蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

あたたかなひだまりのような人間になりたい。

おはようございます。

 ・ひだまりの詩

  • 支え、支えられる人生
  • 3つの妄想(微小妄想)
  • 熱血、そして包容(ガシイッ!)

ちょっと昨日新たな気付きがあってはっとさせられたのですが、気づきのきっかけを与えてくれたツイッターのURLを貼り付けておきます。鬱病に苦しみながらもほぼ克服し、今はバリバリ筋トレに励んでおられるすごい方。でも、今回書きたいことで大事なのはその点ではありません。

 

錦山まる@メンヘラマッスル作家(ツイッター)

 

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私も同じくきっと、うつ病沼から光明・希望や人生目的を見出しまがりなりにも前進し始めた人間ですが、この方が決定的に違うのは、うつ病期でも一番苦しい時期・局面におられる方の目線に立っていると言うこと。それだけの想像力を持ち、駆使し、苦しい人の見ている世界を、偏見・バイアス・上から目線・・・こう言ったものを排して見ている、あるいは過去の嫌な記憶と向き合い、そして類推し、提示する。そう言うことができていること。これってすげえな、と思ったんです。

 

私は立ててないし、立てないんだろうな、と思いました。

 

支え、支えられる人生

 

私は過去を振り返ると自分を、過去を呪いたくなりますし、封印したくて生々しい記憶として引き出せないんですよね。自分の意志で引き出せないんです。脳がそれを拒んでいるのか、記憶障害なのかはわかりませんけど。そして、自分に想像力はないくせに人様の想像力の欠如は非難します。ただ、様々な局面、曲がり角にいる患者さんと今後向き合っていく中で、自分に欠けているものは何か?それが明確になった気がしますし、その感性を磨いていこう、と強く思いました。

 

うつ病を克服しました! それは何よりなんだけど、自分が元気になったり仕事始めたりすると他の患者さんに対して急に「俺私に比べて治る努力が足りない」とか言うようになる人がいるのは何でかね? 症状・程度・環境・価値観・適性・他の疾病etc.全て違うのに。自分が何が嫌だったのか思い出せよ。

 

・・・うむ。そう言うとこ、あったかもしんない。

 

僕が「うつ病の人を救おうと頑張っている」と考えている人からメッセージ来ることがあるんだけど、僕は別に救うなんて救世主みたいな考えは持っていないんだよな… 数年前の自分はどんは言葉が欲しかったんだろうと思って発信して、当時の自分みたいな人が一瞬でも楽になって欲しいと思ってるだけ。

 

「初心に返る」必要があったのかもしれません。

 

自分がどん底にいて、助けを求めても誰も分かってくれないし、自責の念や自己嫌悪、自己否定、無力感や孤独感を募らせ、日々死にたい死にたいと思っていた時期。人にも死にたい死にたい言っていた時期。この時にもし、周りには叱咤激励する人や、そんなの甘えだ、と塩対応する人とか、勝手に死ね、とか言う人しかいない中で、どんな言葉をかけてもらえてたら楽になっていたのかな?救われたのかな?この視点はなかったんですよね。

 

 

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人間は一人です。人と出会い、別れ、誰かと通じたり喧嘩したり。結びつきを強めたり心で交流したり。こう言うのがあったとしても、本質的には一人です。でも、自立している様でもその実、依存、と言う軸そのものを手放すことはないでしょう。大なり小なりそれを嫌ったり、蓋をしつつも何かに頼らなければ、すがらなければ生きていけないか弱い生き物です。完全な人間なんてどこにもいません。

 

他者と自分。リアルにせよ、ネットにせよ、人は他者との関係性を築き自己を確立していきます。人のために何ができるのか。何を与えられるのか。そうやって自分を確認するとともに、やはり人に、様々な機関などに頼らなければ生きていけません。「支え合う」。綺麗事の世界だけの話ではないのですね。

 

3つの妄想(微小妄想)

 

自分は過去記事にも書いた通りですが、自分は何かヘンな病気なのではないか?と言う思い込みが強く、どこか痛んだり、思考力や判断力が低下したり、手足の動きがおかしかったり・・・。こう言うネガティブなフィードバックがあると、脳が壊れていっているからじゃないか?と、この二つの事象を強力に結びつけてしまう思考の癖を手放せないでいます。

 

これは勿論健康な方でも持っていらっしゃるものですが、うつ病の患者は心気妄想、と言う形で、ひとつの症状として持っているようですね。「微小妄想」と言うそうです。「妄想」と言っても、精神医学で語られるタームで、世間一般で言う根拠のない、なんとなく蜜の味がする「妄想」とは異なります。

 

「微小妄想」には3種類あり、「心気妄想・罪業妄想・貧困妄想」と言います。

 

うつ病で生じやすい3つの妄想とその治療法

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熱血・そして包容(ガシイッ!!)

 

こうした思い込みを自分自身持てあますことはたびたびありますし、今後リアルで誰かにうちあけられたりする機会も増えるでしょう。そう言うとき必要なのは、「それって妄想、思い込み、取り越し苦労だよ。」って言うことなのかな?とはた、と思い当たったのでした。その患者さんにとっては肌身感覚で、リアリティを伴った真実味を帯びたものなのかもしれないからです。

 

幸い自分の場合は、こうした思い込みに囚われたときでも、認知療法を試したり、気分転換をしたり、数学に没頭したり、アウトプットをしたりとじたばたし、それでもダメときゃ薬飲んでさっさと寝たりってことをすると、意識・心がふいっとその悩みにフォーカスしなくなるか、あるいはふっと心が軽くなるときがあるんですね。だから、その思い込みや悩みを無かったことにするでも否定するでも肯定するでもなくありのままに認め、変えられないものなのだ、と客観的に受け止め、変えられるものを変えていく決意を固める。結局のところ、これしかないんでしょうね。

 

そして話を聞く方も、「大変だね・・・。早く楽になるといいね。」とか、「普段はどう言う対処をしてる?」とか、「大変なことが起こって疲れますね~。」とか。共感し寄り添うことが大事なのだろうな、と思いました。頑張っている・結果を出しているその人にのみ価値を認めるのではなく、ありのままですでに「頑張っている」ので、フラット・ニュートラルな視点でまずは受け入れ、同じ目線に立つ、あるいは同じ目線に立つ努力をする。これが悩みを聞く方のスタンスなのかもしれません。

 

勿論、妄想・思い込みではなく真実の場合もあるでしょう。妄想にせよ、真実にせよ、他者がしてあげられることなんてたかが知れています。でも、ふっと優しい言葉をかけたり、ちょっと想像力・共感力を駆使することでずいぶん、その人を楽にさせてあげることができるんだろうな、と思うに至りました。

 

まがりなりにも向上心を持ち、努力するうつ病患者の局面に立つと、そうじゃなく苦しみの淵にいる患者さんの気持ちや立場、境遇を無視して、心の中で上から目線で、なんだかマウンティングしてしまうことがないか?おおいに反省させられました。自分だって色々な人に支えられてここまで来たんだ、と言う原点に立ち戻らなければならない、と言うことですね。

 

まあ、日々勉強・精進ですな。

 

では!/おしまい。

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うつ病闘病記(仮称)■
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