「エゴ」ってなんぞ?
どうもこんにちは。
さて、いつもは今日何を書こうか、通勤途上や仕事中(不謹慎やな)などに大体概略を考えているものだが、なんとなく脳裏に浮かんだ言葉に「エゴ」と言うものがある。
ただ。
この単語一つについて綴ったとてどのくらい書けたものか。
とりあえず行ってみますw。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
かなりストレスフルでやばいテンションで綴った過去記事ですw。ちょっと「エゴ」について触れている。
スピリチュアル的な「インナーチャイルド」と言う概念については詳しくない。
ただ「エゴ」は、使われる文脈によって、ニュアンス的にポジティブなものにもなるしネガティブな意味合いにもなる。
ひとつ。大前提として人の行動原理なり動機なり、すべてエゴが源泉である。よほどの聖人君子でない限りは。そう思っていい。
ただ、自己と他者との関係性の中で、エゴを貫いたり他者に押し付けたりするとしばしば軋轢や摩擦が生じるし、あからさまなエゴイストが周囲にいると不快な感覚感情が沸き上がると言うのが人情だろう。
「これって私のエゴでしかないんだけど〇〇・・・」
的な出だしで、他者に嫌われないことを意図して発せられる「エゴ」も「エゴ」そのものである。
親が子に、
「あなたのことを思って〇〇」
などと言っちゃうのも、親が子との境界線を明確に引かず、子をコントロールしようとする意図で何となく用いられることが多くまさに「エゴ」そのものだ。
こんな感じで、なんとなく「エゴ」=「自己中心的」と言う意味合いで捉えていらっしゃる方も多いのではないか。まあ、訳語に「利己心」とあるのでまんまそうなのだが。
だからエゴってなんとな~くネガティブな色彩を放ちがちである。
ただ、こう言うケースもある。
自分軸をしっかりと持ち、他者の言動に左右されずに自身の意志や正義を貫くような「エゴ」はなんとなくかっこいい。
もっとも、「正義」と言うのは当人の思い込みが反映されており、時に加虐のブレーキが外れ、例えばネット上で炎上に加担し、「正義の鉄槌」を奮っているような人も見られるから一概に”絶対的正義”とも言えない。
ともかくだ。
人の価値・・・と言うと人に差をつけるのか、と言うデリケートな意味合いを帯びてくるが、職業や肩書、地位などの外面に関係なく、心の底で矜持をもって生きている人はかっこいい。
そして人が心の奥に持つ矜持は普段、普通はあまり表面に出ず、いざという時になってみないと分からないものだと思う。
こう言う自分の矜持を表に出す、と言う意味合いで「エゴ」を捉え直すとき。「エゴ」と言う言葉は輝くと思う。
仏陀の教えについて上述の記事にて触れた。
自称サトリストの言う、自己のエゴまみれの願望をかなえるために願望に執着するのをやめましょう的な教義は、何度も言うように大嫌いである。それにこう言うことを言う教祖がネットにせよリアルにせよいるなら、盲信しないでほしいとも思う。
そうじゃなく。
「エゴ心を捨て、世の為人の為」
と言う在り方が人を成長させる道である、と説かれている。これも何度も触れた。
まあ、受け売りですw。
今抱えている悩みや心の闇があるのなら、まずは目の前のこと、他者の利益に結び付くことにエゴ心を後退させて全力で取り組む姿勢を持つ。
それによってひとつ視座が上がり、悩みが悩みでなくなる時が来る。これは勿論「縁起」と言う概念にも通じる。
勿論動機はエゴでもいい。人の為に働いたり活動したりすることがまわりまわって自身を満たすことにもなるからである。
ただ、こういう考え方を人に押し付けちゃうとエゴの押し付けになったり、ブラックな思想になったりするから注意しなければならない。
以上が「エゴ」についての説明である。
ホントはもっともっと奥が深いのだけれど、自分はこのぐらいしか知らないw。
そんなところかな。
では。今日は外でラーメン食ってきますw。/おしまい。