言霊のお話。②
どうも!
オ○ズ漁りをしていたら「ペガサス幻想」が流れてきためんつるです。
「(オレの股間が)ペガサスのように~♪」
そろそろ読者様のブログを廻りたい。こんなワケの分からない謎ブログを見てくださる皆様にはもう感謝しかない。
さてさて、「言霊」の話をしようと思っていたのだ。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
前回から諸々の言霊習慣はまあまあ根付いている。やっぱり、「言霊」は数と言ったもん勝ちなところはある。あんまり難しく考えずに、日常に自然に溶け込ませるのが吉だ。
「ありがとう」の千本ノック。もう少しで1万回に到達しようとしている。歩みは遅い。何故かと言うと、途中サボったからだ。(ダメじゃんw)
「新オ―ルスタ―神言霊」。これは、風呂上がりとかの比較的まったりしてる時に唱えている。やはり、ハタから見てもそうじゃなくてもヘンな人である。
筆頭におわす「アメノミナカヌシノオオカミ様」は、要はス―パ―GODである。天地創造の主。ビックリマンチョコを思い出してしまった。
で、だ。
「ありがとう」を何千回か唱えた頃。すこ~し、派手ではないんだけどじわりじわりと、唱える都度身体が軽くなるのと同時に、エネルギーが乗る感覚がある。何故か、時々それが股間に来るから不思議だ。
確かに、モヤっとした捉え方をするなら、潜在意識は少しずつ書き換わる。リクツの上では、何度か書いた脳の部位「島皮質」をメインに、そこらへんに関与している可能性はある。まあ、要は何でもいいんだけど。習慣化してしまえば後は自動運転である。
んで、「アメノミナカヌシノオオカミ様」や「龍神様」は画像を取ってきて、それを観た後になんとなく脳裏にイメージを浮かべながらやってみたり。あ、「ガネ―シャ」画像もあるで。
お金持ちは本当に龍神様が好きな人が多い。もう、家中龍!みたいな突き抜けた人もいる。これはわりと昔からそうかもしれない。
で、この「新オ―ルスタ―神言霊」であるが、色々こうした習慣化したイメージやら言霊やらによりなんとなく無意識領域に入ったものを日常に応用する。
昨日、「名著ですよ~。」と言うて紹介した「不安のメカニズム」の著者は、いわゆる「恐怖→アドレナリン→恐怖」と言う"恐怖の再生産モ―ド"、恐怖感にアドレナリンがエサをやるモ―ドに入る前、「第二の恐怖」に至る水際でどう言ういなし方であるとか、かわし方をするのか?と言うことを提案しているのだが、たびたび「内なる力」と言う表現を使っている。
要は、このモ―ドに入る前に「内なる力」にアクセスしなさい、くらいに捉えてもいいかもしれない。
んで、この「内なる力」であるが、「内なる神」と言ってもいいだろうし、もちっと自然な表現をするのなら「自然治癒力の源」みたいなものかな?と言う解釈をしている。
その人の病気を真に治すのはこの力だ。西洋の、病院で処方される薬ではない。
捉え方は色々あろうが、個人的には肉体をまとった「我」の部分の「自分」と、内なる自分。これを繋ぐパイプは、なんとなく横、あるいは奥がしっくり来る。んで、「新オ―ルスタ―神」とのパイプは上だ。
この辺は単にこじつけでもなんでもいい。わりと個人の解釈の自由度が許容される創造と想像の世界である。あんまり身内とかには恥ずかしくて言えないが。
この両方向の"パイプ"を、日々言霊の習慣で太くしていく。こんな風に考え取り組んでみるのも、もしかしたらいいのかも、と思った。
私は今ではそんなにこの恐怖のエサやりモ―ドに入ることはないのだが、まだ睡眠の方ではちと悩みを抱えている。
眠り。実に奥の深い世界だ。「沼」である。色々調べたが、基本的には専門家に丸投げしたw。
睡眠をコントロールすることは基本出来ない。睡眠の大小の悩みを抱えている人にとっては、「眠り」はなんつ―か、掴むと逃げるウナギとか、ほしいと思うと逃げるお金みたいな捉え方になる。
日本人なんかはもうなんでもかんでも「頑張る!頑張る!」の国民性だから、もう「眠り」を頑張ってしまう。
無論、これは"自然体"からは一番遠い姿勢で、一番安眠を遠ざけてしまう「力み」を生んでしまう。だが、しばらくはこんなことをやってしまう。
観念して、コントロールを手放す。
神様はどうも、基本設計としてこう言う「成り行き任せ」にした方がいいものをぐいぐい求めたり、コントロールしたいと思う根源的な欲求・本能を原初的に人間に組み込んだのかな?と思う。
つまり、こう言うときの「我」の部分の人間の知恵と言うか、自力での克服を課題として与えているような。
多くは「小細工」とか「浅知恵」になることが多いのだが、この試行錯誤のプロセスでしばしば人間は「忘我の境地」にも至る。意地悪なんだかそうじゃないんだか。
むしろ神は、人間にそのような複雑な課題を与えて、人間が動物と同じ単純さで生きることを禁じ、普通の動物ができないような自分の管理を命じているのかもしれない。
究極においては、精神の支配が人間を生かすところがあるのだが、精神と肉体は、それぞれに支配する部分を拡げたがっていて、多くの場合、滑稽な対立を見せる。人間は、その葛藤をかいくぐりながら生きていく。
ともあれそんな訳だから、「成り行き任せ」にしかならないとこはもう基本「天任せ」にするのがいいのだろう。
んで、個人的にこいつに思いが至るときは私は「なるようになる」と「まあ、いっか」の「言霊」を使う。
これは案外根付いているのかもしれない。あんまり人生を、眉間にシワを寄せる勢いで難しく考えることのない人からはよくこれらの言葉を聞く。「言霊」って感覚ではないのかも。
私はしばしば、入眠障害になることはある。そう言う時はやたらハイテンションでウキウキしているときか、今書いたように少しばかり人生をリクツ先行で考えてしまうときだ。
昔なんて、一時は哲学書ばっかり読んでた時期がある。いや、哲学書は入眠を促すがそ―ゆ―ことじゃなく、むっちゃ人生を難しく考え、自ら難しくしていた時期だ。こんときの名残がまだちょいと残っている。
ハイテンションの時は脳味噌がお花畑になってる時だ。入眠時のアファメ―ションやビジュアライゼ―ションの類いはそりゃまあいいのだが、程度の問題でもある。こっちはまあ、たいていはいつの間にか寝ていることは多い。
人生をリクツ先行で考え始めた時。スイッチが入ったな、と認識し、「まあ、いっか」と脳内で一言唱え思考を打ちきり、「新オ―ルスタ―神言霊」習慣にて強化された「アメノミナカヌシノオオカミ様」ビジュアルを脳裏に思い浮かべ、
「ぜ~んぶお任せしま~す。」
とやる。
まあ、そんな感じでハイテンションモ―ドより少し入眠のハ―ドルは高いが、なんかかんか、寝てる。睡眠にカンペキもクソもない。いちいち振り回されるのもよろしくない。
お年寄りは入眠障害の人とか、眠りに関しなんらかの大小の悩みを抱えていることだろう。だが、彼・彼女たちは、年の功と言うか、紆余曲折ののちにここの「成り行き任せ」・「自然体」ってとこが、それこそ自然体で身についている気もする。
中には、なんか達観してて、
「な~っはっはっは!長い人生、いちいち眠れただの、眠れなかっただの、小っさいのォ若いの!」
と笑い飛ばすご老人もいらっしゃるかもしれない。
彼らに学ぶことは多い。若い人が書いたビジネス書の類いもいいが、ご老人の書いた書に触れることもまた、心に新しい風をもたらしてくれることだろう。
そんなところである。では。/おしまい。
>切り株おやじ様(masuhiro6595)
コメントありがとうございます。
おお!そのメンタル、ぜひ大事になさってください。
ほう…。成田亨氏と言うのですね…。初見で「ウルトラマン」の「ダダ回」を観た時は、なんつ~か不条理系の得体の知れない怖さを感じました。