蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

言霊と潜在能力と運。②

どうも!「ウンコの力」と間違えて「ウコンの力」を飲んでしまっためんつるである。

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さて、1/26からめでたくトリプルワ―クと相成った。


いや、それはそれで個人的には大いに結構だしまた、普通のサラリーマンや公務員の方にしたって週5~6日フルタイム+残業がデフォルトな訳だから別に、相対にせよ絶対にせよ大変だ、ってことでもない。


しかし、だ。


家庭教師先の自宅への交通の便が悪く、下手をすると吹きっさらしの駅の構内で暖房もなしに、2時間以上過ごさなければならない事態になりかねない状況下にあり、これだけはとりあえず避けたいところである。


誰か…あっためてくれやせんかのぉ…。若いおなごの人肌がええのぉ…。


いや、そ―じゃなく(それはそれでいいけどさ)、今家庭教師先のお母さんと相談中なのだが、片道30分か40分とかの我が家まで送迎します、とまで仰る。何故にそこまで!?


内陸にあるので、海っぺりより雪が降りやすいのである。ご好意は大変ありがたいが、心配で仕方がなくなってしまう。

 
う~ん、昔のTV番組みたいに飛び込みでどこかの家に行き、男芸者と家事手伝い、うら若き嫁入り前の娘さんがいるなら◯◯◯も・・・。


ああ、ろくでもない知恵しか浮かんでこない。困った脳みそである。


と、言う訳でしばらくは、この「困ったおつむ」とどう向き合うか、ってとこをテ―マに扱う。(繋がった。)


とりま、「言霊と潜在能力と運」ってとこで語っている訳であるからこの文脈での話にはなるが、まあ色々なものを組み合わせ、日々試行錯誤と改善の繰り返しである。

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その根底にどう言う背景があるか?と言ったことにも勿論関心はあるが、例えばスピリチュアル的な話と心理学であるとか、脳科学であるとか精神医学であるとか。


これらをこと"研究"や"学問"ってとこでやろうとすると、やっぱり結構相容れない所があり、下手すりゃ「トンデモ科学」として科学の信奉者にはくそみそに叩かれるであろうし、少なくとも研究費が下りる分野ではあるまい。胸に秘めてこっそり楽しみながらやる分野である。


それはそうと。
 

何から語ろうか、と言うことを考えるに、やはりドン底であるとかずんどこであるとか、逆境にあるときの「言霊」の存在のでかさ、ってとこであったり、また、最近個人的にホットな視線を向けている脳みその「グリア細胞」ってとことか。あとはちょいと掴み所の難しい「運」ってとこ。ここいらを包括的に組み合わせる。


最初に、「グリア細胞」と言うやつに触れる。

 

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)

実験医学増刊 Vol.37 No.17 脳の半分を占める グリア細胞〜脳と心と体をつなぐ“膠"


これがどう「言霊」なり「潜在能力」なり「運」なりに関連性を持ってくるのか。結論から言うと、「知らん」。「知らんから面白い。」となる。

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さておき、とりまこいつについてつらつらと語るが、さわりの部分については何かサイトを貼り付けるとしよう。


論文やら学術的なやつは避ける。

 

www.nikkei-science.com

「中枢神経系」は、活動電位の伝達を仲介する約10^12個とかのニューロンから成るネットワークなんだけど、こいつは確かに非常に重要ではあるが、神経組織を構成する細胞の約90%はグリア細胞なのである。

 

発見当初、グリア細胞は不活性な解剖で、物理的にニューロンを支える役割を務めている、つまり「glue」(=接着剤)の呼称であまり重要視されてこなかった。

 

しかしながら現在では、グリア細胞は、恒常性の維持や発生の過程において、能動的かつ重要な役割を担っていることが分かってきた。

 

もう1つ。

 

脳と宇宙。構造的に奇妙な一致する点が多々見られる。とりわけ、まだ人類が全く解明できていない宇宙の暗黒物質、ダ―クマタ―と言われる部分と脳みその中で水が占める割合が70~80%と類似していたり、いわゆる人の小脳のニューロンと銀河の数ってやはり数的にも近いのだが双方、全体から見たら約3割とかに過ぎないとかの話。

 

www.newsweekjapan.jp

 


www.kango-roo.com

 


karapaia.com

 科学で解明されていることなど、実に微小であると言える。ましてや、「心」ともなれば尚更だ。

 

グリア細胞」を増やすことも可能であるしまた、様々な脳神経系、とりわけ神経変性を伴う現代病である「心の病」とか認知症なんかとの関連性や相互関係やらは、引き続き調べ中である。

 

さてさて。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 話はがらりと変わる。

 

前回の記事からの反省なのだが、アファメーション文を作るとき、「誰よりも~」だの、「歴代一」だのの枕詞をいちいちつけたがるのだなあオレ、と思い、やはりまたアファメーションを書き換えた。

 

たぶん意識の高い私の中のパ―ソナリティの発言力が強く、時折こいつが主導権を握り力みを生んでしまうことがある。

 

それがいいとか悪いとかではないのだが、基本的には上には上がいるのが世の常で、高ければ高い方がいいとか、大きければ大きい方がいいとか、多ければ多い方がいいと言うのは、どっちかと言うとアメリカンな発想だ。

 

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悟りだの真理だのは、求めるものではなく「そこに在る」ことに気づく、と言うことでもある。

 

幼馴染みがおもろいことを言っていた。私はもともとは銀行だの役所だのに勤めていた人間だから、最初から佛教哲学的な所に関心があった訳ではない。

 

半沢直樹ってあるじゃないですか。私はあんまり観ていないんだけど、確かに銀行ってとこはノリとしてはあんな感じである。

 

「酒!カネ!女!セ◯クス!」

 

みたいな世界に生きてきて、大蔵省(今だと金融庁)の接待班が本部にあった。官と都銀の癒着の話題がすっぱ抜かれて、宝島あたりで風刺本が出たりもしたなあ。

 

はみ出し銀行マンの勤番日記 (角川文庫)

↑こちらもおすすめ。多分当時地銀トップの横浜銀行の行員さんかな?かなあ?

 

話は思い切りズレるけど、私が最初に配属された支店は地域の統括店で規模が大きく、支店長がいて副支店長が二人いたんだけど 、副支店長のうちの一人は現場を知りつくし、かつ本部経験もあるホネのある人物が、もう一人がアメリカ帰りとかの、割かし出世ルートの最前線にいて現場経験が少ないと言う、まあ分かりやすいタイプの人が配属されることが多かった。

 

前者の副支店長を「A」氏、後者を「B」氏と呼称する。

 

私がこのお店にいた時は支店長は二人入れ換わったんだけど、双方ホネのあるキモの据わった人物で、人格的にも優れていた。

 

蔵検(大蔵省の検査)が入る、と言う情報が入る。こん時大体大騒ぎを始めるのは、副支店長Bである。もう笑っちゃうくらいに。

 

 それはともかく、お金なんかを扱う仕事を長いことやっていると、どうにもこうにも「自我執着心」と言うやつが強化されがちになる。職業病と言うやつだ。

 

んで、とりわけ銀行と言う所は色んな意味で、どうにも「業」を積みやすい因果な商売と言える。まあ私はすぐに退いたが、結果的には良かったなあ、と振り返ると思う。

 

幼馴染みは今は大手の電機メ―カ―の管理職をやっている。

 

何やら中学校の時から部活でおもむろに坐禅を組んだりして先輩に竹刀で殴られたりしていた。(※一緒に剣道部に入った。)

 

仏教徒ではないが昔から妙に佛教的な話に詳しく、それ系の本なんかも随分読んでいたようである。まあ、趣味なもんだから本人は語りたい訳だが、私含めどっちかって―と話を聞いていたのは変わり者の部類に分類される。

 

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「悟り」とは。

 

幼馴染みが語り出す。

 

道元法師が言うには、日常の作法の1つ1つ、瞬間瞬間の中にこそ「真理」があり、「真理」とはアイドルのけつみたいに追いかける対象ではない、とのことだ。「アイドルのけつ」は私が勝手にくっつけた。

 

考えてみれば、技術の粋をこらした「二足歩行のロボ」だって、ありゃあ人間一人を再現した、ってとことは程遠い。

 

それほど、人間一人が歩いたり、走ったり、呼吸したり飯を食ったり排泄したり寝たり抱いたり捕まったり、って言うのは、全てが奇跡と呼ぶにふさわしい。

 

ドタマのてっぺんから爪先まで、細胞の一個一個が足並みを揃え、統一された意志で貫かれたように協調して"動く"。人生とはこのプロセスが連面と、変幻自在に積み重ねられていく正にドラマ、と呼ぶにふさわしいものである。

 

「願望実現」とかで言われる「シンクロニシティ」ってのはユングが言ったのかもしれないしそうじゃないかもしれないが、人間の営み1つとったって、全ての細胞が意識無意識を総動員し「シンクロニシティ」を起こしている、とは言えまいか?

 

だとしたら。オレすげぇ!あんたもすげぇ!ってなるじゃないですか。

 

別に「無欲」ってのを推奨する気はさらさらなくて、この世を楽しみ尽くすための健全な欲は必要である。

 

また同時に、私が大好きな小林正観さんや斎藤一人さんの考え方を紐解くなら、喜ばれる存在となり、徐々に「たのまれ事」が増えてくることって、「徳積み」を生業とする(?)人間としては極上の幸せなのだ。

 

この世には無駄なものは一切ない。すべてに存在意義があり、役割がある。

 

f:id:shirosuke0214-pr-tomo:20201205191705j:plain「コロナウィルス」はスピリチュアル的には「三次元」のブツではなく、もっともっと高次元の大いなる意志から産み出され、人類の気付きを促している為にある、と言う話をどこかで見たか聞いたかしたなあ、と思う。

 

いや、渦中にいらっしゃる方からしたらこんなのはもうはた迷惑でしかない厄介者だろう。お花畑スピリチュアルで祈って消える代物でもない。

 

とりま、エゴイスティックに人から奪ったり、自分が自分が、って人に猛省を促す為にいるみたいよ、って説は一定、説得力がある。また、ヘンに恐怖や不安を膨らませてしまえば、余計に罹患のリスクを上げるであろうこともまた、真である。

 

備えは必要だが、去年や今年の前半あたりはとりわけ日本人の悪い所が出過ぎた気がした。震災の時の心意気を風化させ払拭してはいけないと思う。「コロナは人の恐怖に感染する。」と言うことを言ってる人がいるが、何とも意味深である。

 

そんなことを思いつつ。何ともまとまりのない内容の記事になってしまったことに気がついた。まあいいや。

 

では!/おしまい。

 

>切り株おやじ様(id:masuhiro6595)

 

コメントありがとうございます。

 

叶先生、故小池一夫先生、池上遼一先生・・・もう大好きですね。