蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

あたたかなひだまりのような人間になりたい。②

  • 自己肯定と自己受容
  • 弱さと向き合い、受け入れる 
  • 自分を責めない(簡単じゃないけど)

 

こんばんは。

 

さて、今日は酵素栄養学と言う分野で活躍している、私の人生の師とも言うべき恩師の講演に行っておりました。その後呑み。

 

ただ、朝からメンタルがやばく少し遅れて行ったんですけどね。

 

 自己肯定と自己受容

 

メンタルが弱ったとき、自分と否が応にも向き合わされるわけですが、自己肯定とか自己効力と言ったような言葉・概念はどちらかと言うと、なんと言うか意識高い系です。

 

そう言う本は結構持っているんですけど、もっとこう、あるがままの自分を受け入れると言った自己受容の観点から自分を癒すための本と言うのは、明らかにストックが少ない気がしました。 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

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心を鍛えるとか、心を育てると言った観点の文献は巷でも、普通に多かろうと思います。

 

これはどちらかと言うと、どん底の底を打った後に立ち直り始め、エンジンをふかして再起するときに必要なものではあります。

 

しかし、どんどんネガティブスパイラルに入って物事を悪い方悪い方に考え始め、闇落ちしていかざるを得ない局面で、自分をどう受け止めてあげるか?と言う、自分に優しいクッションや緩衝材も同じくらい大事です。

 

変えることが出来ない状況や現実がある時。その時は自分が変わらなければならないときです。環境に柔軟に順応するわけですね。

 

そのための知恵は必要です。

 

そんなわけで。 

スタンフォード大学 マインドフルネス教室

スタンフォード大学 マインドフルネス教室

 

 こちらの本を拾い読みしていました。

 

世の中、あるいは人生において、自分で頑張って解決できるものと、変えられないものがあります。

 

そういう時は変えられない状況や現実はいったん冷静に受け止め、今できることをするべき時です。

 

神様 

 

私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

 

変えられるものは変えていく勇気を

 

そしてふたつのものを 見分ける賢さを /平静の祈り

 

これらは切り離すか、もしくはコントロールせずに「仕方がない」と言う境地で受け止め、逆説的に心を開放してその後の前向きな行動へつなげていく「受容の精神」を一つの知恵として併せ持つ必要があります。

 

弱さと向き合い、受け入れる

 

日本は地震が多い島国です。様々な保険などの経済的な備えや防災意識を高める一方で、事が起こればそれをいったん受け入れ、その時々で自分には何ができるのか?と問うことは都度必要とされてきました。

 

自然への畏怖と感謝。これは日本人が長い年月をかけてDNAレベルで培ってきた国民性なのかもしれませんね。

 

自然災害や病気、過去に起こったことなどは変えようがないものが多く、これらを何か神頼みなどで回避したりコントロールしたりすることは基本的にはできません。

 

エゴによる不安を手放し、特に人生に予知とコントロールを欲する人間の欲求を克服すること。そのためには、自身の弱さとしっかり向き合うことが不可欠であると説かれています。

 

自分の中のネガティブな要素。不安、恐怖、喪失感。無力感、挫折感、劣等感など。こうしたものに囚われて、しばしば私含め人間は身動きが取れなくなります。

 

なんとなく巷に蔓延しているグローバルマッチョ的な価値観であれば、弱さを短所として、つねに強くあれ、けっして戦いをあきらめるな、と教えるでしょう。

 

でもそうやって、己を鼓舞し、ひたすら実直に自身を高め、磨き、人一倍努力をしてきた人の心を平気で折るような出来事と言うのは、いくらでも起こりうるのが現実です。

 

そう言う時、人は大きな挫折感を味わい、大きくレールを踏み外したりもするかもしれません。

 

だから、弱さそのものを否定したり排除したりするのではなく、自分の一部として向き合い、受け入れることができた時に、自分の世界観が与えてくれる安心感を捨てざるを得なくなると同時に、他者や他のコミュニティ・文化の内側から世界を理解することが可能になるでしょう。

 

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そしてそれこそが、真に他者に寄り添い、共感する力を産むはずです。 

 

誰も好き好んで、自分の弱さと向き合うような場面に積極的にコミットしようなどとは思わないでしょう。

 

そして誰もが弱さを隠し、強くあろう、もしくは虚勢を張ったりもするものです。弱さを率直にオープンにできる人には逆説的に、強さを感じたりもするものですよね。

 

 なもんで。

 

私自身が若輩者ですので、まだまだ上述のような境地には達していません。

 

人が成長するには通過儀礼と言うものはどうしても必要になります。そこに積極的に挑まなくても、好む好まざるにかかわらずそう言うステージと言うのは訪れる。

 

そこでいったんは心が折れそうになっても、それを受け入れまた前進する。文字通り、人生七転び八起きなんでしょうね。

 

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自分を責めない(簡単じゃないけど)

 

でも、頑張れない自分、ましてや、結果を出せない自分をひたすら自ら痛めつける必要はないわけです。いかに、あるがままに受け入れ、癒し、心を守るか。

 

これは今後、自己肯定とか以前にもっともっと学びと実践が必要だと痛感しました。

 

以下の書籍も買ってみます。

 

なぜ、私ばかり つらい目にあうのか? (朝日新書)

なぜ、私ばかり つらい目にあうのか? (朝日新書)

 

 

今は「なんでオレばっかり?」とはさすがに思わなくなりましたが、昔そう思い込んでいた時期がありますねえ。(遠い目)

 

今そう言う風に感じておられる方に少しでも寄り添えるよう、精進します。

 

では。/おしまい。

 

 

 

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うつ病闘病記(仮称)■
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