蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

快楽より多めの自虐心。(「まどマギ」一部ネタバレあり)

どうもっこりブ―メランビキニパンツ小島よしお。

 

さてさて就活はまだ終結していない。家庭教師の登録は済んだけど。

 

進捗は比較的順調なのだが、先方の面接担当者さんがいい人であればあるほど、断りの連絡を入れるのに心が痛んだりするもんでがす。

 

でも、今の就活って、すぐにその場で採用不採用の白黒をはっきり付けるような流れになってきてるのだろうか?バイトだからその辺はあんまり厳密ではないのかな?

 

会社によっては面接が経験値稼ぎになっちゃってる所もある。

 

無論そんなことは口が裂けても言えないし、んな動機で内定に漕ぎ着けたら、真剣にその会社さんを志望して不本意な結果になった人にも申し訳ないので、私も程々にしなければならないのかもしれない。

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先週の金曜日に面接に行った飲食店の店長さんが印象的だ。情に篤い関西の男性。苦労人であることが言外にもにじみ出ている。あ、お店が不景気とか言うことではないです。

 

私自身は、自分は苦労人だと言うセルフイメ―ジ自体をとうにかなぐり捨てたとこがあるけど、やっぱり苦労人と言うのは話しててすぐにピンと来るし、彼ら・彼女たちにずっぽり感情移入してしまう所がある。なんだかすっかり意気投合してしまった。

 

とりわけ、こう言う所にはいい加減な気持ちで対応することは出来ない。

 

採用の流れに話が進んだが一旦その場での返事を保留し、そこに勤めないまでもいつか自分がもっとでっかい人間になって、最高の顧客としてこのお店には違った形で恩を返さねばなるまい、とは思った。

 

今日断りの入電をした時はそんな胸のうちはまあ、ダイレクトには伝えんかったけどさ。

 

さて、話を切り替えよう。

 

アニメの「ひぐらし」(旧)と併せ、「まどマギ」と「ハンター×ハンター」(新)のキメラアント編を観始めた。「ヴァイオレット~」はちょいとお預けである。

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この三作、なんらかの形で既に観終わるなり自分の中で完結するなりはしている。だが、リアルタイムで触れていた時は今とは別の受け止め方をしていた。つまり、当時と刺激されるツボが全く異なっているのである。

 

観るたび新たな発見がある作品の数は人にもよるがやはり限られており、無意識的にそのタイミングが来ると「観たいな~。」と思ったりするものなのかもしれない。こう言う時は素直に、

 

「必要だから観させられているんだな~。」

 

みたいな感じで心の粋なはからいにあざ~っす、と礼を言う。

 

過去に観た時も勿論それなりのインパクトを得ている訳だけど、その当時の私と今の私は全くの別物なのだなあ、と言うことを認識させられ、なんだか不思議な気持ちになる。

 

三作ともテイストは「鬱」、あるいは「グロ」。だが、それはあくまで表層の印象でしかなく、本質は恐ろしいほど深遠だ。

 

「世界」であったり、「運命・因果」であったり、「意志・覚悟」であったり「代償」であったり。あとは「人生」と言う所へ繋がっていく。

 

これらを全て網羅したいとこだけど無論話がモリモリになるので、一人の人間の"現実創造"であるとか"願望実現"などと結び付けた話をしたい。

 

今の自己啓発とかスピリチュアルの世界でも最も熱いトピックとも言えるし、私個人も勿論大きな関心を寄せているのは日々の記事を読んでくださる方にはお分かりだと思う。

 

一つ。最初に触れるが。

 

あくまで作品のネタバレを回避しつつ話すのはなかなかホネではあるがそれはさておき、こう言った夢を叶えるとかの文脈で構築される作品群には名作は多い印象はあるが、上の作品群のみならず、少なからずそれには何らかの対価を支払う必要があること。また、意志や覚悟の力で運命を切り開く、と言った展開が人の心を動かすところがある。

 

ドラマチックな展開を望む読み手は、平凡であり来たりな波風のない、刺激の少ない日常系のゆる~いノリで己の夢や願望を叶えたり、ってとこにはきっとムリを感じるだろう。

 

恐らくはそう言う作品は、余程主人公がチ―トキャラでまた、御都合主義の展開ではなく主人公以外の登場人物や構成要素が破滅的な状況、と言うこの上ないタイミングで主人公が圧倒的な力で全てを覆し、読み手や視聴者の溜飲をこの上なく下げ心からスカッとする、みたいなものでなければ受け入れられないのかな、って気がする。

 

ワンパンマン」なんかがそうだろう。彼からは野心を感じないが、それがまたいいギャップとなって物語に彩りを添えている。少なくとも「夢」とか「願望」と言った所からはちょいと遠い。

 

アニメやマンガに詳しい方で、「こう言うのがあるよ!」って方がいらっしゃったら熱いコメントをお待ちしております。(拝)

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まあ、人生自体がドラマチックなのだ。少なくとも既に私はポジネガどちらの体験も刺激として楽しんでいる。

 

今は昔ほど波瀾万丈ではないし、今その展開になったら心のダメージは少ないだろうけど年齢的に体が付いていかないかもしれないw。

 

それはさておき、「人生は自作自演」って言葉に馴染みがある方はどれ程いらっしゃるだろう?また、「自分こそが自分が観測している現実の創造主」である、ってとことか。

 

ここまでは案外、浸透する人には浸透しているのかもしれないしそうじゃないのかもしれないのだが。

 

上記三作あたりはとりわけ(「ひぐらし」除く)、自分の願望を叶えると言う所に弩級の重さを特に主人公に課している。

 

特に「まどマギ」はそうだろう。観た方はお分かりかと思うけど。

 

一回作品を、劇場版も含め一周した人間にとっては、某キャラに「この野郎!w」って印象を被せる。笑っちゃうくらいに。

 

う~ん、作品の核心の部分に触れずに語ることは至難だが、もしかするとこれからの時代はもう少し、人の切実な願いや夢が軽やかなノリで叶っていく世の中が来るのかもしれない。

 

私が見ている、観測している"現実"はどうも、そう言う流れで動いているし、いやそうならないのなら、自分が変えちゃる!くらいの妄想を日々脳内で垂れ流している人間である、私は。

 

だって、自分が自分の見ている現実を創造しているのだから。みんながハッピーな方がいいでしょ?

 

勿論「幸せ」と「夢や願望の実現」は必ずしもイコ―ルじゃないけど。

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主人公のまどかは女の子だけど、初期設定は昔の私によく似ている。博愛主義、平和主義で誰にでも優しく、真面目な一方で、劣等感や無力感が強く自分をどちらかと言うと無価値に近い感覚で見ているので、反動で人を救ったり、人をハッピーにする力を持つ先輩の魔法少女に強い憧れを抱く。

 

リアルタイムで観ていた時は割りとどこにでもいる、ごくごく普通の女の子が順調に成長し、魔法少女になって才能を泥臭く開花させ、"救う人々"や"救う世界"のスケールがどんどん広がっていく。

 

そんなような、これまた割りとどこにでもある作品性だと思う一方で、脚本が虚淵 玄氏と言う所にヘンな不調和を感じつつも、そんなに注目はしていなかったのでなんとなく序盤の印象は薄い。

 

ところが、ところがである。くっそ重たかった。 

 

だが、今観ると当時とは全く違う印象で受け止めている。そして、昔観たより遥かに重い印象だ。

 

博愛主義で平和主義であり、物語が進む過程で多くの喪失経験や悲しみ、苦しみを体験し受け止め、背負うまどかがどう言う「願望」を抱くのか、と言うその必然性を切実に私と言う視聴者に突きつける。

 

また、リアルタイムで彼女に昔の(いや、今もそんなにコアの自分は変わってはいない)自分を投影する私の叶えたい「夢・願望」と言う所にまで、その"必然性・切実性"はいい意味でもそうじゃない意味でも「覚悟」を突きつける。

 

それが、他ならぬ私がこの作品に今改めて読み取っているメッセ―ジであり、また、もう一人の主人公とも言える「暁美ほむら」の行動の動機になっている、これまた手に入れようと思っても届かないものを掴もうともがき苦しみ、結果限界まで肥大化した激情が、一気に物語終盤でカタルシスばりに爆発する衝撃の結末が更なる黙考へと私を叩き込む。

 

いや、二周目はまだここには至っていないんだけどさ。

 

人の「願い」とは。「感情」や「思考」と言うエネルギーはかくもすさまじいものなのか。改めて考えさせられている。

 

ちょいと話は逸れるが、ド―パミンってあるじゃないすか。あれって快楽物質だけど、対価となる苦労がでかく長く続くようなものであればあるほど、欲しいものを手に入れた時の分泌量がすんごいことになる。んでもって、これらは記憶の一時貯蔵庫である「海馬」にがっつり刻まれる。

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だから、体育会系の人はともかく、まずはワクワクとかウキウキみたいなスイッチを探すのとか(これは人それぞれ違う)、小さな目標をなるたけ数値化して設定し、一個一個クリアしたら自分に褒美を遣わして達成感を強化する方がいい。

 

じゃないと燃え尽きのリスクが高まっちゃうし、ド―パミンって結構諸刃の刃なのである。取り扱い注意なのだ。そんなこともあり、ただただひたすら頑張っちゃうのが好きだ、って人以外はそれを推奨も出来ない所もある。

 

それはまさしく上述の理屈で、振り子の原理と一緒だ。負の側に振れる大きさが大きければ大きいほど、正に振れる大きさ(快)は大きなものになるが、人によっては負があんまりでか過ぎるともたないし、正に振り切っても脱け殻みたいになってしまう人も少なくない。

 

よくある例としては、「年収一億円を稼ぐ!」みたいなのをゴ―ルに設定しちゃうケ―スだ。年収一億ったってそれを達成するのも勿論容易ではないのだが、お金が目的になっちゃうと、目標達成後、私の人生はなんだったんだ、って感じになって空虚感に囚われ、燃え尽きる。

 

そうじゃなく、自分の仕事で多くの人を笑顔にしたいとか、喜ばせたいとかが先にあり、お金はどっちかと言うとおまけみたいなマインドで仕事をしている人の方が幸福度なんかも高くまた、それが長く持続しやすい。

 

すっかり話があさっての方に行ってもうた。

 

なんかここら辺の話であるとか自分が今やりたいと思っていること、そしてそれを使命とか天命と思うに至った過去の経緯諸々に至るまで、再度自分を見つめ直す機会を与えられているのだとも思う。

 

何をアニメ作品にそんなオオゲサな、と思われる向きもあるかもしれないが、名作と言うのはそれだけ人の人生観とか価値観にまで揺さぶりをかけたり、強化したりと言ったインパクトを持つものなのである。

 

だが、一方で「深読みのしすぎかな?w」みたいな冷静な自分もいたりする。結局はバランス感覚がいっちゃん大切なのかもしれないな。

 

さて、「ハンター」であるが、これは全編通すとなんと148話もある。私がたびたびつまみ食いするのが「キメラアント編」であり、これは新版は滅茶苦茶気合いが入った作りになっている。んでもって、場面によっては「ひぐらし」よりグロい。 

 

だが、字数を使い過ぎたのでまた語る機会があったらってとこです。

 

さて、何記事か前に「ヴォルテックス」(=「引き寄せ」などで言う高い次元の波、周波数の状態)にいなさい、ってとこで詰まっていると書いた。んなこと、余程脳味噌お花畑じゃないと無理やんけ、とこき下ろしていたやつだ。

 

だが、このお花畑モ―ド、まずは自分が自分に許可を出すことをスタートに育てていくことが出来るんだなあ、と言うことが分かってきた。

 

私は御都合主義の妄想を抱いた所で、後で現実を知ってがっかりするだけだしとか思って許可を出せなかったし、今目の前で起きているネガティブな現象だったり感情だったりに振り回されていたので、これが無理だとハナから決めつけていた。

 

いやあ、オ―プンマインドって大事ですねぇ。それに女性ってやっぱりすげぇ。

 

ここら辺のトピックにご興味のある方は動画を貼り付けますので参考にどうぞ。私は3つ目のやつ以外は2倍速で100回くらい観てますw。では。/おしまい。

 


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>猫p様

 

コメントありがとうございます!

 

ありゃま、相変わらずお忙しかったようですね。お久しぶりです。ヤンキーはもうどうしようもないのもいるけど、私が知っている彼ら・彼女たちは昔気質の義理人情派が多くて好きですねぇ。

 

手芸のえっちゃんは確かにギャップがいいですよね。喧嘩の強さとかは人外レベルなんですけど欲があんまりなくて日々を楽しんでる感覚なのがいいです。

 

>ハマサンス様(id:hamasansu)

 

コメントありがとうございます。

 

う~む、やはり親心。親御さんはもう見境なく子供の心配をしちゃう所があって、私の母親なんかは「えぇ!?そこ!?」とか思うことも結構あります。