元気があればなんでもできる!…が、性犯罪はいけないよ。(暫定)⑦
どうも!
さてさて続き物である。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
さて、私事で恐縮であるが、どうも逆境ゾーンに突入していたようだ。
そりゃまあそうだ。どちらかと言うとその前までは脳みそおポンチ状態、ファンタジーの世界にいた訳で。
あ、一応地に足をつけることはしてたけど。どっちかと言うと受かれていた状態が長く続いていた。
まあ、それそのものはけして悪いことではない。
んで、今がどうも「底」。あるいはもっと落ちるかもしれない。
んな訳で。こう言う時だからこそ伝えられるものもあるだろう。そのように考え、本文をしたためる次第である。
布石は2~3週間前くらいだったか。
さる個人指導塾の面接であった。ここで「面接→試験」と言う長時間の緊張した流れがあり、薬なんかも飲まず実はなかなかにごりごりにエネルギーを削っていたのだな、と言うことは後になって分かった。面接・試験の最中は気を張っていたのだが、終盤間際、かなりくらくらしてきた。
んで、そのまま帰途につき電気屋さんへ。インクカ―トリッジを買う。(家でえろえろな画像を拡大印刷する為ですw)
店を出た後。ぐらっと来た。目の前の景色が霞み、立っていられなくなりたまらずにタクシーを呼んで帰宅、飯を食べて服薬し、休んだ。
この頃はまだ私の中の"意識高い"パ―ソナリティは健在で、
「なんだ!今まで何を頑張ってきたんだ!今までの頑張りを全部無駄にするつもりか!?頑張れ頑張れ!」
みたいなことを言うとる。
これについてはいずれ別の機会に詳述する。
うつ病には「心気妄想・貧困妄想・罪業妄想」と言う少々厄介な心のエラーがある。私は過去の経緯や蓄積からくる「心気妄想」(=自分が何か重篤な病なのではないか?重篤な病にかかるのではないか?などと過度に健康不安を抱くこと。)が強く、それがサプリにやたらとお金をかけるなどの健康おたく、健康への執着として表出していた。
勿論昔ほど酷くはない。だが、何か―とりわけ、「HPA軸」(=「視床下部→脳下垂体→副腎(→海馬→…)」あたりに何か負の反応があると、恐怖反応が発火しやすい。
んで、この間詰めていた歯が抜けたり(これ単体はどうってことはないのだが)、妙に出費を強いられる場面も多く、お金がない時期なのにあ~あ~あ~…、とお金の面での徒手空拳の時期も続いていた。
んで、2~3日前に、右あばらのあたりに妙な違和感を感じ(やはり「HPA軸」路線上)、恐怖反応が発火。昨日今日はかなりテンションが低い、と言う訳だ。体重もガバっと減った。
こう言う時に脳みそがもやもやと作り出す心気妄想特有の心の声は悪性腫瘍とか、認知症などの不吉なワ―ドである。んなもん、調べんと分からんやんけ。
ただ、「ああ、今はそう言う時期なんだな。」といったん状況を客観視し、あんまり下手に動かない方がいいな、とちょいと外側とは線を引いた。
こう言う時に下手に動くと、えてして問題が問題を生む問題地獄に陥りやすい。大事なのは、今の時期が天からの試練なのか、それとも過去の私が送り出した負の思考や感情が「因」となって、「果」として引き起こされているものなのかは分からないが、内側が「因」で外側が「果」な訳だから(体内で起こっているなんらかの自覚症状も「外側」と言える)、「負」の思考や感情を未来に向け連鎖させないよう努める。
そして悩みが悩みを再生産し、どうにもならん時は別に悩んだっていいし、ぐるぐるする時は今進行形で習得中の「言霊」(逆暗示の入りにくい軽めのやつ)を唱えまくるとか、普段聴いているアニソンがマンネリしてたから少し路線を変えてみっかな~、とか。もうあかん!となった時は眠剤飲んで寝るとかするのがいいのだろう。
あとは、目の前のやらなければならないことがあるのなら、それに集中・没頭すること(無理はいけない)、本の活字が頭に入ってくるのならこれをいい機会と捉え、しっかり刀鍛治の名工になったつもりで「自分の武器」を研ぎ澄ますこと。そして、自分を信じることである。
「病」と言うことで言うと、斎藤一人さんは、成人式まで生きられないと医師に言われていた程に病弱で、大病で命を落としかけたことも二度ほどあったと言う。
一人さんは言う。「嫌なことにワクワクできるかい?」と。
そりゃあそうだ。嫌なことがあったとき。自暴自棄になったり、愚痴を言ったり人生に不平不満を言うのは実に簡単だ。だが、こ~ゆ~のはえてして巡り巡って自分の所に跳ね返ってくる。
一人さんが言うところ、またいずれ、このコ―ナ―で詳述するが、イチローの言(趣旨としては、「越えられない壁はない」と言うこと)は本質は同じで、「ピンチはチャンス」と言うことである。
こう言う時も要は解釈の問題で、嫌なことが起きた時は、うん、ワクワク出来るテンションの時はワクワクする。後に来るのは「幸運のゴ―ルドウェ―ブ」だと。確信はあってもいいが、根拠は特に要らない。
また、逆境期は「学びの時」であり、「魂の成長が加速する時期」でもある。順境にあるときは、人間残念ながら学ばないのだ。
病気になったのなら。人に寄り添える優しさを学ぶだろう。一人さんは「愛と光の存在になりなさい」と書いてなさる。
んで、
「病気になっても心は楽しみな。」
とも言う。
こちらもど―ぞ。
体はきついかもしれないが、体に心まで支配されることはない。一時は落ち込まない人はいない。それではそもそも人間ではない。
ただ、落ち込んでも、一時は「なんでオレ(私)ばっかり…」ってなっても、いつまでもそれを引きずってはいけないし、人生なんてそもそもそんなものなのである。これを釈迦は「一切皆苦」と伝える。こう言う時期の過ごし方が重要になる。
「病気のときっていう、ふだんよりつらい状況で明るくしていると、神がすごく喜んでくれる」
一人さんの言である。
そもそも論としての、その人の神様を信じる信じないの違いはあれど、これまた解釈の問題なのかもしれない。とにかく、負の思念を引き継いだり、周りにばらまいたりすることなく、そして来る、明るい未来を信じること。これをキモとすれば、自ずとやることは見えてくるであろう。
昨日「鬼滅の刃」を読んでいた。(あんまり進んでいない)
この中に出てくる炭治郎の「志半ば」と言う言葉。この言葉が私の頭の中をぐるぐるしていた時期がある。
炭治郎の「志」は鬼舞辻無惨を倒すこと。そして、妹の禰豆子を人間に戻すことである。しかし、日々の鬼との死闘でいつ、その命を落とすか分からない危うい葛藤の中に生きている。
だが。これをやる時。やるべきことはあまりない。
きっと誰かが志を継いでくれる。釈迦は輪廻転生を否定しているが、なんだったら来世に引き継ぐでもいい。「志」はそのままに、今をしっかりと生きることだ。
耐え難い悲しみやストレスに晒されたときは、手を合わせて
「生きとし生けるすべてのものの、苦しみがなくなりますように」
と言うフレ―ズを「祈り」として唱える。「苦しみの手放し方」で、著者の大愚和尚は教える。
これは、「慈悲の瞑想」として今日にも伝わる教えだ。
人間にとって、もっとも愛おしいのは自分。私たちは無意識のうちに「自分は、特別な存在だ」と考える。
そして、私が、私を、私に、私だけ・・・・・・と、「自分」という、とても小さな尺度でものごとを見ているからこそ、悩み苦しむ。
「生きとし生けるすべてのもの」
に祈ることで、エゴが減り、思いやりの心が育むことができる、と言う。
「鬼滅の刃」の炭治郎の優しさはこの思いやり、利他の精神から来る優しさだ。「鬼滅の刃」はそんな、物質的なものが優先され、心が疎かになりがちな現代への警鐘であると同時に、現代を照らす光、と言えるかもしれない。
確かに、今までのジャンプの既定路線にはない作品だなあ。
私個人としては、この作品の作者さんである吾峠呼さんに興味があったりする。若い女性作家さんのようだが、"そ―ゆ―イミ"での興味ではない。どんな半生を送ってきた方なのか?その点に興味がある。
そんなところでこぜ―ます。では。/おしまい。