アヤしいトンデモ科学になってきた。
- 嫌いな奴は嫌いでいい。
- 「幸せ」ってなんだっけ?
こんばんは~。
さて、あんまり話題もないので雑談ぶちかましていきたいのですが雑談の方が実は難しいと言うね・・・。
コミュニティオルタナティブエスカレーション!顧客満足度は高いでございますか?
ワークショップコンテンツにアウトプットしたらエスカレーションライフスタイルコミットメントするグローバルな。
うるっせえバ〇カ!!(ごめんなさい)
私は平和主義者で博愛主義者の愛の使者です。全身癒しオーラの塊です。(最初変換したら「卑し」になったけどさ)
嫌いな奴は嫌いでいい。
前記事で自他の壁を薄くするのがさとりだ、と書きましたけど、ブラック経営者とブラック管理職と893と意識高い系、自称サバサバ系、虐待親あたりはくっそ嫌いですw。
もうね、ホントに嫌いな奴は嫌いでいいです。
だからそれはそれ、これはこれ。
自分を害する人、理解不能な人種、ゴミみたいな人種は一定数以上存在します。
自分は自分である程度嫌いな人種が周りから去ってから、他人をジャッジしてはいけないよねと言う視点を腑に落としたくて、犯罪心理学の本なんかも買ったりしたわけです。
「嫌い」に蓋をすることなどできないし、こう言う人がいると言うことは「鏡の法則」から言って自分の内面が、とか考えてもしゃーないですよね、きっと。
こう言う人が身近にいる場合は、「魂の成長」のために必要な「ソウルメイト御一行様」、らしいです。
ただ、こう言うのをあんまり深く考えてはいけませんよ。現実問題、多くはそんなの知るかって感じじゃないですか。
もうメンタルを平気で折りに来る、自身を傷つける人が身近にいるなら「闘うか、逃げるか」の二択しかなくなる場合も多々あるでしょう。
ホントに病んでまでもいつまでも会社にしがみつき続けることなんてないし、親が虐待親だったら、学校で執拗にいじめられたら。もう今んとこ本当に逃げるしかない。
作っていきたいのは、「不登校すればいい」と言う選択肢を突き付ける世の中じゃなくて、「不登校しなくてもいい」世の中だからな。
弱い立場に置かれた人が環境を変えるしか選択肢のない世の中はやはり、間違っているのだろうな、と思うのです。
だから今すぐどうこうできるわけではないんですけどね・・・。
はあはあ、そんなところです。
さてさて、実際のところはどうなんですかね。
「幸せ」ってなんだっけ?
色んな悩みがあって、まあがっちり意識がフォーカスするのはそんなかの一つですけど、かわるがわる捕まるじゃないですか。その時の自分の視点がどこにあるかで変わってくるんですよね。
だから、状況を受け入れ今できることに全力で取り組み、自分を成長させ高い視点を手に入れると言うのが一つの取りうる選択です。
ただ、それが出来る時も出来ないときもあるでしょうけどね。
そう言うのが人生の目的に紐づくことも多々あります。
故ダイアナ妃あたりを連想するんですけど、王室の息の詰まるような空気から距離を置き、ボランティア活動に精を出していた時期が自分の人生を生きていた時期だったんじゃないかな、とも思うのですよね。
そもそも論として、「幸せ」って何なのかな?って考えます。少なくとも他者との比較と言う軸で考えるものではない、と言うのは前記事で書いた通りです。
物質的な富や貧困などが必ずしもその人の幸福や不幸とは一致しないですし、ましてやそれを他者の物差しで測ることなどできません。
今の所、疑問符を呈することしかできません。
哲学書を買いました。(なに突然)
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)
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あんまり網羅型・項目別・人物別の解説書って頭に残りにくいんですけど、これは時代ごとの哲学者の哲学を、連続性を持たせた形で時系列で綴っておりすっきりと、時代背景込みで理解できます。
哲学って、ただひたすら哲学者が象牙の塔なんかで、難解な理論をこねくり回し分かる奴にだけ分かればよい的な出口のない議論をしてたわけではないんですけどね。
いまいち実用性、と言うことを考えるとちょっとアレですけど、しっかりと全人類の恒久的な幸福とか平和とか、真理とか、人生とはなんぞや的なことには向き合っているわけです。
不完全な人間のための不完全な、でも精緻化された学問です。
学問は学問のための学問になってしまう意識高い系のお人も多いんでしょうけど、やっぱり人が幸せに生きるために、人を幸せにするために、と言うのが正しい在り方じゃないでしょうかね。
で、哲学ですが、正直よく分からないw。
ただ、ここで書かれているようなことを今科学が追っかけてる感じでもある。
特に東洋哲学などは紀元前何年とかの時代に、今の量子力学などの知見がすでに随所に顕れているのは驚異的と言えます。ヤージュニャヴァルキヤとか釈迦とか、老子あたり。
ほんっとう、ただものではないです。
ただ東洋哲学って、
「私は真理を悟った!」
っていうてっぺんの人がぽこっと現れて、いきなりそのゴールから話がスタートする。
もう枝葉末節がなくて釈迦であれば
「執着をなくせば苦しみが消える」
とかだし、老子であれば
「自然に任せてゆったりすれば人生うまく行きますよ~」
とかなんで、今のがつがつした競争社会の中で苦しんでいる現代人への一服の清涼剤として、東洋哲学のおおらかな考え方もたまには良いんじゃないでしょうか?的お茶濁しで終わることがきっと多いんですよね。
私は量子力学がきっかけで数学熱に再び火が付いたんで、量子力学をはるか昔に先取りしていた東洋哲学にはがぜん興味があったわけですが、こう言うのは変則バージョンかもしれません。
ただそれでも絶対真理には遠い。いや、絶対真理なんてそもそもあるのか?
先験的(アプリオリ)な神様はいますよ、とSTAP細胞はありますばりに言ったのはカントです。
でも実際は価値観も、信念も人生観も哲学も宗教も何もかも人それぞれ。十人十色どころじゃない。
あとは、不完全性定理とか不確定性定理で唯一神の不在が証明されました。
で。
上述のヤージュニャヴァルキヤの言う「梵我一如」と言うのは、人間がその人間の見ている世界の創造主であり、神であると言う”今の考え方”に近い。
いきなり突拍子もないことを言い出した感じですが、こう言う考え方が最新の科学とか心理学をもベースにした真実、です。
これを知って「私は神だ!」とか言い出すとヤバいので止めた方がいいですが、まあ神様なんです、はい。
深い話は別の機会にて。長くなってきたんで。
だから、自分を軽んじることも、安売りすることもないんですよ。これが最強の「ジココーテーカン」の根拠になるんですからね。
そんなところです。
では!/おしまい。
>面白マンガ道場様(id:falchion9)・・・コメント、ありがとうございます!さいたま氏はさとりの境地に間違いなく立ってますね。人類最強どころか、宇宙最強だしなあ・・・。
>オオイヌノフグリ様( )・・・コメント、ありがとうございます!私も読んでいない本はたくさんありますね~。引き寄せ本もたくさんありますw。言ってることが間違っているわけではないのですが、いかんせんハードルが高すぎるんですよね・・・。