蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

さとりの境地はパパ心。

今日もロバのパン屋さん来いひんなあ。

 

まあ私も、股間にエネルギーが一極集中することがそりゃあたびたびございますが、ちょくちょく突き上げるような人柱が出来ることもございますが、品質には特に問題ございませんが過度になるとそうでもないので定期的に解き放ってあげましょう。(怪文)

 

どうもめんつるです。

 

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さて昨晩のこと。枕元に亡くなったじいちゃんが立ったのだ。(じいちゃんってどんな顔だったっけな…。)

 

「めんつるや。まだ時期尚早だよ…。あきらめたら試合終了だよ…。その歪んだ性癖は叩き直した方がいいよ…。」

 

んはッ!

 

・・・ぽりぽり。

 

そのままチンポジをちょいちょいと直し、寝直したのだった…。

 

ああ、次はションベンだ…

 

じょわわわ~…。

 

頼むじいちゃん、オレの顔にかけないでくれるかな。

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・・・

 

・・・・・・

 

いやその。

 

昨日の記事でございますが。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

私が何をどうこう取り組んできましたとかの具体的な振り返り、ってとこ。

 

これは一時棚上げに致します。じっちゃんの名にかけて。

 

無論、アクセス数が多いから少ないからいいとか悪いとかの話ではない。

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と言うのは、人生の局面と言うか、節目節目の逆境をどう言う心持ちで過ごすのか。

 

ただただ耐えるのか、受け入れるのか。抱き締めるのか嘆き悲しむのか、絶望するのか…。

 

こう言ったとこ。

 

こう書くと如何にも重たいのだが、節目節目でなんと言うか、何かを目指すとか言う時に起きてくる試練。

 

「天は越えられない試練を与えない。」


と言うのは真なのだが、それを越えるには突きつける覚悟であるとか、強い意志であるとか、背水の陣を敷くとか退路を絶つとかして何かしら、対価として差し出すものが必要ですよ、って話である。

 

とりわけ、自分の中の敵と言うか魔物みたいなやつ。

 

こいつはそれまでの半生で育ててきた自分の弱さであったり、業とかカルマとかであったり運命であったり潜在意識の愛だったり。

 

まあ色んな解釈や説明がつきそうだが、こう言うものを意志の力で削ぎ落とすとか叩き潰すとか、もしくは現実面で削ぎ落とさざるを得ないような諸問題が、代わる代わる噴出してくる場面が恐らくは必ずと言っていいほど、起こる。

 

神様からの試練とか。脳と心のデトックスとか。膿出しとか、スピリチュアルで言う「お試し」とか。まあそう言うやつだ。(スピの「お試し」って表現マジで嫌い。)

 

今まで拘ってきたもの。執着してきたもの。大切にしてきた価値観や人生観。

 

色々あると思うが、そう言うものをかなぐり捨ててでも進むのか?退くのか?そう言う決断を迫られる。

 

全く波風の立たない凪のような、順風満帆な人生と言うものがこの陰と陽の三(四)次元世界であるとは到底思えないが、まああったとしてそう言う人は脇に置いておく。

 

一流の実業家とかアスリート、芸術家とか芸能人。偉人さん。職人さん。五条悟。

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こう言う人はこう言う局面を例外なく潜り抜けている。

 

ソフトバンクの孫さんとかもマジで死にかけてますしね。私なんて一流でもなんでもない永遠の凡暗だし。

 

ともあれなんでもいいけど、高みを目指すとか願望を実現するとかばっかりが幸せなんじゃないと思う。普通の安定した暮らしで全然OKである。人生楽しんだもん勝ちだ。

 

私の駄ブログの読者さんにもすごい方がいらっしゃるし、いやすごいすごくないとかだけじゃなく、この人生をしっかり生き抜いているだけで充分に素晴らしい。綺麗事とかでなく。

 

なんだか勿体をつけるようなことをつらつら書いて申し訳ないっす。

 

ただ、今の暗い御時世を反映してか、随所でなんか願望実現ブ―ムとかさとりブ―ムみたいなのが起きてるし、んでもって生身の人間側の都合のいい情報は多いけど、こう言った試練とか等価交換的なとこにもしっかり触れている情報源はそれと比してとても少ないかセットになってないのは…う~ん、やっぱり気になる。

 

おのおの方は情報リテラシーを高め、くれぐれもアヤしげな世界には入らないで頂きたい。ネットはマジで玉石混淆だ。   

 

勿論私とて、一歩間違えればアヤしい発信者にも受信者にもなりかねない。

 

まあ、確かに王道と言うか、要所要所で押さえるべき鉄板みたいなものは体系立っている。

 

私はうつ病をやらかしたから私の例に引き戻してあれだけど、うつ病一つ取ったって脳みその活性化するとこ、逆に不活性化するとこは一人一人異なるし、ストレスホルモン過多の人もいればそうじゃない人もいるし、うつ病でもないのにヘンな精神科医にあたってうつ病認定され、薬浸けになる人もいるだろう。

 

一般に単極性のうつだと、自尊心、自意識はそのままかあるいは反動で強化され、現実面での自身のエネルギー状態がすっかすかになるからそのギャップで自分をひたすら痛めつける。

 

まあ、「人生の被害者」ステージとか言うらしい。私もこの期間は長かったしきつかった。

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んで、「力の獲得」ステージに至る。この第二ステージで、私個人としては充分に人生を謳歌出来る気がするのだ。

 

どん底を脱し、まあなんかかんか嫌なこともいいこともあるけど、しっかり生産的な活動もして人との繋がりも出来る。

 

不平不満はあるだろうけどこのステージはまあ、波乱は少ないと言える。

 

問題となるのは「ゆだねる」のとこ。

 

サレンダ―だから自分への降参スよね。あるいは天災や地災、事故や病気や破産みたいな自分ではどうしようもないとこ。

 

ここで自分の無力さをこれでもか、と思い知らされる。人にもよるんだろうけどね。

 

これはまた、「人生の被害者」ステージとは異質の苦しみである。

 

私はこの時、くそ長い「死を思え。」とか言う駄文をブログで綴ったし、職場のご住職に相談しに行ったり、神社で泣き言を言ったり、父母に遺書を書くから、などと告げたり筋トレしまくって対抗しようとしたりした。

 

ふらふらと死に場所をどこにするか?とか考えさまよったりもしたな。遺書は結局めんどくさくて書かなかったけど。

 

ああ、「ゾンビランドサガ」の佐賀ロックの回とか観まくってたなw。顔で笑って心では照英さんばりにガチ泣きしていた。(照英さん最近あんまり見ないが元気かな。)

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この時期は「死」に関する文献や情報を漁り、自分なりに「死」を俯瞰視するなり客観視するなりを模索していた。

 

だが、シェイクスピアなんかが言い遺しているように、人を苦悩させるのは死そのものより死の恐怖、である。今となってはそれはよく分かる。

 

でもって、それと一体の「生の執着」と言った所にも、しっかり目を向けなければ片手落ちとなる。

 

親鸞上人が他力の救済と言うのを説きまた、「生死一如」や「無碍の一道」と言ったことを説いているのはここら辺の何と言うか、自力でやるとこと他力(神仏)の領分を切り分け、他力の分野はしっかり神仏に任せましょうよ、とざっくりと言えばそうなる。

 

だが人間、ついつい他力の分野をどうこうしたがり、結果苦しむ。だからエゴをどうこう言っていた訳だ。

 

勿論生き死にの問題もそうだ。(「生死一如」とか「無碍の一道」とかについては著作も色々出てますので、ご興味のある方はどうぞ。)

 

「自力」でさとったのは後にも先にも仏陀のみだとされ、またその境地は仏のさとりとか如来の境地、って言うところになる。

 

西洋ではイエス・キリストがそうだろうか。まあキリスト教はあんまり知らんけど、この二人は例外中の例外である。

 

「さとり」は何だか今に伝わるものとしては、少なくとも概念であるとか言葉であるとかはふわふわし過ぎていると言うか、「生きるヒント」的なお茶濁しに近いとこまで俗化している気がする。

 

これを自力でやろうとすると帯刀して比叡山を0時以降毎晩毎晩長期間駆け回る荒行をし、断念するときは腹をかっ捌け、と言う世界となる。

 

んで結果、ただただ比叡山を走り回った実績と記憶だけが残った、と戦後荒行を生き抜いた数人が述懐するレベルとなる。

 

何ゆえにそこまで。あ、宮城県にも荒行の達成者がいる。

 

まあ、「真理」と言うものは私含めそこまで人を魅了するものなの・・・だ。なんか「ゆゆゆ」のOPを思い出してしまった。

 

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唯一無二の「絶対的真理」。これは人智を遥かに超えている。

 

「他力」もあるよ、と最初に言ったのは、仏陀の後400年後くらいに現れた龍樹さんだと思う。

 

他力は自力と比べれば楽だが、ともあれさとりの段階にも五十二段階あるそうで、仏陀が五十二、この龍樹さんが四十何段階とかだったか。

 

「梵我一如」のお人はどうなんかな?ここまで来ると雑学になるけど。こっちはヒンドゥー教かもしれないが。

 

歴代の高僧も無理ゲ―だ、と言って自力は断念し、その後はその・・・すんません、あんまり詳しくないっすw。プロのお坊さんに聞きましょう。

 

さて、潜在意識は「心のお母さん」である。

 

表層の意識が私たちおこちゃまで、潜在意識はまあ心配性だから子供可愛さに防衛本能全開で、変わろう、行動しようと言う子供の心を何度も折りに来る。

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潜在意識の力学的なあれとか動機は子供を死なせないこと。

 

だから、子供がダイナミックな変化を自身の意志で起こそうとしても、いやそんな急に変わらないで今のぬるま湯の立ち位置にいても生きられるでしょ、と言う感じで、様々なネガティブな感情を掻き立てるような重たいブレーキをかけてくる。

 

私のバヤイは病や死の恐怖とかで、勿論強い葛藤って言うか壮大な親子喧嘩が起こったりする訳だが、戦力差は圧倒的。

 

今日も母の愛が勝つ。母win!いやマジで勘弁してくれ。

 

んで、もともと希死念慮とか自殺願望を持っていたり、死にかけた過去があるような人間はどうか。

 

いや、私のバヤイだが確かに死にたい死にたい言ってたけど、本音では死にたかった訳ではなくってよ。

 

んで、生きたい!とかの切実な子の雄叫びですら、母親は強い死の恐怖を引き起こして引き留めようとする。

 

あくまで「死の恐怖」であって、ホントに死ぬ訳ではない。

 

だが、人によっては死んだ方がマシだ、っつ―くらいの壮絶な苦悩となる。私もそうだった。

 

なんじゃこの本末転倒なドタバタ劇は。

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だから総括して、こう言うところをしっかり体系立ててもっともっと、対策化するなり相対化するなり普遍的な下に積もった数多の人物の血と汗と涙の結晶を抽出しないうちに、色々調子コイて軽々しくなんやかんやは書けない。

 

勿論うつ病が年々増えている現状はどげんかせんといかん!と私なりには思うけど、自分の人生にはまあまあ責任は持てるけど、現時点では人様の人生にまで責任は持てない。うつ病患者だったら、途中で自ら命を絶つリスクはとても高い。

 

禅の世界では「前後際断」と言う言葉がある

時は連続体ではない。「いまここ」のひたすらな積み重ね、である。

 

絶対的な「いま」を生き切り、絶対的な「死」を迎えなさいと言う教えだ。

 

禅の高僧はいつ死んでもいい、と言うのがさとりかと思っていたが、平気で生き切ることこそがさとりだと言い、百歳を超えるまで生き、晩年もお弟子さんと元気に活躍されていたそうだ。

 

んで、私は私で、多分だけど仮にも第三ステージから第四ステージへ抜けるか、そこの過渡期か、ってとこが今なのだろう。

 

相場で「一目均衡表」ってのがあったな。これ、踊り場が「雲」で表現されている。

 

ここでポテンシャルやらエネルギーやらを貯める訳ですね。人生もそんなところはある。

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つか、もう試練は嫌じゃw。

 

嫌じゃ、っつったって、生きてる限りは試練はあるのですがね。禍い転じて幸いとなるのでありんす。

 

さてさて、そんなところで終わろう。では。/おしまい。

 

>猫先生。

 

コメントありがとうございます。

 

複雑系にはしたくないんですけどね~。こ―ゆ―のをすごく咀嚼して書ける人の才能を少し恵んでほしいですw。