蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

運び屋さんとしての「運」⑥。

どうも!

 

さてさてシリーズでございます。

 

 

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さて、「自己愛」や「自己肯定」と言うテ―マを綴っている。

 

これって言うのは、

 

「自分のいいとこも、もうダメダメな所も、最低な所も最高な所も、ぜ~んぶひっくるめて無条件で愛します。」

 

ってことで、これが自然体で出来るようになればひとまずは完成形と言える。 

 

誰しも内面に、矛盾した異なる自分、パ―ソナリティをいくつか宿している。

 

本来であればこれらが統合され、相互に助け合い協調しながら機能しなければならないのに、自我が「ダメな自分」とジャッジしたパ―ソナリティを自分の意志で切り離し、否定すると言うことをする。

 

判断基準は、幼少期に親や教師の教えあるいは社会常識に照らし、これは間違っている、と感覚的に思ったことであったことが多いはずだ。

 

そこで内面に強い葛藤や摩擦、不協和音を生み続け、時にその分離された人格はそれまで抑圧されていた、鬱屈したパワーを意志に反して暴走させることすらある。

 

前記事までに書いてきたように、どちらかと言うと今までの半生誰かに虐げられてきたとか、否定されてきたとか、取り越し苦労癖がついてしまったとかで、なんらかの生きづらさを感じている人はイヤな人との縁が強まりがちだし、イヤなことがあると連鎖的に負の物理現象を二次災害として招きやすいし、結果として人生が停滞していきがちだ。

 

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んで、お祓いに行ってみたり、スピリチュアルに依存したり、なんだったらヘンな壺とか買っちゃったりする人もいるかもしれない。

 

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だけど、いつまでもそんなんじゃイヤな訳じゃないすか。

 

こう言う人は人一倍優しく真面目な人が多いと思う。その分感受性も強く繊細である。こう言う人がますます不幸になる流れと言うのはどう見ても理不尽なんじゃないの?と私は思う。

 

これからはもちっと軽やかに、のほほんと肩の力を抜いていき、頑張る教の洗脳を解いて視界を広げれば、すぐに手近な所にチャンスや良い出会いの種、有益な情報など、自身の人生を豊かにしていく宝はいくらでも転がっているのに。

 

今までは力みすぎて視界が狭くなっていたから、それが見えなかったのだ、と言えば分かりやすいかもしれない。

   

だから、少なくとも報われる確率の低い苦労や頑張りからは、そろそろ自分を解放してもいい筈だ。十分に、人一倍頑張ってきたし、頑張っているのだから。

 

だが、人に人生を難しく考えすぎだよ、もっと肩の力を抜いてらく~に生きればうまくいくよとか、自分にご褒美をあげなさいとか自分に優しくしなさいとか色々言われるんだけど、それが出来ない。

 

理屈では、頭では分かるんだけど慣れてないどころか、その回路が、プログラムがそもそもインストールされてないから、自分を甘やかしている間も、

 

「あれしなきゃ、これしなきゃ生活していけなくなる、数学の問題を一問でも多く解かなければ…あの東大受かった子は毎日10時間勉強してたんだぞ、それに引き換えオレはなんてダメなんだ…。でもオレは障碍と貧困のル―プすら抜け出せていない、ああどうしようどうしよう…。」(私の例。すんごい誇張して書いてますw)

 

となる。

 

ダメな所(例えば私なら、精神障碍もちで健常者みたく毎日何時間もバリバリ働けない所からくる劣等感が強い(今はほぼなくなったが)・頑張れない自分・否定的な自分・ネガティブなことを考えてしまう自分・貧乏な自分…などなどになる)にひたすらダメ出しをし続ける癖がついていると、自分を甘やかしている時にも一向に気が休まることはない。

 

それでもやれる、って人はいいのだが、どちらかと言うと「快・不快」、「苦痛・快楽」の感情脳のネガティブなものが先行で動き、恐怖や不安、欠乏感を埋める動機主導で動くから、失敗確率が上がってストレスを募らせる悪循環を招きがちだ。

 

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そうではないと思う。

 

自己愛のベ―スが出来てくると、障碍やなんらかのハンディキャップを持っていようが、貧乏だろうがやもめだろうがなんだろうが、人様と比べることなく、失敗を恐れることもなく、人の顔色を伺うこともなくなる。

 

「ああ、やらなきゃやらなきゃ…。」と言う義務感、恐怖、不安、エゴ先行ではなく、「これをし~よう♪」 とか、「ああ、これをやるのに軍資金が必要だからせっせと稼ご♪」とか、「まあ、なんだか分からんけどなんとかなるべ~♪」みたいに、自発、内発的な動機で勝手に動きたくなるし結果にも執着しなくなる。

 

ついでに言えば、親切や独り善がりな愛の押し付け押し売りには問題があるが、誰かを勝手に喜ばせたくなったりもするし勝手に徳積みまでしたくなる。

 

こう言う時の自分はやたらパワフルでエネルギッシュで脂ギッシュだ。こりゃどう言うことだ?

 

前者は言ってみれば頭で動いている。後者は心で動いている。

 

心で動けば潜在能力も拓き、今まで見えていなかった目の前のチャンスが見えやすくなる。だからますます勝手に動きたくなると言ういい循環を生んでいく。

 

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いや、いきなりジョジョ立ちはしないけどさ。

 

ここで初めて、理屈ではなく感覚のレベルで人と比べたりとか、夢や願望への執着とか、結果をコントロールしたい欲求だとか。こう言ったその人本来の可能性を狭めてしまう要素から解放されて、このシリーズのテ―マでもあるホンマもんの開運にも繋がっていくのではないだろうか。

 

こう言うのがテクニック先行で入ってはまる人もいるんだろうけど、少なくとも私には無理だった。

 

まずは「心の豊かさ」ありきなのだ。まずは私は誰しもがお手軽な感覚でこれを作る、再現できる方法を体系的に作ることを短期的な目標としようかなと思っている。その為の縁や繋がりはいくつか既に築いた。

 

既存の自己啓発やセルフコ―チングなんかのプログラムであったり、本に書いてあったものも随分やったけど、この点が抜け落ちているものが多くて大体がムダに意識が高い。

 

だから私の場合はいつまでも「頑張れる自分=50点・頑張れない自分=0点」であり、0点の自分にひたすらダメ出しし続けるループから抜け出せない。

 

なぜ50点かと言うと、心身ともに健康な人と比べてしまうからだ。そう言う人と比べれば自分なんて全然たいした結果を出せていないではないか。その人たちが自然体で出来ることが私は死力を振り絞らないと出来ないではないか、と考え、また自分にダメ出しを繰り返すからだ。

 

いやあのねおっさん。それ言ってたらね、世の中に溢れるキラキラしたサクセススト―リ―とか、いやなんだったら、歴史に名を遺すような偉人さんとか、上を見たらキリがないだろうと。

 

私の場合はそれに頭ではなく感覚で気づくことが荒療治を使ってでも必要だった。

 

これがなければ、「心の豊かさ」が前提としてなければ、いくらアファメーションとか自己暗示とかの「ツイてるツイてる。」だの「私は上手くいっている」だのをやっても、本音の部分が「?」だから、上手くいかないのである。

 

余談だが、この「うまくいく」・「うまくいかない」と言う言葉は本当はあまり好きではない。「うまくいかない」側の人間にとって、「うまくいっている」側が発する「うまくいく」と言う言葉はやたらと甘美だ。リテラシーとかがちゃんと出来ていればいいが、まあそこも「学び」は必要かもなあ…。

 

必ずしも同じ土俵でなくてもいい。また組織に組み込まれ、自分を殺しながらでも、生活の為ストレスを溜めながら歯車として、誤った優越感とか劣等感を募らせ生きるのか。

 

それとも内発的な動機で動き、潜在能力を拓いて、目の前にあった筈のチャンスとか良き縁、情報などを引き寄せながら、さらにその人たちの心をも豊かにして軽やかに生きていくのか。どっちがいいの?って話になる。

 

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こうした誤った優越感とか劣等感も、いわば「心のバグ」だ。コンピューターウィルスみたいなもの。バスターコ―ルで粉砕しましょう。あ、「バスターコ―ル」って「ワンピース」のやつね。

 

人生すべての答えは己の中にあるっちうことだ。まあ、死んでも完成はあり得ないのだが、禅語で

 

「一切衆生、悉く仏性有り」

 

と言う。

 

つまり、人間の内面には神様が宿っていると言うことだ。私にも、あのいい人にもイヤな人にも。

 

んで、その内なる神様と言う存在は無論、全知全能のス―パ―ゴッドだ。だから、自分を責めることは内なる神様を責めることにもなるし、イヤな人にイヤだ~、と素直な感情を向け続けることは、その人の「神」ではなく「我」を見ている、と言うことにもなるだろう。

 

なんだかアヤしげな話にも見えるかもしれないが、まあ要するに皆さんが皆さんそれぞれの今世での「魂の修行」のカリキュラムを、一生懸命進めていると言う訳だ。オレも!アンタも!(スクライドw)

 

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 さて、ここからは一気に生々しい内容になる。私の幼少期から高校くらいまでの記憶を赤裸々に晒す。いわば私のはずかしい写真だ。(んなもん誰も見たくないっすよねw)

 

いつもの自分語りにさほど価値はないが、今回ばかりは本筋に繋がっていくと思う。大げさな話、自分のもとに心を、人生を取り戻した経過を生々しく綴る。

 

なので内容はどうしてもセンシティブなものになると思う。閲覧注意ってやつだ。

 

ここ1ヶ月で少し、いやかなり心の膿出しを行った。内観とか瞑想、と言った類のものや、ノ―トに感情を吐露するとかの類もあるが、これらはどちらかと言うと比重・ウェイトは低い。勿論、この後綴る母親との相補的な、記憶の掘り出し作業のプロセスには少なからず有用であった。

 

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ただ、やったことはもう少し直接的で具体的な方法だ。両親、主に母親との徹底的な議論、時には衝突。そして心理的な和解。

 

心理学的な視点や実践により得られた知見、ノウハウを出来るだけ取り入れ、両親との関係性を洗いだし、時には過去の記憶、傷を抉り出した。

 

結果、とりわけ母の心にはかなり負荷をかけることとなったと思う。

 

私はずっと父との確執があった。今では昔ほど仲は険悪ではないのだが、まだ時々黒い感情が、内面から吹き上がることがある。

 

私はずっと、幼少期から叩き込まれた父の思想が自身の人生を縛っていることを打ち明けなければならない、と思っていた。

 

しかし、父は老いた。私が時に感情が昂ればおろおろするばかりで、膝を突き合わせた話し合いはもう叶わない。これは父には害悪、私の為にもならない。私がもっと大人の会話を心がけなければならないのだが…。

 

無論、昔日常的に表出していた、父の正論じみた古い世代の価値観を色濃く反映した説教や小言、軍隊教育、鉄拳制裁。時には母が代わりに請け負っていた折檻や体罰も、私たち兄弟を思ってのことであったことは間違いない。ただ、論理と感情は異なる。

 

本当は如何に当時の父が不器用だったとしても、親の、あるいは教師の教えや躾、または当時の社会通念や常識を色濃く反映する、深層に眠り私を縛るコアの信念体系は、私自身が苦しみながらでも葛藤しながらでも向き合い、クリアにしていかなければならない言ってみれば魂の課題である。

 

したがって親に感謝こそすれ、昔の躾や教育方針を根掘り葉掘り掘り返し親の前に突きつけるなど、本来なら言語道断だ。私は手段を選ばずある意味、力づくで近道をしたことになる。

 

勿論とっくに私はこの家のお荷物なのだが、だからこそ私はこれから自身の心の声に殉じ、自分の人生を自分の手に取り戻す必要がある。道義とか仁義とかはもはや言っていられない。この過程を経なければ私はこのままずっと、この家のお荷物からは脱却出来ないのだから。

 

だから私のエゴかもしれないが、結果的には私の経済的自立にも直結するものでもある。私は肚を括ったし、申し訳ないが母と腹を割って話す機会を得ることを試みることにしたのである。

 

 (回想シ―ン。閲覧注意(笑))

 

さて、父の厳格な教育方針はトップダウンで一家をいい意味でも悪い意味でも縛っていた。私には兄と弟がいて、兄はどちらかと言うとやや私には意地悪な所があり、弟とは仲が良かったが私とはもともとソリが合わなかった。

 

弟はいたずら好きな、やんちゃで奔放な所があった。家の中にいることを好み本が好きだった、母に言わせればあまり手のかからなかった私とは対照的に、毎日鉄砲玉のように外に飛び出していきたびたび近所で悪さもしていた。

 

父母の教育方針の不文律、ル―ルのひとつに、「三人平等、喧嘩両成敗。」と言うものがあった。これは一見すると理想的で高邁な教育理念に映るが、あくまでも受け止める子供の心には時に理不尽なものたり得る。

 

前述のように私はあまり手がかからない、おとなしい気性だった。また、様々なこと…時には分かりようもないのだが、小学校で習う算数を飛び越した数学などにも興味を示し、それが当時の父の期待感を煽ってしまったようだ。

 

一方父の代弁者であり教育・躾の主要で忠実な執行者だった母は、「三人平等、喧嘩両成敗。」と言う所にこだわった。弟が家族行事の時しばしば話すのだが、私(めんつる)が怒られてたの、あれ殆どオレが悪かったんだよね、と舌を出す。てへぺろ、ってやつだ。

 

私は自分で言うのもヘンだが、いい意味でも悪い意味でも良い子で素直で、親の言うことをなんでも鵜呑みにした。背景には良い子でなければ親…特に母に必要とされない、見捨てられると言うアダルトチルドレン特有の心の闇を少しずつ形成していっていたのだと思う。

 

そして皮肉にも上記の教育方針である「三人平等~」のル―ルが、時に兄に黒い感情を向けられ、要領が良く立ち回りの上手い弟の間で複雑な立ち位置となり、意識無意識にも軋轢を少しずつ作っていた私の人格形成を、少しずつ歪めていくことになる。

 

…う~ん、な~んかどうしても、自分が被害者みたいな書き方になってしまうなあ。これは私の菲才の致すところである…

 

今になると思い出すのだが、兄はしばしば兄弟三人だけになると、

 

「この家の貧乏哲学にはとにかくウンザリするよ。」

 

 と言っていた。もう少し長じてからだったかもしれないが、兄は、少なくとも私よりはずっと早く自我の形成を確かなものにしていた。この言葉はそれを色濃く象徴している。

 

早くから、特に父に鬱屈した反発心が芽生えていたが一方で、しっかり者で長男の役割をしっかりこなさなければならないと思っていたのだと思う。弟ほどではないが適度に外にも遊びに行き、外界の空気を吸い友人たちとも友好を深めていた。

 

一方で私は基本的にはずっと家にいることを好み、あまり誰かと積極的に交流したい、と言う姿勢はなかった。そして、高卒だったことがコンプレックスだった父は、いつしか兄弟を三人揃って大学へ進学させることが自身の若い頃の夢の実現、悲願となり、とりわけ私には勉強…しかも主要四科目である「国語・算数・理科・社会」さえ勉強していればいいんだ、としばしば口にするようになる。

 

自分の存在はこれらの教科で高得点を上げることにより、父も母も、そして私自身も認め、確立されうるものになる。そしてこれだけが、自分が父母に必要とされる寄辺なのだと言う、極端な認知の歪みの萌芽が出来つつあったと言えよう。

 

私は元より器用じゃないのに、勉強さえしていれば父が褒めてくれる、なんだったら母の愛を独り占めできると思い込んでいたから、他のことは何もしなくなる、いや、する価値がない、と思うようになっていき、日々余計に不器用さに拍車をかけていく。

 

母の胸中は複雑だったと思うが、いつしか私の身の回りのことの多くを母が肩代わりするようになる。これが、私の精神的自立や自我の形成を遅らせることになったのだろう、と母は言った。

 

…如何に子供心だったとは言え、私が欠陥人間になったことを親に責任転嫁しているようなことを綴り心が痛む。これは対話の中で、私の記憶と口から出たもの、母の口から出た言葉を総合してはいるものの、全て話の中で吐露されたものだ。そして少なからず、父母…父は隣室に野球中継を観に席を立ってしまったが…特に父に対し、責める気持ち・感情も沸き上がった。心から詫び、これからは精一杯の孝行に努めなければならない…

 

こうしたことが兄との摩擦をますます強化してしまった。自立心と自我が確立した兄は、勉強以外何も出来ない私をしばしばなじり、弟だけ自室に入れて露骨に私の入室を拒んだ。兄の部屋から聞こえてくる子供らしい談笑の声を聞き、心が空虚になった。

 

さて、小学校に上がった時分に兄弟三人で、市の警察署の剣道場を間借りした名門の剣道場に入門した。これは意外にも私が父にねだり自身の意志で決めたことだった。ちょっと前に別の場所で開催されていた成人クラスの剣道大会に目を奪われ、中二病が発露したのだ。そしてこれは、共にいた兄弟三人が共通して抱いた心境だった。

 

一度私は練習中、弟と組むことになった。私はその瞬間、訳も分からず頭が真っ白になり衝動的に弟に突進していき、力任せに仰向けに倒して日本手拭いだけで覆われ、防具でカバーされていなかった弟の後頭部を、冷たい剣道場の床に叩きつけた。何度も、何度も。/続。