とうとう出てきた無惨さま。ア~ンド女性のプチ筋トレのススメ。
どうも!
さてさて、雑多な話題になりそう。一つは女性に関するテストステロンの話題。もひとつは「鬼滅の刃」の話。もう一つは幸せになろうぜ、と言う話である(ざっくりしすぎ)
男の筋トレのススメについては下記の記事にまとめてある。日々筋トレはしているため、触れない日はないほどだ。あた!あたた!ほあちゃああ!
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
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だが、こと女性ともなるとデリケートだ。
野郎はマッチョになってもたぶんそんなに損をすることはない。(と思う)
女性の場合、力こぶが出来てしまったり、締まった腹筋が出来てしまったりと言うようなことは、男の私の目から見てちょっと複雑な心境にもなるのではないか、と勝手に憶測する。
なもんで、色々さがし続けた結果。下記のサイトに辿り着いた。
上記のサイトは極めて分かり易い。私のぐだぐだ冗長な記事に比べたらバナナう〇こを排泄したかのようなすっきりさ。なのでぜひお目通し願いたい。
女性はテストステロン値は男性が100なのに対し、10~20くらいとのこと。で、これだけで十分なんだよ、とのことだ。
テストステロンとドーパミンと言うのは紐づいていて、例えば私の例であれば週に4~5日、1日15分前後の筋トレを行うと、十分にやる気は漲るし持続もするし筋肉もまあまあつく。
女性であれば、男よりホルモンバランスや神経伝達物質などは精妙で繊細なイメージがあるし、筋肉があんまりもりもりつくのも美容の観点からいかがなものか、う~む、と考えていたところに、タイムリーにツイッターにてヒットしたのが上記サイトである。
女性の場合は週に二回、だいたい5分前後のプチ筋トレでやる気や意欲は増すし、3~4日は持続するとのことだ。もちっと直観的な筋トレの強度についても載っているのでぜひ見ていただければ、と思う次第だ。要はシェイプアップと言う観点、それより強度を弱めるのであれば意欲の喚起と持続を目的とすればいいのではないだろうか。
さて、次の話題である。
「鬼滅の刃」を引き続き観ていた。ダイミダラー、いや違う、第7話を観ていて、とうとう出てきた無惨様。
無惨にも地面に落ち飛び散った山かけうどん。食い逃げしましたね炭治郎はん。
いや、それはいいのだが・・・。
歯ぎしり鬼に婚約者を奪われた和巳さん。お前に何が分かる!炭治郎に食ってかかる。
「和巳さん。失っても、失っても、生きていくしかないんです。どんなに打ちのめされようと・・・。」
思った。うん、思ったね。滝のように涙を流しながらね。
人は幸せになるために生まれてくる。これは綺麗ごとだろうか。いや、けしてそうではない。だが、生まれてから死ぬまで順風満帆な人生と言うものもまた、ない。
他者との中で生きていく以上、たくさんの摩擦や軋轢、下手すりゃ抗争。喪失、別れ。試練。数多あるからでもある。
しかしながら逆説的に、そう言った苦境や悲しみを知った人が深い愛や慈しみを知り、人々への感謝や温かい共感の意識を醸成していく。
そんな、薄氷を踏むような人生の中でどう幸せを感じたらいいのか。その方法すら忘れてしまうことがある。幸福も不幸もともに、どっちかの方向に複利で増えていくものだ。
ポジティブ心理学の祖であるマーティン・セリグマン博士は、幸福について「快楽・没頭・意義」の三要素を挙げている。
・快楽・・・肉体または感覚を通して得られる幸福感
・没頭・・・仕事・趣味・研究などに没入することで得られる幸福感
・意義・・・長所を使って何かに人生を捧げることで得られる幸福感
大別するとこうなる。
人間は快・不快を軸に行動したり意思決定したりと言った視点を取り入れることはすごく大事で、またそうすることが出来る状況や環境、周りの人への感謝などを培えば、じんわりと幸福感を噛み締めることが出来る。だが、快の刺激はより強いものを絶えず欲し、満たされないことも多く、より持続的な幸福感を得るとすれば「没頭」や「意義」による幸福感が重要になってくる。
しかし、だ。
愛する人との死別を経験したり、日々いじめや虐待を受けていたり。病に苦しんでいたり借金があったり。こういう状況にある時にどう幸せを感じたらいいのか。周りの人はきゃっきゃうふふしてて憎たらしい。あいつら、な~んも悩みがないお気楽な人生を歩んでいやがる。それに引き換えオレは・・・みたいな心地になる。
人がとりわけ不幸を感じるのは、育ってきた境遇も何もかも違うのに、あたかもそれが同じであることと見なして他人と自分を比べた時だろう。ひたすら愛のない環境で耐え抜いてきた。自己肯定感と言う言葉は呪いの言葉になることもある、と書いたけど、自己肯定感が高そうに見える人を見てそれと引き換え私は、となった時に絶望しない人はいないだろう。
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人と比べても仕方がない。誰もがそう言う。私自身、人と比べて惨めになっていた時期を相当長い期間過ごした。家族・親族が集まった時、私は二階の自室に閉じこもって息を殺し、長年顔も出さずにやり過ごした。
なので、気持ちは痛いほど分かるのだが、どういう状況にあろうと、惨めであろうとそれでも自分は幸せになるんだ、と言う決断をしなければならない。幸せになると言うのは、自分を取り巻いている状況に関わらず、心のありようで決まる。感性の問題でもあるのだ。
最初は小さな灯でもいい。ここからなんとしても幸せになるんだ、と言う覚悟にも似た決意を固めることだ。そこから幸福へのステップが始まるのである。
そうすれば、だんだんと、だんだんと人と比べてもしょうがない、と言うことが分かってくる。人は誰しも不完全で、青く見える隣の芝生で、上を見てもきりがない。みなでっかい宝とか個性、長所と欠点を持っている。それは自分もそうなのだ。
じんわりじんわり、小さな感謝できるものを噛み締め、少しずつ幸福感を内に育てていく。私はどん底からはそうやって這い上がった気がする。
さて、炭治郎と和巳さん。ともに家族を、愛する者を鬼の手にかかって喪った。ここで打ちのめされても生きていく決意を炭治郎は優しく諭して告げる。生きると言うことは、どこまで行っても孤独な営みだ。誰と繋がっていても本質的には一人。それでも、生きていかなければならない。それが、この世に生を享けた者の責務である。
悲劇に打ちのめされ、どん底で辛酸を舐めても、なけなしの幸せを育てる。最初は我欲をただただ満たそうとして欠乏感と渇きに喘ぐ。期待と失望の落差は大きい。
しかし。
今生きていることの喜びと今あるものへの感謝から、なけなしの幸せは小さくとも確実に、倍々で増え始める。それはやがて、すぐそばの隣人や家族に波及する。それがまた、自分へと返って来る。
「涙とともにパンを味わった者でなければ、人生の本当の味は分からないよ」。ゲーテの言葉である。
・・・とまあ。さすがジャンプの一線を張ってるだけのことはあるね。人気が出すぎてちょっと引くけど。あの殺人的スケジュールの中連載を続けるのは鬼神のような気力と体力を要するだろう。いや、時には冨樫先生みたいに休んでもいいんすからね。冨樫先生は・・・その・・・ちょいと休載が多いけどさ。大ファンだし冨樫先生だって神ではない。生身の人間だ。文句は言わない。
さてさて、あり?明日月曜でしたっけ?全然そんな気がしなかった。図書館は月曜休みなので、なんとなく月曜日と日曜日を混同してしまう。
今は英語と数学、物理と現国あたりをなるべく万遍なくやっている。だが数学6割かなあ。記憶力が悪いので、何回か参考書を回さないと記憶に定着しない困った問題が。だが、2日に一遍は東大・京大・東工大の赤本か大数の「新数学演習」から歯ごたえのある問題をチョイスしている。一回解いた問題を定着させているのではぬるま湯になる。快適領域を出てなおかつ、新奇探索しないとあかんのである。
そんなところで。では。/おしまい。
コメント、ありがとうございます!
私も美少女万歳ですが、フィーロはでぶ鳥のがいいと言うの分かります。「邪神ちゃん」は一話で主要キャラが全部集いました。基本的にギャグなんで好みは分かれますよね。
コメント、ありがとうございます!
悪ガキが長じて成功することは多いですよね。プロボクサーとかみなやんちゃですし、起業家や経営者にもそう言う人は多いと思います。公共交通機関の本数が少なくて・・・。田舎ですw。