蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

「自分を生きる」と言うこと。①

  • 「健康相談」と言う名の人生相談
  •  「人」は支え合って「人間」になる。(金〇先生)

こんにちは。

 

昨日は恩師ご夫婦が我が家に来てがっつり呑み、今日一日二日酔い状態で作業していました。朝も三度寝くらいしてしまい出だしからしてヤバめでした。

 

この恩師は現在薬学と栄養学の博士、酵素栄養学の権威なんですが、何しろこう言うものを食べるな、とか、この薬はやめろ、とか声高に全国を行脚して触れ廻っているものだから、行政とか一部のお医者さんなんかにかなり敵を作ってしまっています。まあ、信念の人ですね。

 

昨日の講演は私はかなり遅れていきました。と言うか、着いたら講演は終わっていて、個別の健康相談の段になっていました。私はその後呑むことになっていたのでその場で待機しながら、本を読んだりしてたのですが呼ばれたのですね。

 

「健康相談」と言う名の人生相談

 

相談に来ていたのはお婆さん・・・には全然見えない、お孫さんのいる人。つまりお婆さんです。(何言ってんだ)

 

つまり、めちゃくちゃ若い。

 

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それはともかく、師匠が来ると言うことを人づてに聞いて、相談に見えたのだと言うこと。

 

そして、よくよく話を聞くと、どうも人生相談みたいな、立ち入った話になっているようなのです。

 

この師匠は親分肌の、面倒見のいい側面と、繊細な一面を併せ持っています。だから人望が厚いのですが、もともとは親分肌が突出していたようです。

 

ともあれ、健康相談にとどまらず様々な家庭の問題や、人間関係の問題、悩み相談にまで話が及んでしまうのはしばしばなのです。

 

で、心を失いかけている人が相談に見えた時はよく私が手招きされますw。

 

自分は何か立ち入った話に立ち入ったことを言うわけではありません。

 

ただ、何度も人生を諦めようとした生き証人として、公開処刑的にその場に座るのですw。こう言うやつもいるんだぞ、みたいな。

 

それはそれでいいのです。

 

でも、自分は曲がりなりにもうつヌケしつつあり、また人生の目的をまがりなりにも見出して、ようやく自分の人生を歩き始めました。自尊心や、自分の価値と言うものを見出したり、取り戻すこともできました。

 

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でも、多くの場合、目の前にいる相談者の表情は複雑なのです。

 

自分は無理。わが子は無理。旦那はさっぱり分かってくれないし、家族の理解もなくて孤立してもういっぱいいっぱいだ。分かってくれ。なんとかしてくれ。そうやって相談に来るわけですね。

 

私は私なりのやり方で、目線を合わせ、よく話を聞き、自分はこういう体験をして、恩師と出会って、と言うような話をする。一人じゃないですよ、と。

 

でも、それは運が良かったですよね、と言うような冷めた反応が返ってくることが多い。そこにやるせなさを感じるわけです。なんと言うか、噛み合わない。

 

恩師にせよ、私にせよ、結論として言えることはその相談に見えた方が、今この瞬間、どう言う生き方を選んでいくのか。常に選択の場に立っており、決めるのはあなたですよ、ってことなんですよね。

 

私はいまいち場慣れしてないし、子を持った親の気持ちが分からないですから、当事者意識を持とうと思っても想像力や類推力に限界があり、通り一遍の問答しかできないことも多いわけです。一般論にちょっと毛が生えたような。

 

師匠はかなり微に入り細に入り、アドバイスをする。そこで心を通わそうとする。

 

いつでも、橋渡しになっているのは心、情緒であり、根気強く腹を割って話すしかない。あとは、その人の失いかけた心の深淵に、ちょっとばかり火を灯すしかない。

 

「人」は支え合って「人間」になる。(金〇先生)

 

で、具体的な話です。

 

昨日見えた方は、小さなお子さんを持ったお母さん。そのお母さんです。なんかややこしいですけど。

 

そして、そのお母さんはうつ病なのか、他の疾患なのか詳細は聞きませんでしたが、なんらかの精神疾患を患っており、仕事も子育ても困難な状況にある。

 

旦那さんは船に乗っていてたまにしか帰ってこず、ほとんどお孫さんは、お父さんとの記憶も絆も確固としたものにはなっていない。

 

また、そのお母さんが出産時、危篤状態になったそうなのですが、その病床にいた彼女にかけた言葉が、

 

「おまえ、ちゃんと保険に入っているんだろうな?」

 

ってことだったようです。

 

その相談者の方は、そのお母さんの代わりにお孫さんの面倒を見、仕事にも行き、物理的・精神的にいっぱいいっぱいで追い詰められている状態。

 

その相談者の旦那さんは、あとで負担になるから堕ろせ、と言っていたらしく、子育てにはまるで関心がない。そんな家庭環境です。

 

今の時代、虐待親とか、DV夫、ハラスメント上司とか。

 

夜寝て朝起きて、生活の大半を自分にストレスやプレッシャーしかかけてこないような人と人間関係を育んでいかなければならない状況にある方はもう、枚挙にいとまがないでしょう。本当に気の毒だと思います。

 

そんな中で、自分の立ち位置を、居場所をどう確保し、ほかならぬ自分が幸せになるために、自分の価値を見出し、自尊心を取り戻すか。あるいは取り戻してもらうか。

 

これは個別具体的な話になってくるので、共通解は今のところないんですよね。

 

とは言っても、最善は尽くさなければなりません。

 

その相談者の方であれば今現在家族の中で孤立している状態にありますから、ずっとその空間と時間しか見えていなかったわけですよね。世界が閉じていたわけです。

 

勿論仕事に行ってらっしゃるとのことなので、公の場での人間関係は築けていたでしょうけど、あくまで視点は自分にフォーカスし、にっちもさっちもいかなくなっていました。

 

でも、です。

 

娘さんのこと。娘さんの旦那さんのこと。彼、彼女たちの話に及ぶと、

 

「こうしてみたら?」

 

と言う持ちかけに、

 

「いや、娘は絶対そんなことはできない!」

 

「その旦那は何もわかっちゃいない!」

 

と言う強い決めつけ、思い込みが見られました。まずはここをほぐしていくことから着手したのです。

 

確かに、他人を変えることはできません。自分を変えるか、環境を変えるか。よく言われることです。

 

ただ、今この瞬間に、自分がどう言う生き方を取り、どう言う人生に舵を切っていくのか。これは全ての人に与えられた選択権・特権であり、人は自分の運命の支配者なのです。そのことは必ず伝えなければなりません。

 

そして、何を変え、何を受け入れるのか。その境界線をどう見極めるのか。

 

その背中を見せることでしか、他人を真に心を揺さぶり、動かすことはできないような気がします。本当に重たい話なんですけどね。

 

説得も必要でしょうし、協力を根気強く求めることも必要でしょうし、あるいは行政の力を借りるなどして、物理的に孤独であることを回避することも大切です。

 

ただ、立ち返れば人は本質的には一人です。誰かとリアルで、ネットなどで繋がっても、基本的には一人です。結局のところは自分の人生は自分で創っていくしかない。自分の人生に責任を持つこと。自分だけは自分を見捨てないこと。

 

その上で、自分の居場所を確保し、人に何を与えることができるのか。どう言う役割を果たすのか。他者を通して自分を深く知ることになります。

 

心の問題。

 

心の育っていない人は本当に多いですし、自分とて育ってはいないのですが、「認知」の相対的な違いであったり、育ってきた環境、価値観。

 

何もかも、人は違ったものを持っており、個別性があります。それでも、だからこそ自分は心のことを深く知りたいと思っています。

 

さてさて。そんなこんなで。

 

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恩師と呑んでいるときもそうだし、相談者の人と話しているときもそうなのですが、恩師は私に、

 

「死にたいなら死んだら?

 

と言ったそうなのです。私はそれを覚えていないのです。そのことがよく話題に上ります。

 

確かに毎日死にたい死にたい思ってましたし、人・・・には言わずとも、家族にもそう言ってたな~、と言うこと自体は覚えています。

 

恩師がそれを話題に出すときは、ビミョ~に私の声真似も交えています。

 

記憶として引き出せないこともあるのかもしれませんが、ともあれ。

 

うつ病の人にそれ言ったらまずいっすよ。」

 

て話に現在は落ち着いていますw。

 

あ、別に恩師はやばい人とかではないですからね。

 

では、そんなところで。/おしまい。

 

 

 

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