蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

運命蹴飛ばしリングフィットで腰痛め。

どうも!

 

酒をかっ喰らっている。缶ビー2本開け~のつまみ食い食い、か~ら~の~、左スピ―カ―からメタリカ、右スピーカ―からのメタリカ

 

いや、嘘だけど。

 

この世は楽しんだもの勝ちである。本記事もまた、んな難しい苦虫噛み潰したような顔しないで楽しみましょう、って所に着地したいもんだ。

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さて、今日はお寺の墓地のさるお墓周りの枯れ草をゴミ袋にブッ込んでいた。燃やしちゃえばい~じゃん、って訳にも行かない。

 

積み重なった枯れ草をひんめくるとダンゴ虫やらムカデヤスデの類がわらわら出てくる。んな魑魅魍魎でもあるまいに、あ~はいはい、って感じでごみ袋に巻き添えで入っちゃったヤツは枯れ草と運命を共にし、入らなかったやつは生き残るみたいなデッドオアアライブの様相をたちまち呈する。

 

生殺与奪の権を他人に譲らせるな!」

 

一体、オレはナニサマなんだ。

 

まあいい。

 

ちなみに、ヘビ、クモ、ムカデやヤスデゲジゲジ系の所謂遺伝子レベルで多くの人が嫌悪感を抱きがちな生物は割かし平気である。いやさすがに、たま~にやらかす、スズメバチを刺激して追いかけられたりは焦るが。まるでドリフのコントみたいだ。

 

あ~あと、安眠妨害してくる蚊の羽音は嫌だしゴキもちょいと嫌ではあるが、身体で払ってくれるなら…(略)。

 

ハチの巣駆除業者さんとかもう、身体や命を張って人様の家とかのでっけえスズメバチの巣を除去しちゃうのだ。

 

感謝こそすれ、こう言った人々の仕事に対し、お客様は神様です的上から目線をかますなど人の道を外しているし、こう言った人々が素晴らしい仕事をしてくれるお陰で我々は安らかな生活を確保できるってものなのである。

 

さて、仕事に取りかかる前に奥さんと少しばかり話し込んだ。なんでも、長女(中3)と次女(小6)、あとは小3のちびっこのことで心労が絶えないらしい。奥さんはただでさえ忙しいのに…。

 

この三人はまあ、随分とくっきりと個性やら性格やらが異なる。コアの人格的な部分に限って言っても、いやここまで兄妹姉妹間で異なるものかな、って感じでなかなか興味深い。いや、「興味深い」ったって、親御さんからしたらもう…。

 

一番接点があるのは三男で、ゆくゆくはお寺を継いでご住職になる流れにいる。しかしまあ、やんちゃで天真爛漫だ。奥さんが「宇宙人みたいだ。」と言っていたが、うん、そう言うとこはある。

 

だがしかし、失敗やら転んで傷を作ったりやらはちっこいうちに身体で覚えた方が傷の塞がりも早いし、そもそも落ち込むタマではない。

 

かと言って、奥さんは東に行っては頭を下げ、北に行っては頭を下げ…みたいな感じになっており、それはそれで双方に寄り添う必要はあろう。目の前で接する人の相違に応じて、自分の物差しやら価値基準やらを使い分けてダブルスタンダ―ドみたいなことになる訳にも行くまい。私は私の出来うることをやる。

 

 次女と三男は基本的に陽キャなので、何かで結果を出すとかであれば乱暴な表現ではあるが、「努力+運=結果」と言う所であれば運要素が強そうだ。そんな次女は県内の難関の中高一貫校の受験に照準を合わせ頑張っている…んん?あんまり頑張ってないよね?wけらけらようつべを観て喜んでいる。

 

そもそもだ。

 

この「頑張る!」ってとこをゆる~く手放し今を楽しみ、なんかかんか欲しいものが忘れた頃に手に入ってた、みたいなノリで彼ら、彼女たちは一回しかない今世を楽しむ人生エンジョイ勢になって欲しいのだが、いやそこはホレ、奥さんの身にもなってみよ、ってとこではある。

 

我々の世代は勿論個人差はあるが(あ、ご住職や奥さん、私もアラフィフですw)、団塊の世代から受け継いだ、

 

「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」

 

とか、

 

「艱難汝を珠にする。」

 

と言ったような人生観や価値観と、若い世代の今が楽しければいい、楽しんだモン勝ちじゃん!みたいな人生観をちょうどバランス良く内側に落とし込みつつも、時代の流れ的には徐々に後者の軸にシフトするか若しくは、前者の人生観をなるたけ若い層に押し付けないとか、まあ頑張り所や身体を張るところは張るとか。あとは弱い人を虐げてでも自分が楽しければいい、みたいな所には踏み入らないようにするとか。そこら辺の立ち位置なのかなと思っている。

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無論職責を果たすことは前提だが、なんだか虎の穴みたいなノリであったり、子供をコントロールしようみたいな所からは私自身が程遠い。

 

これが実際に子供を持ったりするとまあ、確かに色々とフクザツなんだろうなあ…。(しみじみしている場合ではないが、しみじみ)

 

過去記事において、「自己肯定感」と言う言葉が呪いであるとか、強迫的な含みに捉えられていると言ったトピックを紹介した。

 

 

shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com

 

団塊の世代であるサイトの書き手の女性カウンセラーさんは現場で、

 

「私は自己肯定感が低いから高めたくて…。」

 

とか、

 

「私は自己肯定感が低くて子育てがうまく行かないんです…。」

 

と言った声を聞くたび生理的嫌悪感を感じ、いや「自己否定」ってそもそもそんなに悪いものなの?と問題提起をしている。

 

このサイトは私自身が初心に返ったり、なんかかんか本質から外れていないかと言った所を再検証するとかでたびたび見返すのだが、確かに子育てであるとか部署のマネジメント的なとこ、部下との関係なんかにまで自己肯定感を持ち出す人は多い印象だ。

 

上司が、

 

「そいつは自己肯定感が低いからダメなんです。」

 

みたいに部下をジャッジしているのだが、そう言うのは本来意図されていたであろう言葉の本質から的が外れていたり、どんな分野にも自己肯定感を持ち出してきて、「いい悪い」とか「正しい間違っている」とかの二元論での判断にまで拡大解釈し適用しているって例はうん、多々ある。

  

私は人生相談のプロではないしそこはやんわり伝えるのだが、私自身が「自己肯定感」って言葉を対人で使うことにはやはり心理的な抵抗はあるし、いや、そこは自己肯定感はあんまり関係ないですよ、ってとこをこれまたやんわり伝えたりする。

 

ただ、これからの時代はやはり「自己否定」ってとこが強いのもまた、「自己肯定感」を遮二無二獲得しようってのもあんまり、損得と言うくくりで言う限りはまあ、あんまり得になることはないし何より本人の為にも、部下や子供のためにもなるまい。

 

だから、この女性カウンセラーさんのお気持ちも分かるのだが、そこいら辺はもちっとバランス感覚を持って、意固地にならずに、って所もある。

 

「自己否定(アンチテーゼ)からの思考的タフネス」

 

ってあたりは、やっぱりちょいと古い。

 

「波動が高い低い」なんてのもそんな感じだし、「陽キャが良くて陰キャはダメ」みたいな物差しや価値基準を自分も他人も持ってしまって、それで自分を責めたり、他者を虐げたりジャッジしたりするのって、なんも楽しくない訳じゃないすか。

 

そう言う陰陽を過剰にくっきりさせるような「分離意識」的なものをゆる~く手放していけるよう、次の世代にはバトンを渡せるようでありたい。

 

少なくとも我々の世代って多かれ少なかれ、ではあるが攻撃欲や支配欲が強かったりだとか、オレがしてきた苦労を部下にもさせる、それこそがオレの愛のムチだ!だとか、基本的にはコミュ障の人をあえて営業の最前線に立たせてニヤニヤするみたいなオ―ルドタイプのおっさんだったり、カネ払えばなんでも言うこと聞くんだろ!みたいな老○タイプの人なんかにさんざん辟易してきた訳じゃないですか。

 

こう言うのをやってる本人は自分こそが絶対正義!とか、オレが世の不正を正してやってるんだ!みたいな思い込みもエゴも強いから余計にタチが悪いんだけど、まあやられる方は大変だ。

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正しいとか間違っているとかの話ではないがこの手合いってのは、すまんけど滅茶苦茶かっこ悪い。少なくとも、こう言うのを若い世代に引き継ぐのはイヤである。

 

なんかそんなことを考えつつもしっかり好好爺もいるよなあ、と一方でほっこりすることは最近は多くなったなあ…。(しみじみ)

 

てなとこだ。なんだか酒入ってるから頭が回らんわ。

 

私はあんまり人生を難しく考えてもしゃあないから、どっちかと言うと「不安の回避」ってとこより「快楽の追求」ってとこを重視するし、自分に執着するよりは目の前の人を元気にしたり喜ばせたり、ってとこをやっぱり重視する。

 

私自身は最近までうだうだと死生観を塗り替えてきた人間で、

 

「生は苦、死は苦」→「生は苦、死は苦である生からの解放」→「生は楽、死は至福」

 

みたいな所に突き抜けつつある。そんな経緯もあってか死は結構強く意識する所はあるが、殊更に死を恐れるとかでもない。死を意識するから今が楽しくなったり充実したりするし、なんかかんかで死ぬまでは生きるのだ。まあ、犬死はイヤだけど。

 

んでもって、臨死体験も実際に二回くらいしててお花畑みたいな映像も見たことはあるんだけど、うん、悪くない。この辺の話はまたいずれ。

 

明日はエネルギーヒ―リングの先生んとこ行ってきやす。では。/おしまい。