メンタルがヤバい人向けの引き寄せ講座。②
- 人事を尽くして天命を待とう
- 「友情・努力・勝利」の罠
- 尖った天才性を開花させる
こんばんは。
昨日に引き続き、「引き寄せ」に関する話ですが、ちょっと脱線したり、変なベクトルへ話が派生したり、逸れたりすると思います。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
昨日は潜在意識に入る思考を丁寧に慎重に選ばなければならない。
また、正しい選択のもと正しい努力と行動が必要で、そう言う意味では「引き寄せ」は願望だけ抱けばいいと言うものではなく結構泥臭いものですよ、と言うことを書きました。まあ、当たり前と言えば当たり前なのですが。
ただ、あまりにも神経質になりすぎて、本音に蓋をしてしまったり、ネガティブな考えを頭から追い出そうとか、考えちゃいけないとか、そう言う極端な話ではもちろんないし、そもそもそんなことは不可能です。
「不安になるななるな」
と言い聞かせれば余計に不安が強まるのです。嫌な出来事が起こったりすれば誰だってネガティブになります。
人事を尽くして天命を待とう
ひとつ念頭に置いておいていただきたいのは、別にそう言う出来事は「引き寄せ」によって引き寄せたものではなく「たまたま」起こっているのだと言う認識を持つこと。
あとはネガティブな、あるいは否定的な思考や感情はけして避けなければならないものでも、目を逸らさなければ、殺さなければならないものでもなく、あるがまま認め、受け入れ、感じ切ってよいものです。
つまり、何か行動を起こして一定の結果が得られる。この結果そのものはコントロールの領域外のものであると言う認識を持ち、「引き寄せ」とはいったん切り離して考える、と言うことです。
これで結果に執着し、結果を、ひいては人生をコントロールしようとする欲求から少し距離がおけます。
まずはこれが一歩目です。
よく陥りがちなのが、例えば天災や地災などが起こったとして、その被害を受けて、これは自分のネガティブな思考のせいでそうなったんだ、自分が引き寄せてしまったんだ、と余計にネガティブスパイラルにはまってしまうパターンです。
これは違います。
人生、嫌なことはたくさん起こりますが、あくまで自分を起点としているなら、それは最適のタイミングで起こり、何かを気づかせてくれるために起こる、と言う解釈のようですね。
その前提の下で・・・。
「具体的な行動」の話です。
簡単に言ってしまえば、「エゴ優先」の行動が執着を生み、願望に紐づいた目的から乖離してしまう要因である、と言うことです。
ここに逆説的にエゴを融解させる行為をもって「世の為人の為」、あるいは「公の為」・「他者貢献」と言う軸を取り入れていく必要があるのです。
このことによってのみ、人生の本来の目的である精神の、魂の成長を遂げていくことができる、と言うことなんですね。
「友情・努力・勝利」の罠
ただ、です。
私自身、ちょっと前まで陥っていて、未だたぶん完全には脱し切れていないのですが・・・。
「真面目」とか、「努力」とか、「若いころの苦労は買ってでもしろ」とか。
それはそれでもう大変立派です。
もう我が家の母親などは三番目のフレーズがもう大好きで、私は幼いころから今に至るまでこの言葉をシャワーのように浴びせられてきました。いや、もう若くもなんともないんですけどねw。
あるいは某週刊漫画雑誌の「友情・努力・勝利」とか。あるいは清貧主義とか。
日本人はとりわけ、こう言う国民性や文化をより強固に育んできていて、あたかもDNAレベルで、と言ってもいいほどに心身に染み付いているものです。
会社組織などに入れば、結果を出すならどんな方法であれいいわけですよね。
例えば何かを集計するなら電卓でもいいし、Excelでもいい。
でも、管理職以上のおっさんで、
「なんだこれは!電卓を使え!」
って人は未だに多いのだと聞きます。
これは勿論、おっさん連がこう言ったソフトやアプリなどに馴染んでいない、と言うこともあるわけですが、上述したようにあまりに多くの人が、もう幼いころから努力努力言われてきているもんだから、真面目に、苦労して、頑張って、努力して、ってことを目的にしているのですね。
私自身、ちょっと前までこの価値観が呪縛になっていました。
会社組織においてはぶっちゃけ社長以下、上司に気に入られればいいわけです。
だとすれば、Excelで集計して結果を出しておき、あとは電卓を叩いた”フリ”をすればいい。
そう言う意味での効率や要領、世渡りと言うものは必要ですし、そう言う意味での結果へのコミットは絶対に必要です。これは「結果に執着する」こととは根本的に違います。
尖った天才性を開花させる
てなわけで、ちょいと話は逸れましたが、「正しい選択」で「正しい努力」を、と書きました。
「正しい努力」をしないと、シンプルに才能を開花できません。運も味方しないでしょう。
出来ることなら第三者的な人の指導で適性を見極めてもらえれば一番いいのですが、ごくごくシンプルに、なんだかやっててワクワクすること、好奇心を駆られて知らず知らず時間が経っていた、なんてものは、その人の才能に紐づいている可能性が結構あります。
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と~とつに、書籍を無造作に列挙しましたw。ただ、一貫したテーマがいくつかあります。
長い間、ダーウィンの「進化論」が生物学などの分野においてセントラル・ドグマ的な位置を占めており、1950年代くらいですかね、フランシス=クリックの「DNAの二重らせん構造」の発見が、それまでの「氏か育ちか」論に終止符を打ったかのように見えます。
しかし、です。
「あの人は天才だ!」
なんてフレーズが使われるその水面下では、その当人の血のにじむような努力がどっしりとその土台と屋台骨を支えており、”天才”として世の脚光を浴びるのは水面の上に覗いているその人の特性のほんの一部、氷山の一角でしかありません。
つまりです。
ここ最近の生物学や医学の知見では、歴史上いったん終止符が打たれたように見えた「氏か育ちか」論。
実は、「遺伝+環境」と言う足し算ではなく、「遺伝×環境」と言う掛け算・相互作用で、人間の才能と言うのはいかようにも開花していくのだ、と言うことがはっきりしてきたと言うのですね。
比較的安楽な領域に安住せず、長期にわたって連続的に身体的活動に取り組むことで、一部の生理システムの細胞に異常な状態がもたらされます。
こうした生化学的状態に誘発されて、細胞のDNAに大量にある不活性な遺伝子の一部が活性化、スイッチがオンになります。
これは三番目の著で、「集中的訓練」によってもたらされる恩恵だとされています。
「快適領域」と言うフレーズをしばしば使っていますが、シンプルに(でもないか)言えば、長期にわたり、この「快適領域」から少しはみ出た「学習領域」と呼ばれる緊張度をもって訓練、努力を積むことが、尖った才能を開花させる一番のカギになるのだ、と言うことです。
これらの書籍から得られる見聞はもう少し継続して触れます。
だから、まずは今日の所は、「努力すべき」ピンポイントで正しい努力をしましょう、ってことですね。
では。/おしまい。