蒲焼きと檸檬と娘のサロン

「頑張らないうつヌケ」をモットーに。だる~く、ゆる~く、時にはタイトにチートに。

阪急電鉄の広告群にわれ思う。

  • 阪急電鉄も悪気があった訳では・・・
  • ここからちょっと自分語りサーセン。 
  • 広告はそもそもなぜ炎上したのか?
  • 仕事ばかりが人生ではないけどねえ。

 

こんにちは。

 

今日は精神科受診の日ですた。

 

血液検査をし、悪玉コレステロールがちょいと高かったことを除けばデータ上では健康体でしたw。

 

阪急電鉄も”悪気”があった訳では・・・。

 

さて、先日ネットで炎上し撤去を余儀なくされた阪急電鉄の広告について思う所を語る。

 

出典:はたらく言葉たち https://www.hatakoto.jp/

 

中でも特に派手に燃えたのが、

 

『毎月50万円もらって毎日生きがいのない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか』

 

だったようだ。80歳のおじいちゃんの言葉か、う~む気の毒な・・・。

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他にもいくつか。

 

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う~ん・・・。疲れる・・・w。

 

余談だが我が家のトイレには、恩師からもらった「勇気の日めくり まいにちアドラー」がある。こっちのがメンタルには優しいのと同時に励みにもなる。

 

勇気の日めくり まいにちアドラー ([実用品])

勇気の日めくり まいにちアドラー ([実用品])

 

 
実際のところ、自分に照らしてみれば絶賛病み期だった去年の夏くらいまでにこの「ハタコト」を見てたら、こころも炎上してさらにドツボにはまっていっていたかもしれない。アドラーの言う、誰しもが持つ劣等感を強化させるだけだからでもある。

 

その時期に自分を奮い立たせようと思ってしきりに観てた、ようつべ動画の人生の名言とか努力したくなる名言とかの、歴史的な偉人さんや昨今の偉大なスポーツ選手や実業家と言った人々が残した言葉に比べると、心に響くな~ってものではないだろうって気はする。

 

確かに、阪急電鉄を使って通勤する勤労者の方が、朝も早よからこれらの文言を見せられたら・・・と思うと、それはそれでげんなりするだろうことは想像に難くない。

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かと言って。

 

経営者や管理職の努力も苦労もよく分かってはいるので、炎上にさらに加担するなり油を注ぐ気にならないのは勿論、今この記事でこれらの一連の関係者を叩く気にもならない。

 

比較的勤労者寄りながら幾分中立気味の視点を保っているのは自分が、労働環境は劣悪だけど待遇はいい所から始まって、過去様々な仕事を転々とし行き着くところまで行って、反社会的活動すれすれのブラック企業にも勤めた、妙に数奇な過去があるからかもしれない。

 

ここからちょっと自分語りサーセン

 

大学出たてで所謂いい大学を出ていい所に勤めて的な、もはや昭和臭のするレールに乗っかって、偉そうに会社の社長さん相手に経営にくちばしを突っ込んだりとか、担保や保証人を差し出せとか、脅しの電話をかけたりとかやってた時期。な~んも分かってなかったよなあ、と言う気も今となってはするのだ。

 

反対に、やばい所に勤めて日々薄給どころか下手したらタダ同然でこき使われ、目がイッた感じのブラック経営者やブラック管理職に罵倒されたり、人格否定されたりと言う時期もあり。

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後はまあ・・・、絶賛病み&引きこもりの時期が続いた。

 

上司になったことも部下になったこともある。経営者になったことはないが経営者に上から目線で接していたこともあれば経営者に理不尽な命令を受け心に傷を負ったこともある。

まあこれらを総括すると案外、自分みたいなのはある意味貴重な体験をした人間なのかもしれないとも思うのだ。

 

自分語りをすることが目的ではなかったw。さてさて。

 

広告はそもそもなぜ炎上したのか?

 

これらの金言(?)が派手に炎上したのは、ひとつは経営者や管理職の言葉が多く、多くは価値観やら仕事観やらの上から目線気味の押し付けになっている所とか、ブラック企業臭、精神・根性論っぽさが窺えるからだろう。ある意味とても日本的だ。

 

阪急電鉄と言えば、なんとなくハイソ(?)な香りのする路線でもあり、高額所得者の居住区を走っているイメージがある。それも手伝ったのかどうかは分からないが、日々心身をすり減らし明日をも知れない不安を抱えながら薄給で滅私奉公する労働者の心に寄り添ったものとは言い難く、むしろ心を疲弊させる内容ではあるだろう。

 

「上司がイケてないって?」

 

と言うのは、「上司がイケてない」のか、「イケてない上司」なのか分からんが。「ムケてない」だったら噴飯ものだ。

 

勤労者の立場で言えば、たぶん10人中9人くらいは自分の上司はイケてない、と今日び言いそうだ。

 


【感情崩壊】今日、部下が会社を辞める。

 

自分とてそんなに人間出来ているわけじゃないから、やたら怒りの閾値が低いキレる上司・偉い人にはぺこぺこ下には威張るイエスマン上司・仕事しないマインスイーパ上司・サイコパス上司・・・etc・・・。

 

過去接してきた問題のある数々の上司の顔を思い出すと腸が煮えくり返る心地にすらなる。

 

「甲子園」のくだりもちょっと極端だ。

 

今や高校野球も効率的な練習をするようになっている。

 

SMクラブで罵倒されて喜んでいるのに、会社で罵倒されたらパワハラになる。」

 

と誰かが茶化していて笑ってしまった。

 

仕事ばかりが人生ではないけどねぇ。

 

ただまあ、そう言うのを抜きにすると色々な会社やらお役所やらに勤めてきて思うのは、つくづく

 

「隣の芝生だったよなあ・・・」

 

ってことでもある。

 

これは会社組織にも言えるし、自分と他人を比べた時にも言えることだ。

 

例えば銀行にいた時は、仕事はそこそこ面白かったし給料も福利厚生も良かったのだが、休みも接待や権力ゴルフ、社内行事に駆り出され、プライベートも銀行に縛られていた。

 

一か月に一回は通帳を副支店長に見せ、何にお金を使ったかとか入ってきたかとかまでチェックされたし寮の部屋を支店長が視察しに来たりしていた。んなもん大きなお世話である。息の詰まるような管理と監視のシステムが隅から隅まで徹底されていた閉鎖的な環境だった。

 

「銀行の常識は社会の非常識」

 

とすら揶揄されていた。

 

自分は束縛されるのは嫌いだ!自由に生きるんだ!仕事に生きるばかりが人生ではな~い!

 

とばかりに、若かりし頃の自分はなんとなく青く見えていたお役所に飛び込んだ。

 

学生時代あんまり勉強しないアホ学生だったこともあり、公務員試験で勉強し直したいと言う気持ちもあった。まあ、銀行の時は検定試験にパスしたり証券関連の資格を取ったり、TOEICの成績が悪いと昇進できないことにはなってたけど。

 

ところがだ。

 

お役所も激務だった。部署によっては銀行以上の過酷さだった。

 

銀行員は基本顧客には平身低頭するも上から目線にもなれ、さも自分が偉くなったものと錯覚しがちだ。顧客をコントロールでもしているかのようなやばい感覚にすらなる。

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ところがお役所は違った。ちょっとのことで叩かれ吊るし上げられる。権力闘争も銀行以上の熾烈さだった。結果、15年前後勤めて心を病んだ。

 

その後。

 

障碍者雇用で雇ってもらったり、正真正銘のブラック企業に勤めたり。コンビニに勤めたりライターやったりFXで借金こさえたりとまあいろいろ・・・。任侠の世界は経験してないけど。自分が世界一不幸だと思い込んでいた時期もあるw。

 

だからこそ思う。

 

多くの勤労者の方は、先述のように経営者層や管理者層の上から目線気味の文言の数々を極めて押し付けがましい綺麗事のように受け取った。心は大いにざわついたはずだ。「やりがい搾取」と言う言葉が独り歩きするこのご時世にこの広告はズレてると思う。

 

本来こう言う言葉は人に言うんじゃなくて自分の中で自分に言い聞かせるものなのだ。人に言ったとたんになんだか現実離れした、綺麗事や単なる精神論になってしまう。

 

なんとなくハイクラスの人たちと貧困層、その中間の層がいて、ハイクラスの層が収入の低い人から搾取していると思い込まされて・・・と言う社会構造があり。まあ、そう言う人も一定数はいるだろうけど・・・。

 

人には環境のみならず生まれついて差があり、人生イージーモード、ノーマルモード、ハードモード、はてはルナティックモードがあり、人生は遺伝子で決まる、などと思い込んでいる人も多い。

 

だからあなたが苦労して努力して、と言うのとか、仕事・価値・人生観を押し付けられるのはエゴを押し付けられている感覚にもなるって言うのは至極当然の帰結なのである。

 

私が病んでる時、

 

「あんたより大変な人はいっぱいいる!甘えるな!」

 

的な言葉を散々浴びせられた心地になるだろうなあ、となる分やはり勤労者寄りにはなる。いつの世も立場の弱い人は辛い。

 

自我を強化し世界・他者との境界線を高くして悩み深い人ほど、他人のことなんか知ったこっちゃないし、上から物言って手前だけ悦に入ってんじゃねえ!って思ってしまうものだろう。

 

ただ、自我の壁が薄くなってくると、世の中楽して生きている人はいないことがだんだん腑に落ちてくる。結果的に世に大きな価値をもたらして成功する人もいれば日々難病と闘って明日をも知れない人もいるが必ずしも、前者が人生イージーモードで後者が人生ハードモードってわけでもないのが奥深いところである。誰しも薄氷を踏むような人生を送りながらもささやかな幸せを追求しているのが実情だ。したがって自分と他人を比べることは不毛なのである。

 

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他の人を芝生に例えて悪いが他の人は青く見えるし(蒙古斑とかじゃないじょ)、これまた水鳥とか水かきに例えて悪いが水面下で水かきをばたばたさせている。でも、会社組織みたいにその構成員になれば体感できるような代物じゃなくて他者の生き死にと言うのは、生霊とか憑依じゃない限りは追体験できない。  

 

だからこそ這い上がれって気にもなるのだ。多くの上の文言はそう言う意図で書かれたものだろうから。曲解しすぎてもいけない。

 

仕事が人生そのものではないけど、世の為人の為、とエゴ心を捨てて働くことは自分を満たすことでもある。これは内発的な働き甲斐・生き甲斐に繋がる。優れた経営者や管理者はこれを知っている。

 

人はパンのみに生きるのではない。まあ、そのパンすら保証しないヤバい経営者や管理者もいるのだが・・・。

 

こう言う炎上すれすれの広告をいかにさっとややセーブ気味に投下するかは企業の広報部や広告会社の腕の見せ所なのだろうけど、ちょっと今回は火傷しちゃったようだ。まあ、悪く捉えている人ばっかりではないさ、ってな話でまったりと終わるとしよう。

 

では!/おしまい。

 

>猫P様id:nkobi1121)

 

 ・・・コメント、ありがとうございます!

 

せめて選挙には行ってほしいですよね・・・。自分一人が行ったところでって言う風に思ってる人もいるんでしょうけど、なんかこう、思考停止してる感があってやばいです。

 

 

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