「潜在意識の流儀」について前戯チックに語る。①
どうも!誠に久方ぶりでございます。
まあ、日常はバタバタしてるんだけど、そんなに目が回るような、ってほどでもない。
ただ、税務署の接客中はフェイスシ―ルド&マスクア~ンド黒ぶちブルーライトカットメガネ、って出で立ちなのだが、異様に息苦しく、一度酸欠っぽくなった。
よく見ると、職員さんは上手く頃合いを見てマスクを外し、酸素補給をしているではないか。
はよ言って。
なんか疲労から来るものだらうか?などと余計な心配をしてしまったよ。
酸素補給をするとメガネが曇る。曇り止めを買おう、などといつも思うのだが、仕事が終わるとけろっ、と忘れている。
しょ―がないから雑多帳にメモったが、それでも今度はそのメモに書き込んだこと自体を忘れており、家に帰って飯食った後メモ帳をなにげにだらだら見てああ、そうだった、とか気づくのだが、外に出るのがかったるくて明日でいいや、とか先送りしたりする。
まあいいや。そのうち、ってことで。
そのくせ、ヘンなサプリや本とかの類いはメモらなくてもしっかり覚えている。なんじゃこの差は。
てなとこで近況報告でございました。
さてさて、そんな絡みもあるのだが、私のところに連絡をしてくる友人筋で、コロナ不安でまいっておりなんとかならんかね、ってことを言うのがいるので、ちょいと対策を考えてみた。勿論複数人に共通であてはまるとことオ―ダ―メイドのとこはある。
当たり前だが、根底にはストレスがある。さすがに精神科や心療内科にかかるレベルではなさげだが、強い漠然とした予期不安を持っている感じだ。当然ながら、私の立場としては運動を倍プッシュする。
いつもの我がバイブル本を2冊。
ただ、である。
運動を奨めて、よし、やってみる!ってなる人間は私の仲間内にはいない。悲しいくらいいない。やれ腰が痛えだの、疲れているだの、めんどくせえだのの返事が返ってくる。
次に考えるべきは、ここの"腰の重さ"をどうクリアするか?である。勿論、頑張れ!だのなんだのと発破をかけたところで、ただの根性論とか精神論と変わりはない訳だ。
彼らに共通して起こっている現象って、なんだと思います?
まあ、コ―チングとかカウンセリングなんかに興味のある方はすぐに分かると思うんですけど…。
いわゆる、「潜在意識の現状維持メカニズム」ってやつがブレーキになっている。勿論、諸々の日々のストレスやら疲労やらもあるのだが。
で、この現状維持メカニズムやらホメオスタシスやらについては、私めはまあまあ過去に泥臭い取り組みの蓄積、ストックがある。いくつか、語れるところを語る。
まずは、日常に何らかの変化をつけよう、とか思ったとき、最初の第一歩が一番エネルギーを要し、ここの「最初の第一歩」をほんっと~に、少しの量でいいから丁寧にニ~三日丹念にやりましょう、ってとこ。これは基本中の基本である。
変化を嫌い、生存本能ゆえに脳は変化しない、冒険させないことを望む。いわば心配性のお母さんだ。
このお母さんをなだめすかし説得するために、変化しようとする我々は涙ぐましい努力をする。潜在意識の書き換えだの、ブロック解除だの、感謝リストだの波動を上げるだの・・・。
肉をまとっている我々は、要は心のお母さんが97%とかで、対して3%とかの力しかない。圧倒的なポテンシャルの差。いくら頑張っても、努力しても、顕在意識が白で潜在意識が黒とかだったら、まあ絶望しかない。
そんな訳で、次の手を打つ。子供は自立をしなければならないのだ。いや、イメージ的には"黒"の反対派お母さんを徐々にグレ―に染めていき、最終的にオレ色に(限りなく)染める。
結構アファメーションしようだのイメージングしようだのワクワクしようだのの本は山ほどあるのに、"3%の我々"が三次元世界で如何に振る舞うか?について触れている書籍なりネット情報なりは、それに比して著しく少ない。
これもたぶん、スピリチュアル・自己啓発難民を量産する一因なのだろうな。
要するに、我々は「潜在意識の流儀」とも言うべき行動原理で動く必要がある。「」内の言葉は石井裕之さんのフレ―ズを拝借した。
潜在意識には「全体性」ってのがある。
何かって言うと、潜在意識にも経済担当、健康担当、人間関係担当、自己実現担当だのと、あらゆる分野の担当大臣がおり、バランスを取っている。
例えば、だ。私の過去の例をとってみる。別に不幸自慢とか自分語りの類いではない。
私はうつ病にかかった時は本当に苦しかった。以上。
ここで何が起こっているか?
まあ、健康担当が発しているシグナルに気づかなかったのかもしれないし、人間関係がぎくしゃくしていたのかもしれない。そう言うあれこれの積み重ねで強いストレスがかかり、落っこちる。長い人生、こんなこともある。
ただし、一つの分野でどん底に落ちるとき、全部の分野が破滅的にどん底に陥るわけではない。私は少なからず経済担当に助けてもらったが、アホだから当時流行っていた投資に走ってしまいすっからかんになったどころか、借金までこしらえた訳だ。
ああ、もっと早くにこ―ゆ―の知っておけば…。潜在意識なんて、頭文字すら知らんかったもんな。日々日々「セン○リ」しかしてなかったよ。
ともかく、そう言う原理は働いている。んで、大事なのは逆の視点だ。どん底から這い上がるとか、逆境を抜けるとかをやる時に、多くの人が陥る罠がある。
またもや私の例で語る。
私はもう、死の恐怖やら死の衝動やらに振り回され、一方で膨らんでいったのは限りのない健康への憧れ、執着である。人生の優先順位で言ったらこんな感じだ。
1.健康
2.健康
3.健康
だから、健康を得るために少ない障害年金をためらいなく怪しげなサプリにつぎこんだり、ドクターショッピングをしてやれあんたの診断ではホントのところは分からんだの、ネットでこんな薬を見つけたから出せだのと、実にめんどくせえ患者になっていた時期すらある。ごめんなさい。
だからこう言うときは、うつ病さえ良くなれば、健康さえ手に入れればオレは幸せになれるンだ!的なオ―ラがたぶんえげつないほどに出ている訳だ。
別の方の場合だと、例えばいきなりリストラに遭ったとする。これとて悲劇だ。まあ、落ち込まない人はいない。
んで、失業手当が出て、とりま体調とかは悪くはないからぼちぼち求職活動しようか、などと重くても腰を上げる時が来るだろう。これなら十分に現実的な対処と言える。
確かに、経済担当がコケたかもしれないが、失業手当などのセ―フティネットや退職金などの引き当てもあるし、なんとかなる領域である。
例えば身体がまあ元気とかなら「全体性」の観点から、全部がコケる、と言う訳ではない帰結である。全部コケたら、その人は永遠に破綻してしまう。
しかし、だ。
この人が何か、スピリチュアルとかをオカルト的に信じてこじらせていたり、自己啓発マニアとかになってっちゃったらどうだろう?
こう言うタイミングで、宇宙にオ―ダ―すれば全てが思い通り!みたいな本を書店で見たりすると、妙に心が浮わつく。
早くラクにもなりたいし、現実を思い通りにもしたい。まあ、気持ちはすごく良く分かるし、別にその手の本は必ずしもウソは書いてないので、そこにちりばめられているワ―クの類いをやるのもいい。
ただ、さっき書いた通りそれをやりながら、あるいはどこかのタイミングで、"3%の私"は現実面では「潜在意識の流儀」や「全体性」と言うものを意識した行動原理で、トライアンドエラ―を行う必要がある。ここが肝要だ。
私は「健康×3」だったけど、この人ならさしずめ「お金×3」と言ったところか。私の例の方が恐らく分かり易いので、私の例で語る。
「潜在意識の現状維持メカニズム」を味方につけるもう1つ(もう何個かあるけど)は、この「全体性」を意識し、「全体の底上げ」を行うことである。健康面だけ改善しよう、などと思ってもほぼほぼ上手くいかない。まあ、「運」と言った方が通りがいいかもしれない。
健康だったら、健康運、仕事運、金運、恋愛運(私はさっぱりですがなw)などなどが、手を取り合って上がっていく感じなのだ。勿論、エネルギーの回復の見極めも大事であるが、これは別口で触れる。
目安としては、ちょいと挑戦するのに勇気が要るような課題や舞台に飛び込むこと。
そして、そこで自己成長して、例えば過去の私ならば健康面での悩みのスパイラルのステージから、それを一歩俯瞰できる視点で眺められる所まで上がっちゃう、ってことである。
こうすると例えば、人生の優先順位が下記のように書き換わるかもしれない。いや、現状私個人はまあまあそうなっているのだが。成長しているかどうかは知らないw。
1.仕事
2.お金
3.健康
なかなか健全な優先順位ではある。
ただまあ、私の場合は少しばかり仕事中毒なところがあるので、そもそも仕事が嫌いですとか、仕事そのものが人生の最大の悩みの根源です、って方は話半分で見ていただくほかはないのだが、それでもやはり、「全体性」ってとこで言うのなら、仕事は重要である。
まずは「仕事」と言うものの解釈を書き換えるのはいいかもしれない。ただただ生活のため、とか、お金のため、とか、親が大人がそう言うからとかではもう苦痛でしかないのはたぶん私も同じである。
1つは「全体性」って観点で底上げをする訳だから、ああ幸せになるためには欠かせないよね、とかでもいいかもしれないし、自己成長のためでもいいし、徳積み、ってとこでもいいかもしれない。まあ、そこらへんは色々だ。
話がいつものように長くなってきたので一旦区切ろう。
ユングは言う。『抵抗するものは蔓延る』と。
誰でも悩みを持っている。人間関係のこと、家族のこと、持病のこと、借金のこと、自分の性格のこと…まあ、色々だ。
んで、仕事をしている間も、その悩み事は脳みそのどこかで常にネガティブに居場所を確保して、若干膨らんだり縮んだりを繰り返しながらも、絶えずメモリを奪っていく感じかと思う。
少なくとも、まずこいつへの向き合い方として、何度も言う「全体性」ってとこを踏まえるなら楽にフォーカスをずらせるか、もしくはそれがどうでもいい、って所に自分を持っていく必要がある。
悩み事をどうこうしようともがくと余計ドツボにはまる。まあ、お釈迦様が言う「無明」も似たようなニュアンスだ。
そんなとこを語る布石を打ちつつ終わります。ではではまた。/おしまい。