蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

自分に勝ち続けると言うこと。

どうも!

 

さて、仕事を休んでしまった。体調が悪いとか急用が出来たとかではなくずる休みに近い。いやまあ、精神的な問題だから厳密には前者の理由に当たるだろう。

 

私は過去にうつ病と全力で闘った結果、後遺症を残してしまった。しばしば人は過去や他人のことなど、変えることができないことで悩んでしまうものだけど、時折ふっと、その後遺症の症状に心が強く引っ張られてしまうことがある。

 

だからまあいっか、と、会社に急遽電話したわけだ。まあ、しょっちゅう休んでたらヤバいけどたまには。

 

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「自分に勝ち続けること」と言うテーマを掲げた。これはとっても意識が高い話になりそうなのでそこは十分に注意したい。

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自分に勝つことこそ最も偉大な勝利である。数々の歴史上の偉人さんが口をそろえて言う中で、私が真っ先にイメージするのはブルース=リーである。

 

ともかく、このフレーズをちょいと実体験も交えて突き詰めてみる。

 

自分の中にはすべての答えがあると言う。ええ、んなわけねえじゃん、自分なんかがそんなにすごいわけがないだろう、と昔は思っていた。

 

いや、今だって全然すごくなんかないんだけど、無限の可能性みたいなものは私だけではなく全ての人の中に隠れていると言うことは色々な文献を紐解いて分かってきたことだ。

 

人を人らしく人たらしめるものは自我である。自我は全体の中の一部の象徴だ。それがいいとか悪いとかではなく、それゆえ人は未熟で不完全である。人は決して一人では生きられず、誰かを生かし誰かに生かされる。

 

まあ、そんな人生観、世界観めいた話はなんとなくイメージとして漠然と捉えていればいいんだけど、自分が他者や、オオゲサに言えば世界、ひいては宇宙(?)に対し何ができるか、と言う観点を軸に入れると、自分のオリジナルの存在意義みたいなものが見えてくるだろう。

 

自分に勝つ。ここに話を戻すけど、これは難しい。頑張れば頑張るほど、心理的ホメオスタシスと言うものが強烈に働いて現状に引き戻そうとする。

 

お願いマッスルしても、勉強しても、バリバリ仕事や家事をこなしても、変わろうと思っても、人には常に潜在的に現状を維持しようとするブレーキが強烈にかかっているし、かかってもくる。

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なぜなら現状に留まることが安全だと脳みそは思っているからだ。んなあんさん、そんな頑張って変わろうとしなくたって生きられるやん、まあガムでも噛んで落ち着きや?と脳みそはおっしゃる。脳はその生体を活かすことを最優先に考えるからだ。

 

そのためには手段を選ばない。ネガティブな情報を拾いやすくして不安にさせたり、雑念を止めどなく脳内に発生させたりする。

 

この力に克つのは容易ではないんだけど、意志の力より環境を変えた方が早い。私は今は先立つものがないからどうしようもないんだけど、お金がある程度貯まったり、あるいは色々手掛けている仕事が安定してきたら上京し、鉄緑会と言う東大専の虎の穴みたいな受験塾に入ろうと思っている。

 

大手予備校みたいにべらぼうな授業料を取られるわけでもなく、割と安いと言うメリットもある。それよりまあ、そう言う所に身を置かないとやっぱり私は弱いから、今日みたいに自分に負けてしまうと思うからだ。

 

優秀な受験生と切磋琢磨する。難関大学に入ることが最終ゴールなわけでは全然ないんだけど、必要条件として位置付ける。

 

ここで、自分に勝つのより他者に勝つことの方が難しいでしょ、って命題(?)が出てくる。

 

だが、どうしたって上には上がいる。これは摂理だ。「自分に勝つのが一番難しい」と言うことに矛盾するようだけど、勝てない相手はいる。でも、相手に勝つことが全てなのだろうか?そもそも、何の分野で勝つの?って話だ。

 

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上の摂理は摂理として受け入れ、自分の独自の可能性を伸ばすことを考える。受験だったらシンプルに偏差値の競争になっちゃうんだけど、この受験科目の中でも好きとか嫌いとかがあって、理系であれば大抵は国語なんかが皆さん苦手だからここを強化してみようとか、色々な戦略が取れる。私は数学や物理が好きだけど、ここではたぶんあんまり差がつかない。

 

話が逸れたけど、例えばスティーブ=ジョブスと言うすごい人がいた。だが彼は一番のプログラマーだったのか?と言えばそんなことはない。プログラミングの分野ではもっともっとすごい人がいたはずだ。

 

だが彼はやはり、独自の路線で成功した人だ。これはもう、どんなすごい人、アインシュタインだって野口英世だっておんなじことが言えるわけだ。競争で一番になると言うことと、なんらかの偉業を成し遂げると言うのは本質的に異なることだ。

 

だから、結局は自分なのだ。他者にベクトルを向けると本質を見誤る。人の足を引っ張ったり、蹴落としたりもするだろう。自分の中に全ての答えがあり、他者と自身を比べる尺度もなんも要らないし(完全に開放されるのは難しいんだけど)他者とは蹴落としたり貶めたり崇めたりする存在ではなく共存共栄し切磋琢磨する仲だ。

 

他者と競って負けることは何ら恥じるところではない。だが、自分が成長していないことは大いに恥じなければならない。こう言う観点で自分に勝ち続けていけば、二年三年もすれば、雲の上の存在みたいな人にだって追いつけるだろう。そう言うもんである。

 

だが。だがである。

 

たまに自分に負けたっていいじゃないって話だ。

 

これは自分に勝つ、と言うのと同じくらい大事なことだ。歴史上の偉人さんだって勝てない時があったのだ。勝てないことを恥じたり、自分を責めることなんて全然ない。

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人から心無い言葉を浴びせされるかもしれない。浴びせられなくてもそう言う思いを散々してきた人はその不安と恐怖を強く持っている。だが、他人の気持ちなんてのは究極的には分からない。それに人間どこまで行ったって本質的には一人だ。

 

分からない他人の気持ちをあ~だこ~だ考えるモードに入ったらああ、他人の気持ちは分からないよな、と言う原点に立ち返る。これは他者に共感しようとか、寄り添おうと言う文脈の話ではなく、ネガティブに自身を責めたりあの人がどう思うだろう、どう思われるだろうとか考え出した時にそれを断ち切るおまじないみたいなものだ。

 

何事も全力で、と言うのは素晴らしいことだけど、人間は弱い。そして、弱いことを恥じることもない。全てのことに小動物を狩るのも死力を尽くす的な気合いで臨むことはない。そのために心があるのではないか。心が悲鳴を上げていたら、ああ、ちょっとサボるかな、と言うのは全然恥でも罪でもない。

 

とまあ、最後はエクスキューズになってもうた。ちょうど大学の休暇で帰省している姪が帰って来てて今から来るんだそうだ。そしたら、姪の話や悩みを聞いてあげるのもいいだろう。まあ、こう言うこともある。

 

では、そんなところで。

 

あ、そうそう、昨日の記事で親父神拳かまされた話を書いたが、体罰を奨励するわけでは全くない。体罰で言うことを聞く子もいれば傷つく子もいるし、反抗する子もいる。教育やしつけと言うのは本当に難しい。関わる人すべての心を育てる一大事業だと思う。

 

ではでは。/おしまい。  

 

>切株おやじ様(id: masuhiro6595)

 

コメント、ありがとうございます!怖い親父でした・・・。地震雷火事親父。う~ん、どれも怖いけど、愛があるのは親父でしょうね。

 

モカリーナ様:(id:mocharina09  

 

コメント、ありがとうございます!

 

自力で二万円は無理でした・・・。教育現場、本当にどうしたものか・・・。体罰や暴力は絶対にダメです。でも、ストレスが昂じた子供や教師が爆発してって痛ましい事件もあり・・・。難しいですね・・・。

 

>雪猫様(id:yukinekokei   

 

コメント、ありがとうございます!

 

親父、仁王立ちw。あの時は親父がでかく見えました・・・。「大魔神」的な。

 

>はり様(d: Shoko_drawing   

 

コメント、ありがとうございます!

 

マジメでピュアな少年があれよあれよと言う間に・・・w。怖い親父は今のご時世、貴重かもしれませんよね。

 

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