男と書いて男としか読まない日記。
どうもおばんでございます。
年の瀬も迫り、皆様方におかれては年末年始の準備等々立て込んでいらっしゃることであろう。寒さも厳しいのでくれぐれもご無理はなさらないでいただければ、と思う。
私は仕事納めが今日の予定で、明日は隣県の温泉へ高飛びする予定だったのであるが、お寺があまりにも男手が少なく、ついホイホイと合点承知の助!とばかりに助っ人外国人を自ら志願してしまったのだった。友よすまん・・・。
お寺は除夜の鐘がある。31日は色んな人が集まって煩悩を洗い清める。つい昨今はノイジーマイノリティな方々が除夜の鐘がうるさい、とクレームを入れたせいで、これを取りやめるところもあるらしいと聞いた。なんとも寂しいことである。
心が喪われる。公のことより自身のことを優先、重視してしまうと往々にしてそのようなことが起こり、公のみならずご自身の幸せにも繋がらない。ただまあ、至近距離に住んでいる人からすると、この鐘が鳴る時間帯も時間帯なので、気持ちも分からなくもない。妥協点は。
例えば、だ。
私がこのお寺の使いとして、除夜の鐘を鳴らしてもいいか近隣住民にお伺いを立てに出向いたとする。
「バ〇ヤロウ!オレはベーリング海のカニ漁から今日帰ってきてかあちゃんと×××するんだ!!とっとと失せろ!」
とか言われたら、すいません、と頭をさげてとぼとぼ戻ってくる場面だ。
でも、除夜の鐘とはいまいち接点の薄いようなところの住人が、批判精神をマシマシにして入電したのだとすれば、現代の病理と言うか心の闇みたいなものも感じてしまう。
まあいい。私の行ってるお寺さんはフツーに除夜の鐘を鳴らす。払われた煩悩はどこへ向かうのか。天か。路地裏の吹き溜まりか。それは誰にも分からない。私個人としては煩悩あっての人間だろうな、と思う所なのだが、仮にもお寺関係者、リアルではあんまり胸を張ってんなことは言えない。
さて、と言う訳で年末年始、いつまで仕事なのか分からなくなってきた。こう言うところがメンタルを患う一つの要因なのである。自己洞察が苦手だしなんとなくええかっこしいだし自意識過剰なのである。
まあでも、お寺の手伝いは素直に徳積み、と思えるところがあり、基本モチベーションは高い。特に肉体労働。先述の通り男手が少ないのだ、ウホッ。
今日は檀家さんや近隣の人たちともちつきのイベント。臼をウス!!とばかりにごろごろ転がしたり、持ち上げたりしてきた。筋トレしててよかった。
肉体労働も、ず~っとルーチンでこれが後延々何日も終わりなく続く、となれば心が折れる。肉体の疲労より精神を蝕むのだ。だが、短時間ですかっと終わる、ゴールが見えやすい単発の肉体労働は実に労働効率がいい。
ただまあ・・・。もし元日も出勤(?)となれば、お寺の子供たちにあげるお年玉資金がない。
「金欠なんだよ。」
と一言言えば、生温かい優しさで察してくれるであろうけれど。
帰り際。夕暮れで西空が赤く染まる頃。フェラーリが車両運搬トラックで後ろ向きに運ばれていくところに出くわした。
高級車や豪邸や高級ブランド。資産家が身を崩すシンボリックな対象になりがちだ。安定した収支が先々まで見込めるならいいんだけど、濡れてに粟の収入でついこうしたものに手を出してしまう。宝くじが高額当選したときのことを連想してみていただきたい。いかがだろうか。金!女!セ〇クス!こう言うワードが脳裏を掠めると危ない。いや、掠めないかw。
でもまあ、別にこうしたものを否定的に捉えているわけでは決してなく、ああ、次はどんな人に貰われていくのかなあなどと、嫁入り前の娘さんが世紀末救世主伝説ばりに輸送されていくイメージが脳裏に浮かび、なんとなくシニカルな笑いが込み上げてきただけだ。
さて、まあそんな話をしようそうだそうしよう。脳みその「報酬系」の話である。
A10神経とか側坐核とか。なんかそこら辺の部位が活性化し、人は快楽を覚える。そしてさらなるご褒美を、と言う図式が出来上がる。ドーパミンによる報酬応答だ。
だが、これがまた人それぞれスイッチが違う。例えばさっきの高級車や高級ブランドを見せびらかしたり、インスタ映えのするものを顕示するとかの欲求が強い人。ボランティアや寄付などに余念がない人。昨日の己を超え続けることに喜びを見出す人。クルーザーなんかでパーティをする人。実に様々だ。
これはその人それぞれの個性であり、天分であり、健全な方向へ生かすのであれば実に建設的な作用をするだろう。色々な分野で成果を出す人はこのメカニズムをうまく活用しているとも言える。
ドーパミンは諸刃の刃的なところもあり、昨今のスマホのソシャゲやパチンコパチスロなどのギャンブルなどは、ドーパミンの特性を逆手に取っている所がある。ハマりすぎるとヤバい。
それより、小さな成功体験を積み重ねて自信をつけていくとか、小さな目標を設定してそれをクリアしていくことなどに萌えることがより健全である。小学校の時分の跳び箱みたいなものだ。
こう言うのは魂なんかとも紐づいているのかなあ。よう分からんけど、最近は魂の実在を信じ込んでいる。魂が輪廻転生を延々と繰り返すみたいな話を前記事で書いた。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
ことの真偽はともかく、人生の意味とは辛いことや哀しいこと、そして勿論楽しいこと。様々なことを経験するためにあるのであり、魂の成長と言うことが人生の一つの側面なのだとしたら、進めば進もうとするほど苦難は畳みかけてくる。ロロノア=ゾロさんが言ってる通りだ。んで、苦難が多い人ほど魂の成熟具合が高い、らしい。
人って、人生って凄いよな(小並感)、と今日も思うのである。
さて、年末の挨拶はこの場で最後になるかもしれません。今年一年、本当にありがとうございました。訪問がさっぱりできず、不甲斐なさ・申し訳なさが先に立ってしまいます。
なんだか暑苦しい、むさ苦しいブログですが、来年もよろしくお願いいたします。皆様のご健勝をお祈りいたします。
では!/おしまい。
>Green様(id: shiho196123 )
コメント、ありがとうございます!
ダルマ。「業と徳」。徳積みは無償の愛をもって行いたいです。でもなかなかそれが出来ないのもまた人間なんですけどね。
コメント、ありがとうございます!
竹刀で教師のアレを強打するマンガのタイトルが出てこないんですよね・・・。ヤマジュンファン失格です。「ウホッ!いい男たち」をやはり買うべきか・・・。
>モカリーナ様(id: mocharina09 )
コメント、ありがとうございます!
仰る通りです。輪廻転生とか魂とか。色々つじつまが合う。まさにそれですね。バカボンパパみたいな人になりたいです。あるいは癒しオーラを放つような・・・。
コメント、ありがとうございます!
お寺勤務がいい方向に働いているといいのですが・・・。悟りじゃ。