱えているとするじゃないですか。そうしたときの「逃げる場所」と言う動機でいいから、複数「独立した世界」を持っておく。急に状況を激変させるのは無理だから、最初は一つでもいい。とにかく、仕事か家族か、と言う切迫した状況を回避する術を持つ。

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そして、新たに出来た「逃げ場所」を、正式な「居場所」にしていくために、少しずつ重心を移していく。そのコミュニティだったらコミュニティで、まずはそこから貰えるものを貰う。やや抽象的でボンヤリしているが、エネルギーとかパワーとかになろうか。そして少しずつ少しずつ、心に余裕を作っていく。


前記事で「黄金律」を実践している人は運がいい、みたいな項目を作ったんだけど、これはシンプルに言えば、自分がやってもらって嬉しいことを人にもしなさい、と言うことだ。「情けは人の為ならず」と言うけど、これは人を喜ばせることが、長い目でみて巡り巡って自分に返ってくることを言う。


ペンシルバニア大学だったと思うけど、この「黄金律」が真なのか、実験で確かめたのだそうだ。すると、幸福度が底辺な人は総じて人に親切にしている、と言う結果が出たのだそうだ。


なんだ、「黄金律」なんてウソっぱちじゃねえか!と最初はなったらしい。だが、よくよく調べてみたら違った。幸福度のランクの上位層もやはり、「黄金律」を実践していたのである。


「黄金律」の実践者でなぜこんなにも明暗が分かれたのか。


答えは、幸福度が低い層はずるい人にも親切にしていたことが分かった。誰にでもいい人であろうとするから、ずるい人にまで親切にするから、そう言う人に利用されたり、騙されたり搾取されたりして不幸になる。うわ、タチ悪い…。まあ、私にも覚えがあるw。


んで、ずるい人は当然「黄金律」なんて実践はしていないが、幸福度で見ると中間層に位置する。コントロール群と言うか、普通の人もまあ、幸福度で言ったら中間層だ。


なので、世の中でよく言われるように、まずは「与える」と言うことが大事なのだが、和佐さんに言わせるとまずは「貰う」のが先だ、と言うこと。


そりゃそうだ、日常に疲弊し、ストレスまみれの人が「与えよう」と思っても、必ずそこには「理由」が生まれる、または「理由」が必要になると思う。見返りを求めて与え、結果意図したものが得られないとだんだんクサっていくのが人間と言うものだ。なんだ!あいつ、オレが、私が○○してやったのにさも当然、みたいな顔して受け取りやがって、みたいな話になるじゃないですか。そうすると人を、自分を呪うところまで行ってしまう。


利他の精神は大変素晴らしいものなんだけど、まずは「貰う」ことが先決だ。それには、エネルギーがなるべく高めの「逃げ場所」での出会いや交流によりエネルギーを充電することが欠かせない。そして心に余裕が生まれてきて初めて、「見返りなく与える」と言う発想が生まれるのだ、と。


で、その「逃げ場所」の中でも、じょじょに「与える」ことを考えていく。いきなり、「私は○○をしています!私に任せてください!」とか、「なんでもやります!」みたいな鼻息の荒さはまずい。そうじゃなく、他人からお願いされるようなシチュエーションを作っていかなければならない。


ここらへんの話はさすがマ―ケタ―だなあ、と思ったんだけど、例えば、一対一でサシ飲み出来るくらいの人が出来たとして、その人にだったら、これこれこう言うことをやってます、と、あんまり過剰なアピールにならないようにやんわり言っておく。そうすると、相手も話に乗ってきて、これこれこんなことをやってみたら?みたいなことも言うかもしれない。それを繋げて、「Aさん(飲み友達)に言われた通りこれこれをやってみたら上手く行きました。」などと「逃げ場所」での発言することも出来よう。そうして初めて、「じゃあこれに関しては彼に一任してみようか。」と言う流れになるじゃないですか。思ったようには行かないかもしれないけど、最初に自分を押し売りするよりは万倍いい。


そんな感じで、複数の「独立した世界」を作る。出来るだけ、「場」のエネルギーとか、勢い、流れと言う要素を重視する。そうやって、幸運と不運のアンバランスを整えていって初めて、日常の重大事に向かうことが出来るのだ、と。なるほどなるほど。

有料のセミナーのネタばらしはまずいのでこれくらいにいたしまする。明日も続きがある。


そんなとこかな。


ちいと、画像貼りも上手く行かないときたもんだ。まず更新してみての全体像を掴まないといけない。いつもみたいに、コメントへのお返事がすぐには出来ませんが、ご了承下さい。


では!