蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

カルマとダルマ。

どうも!

 

だいぶ間を開けてしまいました。いよいよ今年も残りわずか。はて、昨日の有馬記念ってどうなったんだっけ・・・。

 

来年、県内の公立中高一貫校を受験予定のお寺の次女の合格プランを作成していた。もう合格したつもりになっている。根拠はないがこれが大事なマインドなのだ。不可能だと思えば道は閉ざされるし、可能だと思い込めば理不尽を突破し不可能が可能になる。人間そんなものだ。

 

次女はとても明るいいわゆる陽キャだがそれでも、人生がかかってくるので緊張したり不安になったりするのが当たり前だ。実践的なものも含め、道筋を示しあとは日々のストレスマネジメントを指導していこうと思っている。

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よく意識の高い受験生の合格体験記を見ると、スマホの電源を切ってあらゆる誘惑を断ち切るとか、1日12時間勉強したとかの記述が出てくる。ただ、オンオフを設けないでひたすら勉強に明け暮れた、と言うニュアンスにも感じられ、そこは個人差があることだからあんまりこう言うのに囚われてもな~、と言う気がしている。

 

人間、その気になるまでは現状を維持する本能が働いてしまうので、どうしたっていきなりそう言う境地には達せず、いらぬ無力感とか劣等感に囚われてしまう。反対に、その気になってそう言うハードワークのモードに移行してしまえば、後は勝手に努力しないと気が済まないようになっていく。

 

はてさて、そんなわけで。私の仕事納めは28日である。盛大にもちつきをするのだが、私がもちつき役である。やったことないぞ。

 

すっぽ抜けたり、もちを揉む人の手を強打してしまわないか、今から心配である。

 

そして。

 

友人が何名か帰省するので、地元の呑み屋さんをおさえるべく入電しまくっている。元日や二日に空いているところをだ。なんでも帰省しても色々立て込んで、その日にしか呑めないのだがぜひ呑みたいようなのだ。一人は高校時代の悪友でさる大手ゲームメーカーのさる有名ゲームの開発者である。

 

結構同期にはすごいのがいて、浪人時代に代〇木ゼミナールで一緒につるんでいた同じ大学の工学部にいた同郷の男は、建設省官僚から首都大学東京の教授先生になっていたのでびっくりしてしまった。

 

私はまあ・・・歯ギターかウクレレくらいしかできない。

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色々、その人それぞれのステージで悩みや不安があるだろう。私はそれをしっかり傾聴し、受け止め、また活力と癒しを自ら見出してもらって戦場へ戻ってもらえたらそれでいい。いや、勿論少しばかり戦場のことは忘れてもらってだ。

 

と、言うわけでこうした連中はほぼ首都圏に出ているので、私も早くに上京したいな、とは思っているのだ。今のお寺の次女の公立の試験が終わったら、とかタイミングを計っている所だ。鉄緑会と言う東大理Ⅲ専の虎の穴みたいなところに通いたいな、と思っている。

 

さて、「神様は越えられない試練は与えない」と言うフレーズについてちょっと触れる。

 

死後の世界があるのかないのか、輪廻転生はあるのかないのか。勿論信じるも信じないも自由で、私自身も信じるところはあるけどあまり日頃から「輪廻転生はあるんだよ」とか話すことはしないよう心掛けてはいるのだが、どうも輪廻転生はあるようだ・・・と思う。

 

んで、魂は輪廻転生を繰り返し、一つには因果(カルマ)と言うものを手放すためにこの世に生を享ける。生を享ける前に、こう言うカリキュラムを人生の過程で受講したい、と決めておぎゃ~!と生まれてくるようなのだ。

 

その真偽はともかく、家柄も性別も容姿も、自身に選択権みたいなものはなくて、ただただ大抵の生は祝福されてこの世に生を享けるだろう。

 

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私の話に急に置き換えるけど、このブログを始めてからひたすら健康不安と、それをあたかも外科的に取り除こう、切り取ろうとか、はたまた立ち向かおうとか、癒そうとか色々泥臭く取り組んできたことを生々しくお伝えしてきた。

 

最近はもうこうしたメンタル疾患を拗らせたことなどは宿命的な必要であった体験で、乗り越えられる試練で、かつ自分の身体の一部みたいなものなんだな、と言う客観的な捉え方に少しずつ変わってきている。

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私は人より辛い人生を送っているのよ、なんで分かってくれないの!?と言う方は多かろうと思う。病、貧困、人間関係、家族関係。ありとあらゆる悩みの種がそこかしこに転がっているかのようだ。んで、隣近所のあの人はいつも幸せそうでうらやましい、それに引き換え私は・・・とか思っちゃう。

 

ただ、人生と言うステージが魂の成長と言うことを一つの目的としているのなら、困難な人生を送っていると思えるような人ほど魂の純度とか精神性は成熟、老成してくる可能性は大いにある。そして、宿命的なことは変えられないから受け容れるしかないんだけど、人間自由意志があり、運命は切り開ける。だからそこで腐ってしまってはいけないのだ。

 

今すぐ、そのハードラックとダンスっちまってる方に、それも学びとして生じていることですよ、とか、あなたより大変な人もいるよ、とかクソみたいなことを言う気はない。後になって分かることのような気がする。それまではしょせん、せめてそう言う人の心の襞をちょいと掬い取るくらいのことしか他人にはできない。

 

あとは乗り越える。乗り越えられない試練だったら、生前決めてきたカリキュラムはもともとクリアできない課題なんだから、ナンセンスなものになる。勿論自死は人生中退、と言うことになるんだけど。これはいけない。

 

私はもう、病気だけど病気じゃない風に振る舞い続け、人を一人でも多く笑わせたりほっとしてもらったり、自分の人生の課題に再び取り組んでいく勇気を持ってもらったり。それでいいのだ、とバカボンパパみたいに思っているのだ。

 

そうこうしているうちに、私自身も生とか死とか。そう言うことに執着しなくなっていくのではないかな、と言う気がしている。

 

そんなところだ。

 

では。/おしまい。

 

モカリーナ様(id: mocharina09    

 

 コメント、ありがとうございます!

 

外国人には身振り手振りをオーバーアクション気味に駆使して、なんとか意思疎通を図っています。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

本当に自分に合うやり方しかないですよね。英語は割と柔軟な学習法をとれる寡黙かもしれません。 

 

 

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