仕事が好きになるかもしれないお話①。
こんばんは。
インフルエンザが流行っていますね。お身体にはくれぐれもご注意ください。
さて、事業所体験が残すところあと1日となりました。契約になるならないは別として、最後までベストを尽くそうと思います。
働いてみて思ったことを振り返ります。(まだ早いけど)
自分はうつ病を患っていますので、脳の思考回路なり感情なりに障害があってきっと会社・社会に適応できないだろうとか、仕事が途中で嫌で嫌で仕方がなくなる、などと決めつけていた時期があります。
こう言った知識の肉付け、理論武装が戦略的に好ましい方向へ働いているうちはいいのですが、しばしばその方向性が、自分に限界を設けてしまう負のベクトルへ傾くことがあります。
勿論、うつ病に限らず事故や病気などで思うように動けない、あるいは働きたくても働けず周りの心無い言葉に傷ついている人に、そんなのは逃げ口上だよ、みたいなことは口が裂けても言えません。
まずは病気をしっかり治すためにきちんと適切な医療サービスを受け、休養する必要があるのは言うまでもありません。
その段階でやっぱり自身の病気に関してはネットなどでリサーチしたくなるのが人情と言うものですから、どうしたって病気に詳しくなると言うものなのだと思います。
私自身がそうでした。薬をくっそ調べたり、前頭前野のある部分が不活性化し偏桃体が暴走し・・・、などと、主治医にまくし立てていたイタい時期もあります。
偏桃体に関しては、仕事などとも密接にかかわる部位です。原始脳と呼ばれる大脳辺縁系にある、対象に対する本能・情動レベルでの「快・不快」、「好き・嫌い」を司るところです。
私はこれがうつ病によりあらゆるものに「不快」サインが灯っているのだから、何やったって物事には前向きには取り組めないよ、と半ば諦観めいたものを持っていた時期があるのです。
事実その時は、知り合いの農家を手伝ったりしていた時も、田んぼに入って5分も経たないうちに嫌気がさす、と言うのが茶飯事でした。
ところが、ここ数日の仕事をしながら肌身感覚で感じたことは、仕事に没入するとゾーン、フローと呼ばれる領域に入るのか、集中力が途切れなくなりくっそのめり込めるのです。これは新たな自己発見でした。
ただ、仕事観のようなものをあらかじめ改めておく必要がありました。仕事を人生と言う大きなバックグラウンドでどのように位置づけるか?と言うことを自問自答したのです。いくつか仮説が出てきました。
ひとつは、私は微小妄想と呼ばれるうつ病のめんどくさい思い込み癖の中で、とりわけ心気妄想と言う、何かの身体のサインを重篤な病気の前兆なのではないか?とネガティブに捉え過ぎる傾向が強くありました。
これは、自己への執着が強いために起こるのだろう、と解釈し、自己への執着に割くエネルギーを他者貢献、と言う軸へ振り向けられないか?と考えたのです。
仕事はまさしく他者貢献のシンボリックな社会的活動であり、福祉用具ひとつ磨くにしても、その用具を使う障碍者の方とそのご家族、医療スタッフさん・・・と言った方々をイメージし、思いを馳せることにしたのです。
すると、心気妄想からかなり解放されました。そりゃあ自分の身体を壊したんじゃ元も子もないし、自分の身は自分で守らなければなりません。異常があればしっかりとした医療サービスを受けなければならないし、健康診断や人間ドックなども受けなければなりません。
そう言うことではなく、思い込みの部分で健康不安をいたずらに膨らませることから楽になれた、と言うことです。
エゴを後退させ、他者の笑顔のために働く。かっけえ!!(アホ)お金や地位、成功などと言うものは充実した自分の後についてくるものでしょう、きっと。
話は変わりますけどエゴってなんだか誤解を生みやすい概念ですよね。エゴって別に悪いものじゃないんです。人がなんと言おうと、自分の哲学や信念に基づき己を貫く。これはかっこいいエゴの表現の仕方だろうと思います。悪いことは駄目ですよ。
「これって自分のエゴでしかないんだけど・・・」と言う前振りをたびたび耳にしませんか?これはエゴの誤った使い方、と言うか、この前振り自体がその人のエゴです。悪く思われたくない、嫌われたくないと言う気持ちの表れですからね。別にダメってんじゃないんですが。
そして他者から押し付けられるエゴははなはだ迷惑なものです。ブラック企業のワンマン社長とか管理職とかに多そうですけど・・・。
つーわけで、「いま、ここ」にフォーカスして、今を全力で生ききるために、まずは他者貢献と言う軸を据えた、と言うお話でした。
そう言う解釈で仕事をとらえなおすと、働くことがそんなに苦痛なものではなくなった、と言うことです。朝の早起きはつらいですけどね。
続きはまた明日。では!/おしまい。
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