蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

世界の片隅に咲く汚い闇。

どうも。ゲルマン娘と温泉宿でしっぽりするのが夢です。めんつるでございます。

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スマホの無料のボイスチェンジャ―で遊んでたんすが、女の子だのヘリウムガスだの宇宙人だのとバリエーションが色々あるんで、とりあえず女の子に、

 

「や~い、めんつる君の性欲オバケ~。」

 

と言わせてみたら、何かが変わったのかよこの野郎。

 

50の親父が部屋で何してるんだろう、とふと我に返る。

 

最近はいいカンジで脳みそお花畑にはなってはきているが、則ち煩悩にまみれている。

 

自分の心とか脳みそって言うのは人にはとても見せられたものではない、と古の偉人さんも言うてるのでまあいいや、となった次第である。

 

さて、前回、前々回あたりからの続きなのである。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

 

ネガティブな感情や思考などの取説みたいなのを書いてるもんで、ちょいと一記事一○主義だとその記事がくそ重たくなったりする。なんとかならんものか。

 

まあいい。

 

さてさて、ここまでは恐怖記憶の膿出し(※今のとこその人にかかる負担をできうる限り下げる手法を模索中。〉を図り、ポジティブなエネルギーをぶっ込んでかつ、ニュートラルとか中庸を育てる的な流れで書いているのだが、手強い課題がまだある。

 

所謂「自己受容」と言うテ―マなのだが。

 

これが板についてくると、なんつ―かやわらかメンタルになり、人生がとても楽になる。

 

大きな流れやうねりに逆らわず、自動運転に乗るときゃ乗るし、いや、これは別にやらんでもいいでしょ、みたいな「今ここ」の一瞬一瞬のチョイスを、

 

「心(魂)→頭」

 

みたいな順番で(別の感覚が鋭敏になる方もいる。)出来るようになっていくだろう。

 

たまにネガティブな結果を招いても、あるがまま受け止め、ケセラセラ~♪みたいな感じでゆるゆるっと心に余裕を持って過ごし、ピンチをチャンスに変えてしまえるだろう。 

 

自己否定が往々にして強い方が実は、ここで強みを発揮するケ―スが多い気がする。

 

勿論、最初は上手く行かないのが普通だ。「自己受容」の難易度は高い。

 

例えば、こんな総合カリキュラム(?)を作るとする。

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1.思考のアンバランス(認知の歪みとかネガティブ・バイアスなど)の矯正

 

2.(自己)受容の練習や習熟

 

3.メタ認知的なポジネガ・善悪みたいなのを超越した自身の視点の確保と洗練化

 

4.睡眠・運動・栄養で基盤を作り、様々な手放し・受容・癒しテクやコ―ピングレパートリーの武器選択と習熟。

 

5.ブラチラ

 

あたり。

 

どれも大変だが、「1」はまあ、ストレスは少ない。あんまり日々の取り組みがこつこつし過ぎてるもんで、放り投げちゃう危険はあるが。

 

「2」とか「3」は、分かりやすいとこでは瞑想が有効だ。

 

「マインドフルネス」はまあ、どちらも養うものだが、修行色が濃く挫折率は高い。

 

超越瞑想」は、自身の深いところへ潜り込んで行くのだが、なんつ―か古い恐怖記憶の膿出しのカウンターがきつい。

 

「慈悲の瞑想」は癒しのホルモンであるオキシトシンを出し、また育ててくれるが、多くはなんで嫌いなやつの幸せをも願わにゃならんねん、怪しい宗教か!ってなって挫折する。

 

どれも一長一短なところはある。願わくば指導者のもとで、とは思う。

 

しかし、一人ででも実績をこつこつ作れば、

 

「いや、ここまでやったんだから…。」

 

となるのが人間だが、はたまた三日坊主になりがちなのも人間である。三日もやれば、瞑想のバヤイはまあ十分に立派な部類に入ろう。

 

またいつかやればいい。帳消しにはならんのが脳とか心とかのいいところなのだ。

 

「脳とか心とか魂とか人生とか」。

 

こう言うのには一切の無駄はない、と思う。

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「自己受容」なんて最初は何かこれ効いてんの?とすらなる。「インナーチャイルドの癒しワ―ク」みたいなことをやって秒単位で放り出す。

 

しかあし。この最初の一歩は確実な一歩だ。まあ、確実に1つの穴を掘ったんである。

 

こつこつやって二週間くらいやったけどザセツしました。

 

うん、それは大変やべえ。あなたは天才か。

 

そんなような。

 

何かの拍子で「カチッ。」とパズルのピースがはまったな、って瞬間はないだろうか。

 

何気にだらだら動画観てたら、配信者がこれこれこ―言うことを言ってた、と。

 

だから、大昔やった「インナーチャイルドの癒しのワ―ク」とかがちとトラウマになってんだけど、どれ、とやってみたら、自分のネガティブなとこだのをすっ、と突然受け入れられたりする。

 

前あんなに頑張って出来なかったのにい、とか思うのだが。

 

インナーチャイルドの癒し」と言うのは、自分の弱さを受け入れる、って意味で「自己受容」にくくらせてもらったが、人は往々にして、そう言う自分のダメな所を排斥したがるものだろう。

 

ダメ出ししまくったり、超上から目線になったり自責に囚われたりするものだろう。私がそのタイプだったもんで、まあきついこときついこと。

 

「自我vs真我」のとことも繋がる話なのだが、ひたすら己の敵をぶっ倒しまくる過程と、受け入れ・共存する過程ともまた、精妙に根底で混じり合っていて無駄がない。

 

だが、ここの進行のストレスが多い人はなんつ―か武骨なタイプで、ここが比較的早い人は器用な所がある。

 

これまた、どっちがいいとか悪いとかではなく、苦しいプロセスを経た人はその分精神に深みが出る。


 
まあ、つう訳でどうしても人生がそう言うパラドキシカルなややこしさ加減を持っている以上は、どうしたって楽な方法追求には限界がある。

 

より精妙で真理に近いのは、西洋的なネガティブの排除・切除、ってのより、ボジもネガも両方受け入れ、全てを自身の糧や力などに変える、って言う東洋的なやり方ではある。

 

「相補性原理」ってのがあって、要は物事から世界のあり方に至るまで、白か黒かの二分ではなく、灰色のグラデ―ションであり渾然一体なのである。このワケわからなさ加減とか、自分はそもそも生きてんだか死んでるんだか分からん幻想だとか、時間軸も幻想で「因果」なんてもんも逆転してるとか、そもそもあるんだかないんだかよく分からん、みたいなのが東洋っ"ぽさ"ではある。

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だが、古い癒されていないネガティブなエネルギーが多いと、色々人生の難易度が爆上げのまま生きにゃならんくなるので、ここのテコ入れもやっぱり必要だ。

 

まあ、また長くなってきたんで締めます。/終

 

>ハマサンス様(https://b.hatena.ne.jp/hamasansu/bookmark

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コメントありがとうございます!

 

ポジティブな言葉は大切ですね。私は仕事中は言霊をぶつぶつ心の中で唱えたりしてます。

 

ヒソカは怖いんですけど、対主人公との微妙な立ち位置の変化が面白いですね。