蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

釈迦に説法。悟りより功夫を習いたい。

どうも!

 

ご無沙汰しております。時折屋根裏からコヨーテの唸り声が聞こえてくるめんつるです。

 

さてさて新しい仕事が始まり、前の仕事とちょいと掛け持ちの状態になっていました。個人の勉強もありマルチタスクなものでしばし休んでました。

 

ブログは今後とも細く長~く運営していく所存ですのでよろしくお願いいたします。

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知れば知るほどなんだかでっかいお寺の長女(中二)・次女(小五)・三男(小二)。

 

次女の家庭教師と三男の遊び友達になっている。ビジネスとして全面的に割り切るのではなく対等の心の友である。

 

子供と言うのは大人みたいな分別智と言うか、物事や世界を見る時に色眼鏡をかけて見ないところがある。

 

子供と一緒に野っ原を駆け回ってとんぼを捕まえたり(お寺の裏の共同墓地だったんすけど・・・w。)魚類の絵を描いたりする。

 

私も童心に返るのだ。

 

人間が分別を捨て無分別になっていくのは、子供らしい純粋さや感性を取り戻してゆくことと同義なのだろうか。

 

でも社会の中に居場所を持ち、他者となんらかの利害を基に関わることの多い大人は社会的規範やルールに縛られ、無分別になることは事実上できない。

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いっそ大自然と渾然一体になりたい・・・。現実を忘れ、パンツをはき忘れ。

 

分別とか、判断とか比較なんかの物差しはそれこそ分別のある大人の専売特許だ。

 

よく幼少期の時分、大人にあれしちゃだめでしょ、とかご近所に恥ずかしいでしょ、などと言われて制止されたような記憶や体験が後々まで尾を引き、大人になってからの行動にネガティブな方向にブレーキをかけてしまうと言うようなことが言われる。

 

いやでもそれは、子供を見てたら危なっかしくてつい手を差し伸べてしまう大人の気持ちは分かる。

 

愛する子供を持てば余計にその気持ちには理解度と共感度が深まると言うものだろう。

 

今東洋哲学的な話をひも解いて途中で頓挫中だけど、般若心経なんて境地に至ると、最後は分別から無分別の世界へ飛べよ!グッドラック!的なことが言われていたりする。

 

自我が崩壊し、世界と渾然一体となるのだ。それが悟り、らしい。

 

もうそこまで来るとなんだか、仏教とか悟りとか言うものが恐ろしく深淵で手の到底届かない代物のように思えてくる。

 

サトリストを名乗って、情報弱者をだまくらかしお金を巻き上げるような人はいっぱいいるだろうけど。

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なのであんまりその辺には深入りしないでおこうと思う。

 

仏教のプロの和尚様に入門書で聞きかじった話を披露するのは、それこそ釈迦に説法並みの気恥ずかしさを伴う。

 

さてさて。

 

台風が過ぎた。未曽有の規模の台風であったが、皆様大丈夫だったろうか。

 

私はその日の仕事をキャンセルして引きこもり状態になっていたが、警戒レベルが3から4になってもやはり引き籠って放屁していた。こう言う時には割とくそ度胸が据わっていたりする。

 

なるようにしかならん。

 

でも本音は、近くの避難所の固い床の上で寝るのは嫌だなあとか、そんなんだったのだが。

 

日頃いかにぬくぬくと暮らしているかが良く分かると言うものだ。感謝しなくてはなるまい。

 

帰る家がある。家族がいる。今日の滋養のためのご飯とおかず、夜のおかずもある。布団がある。部屋がある。財布を開ければいくばくかの現金とキャッシュ・クレジットカードもろもろがある。

 

そうやって、小さなことにも感謝するノートをつけましょうと言うワークを絶賛病み期に随分薦められた。これは確かにじわじわ効いてくる感じだった。

 

感謝だとか愛だとかは、なんだか日頃口にするのも気恥ずかしいけど確かに、個人の幸福度と波長が合いやすいのかもしれない。

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反面、孤独は辛い。

 

究極的には究極的な孤独と言うものはないのだけれど、それでも社会問題になっているレベルの孤独は綺麗ごとでは済まされない。

 

よくゴミ屋敷とその住人が行政代執行の対象になったりするけど、その住人はあまりにも孤独感を募らせ、苦情を言ってくる近隣住民とその苦情そのものを社会との接点とみなしているケースも多い。

 

近隣住民からしてみたら、景観は損なうだろうし悪臭はするだろうしたまったものではない。

 

だがこの孤独と言う社会的病理に光をどう当てていくかも、なんとなく引きこもり問題と共通するデリケートさと難しさ、そして表現は悪いけど奥の深さを持っている。

 

ただ引きこもり当人よりは、孤独を抱える当人とのファーストコンタクトのハードルは高くないかもしれない。

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孤独は誰の身にも起こりうる。いや、一見人間関係が充実していると傍目からは見えるような人が孤独感を募らせていたりすることだってある。

 

考えれば考えるほど難しいのだ。だからあんまり考えてもしゃあないのかもしれない。せいぜい、政治や行政に頑張ってもらうよう税金をせっせこ納めるくらいしかできない。

 

以下の内容の半分くらいは過去記事のどこかで書いたことだ。(相変わらず過去記事を検索することをしないずぼらリスト)

 

私の近所の幼馴染はちょっとした誤解で一時仲たがいしていたのだが、先だってお母さんが亡くなり、お悔やみに行った折お父さんととっぷり語り合ったことがきっかけでまた繋がりが出来た。

 

四十九日と言うのは、故人との今生の別れによる心の傷が癒えるまでの必要な期間と位置付けられているが、お父さんも奥さんを亡くされて心にぽっかりと穴が開いたそうだ。

 

物事を悪い方に悪い方にしか考えられなくなった時期もあったとか。

 

もともと体育会系の肉体派・行動派のお父さんだ。若い頃は喧嘩っ早かったと同じ会社の同僚である我が親父も言っていた。

 

そう言うパワフル父さんだって勿論生身の人間だ。最愛の人を亡くすと言うことはそれだけ何か一時半身がもがれたような心地がするものなのだ。

 

だが、その後気のいいご近所さんがパークゴルフに誘い出したり、何度か訪問したりしたらしい。

 

これが都市部になるとご近所づきあいも希薄になり孤独にもつながりかねない事なのだ。

 

心の病なんかだと絶賛病み期の頃は、元気づけようと外に連れ出したりすることを禁忌とする場合もあるが、このお父さんの場合は逆に生きる気力を取り戻す結果に繋がったようだ。

 

その後私がひょんなことから(いや、ひょんなことって、幼馴染のお悔やみなんだからひょんなこともくそもないんだけど)行ったらなんだか3時間くらいは話し込んでしまったのだ。ちょうど私が自分の生に執着していた頃だ。

 

なんだか最近孫正義氏の逸話をちょっと耳にしたのだが、彼はソフトバンクを立ち上げイケイケ(死語かな?)だった時に慢性肝炎に倒れた。

 

これがやがては肝硬変、そして肝臓がんに発展する不治の病であり、あと五年の余命を宣告されたらしい。

 

さすがの彼も一人でこっそり夜泣いたそうだ。

 

でも「竜馬がゆく」を読み、わずか五年たらずで国家的な一大偉業を成し遂げた坂本竜馬に感化された。

 

「たかが自分の命くらいでくよくよしてどないすんねん!もっと大きく構えないかんぜよ!」

 

的な境地に突き抜けたらしい。

 

覚悟が決まり、そこから快進撃し、とうとう神風が吹いたのである。

 

目的が定まり、ぶれなくなり、人生観を見直し。なんと画期的な治療法まで見つかってしまった。天をも動かした感じか。

 

男として生まれたからにはこうでなくてはねえ。と。

 

私は強く勇気づけられて、かつて死期を彷徨いながらも偉業を成し遂げた孫氏、ジョン=F=ケネディ元大統領の書を立て続けに購入したのであったw。

 

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

 

  

ジョン・F・ケネディ・ストーリー The JFK Story (ラダーシリーズ Level 4)

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生き方の正解は人の数だけある。私は少しずつ、死ぬまでは生きるさ的な死生観になりつつある。

 

 

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なまじ地を這う半生だったところに野心家なものでややこしいことになっていたのだが。

 

だからお父さんの前では当然精いっぱい生きてください的なことは言えなかったし、人それぞれに生き方も何もかも正解があるものなので何とも言えない。

 

だからその場では励ますこともしなかったし、まずは寄り添う所からのアプローチだった。

 

だが、そのお父さんはそれより前にがつん!とショック療法的な言葉を浴びせられた方が効き目があったらしい。その時はもう、割とさばさばしていた。

 

これもまた人それぞれ違うのだなあ、と思わされたのだった。

 

最近の精神科医の先生でも、あえてこう言う厳しいショック療法的な言葉で対処し患者の生きる力を引き出す方もいるらしいのだ。

 

だがこれは勇気がいることだろう。プロだから出来ることだし、万人向けではなさそうだ。愛のムチなのだろうけど。

 

「美しく最後を飾り付ける暇があるなら、最後まで美しく生きようじゃねーか。」

 

これは坂田銀時の言葉である。

 

死を強く意識する。死は誰にも共通する一つのゴールである。誰も例外なく死を免れることはできない。

 

だからまあ、逆算で死をゴールと定め、ソリッドな生を生きるのである。

 

あまり一日一日を怠惰に、時間を垂れ流して生きるわけにはいかない。だがそれも、考え方も生き方も人それぞれだ。

 

そんなところで、どうもなんだか重たい話になってしまうなあ。「死生観」はちょくちょく話題にするし今後もすると思うけど。

 

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では!ゆっくり読者様のブログを巡らせていただきます。明日はお休みです。/おしまい。

 

アメリッシュ様(id: funyada

 

 コメント、ありがとうございます!

 

占いはいいとこだけ信じるのがたぶん一番ベストの受け止め方なのでは、と個人的には考えています。

 

>ひめぐま様( id: himegumatan 

 

 コメント、ありがとうございます!

 

ルフィは超人ですからねw。でも「ワンピース」を愛読している実業家の方は多いです。オンオフの切り替え大事ですよね~。

 

 >切株おやじ様(id: masuhiro6595    

 

  コメント、ありがとうございます!

 

あるがままの自分をやんわり受け入れる寛容さは自己受容と呼んでいますが、これはとても大事な考えで、自尊心や自己肯定の種子・支えになるものですね。

 

>Green様(id:  shiho196123   

 

  コメント、ありがとうございます!

 

心理学的なホメオスタシスが働くんですよね~。それとメンタルブロック的なものがっ逆風になります。変化しようと行動を起こそうとすればするほど・・・。どうかご無理はなさらず。

 

> タコスカ様(id:kefugahi   

 

コメント、ありがとうございます!

 

正直おみくじの結果なんて当たるかどうかよくわからんところがありますので、ガチャの方がよほど現実味が強かったりしますw。

 

モカリーナ様(id: mocharina09   

 

コメント、ありがとうございます!

 

占いについてはそう言う感じで適度な距離を持ってらっしゃる方が多いですね。それがベストだと私も思います。

 

>猫p様(id: nkobi1121   

 

コメント、ありがとうございます!

 

猫先生のお仕事は分単位で何が起こるか分からない医療現場なので、それこそオンオフの区別をつけないときついですよね~。

 

 

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うつ病闘病記(仮称)■
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