よりよく生きるために理屈はいらぬ。
・哲学する変態
- カント入門を読んで
- 人生とは?真理とは?
- 果報は寝て待つ
こんにちは。
さて、今日はあんまり書くこともなく雑談をかまします。
ちょいと叔父がダウンジャケットをくれると言うので出かけておりました。私も叔父も大柄ですが、ちょっとだけ叔父の方が体格が良かったようで・・・。ちなみに、市の柔道の何かの協会の偉いさんだったはず・・・。
カント入門を読んで
さて、昨日泌尿器科で待っている間カント入門を読んでおりました。
読みたてで何かその書評であるとか感覚的に頭の中で再構築するなりしてアウトプットできるか、と言うとなかなかに難しいものがあります。
「いやあ、それは普遍的必然的に先験的な・・・」
とか言うエッジを利かせたトークを茶ー飲み話に盛り込むのも勿論ヘンです。でもなんだかちょっとだけ脳みそのシワの数が増えたような気もします。
哲学は人生をよりよく生きるうえで不可欠な教養でしょう。
昔「TIGER&BUNNY」と言うアニメ作品を観て号泣&人生の使命的なものに突如目覚め、書店にニーチェとバタイユを買いに行ったのですが目下絶賛、枕代わりと化しております。
カントも本格的に突っ込むなら「純粋理性批判」などを買うと言うのもひとつの手ではありますが、たぶん私の根気では枕が余計に高くなるだけに過ぎないのかもしれません。私には入門書でエッセンスを学んだ方が向いているのかもしれませんね。
と言う訳で今後、ブログ記事を書いていくにあたってはカントの哲学で得た知識を血肉に変え、柳の葉を屁で揺らすがごとく自然に記事内容に織り込んでいく予定ですので、うぜ~・・・と・・・思われたら・・・、悲しいのでほどほどにしときます。
人生とは?真理とは?
実の所、真理と言うものはおっそろしく深遠ですが、構造そのものはシンプルなのではないか?と言う気がしています。誰しも人生に思い悩み、複雑に捉えすぎる時期があろうかと思います。
人生そのものもまたおっそろしく深遠ですが、構造はシンプルだと多くの先人が述べています。人生=真理なのかもしれないし、そこの解釈については私の頭がスパークしますので突っ込みません。
ただ、お釈迦様は真理をやたら小難しいものと解釈してしまったり、分析対象としてしまう人間の思い込みを「無明」と呼んでいますね。
それがいいとかダメだとか言うのではないのですが、たぶん真理とは「考えるより感じろ」の世界で、感覚的に捉える、いや、捉えることは無理でも迫るものです。偉いお坊さんでもお釈迦様の教えを体現できている人はいません。
果報は寝て待つ
私なんかはもうどうしようもないくらい煩悩のカタマリですが、どこかでシンプルに「いま、ここ」を全力で生きる、と言うことだけは追求しようと思えるようにはなりました。できているかどうかは別として。これはマインドフルネスの見地からも帰納的に導かれたものです。
人はどこまで行っても未熟ですけど、お釈迦様が言うにはエゴ(前に書きましたが「エゴ」そのものは悪いものではありません)を後退させ世のため人のため生きると言うのが高い次元の自分を得る方法だと言うことで、まあ精進あるのみなんですが、言ってること・書いてることと行動がいまいち一致しないのはここだけの話にしてくだせえ。
では!/おしまい。
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