蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

元気があればなんでもできる!…が、性犯罪はいけないよ。②

どうも!


今日トイレで自己アナル更新しためんつるです。


さてさて、続き物でございます。

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com


う~ん…。このタイトルどうよ?


どっちかって~と元気がない時どうするか対策について綴ろうと思っているのに。


それに、私がいちいち言わなくたって、普通の人は元気があっても性犯罪なんか犯さないと思う。

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マ―ケティングとかコピーライティング的なことは基本的に学び中だけどどっちかって―と、お金さえあれば外注したいジャンルである。


それはともかく、世に溢れる「夢!」・「願望実現!」・「成功!」みたいなとこにお釈迦様テイストをブレンドしようと話をしたのと、あとはこっちのポジティブな要素について、まずはあんまりないものねだりとか欲張ったりしないで、しっかり基盤固めしましょうよ、ってとこを語りたい。


まあまあ、今まで私が語ってきていることの繰り返しと言うか、上書き的な話になっちゃうんだけど。


で、だ。


まずは「お釈迦様テイスト」の話である。これは、私自身が今まで封印してきた秘伝である。いや、勿体つけてたとかではなく、分かりやすく語るのがとても大変なのだ。


まず、「空」(=「くう」)ってのがある。こいつについて、ない知恵絞ってなるべく分かりやすく語る。


じゃあ、まずは言葉上の定義からだ。こっからして訳分からんと思うのですが。


「有でもあり、無でもある」。あるいは、「有でもなく、無でもない」。と言った概念で、すべてを包含する概念である。


つまり、「あるとも言えるし、ないとも言える」、ということは「あるとも言えないし、ないとも言えない」。


・・・

 

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難しいことを難しく伝えることはたやすい。象牙の塔の学者さんに多いタイプだ。ウィキとかも、残念ながら基本的にはこっちサイドである。


ごめんなさい。話はめっちゃ逸れるし、多くの人にとってはどうでもいい話かもしれないが、私の中では結構悶々としていることがあるのだが。


よく、日本人、とりわけ学者のノ―ベル賞受賞するだのしなかっただのなんのかんのとマスコミが報道する背景についてだが、どう見ても今の日本ではノ―ベル賞を受賞するような優秀な学者は(いや、ノ―ベル賞を受賞する学者が優秀だ、とかでなく、ノ―ベル賞に値するような偉大な仕事、と言う意味で)、今の日本のままではそりゃ永遠に増えないどころか、衰退していく未来しか見えない。


もし早い段階で、自分は研究が天職だ!と目覚めた人とか、幼い頃から研究者の両親に育てられるとかで、ああ、自分は研究でメシを食っていくんだな、とか、そんな研究者としてのなんらかの才とか適性があるとかの優秀な学生にとっては、日本の大学の大学院と言う所は闇が深すぎる。特に東大。


よく「官僚なら東大、研究者なら京大」と言われるがまさにそうで、日本と言う国で研究をしていくのなら基本的には京大でやるべきだし、そして出来ることなら、もう打ちようがないくらい出っ張った杭になる勢いでやった方がいい。

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でなければ、海外にいくらでも優秀で、のびのび研究させてくれる大学はいくらでもあるので、学部生時代は東大でも、大学院以降は海外に留学した方がいいと思う。


私は私でさる旧帝大出だが、正直特に将来何をやりたいとかはなく、昼行灯みたいな毎日を送っていた。なるほど、国が敷いた社畜教育とやらの、一応は勝ち組の部類に入るのだろう。

 

だが、出来上がったのは講義に出ず、ひたすらキャンパスの学食(副)でカレーを食って日がなダベったり、部室で麻雀に興じたり、とっとと遊びにすっ飛んで行く為の待ち合わせ場所にキャンパスを使うような感じのフヌケ学生だった。


長い受験勉強からの解放感と、当時属していた教養部課程の講義が、筆舌に尽くしがたいくらい壮絶にくそつまらないものが大半なものだったので、こう言う講義をする教授に責任を転嫁して、こう言う自堕落な生活をする自身を自己正当化していた。親が見たら普通に泣くだろう。


どの学部生も、まずは最初の二年間はこの教養部と言う所で場を共有し、教養課程と言うのを経由する。

 

私の高校からこの大学に進んだ工学部の友人は勉強熱心で、よく私になんで勉強しないんだ?受験時代あんなに勉強熱心だったのに、と問うた。しかし私は私で、せっかく難関と称される大学に進んだのに、またわざわざ勉強を熱心にするのか、彼を理解できなかった。


また、私の学部でも、やはり勉強を熱心にする学生はいた。だが、彼らはどちらかと言うと浮いていて、異端とすら言えた。

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今になって蓋を開けてみれば、彼ら…その工学部の、受験時代をともに過ごした学友はさる大学の工学部の教授を勤めている。また、当時熱心に勉強をしていた学生は、今は官僚であったり、会計士をしたりしている。

 

まあ、勉強に熱心でなかった学生も、それなりに一流と言われる企業に勤めているとは言えるが。


ともあれ、我々にとって、この教養部と言う課程の講義は、教授の自己満足か、自分の書いた教科書を買わせる為のものにしか映らず、また実際にそうだったのだろう。

 

彼らにとって、やりたいことはあくまで「研究」であって「教育」ではないからである。彼らにとってもまた、我々大学と言う"リゾート"をエンジョイする学生は、愛すべき生徒ではなく、どっちかと言うと金づるに過ぎない。


至極当たり前のことなのだが、アホな学生にはそれが分からない。教科書をただただ朗読するだけの老教授の講義は一人減り、二人減り、最終日には数えるくらいの人数しかいない。それは、私が社会に出て、社会の荒波に揉まれ、特に適性のない教育業である塾の管理者とか講師、家庭教師などをやって初めて分かったことだ。


教育業に適性があり、結果を出すなり情熱を傾けているような熱血名物講師みたいな人は、要はそれが天職だから情熱がとめどなく出てくるのだ。私のように生活のためとか、やりたい事があるから仕方なく、と言う人間とはハナから立っている土俵そのものが違う。

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んで、私は私で、ようやくこの年になってやりたい事がはっきりした。この日本と言う国で、真にやりたい事を人生において見つけただけでも贅沢とも言える。

 

だから、日本も変わらなければならない。もっと若い人が、やりたい事を自由に、のびのびやれる社会の基盤作りと言う所から。


国際競争力を上げなければ!とか、勢いやかけ声だけはいいんだけど、やってる事と言えば相も変わらず、支配層とか権力者層が富を吸い上げ、独占するような、彼らに都合の良い駒を作る為の社畜教育のレ―ルに子供を乗っけることである。言ってることとやってることが真逆なのだ。


で、研究室とかの狭い空間でこいつをやっているのが、とりわけ東大の多くの研究室と言う所である。

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教授がエゴイストで、助教がそのイエスマン。んで、そこに属するポスドクとか院生と言うのは、言うなれば彼らからしたら都合の良い兵隊であり、駒にすぎない。

 

パワハラじみたことをするか、もしくは、もし「教育」と言うことをするなら、それは彼らを研究者として育成するとかではなく、彼らの兵隊にする為の目的である。


教授は自分の研究を国に認めさせ、さらに研究に加速度をつけていく為に研究費を引っ張ってこなければならない。その為に手段を選ばないとするなら、数字や実績には全く直結しない「教育」の部分は、基本的には彼の奴隷にする動機としてされるものとなる。これでは日本のブラック企業と本質は全く変わらない。


東大出のポスドクの就職難、とか言うニュースを見るたびげんなりする。いつまで日本と言う国はこんなことをやっているのだろう…。


勿論、東大とてこんな研究室ばかりではないだろう。だがどうも、少しばかり運ゲ―っぽい要素があるみたいだ。


だが、今の時代は研究にも後進の育成にも熱心でまた、講義も面白い教授が増えてきた。私の時代では考えられなかったことだ。彼らはある意味、マルチな才能を持っていると言える。

 

だが一方では、基本的には研究が本職であり教育は数字や実績にはならん訳だから、損しているとも言えるなあ…。


・・・


う~ん。「空」については次回以降にした方がいいようですね。では。/おしまい。

 

>Green様(id:shiho196123)

 

コメントありがとうございます。

 

「平均値の法則」と言うのですね…。今、この言葉について色々調べ中です。こちらこそ、ありがとうございます。

 

>ハマサンス様(id:hamasansu)

 

コメントありがとうございます。

 

稲中のこの画像、ずっとネット上で探してて、なければまたコミックを買おうと思っていました。私も大好きな一コマです。